第42話 法外なお小遣い
ビルの地下駐車場に入り、空いているスペースに車を停めるまでは確かに視界に人の姿は皆無だったにも関わらず、エンジンを切って車外に降り立った途端、至近距離で恭しく頭を下げつつ挨拶してきた男に美子は軽く驚き、秀明は苦笑した。
「お待ちしておりました、藤宮様。私は、副社長秘書の寺島です。会長と社長がお待ちになられている、会長室へご案内致します」
「宜しくお願いします」
「ご苦労様です」
そしておとなしく先導する彼に付いて歩き出して、秀明と共にエレベーターに乗り込んだ美子だったが、寺島が操作パネルのボタンを何度も押しているのを見て首を傾げた。その視線を感じた彼が振り返り、苦笑気味に説明する。
「社長室や会長室を含む最上階は、セキュリティーの観点から暗証番号を打ち込まないと上昇しませんし、一度動き出したらノンストップです。階段も容易に下の階と行き来出来ない様に、通常は閉鎖されております」
「そうですか……」
そんな物騒な所に出向くのかと、思わず顔を引き攣らせた美子だったが、秀明はある程度予想していたらしく、面白そうに口を挟んできた。
「そのフロアに、ヤバい物も山積みか?」
「山積みと言いますか、凝集されております」
「空から来たらどうする」
「それはまた、別の話になります。防弾ガラスや逃走経路を含めた対応策は、確立してありますので」
「なるほどな」
すました顔で事も無げに述べる寺島と、面白そうな表情を浮かべる秀明を見て、美子はうんざりしながら小さく溜め息吐いた。そしてすぐに最上階に着いた三人は、廊下を少し歩いて奥まった場所に有ったドアの前に立った。
「失礼します。お二人がお見えになりました」
室内に向けて報告した寺島に促され、二人が室内に足を踏み入れると、立派なソファーセットに向かい合って座っている加積夫妻が出迎えた。
「やあ、美子さん」
「いらっしゃい。わざわざ会社まで来て貰って、悪かったわね」
微笑んだ桜が立ち上がって、夫が座っている側に移動している間に、秀明と美子がソファーのある場所まで足を進めた。
「この度は色々とお口添え頂き、ありがとうございました」
秀明が神妙に頭を下げると、加積が二人に手振りで座る様に勧める。
「礼には及ばない。大した手間では無かったからな」
秀明の謝意に加積は薄笑いで応じたが、さすがに美子は笑う気にはなれなかった。
(見ず知らずのカップルとその周囲には、大迷惑だったでしょうね)
溜め息を吐きたいのを堪えていると、続き部屋に繋がっているらしいドアから、新たな人物が現れた。
「藤宮様、当社の副社長を務めております、金田と申します。早速ですが、譲渡手続きの為の署名捺印をお願いします。実印と印鑑証明は、持参して頂けましたでしょうか?」
「ああ、大丈夫だ」
「はい、二人分揃っています」
「ありがとうございます」
すかさず二人が応じると、歩み寄って来た初老の男は恭しく頭を下げてから、手にしている書類の束から幾つかの用紙やホチキス止めの冊子を取り出し、秀明に手渡した。
「それではまず、こちらの書類のここと……、こちらです。軽く内容に目を通した上で、署名捺印をお願いします。何かご不審な点がありましたら、その都度お尋ね下さい」
「分かった」
秀明が軽く説明を受けながら中身を確認し、署名捺印した上で次々に美子に手渡していったが、何気なく書類に目を走らせた彼女は、どうにも納得出来ない内容を目にして困惑顔になった。
「あの……、金田さん。ちょっとお聞きしても宜しいですか?」
「はい、ご遠慮なさらず、どうぞ」
「ここの数字が、間違っていませんか? 会長の役員報酬が年間一千五百万で、社長の報酬が一千万になっているみたいで……」
書類のとある箇所を指差しながら尋ねた美子だったが、金田は平然と応じた。
「その金額で、間違ってはおりませんが?」
「でも、副社長の金田さんが実質的な運営をしているのに、殆ど業務に係わらない社長と会長の報酬がこんなにあるなんて、どう考えてもおかしいですよね?」
「私の年収は二千万になっておりますので、どうぞお気遣い無く」
「そうですか……」
笑顔の金田にさらりと流されて、美子はそれ以上何も言えずに黙り込んだ。それを見た桜が、クスクスと笑いながら会話に加わる。
「本当に気にしないで、美子さん。元々ここの報酬は、私へのお小遣いのつもりで、主人が金額を決めていたから。美子さんも好きに使って良いのよ?」
「勘弁して下さい……。使い切れません」
気が楽になるどころか頭痛がしてきた美子だったが、桜が更に美子が頭を抱えたくなる事を言い出す。
「そう言えばここの名前って、主人が手に入れた時に私の名前に変えちゃったのよね。この際、美子さんの名前に変える?」
「そう言えばそうだったな」
「それは良いかも」
「冗談じゃありません!! 桜で結構じゃないですか! 日本の国花は桜と菊なんですよ!? このままでばっちりです。微塵も問題ありません!!」
「そんなにムキにならなくても」
どう見ても本気で言っている様に見えた三人は、実は冗談のつもりだったらしく、美子の反応を見て揃っておかしそうに笑った。
(駄目……、やっぱりこのご夫婦の相手は疲れるわ)
秀明以上に面倒くさい夫婦だとの認識を新たにしながら、美子はそれから秀明から回される書類に流れ作業的に署名捺印を続けた。それが一通り終わったところで、書類を回収して確認していた金田が、秀明に恐縮気味に声をかけてくる。
「これで必要箇所への記入は全て終了ですが、藤宮様には社長室に移動して頂いて、社長業務についての説明をさせて頂きたいのですが」
「どういう事だ?」
「面倒な事案や判断に迷う案件などは、これまで加積社長にご指示を仰いでおりましたので、今後同様の事を藤宮様にして頂く為に、この機会にこれまでの事例の幾つかを、解説しておきたいと思います」
言われた当初は困惑した顔になった秀明だったが、すぐに納得して話を進めた。
「なるほど、道理だな。どれ位かかる?」
「資料は準備してあるので、一時間位です。後は残りの資料を持ち帰って頂いて、時間のある時に目を通して頂ければ良いかと」
「分かった。美子、ここで少し待っててくれ」
「ええ、分かったわ」
時間を無駄にせず立ち上がった秀明に頷いてみせて、美子が金田を伴って部屋を出て行く彼を見送ると、書類が片付いたのを見計らった寺島が三人にお茶を持って来た。するとここで加積が、徐に口を開く。
「さて、美子さん。邪魔者が居なくなったので、内緒話でもしてみるか」
「……どんなお話でしょう?」
「あの男の、かつての身内の話だ」
「秀明さんの?」
内心で身構えながら話を聞く態勢になった美子だったが、加積の持ち出した話題に正直面食らった。そんな彼女の戸惑いを無視して、加積が真顔で話し出す。
「二年以上前の話になるか……。脱税と収賄と選挙違反が一度に明るみに出て、あいつの父親が代議士を、上の兄が県議会議員を辞職したのは?」
「はい、存じています」
秀明が裏で糸を引いた当時の騒動を脳裏に思い浮かべ、美子は僅かに渋面になった。しかし加積の予想外の話は、更に続いた。
「しかし幸いな事にと言うか、残念な事にと言うか、下の兄はそれらへの関与の証拠が不十分で送検されなくてな。父と兄とは異なり、一応、被選挙権を有している」
「そこまでは把握していませんでした。全く興味が無かったもので」
「だろうな」
正直に答えた美子に、加積は小さく笑った。そしてすぐに顔付きを改め、話を続行させる。
「ところで美子さん。白鳥前議員が辞職した後、彼の地盤がどうなったのかは知っているか?」
そう問われた美子は少しだけ考え込んで、頭の片隅にあった記憶を引っ張り出した。
「確か……、補欠選挙が行われましたが、白鳥氏及び陣営ぐるみの一連のスキャンダルのせいで、与党内で適当な候補者が立てられず、野党に議席を渡してしまったかと。そして去年の衆院選でも、その現職が与党の対立候補を破って、そのまま議席を死守したのでは?」
その美子の返答に、加積は満足げに頷いた。
「その通り。そして今現在与党内では選挙重点地区の一つとして、次の衆院選でそこを奪い返そうと画策している」
「そうですか」
「それで与党は一度立てた対立候補にこのままテコ入れするか、他に票を取れそうな候補者を新たに擁立するか、水面下で調整中らしいが、そこに因縁のある人物が名乗りを上げたそうだ」
そこで加積に思わせぶりに言われた美子は、咄嗟に頭の中に思い浮かんだ内容を口にした。
「まさか……、それが秀明さんの下の兄だとか、仰いませんよね?」
半信半疑で言ってみた美子だったが、加積夫妻は殆ど嘲笑めいた笑みを浮かべながらそれを肯定した。
「白鳥家は、長年その地域の発展に貢献しているのに加えて、知名度も誰よりも高くて票が取れると、与党の県議団と与党本部にアピールしたらしい」
「笑ってしまうわよね」
それを聞いた美子は、幼い頃から祖父や叔父達の政治家としての覚悟と信念を目にしてきただけあって、あった事もない白鳥家の人間に対して、激しい怒りを覚えた。
「自分達の不徳と不始末で議席を失ったのに、他力本願で議席を取るつもりですか? 無所属で戦い抜いて実力で議席を奪い取ってから、父親と兄の不明を頭を下げて詫びて、与党に合流する位の気構えを見せなさいよ!!」
「いや、尤もだな」
「素敵よ、美子さん」
思わず強い口調で吐き捨てた美子を窘めるどころか、加積達は笑顔で軽く拍手しながら彼女を誉める言葉を口にした。それで我に返った美子は僅かに赤面し、頭を下げる。
「すみません、お騒がせしました」
すると加積が、再び真顔になって確認を入れてくる。
「今の与党の選挙対策委員長を務めているのは、美子さんの縁戚だな?」
「はい。長谷川議員は、父方の伯母の夫に当たる方です」
「他にも実の叔父の倉田議員への伝手も得られるし、何とか美子さんと藤宮氏に渡りを付けたい所だな。白鳥側としては」
「でもこれまで私の方には、何の接触もありませんでしたが……」
話の流れ的に白鳥家の思惑は読めたが、これまでそんな気配を微塵も感じなかった事に美子が首を捻ると、加積が苦笑しながら教えた。
「あいつの住居や職場の方には、チョロチョロ現れてちょっかいを出しては、その都度奴に撃退されている様だ。藤宮氏の方も、完全無視らしい」
「あの二人なら、そうでしょうね……」
「それと恐らく藤宮家の固定電話は、白鳥関係のありとあらゆる電話番号を着信拒否する様に、奴がこっそり設定していると思う。帰宅したら確かめてみなさい」
「そうします」
(この前頻繁に家に来てた時、隙を見て電話に細工してたとか? こそこそと何をやってるのよ)
半ば腹を立てつつ、美子は思ったまま正直に口に出した。
「でも……、それならどうして私に言わないで、陰で設定してるのかしら?」
その疑問に、向かい側に座っている夫婦は顔を見合わせてから、苦笑いで解説してみた。
「それはまあ……。白鳥家の事を正直に言って、美子さんに面倒だと思われるのが嫌なんじゃないか?」
「あまり手のかかる男だと愛想を尽かされるかもと、心配しているんじゃないかしら」
「はぁ? あの傍若無人な人間がですか?」
本気で驚いて瞬きした後、加積達に疑わしげな視線を向けた美子に、加積は言い聞かせる様に考えを述べた。
「あいつは今回、初めて縄張りを持った動物みたいなものだからな。ちょっと神経質になっているのかもしれん」
「縄張り……」
その話を聞いた美子が、微妙な表情になって黙り込む。その反応に不自然な物を感じた桜が、訝しげに声をかけてきた。
「美子さん、どうかしたの?」
「あ、いえ。大した事ではありませんが……」
「何?」
にこやかに有無を言わせぬ口調で再度迫った桜に、美子は溜め息を吐いて、正直に口ごもった理由を述べた。
「その……。自分の巣穴を囲む様に、一生懸命鉄条網を設置している兎の姿が、一瞬脳裏に浮かんだものですから……」
(また馬鹿な事を言ったわ)
これでまた笑われるだろうなと思いながら美子が口にした内容は、やはり一瞬きょとんとした顔になった二人に、揃って笑われる事になった。
「まあ、可愛い事。あの男のイメージからはかけ離れているけど」
「鉄条網を張り巡らせる気になっただけ、成長したのは良い事だな」
「成長、ですか?」
思わず口を挟んだ美子に、加積がおかしそうに笑いながら小さく頷く。
「あの男はこれまで、向かってくる敵は手段を選ばす殲滅していただろうが、間違っても守りに入る事は無かった筈だ」
「確かにそんなイメージですね」
「だが、そんな事ばかり続けていたら、長生きできんしな。偶には巣穴で惰眠を貪るべきだろう」
「そういう物ですか?」
「そういう物だ」
首を傾げた美子に、加積が再度頷いてから言い聞かせる。
「だからあの男が寝ぼけている時に、不埒者が鉄条網を越えて来たら、迷わず美子さんが蹴り倒す様に」
「分かりました。偶には安心して昼寝をして貰う為に、頑張ります」
「おう、頑張れ」
「本当に、あの男に美子さんはもったいないわね」
加積の言葉に美子がすこぶる真面目に頷いたのを見て、加積と桜は再び楽しそうに笑った。
「それで話を戻すが、あいつに当たっても埒が明かないと、最近白鳥家は標的を美子さん達に変えてきたんだ。だが知り合いになろうとする連中を、これまで悉く桜査警公社で排除している」
「どういう事ですか?」
予想外の話に美子は軽く驚いたが、加積は淡々と事情を説明した。
「美子さんがここの会長に就任するのが決まった時点から、美子さんを含む藤宮家の皆さんは、全員警護対象になっている」
「そうだったんですか。存じませんでした」
「それで美子さん達に近付こうとする不埒な輩を、引ったくりを装って引き倒して動けなくさせたり、工事現場から事故を装って頭上に大量の砂を降らせて足止めしたり、自転車でひき逃げしたり。他にも色々な手段で、これまで二十回以上人知れず妨害を」
「ちょっと待って下さい! 今の話、明らかに犯罪行為が混ざっているんですが!?」
慌てて加積の話を遮って問い質した美子だったが、それに桜はあっけらかんと答えた。
「大丈夫よ。皆、経験豊富なプロばかりだし。警察に捕まる様なヘマはしないわ」
「そういう問題では無いですよね!?」
(やっぱり付いていけないわ、この人達!)
本気で頭を抱えたくなった美子だったが、ここで更に聞き捨てならない事を加積が言い出した。
「それで度重なる“偶然”で悉く失敗した連中は、無理に押しかけて心証を悪くするよりも、確実だと思う方法を考えたらしい。部下達の報告ではこの数日、美子さん達の周囲から姿を消しているそうだ」
「つまり、どういう事ですか?」
「どこからか、美子さん達の披露宴の日時を嗅ぎ付けたらしい。実の兄が出向くなら、他の人間の手前、排除する為に揉めて騒ぎを起こすのも外聞が悪いし、急いで席を設けるだろうと考えているのではないか?」
冷え切った笑みを浮かべている加積を見て、正直恐怖を覚えた美子だったが、それ以上に厚かまし過ぎる白鳥家への怒りと呆れが、それを軽く上回った。
「正気ですか? そんな自分達に都合の良い事を、本気で考えていると? 第一、身内なのに呼ばれない段階で、恥ずかしいとか問題があるとは考えないんでしょうか?」
「さあ。他の方の考える事は、良く分からないわ。それで、美子さんはどうするの?」
そこで唐突に桜に尋ねられ、美子は怒りも忘れて面食らった。
「私、ですか?」
「ええ」
「そうですね……」
そこで三十秒程俯いて考え込んだ美子は、ゆっくりと顔を上げてきっぱりと断言した。
「秀明さんは父と養子縁組をして、既に藤宮家の人間です。つまり彼に手を出す人間は、藤宮家全体の敵になります。それならただでさえ秀明さんが忙しい時は、私が蹴り倒しても問題ありませんよね? 寧ろこの場合標的が私の様ですから、私が手を下すべきかと思います」
その宣言に、加積が満足そうな笑みを浮かべながら、詳細について告げた。
「その通りだな。因みに当日は会場のホテルに、警備担当の者を十名程、目立たない格好で潜り込ませる予定だ。手を借りたい時は、金田に言ってくれ。これからは美子さんの部下になるわけだから、好きに動かして構わない。向こうの動きも引き続き探らせて、逐一、君に報告させよう」
「ありがとうございます。人手が要る時には、お願いする事にします。それからもう一つ、お願いしたい事があるのですが」
「何かな?」
「白鳥家からのちょっかいについてと護衛の件について、私が既に知っている事を、秀明さんに内緒にしておいて欲しいのですが」
それを聞いた加積は一瞬考えてから、確認を入れてきた。
「それは、あいつが美子さんに隠しているからか?」
「はい。私に心配させたくないとか、嫌な思いをさせたくないとか、見当違いな気遣いをしているのにちょっと腹が立ちましたので。自分から言うまでは、勝手に一人でやきもきさせておきます」
その容赦のない物言いに、加積は思わず笑ってしまった。
「分かった。その様に金田達には厳命しておこう」
「まあ、美子さんったら、存外悪い女だったのね?」
「あら、ご存じなかったんですか?」
冷やかしてきた桜に、美子がすまして言い返す。すると桜は笑みを深くしながら、楽しげに言い切った。
「でも確かに良い女程、抱えている秘密の数は多いし、ある程度の秘密を抱えておくのは、夫婦円満の秘訣なのよ。覚えておきなさいね?」
「分かりました。肝に銘じておきます」
「お前は本当に良い女で秘密だらけで、俺を驚かせるのが得意だからな」
その呆れ果てたと言わんばかりの加積の台詞に、女二人は同時に笑い出し、それに加積も苦笑いで加わった。それから世間話をしながら、楽しく時間を過ごしていると、秀明が金田を引き連れて戻って来る。
「待たせたな、美子」
「大丈夫よ? お二人と楽しく話していたし」
「そうか」
秀明は笑顔で出迎えた美子に、釣られた様に顔を緩めたが、反対に彼の顔を眺めた美子が、若干気遣わしげに尋ねた。
「秀明さんこそ、大丈夫? 大変そう?」
そう問われた秀明は彼女の横に座りながら、その懸念を打ち消した。
「それほどでもない。俺まで回ってくる案件は、そうそう無い筈だからな」
「私共も、なるべく社長とオーナーのお手を煩わせない様に心掛けますので」
「分かりました。今後とも、宜しくお願いします」
金田からも恭しく頭を下げられた美子は、取り敢えず納得する事にして、自分も頭を下げた。
そして秀明が戻るとすぐに、彼に促されて美子はその場を辞去し、金田と寺島に駐車場まで送られて、桜査警公社を後にした。内心で(そんなに露骨に、長居したくないっていう意思表示をしなくても)と思いながら、助手席で加積達との会話を思い出していた美子は、秀明を含み笑いで見やる。
「どうした?」
その視線を感じたらしい秀明が、運転しながら横目で尋ねてきた為、美子は明るい笑顔になって告げた。
「あなたって、ちょっと可愛いかもと思って」
その途端、秀明の眉間に皺が寄る。
「……何だそれは?」
「大丈夫よ。ちゃんと嫌がらずに面倒を見てあげるわ」
「だから何なんだ。今度はあの妖怪夫婦に、一体何を吹き込まれた?」
自分が席を離れている間に、また何か面倒な事になっていたのかと、信号で止まったのを幸い秀明が心底嫌そうな顔を向けてきた為、美子は笑い出しそうになるのを堪えながら微笑んだ。
「別に? 強いて言うなら……、良い女になる条件と、夫婦円満の秘訣を教えて貰ったわ」
「ろくでもない事を言われている気しかしないぞ」
「まあ、失礼ね」
途端に顔をしかめた秀明に、美子が多少拗ねた様に応じる。しかし秀明は、しみじみとした口調で言い出した。
「だが……」
「何?」
「俺の事を『可愛い』なんて評する人間は、深美さん位だと思っていたのにな」
「だって母娘ですもの」
「そうだな」
クスッと笑って当然の如く応じた美子に苦笑いしかできなかった秀明は、素直に頷いてみせてから、何事も無かったかのように、車を再び走らせて行った。