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半世紀の契約  作者: 篠原 皐月


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第40話 腹黒黒兎

 秀明の故郷で簡単な昼食を済ませて帰途についた二人は、何とか完全に暗くなる前には藤宮家の最寄駅に到達する事ができた。そして駅の構内を出て並んで歩き出したが、何やら黙り込んだと思ったら美子が「はぁ……」と溜め息を吐いた為、秀明が若干心配そうに彼女の顔を覗き込む。


「どうした? そんなに疲れたか?」

 それに美子は、軽く頭を振って答えた。

「そうじゃなくて。良く良く考えてみたら、今日の“あれ”で一応、私、あなたのプロポーズを受けた事になるのよね?」

 数時間前の自分の発言を思い返しつつ、美子が確認を入れると、秀明は本気で呆れた顔付きになった。


「何を今更……。と言うか、良く良く考えなくてもそうだろうが。俺に何か不満でもあるのか? 有るならこの際とことん聞いてやるから、洗いざらい言ってみろ」

「だからそうじゃなくて!」

 些かムキになって言い返した美子だったが、すぐに気落ちした様に俯きながら理由を説明した。


「その……。こんな事なら、あなたと半年前にきちんと婚約していれば良かったかなって思って。そうしたらお母さんに嘘をついて、婚約の真似事をして見せる必要も無かったのにと思っただけよ……」

 神妙に自分が後悔している内容を口にした美子だったが、それを聞いた秀明は、並んで歩きながら笑いを堪える様な声音で応じた。


「ああ、なるほど、そういう事か」

 その気配を察した美子が、思わず足を止めて秀明を睨み付ける。

「何がおかしいのよ?」

「いや、何というか……。意外に繊細なんだなと」

「ちょっと?」

 口元に手を当てながらの台詞に、明らかに相手が面白がっているのが分かった美子は思わずイラッとしたが、ここで秀明は苦笑しながら彼女を宥めた。


「別にそこまで気にする事は無いだろう。全く違う男と結婚する事になったわけでは無いし。深美さんだって、それ位は大目に見てくれるんじゃないのか?」

「それもそうね。細かい事には割と拘らない人だったし」

 腹が立ったのは確かだったが、これ以上秀明に怒りをぶつけてもどうしようもない事である上、殆ど自業自得である事でもあり、美子はあっさりと気持ちを切り替えた。そして再び自宅に向かって歩き出したが、自分の横を歩く男が何を思ったか再び笑いを堪える表情になっていた事に、美子は最後まで気が付かなかった。


「ただいま~」

 玄関に入って靴を脱ぎつつ奥に向かって呼びかけると、待っていたかの様に美野と美幸が走り出て来て、笑顔で二人を出迎えた。

「美子姉さん、お帰りなさい!」

「江原さんもお疲れ様でした。さあ、上がって下さい!」

「いや、俺はこのまま失礼するよ」

 殊勝に美子を送って来ただけだと述べた秀明だったが、彼女達が笑顔で再度勧めてくる。


「実は二人の戻る時間が夕飯時になるのは分かっていたので、お父さんから『江原君の分も頼んでおけ』と言われて、人数分のお寿司を頼んであるんです」

「ここで帰られたら、丸々一人前余っちゃう。もったいないから是非!」

 にこにこと促す二人に秀明はチラリと美子の顔を窺い、彼女が苦笑しながら頷いた事で前言を撤回する事にした。


「そうか……。じゃあ失礼して、上がらせて貰おうか」

「どうぞ。奥の座敷で、父が待ってますから」

 そして美野が上がり込んだ秀明のコートを預かっていると、美幸が美子に声をかけた。

「美子姉さん、日中写メールで画像を送った奴、買っておいたから」

「ありがとう。じゃあ一度部屋に行くから、そこで渡して貰える? 代金も払うわ」

「うん、分かった」

 そして美子は美幸と、秀明は美野とに分かれて歩き出した。


「じゃあ、後で」

「ああ」

 そして美子が自室でコートを脱ぎ、バッグと共に片付けていると、ノックの音がして美幸が顔を覗かせた。

「美子姉さん。これなんだけど、一応品物を確認してくれる?」

「ええ」

 そして掌に乗るサイズの長方形の箱を受け取った美子は、蓋を開けて詰められている薄い緩衝材を開いて、美幸が購入してきた物を確認した。そして元通りしまい込みながら、彼女に笑顔を向ける。


「これで大丈夫よ。可愛いわ。ありがとう。レシートは?」

「これなの。でも良かった。雑貨屋さんとかお箸の専門店とか回って、やっと見つけたから。日舞教室でのお友達へのプレゼント?」

 元通り蓋を閉めてから、美幸からレシートを受け取った美子は、何故か曖昧に笑って誤魔化した。

「プレゼントなのは確かだけど……」

「違うの?」

 首を捻った美幸の前で、美子は箱とレシートを机に置き、代わりに財布を持ち上げた。そしてその中から五千円札を一枚取り出し、気前良く妹に手渡す。


「でも一週間かからないで、見付けてくるとは思わなかったわ。はい、代金。余った分は手間賃とお小遣いよ」

「やった! 美子姉さん、ありがとう!」

「美野には内緒よ?」

「うん! おじゃましました!」

 予想外に気前の良い美子に、美幸はホクホク顔でその場を後にし、美子は満足げに箱を見下ろしながら、次の行動に移った。


「イメージぴったりの物が見つかって、良かったわ。一応、形だけでも包装しておきましょう。確か、取っておいた可愛いのが……」

 そんな事を呟きながら美子は手早くありあわせの物で包装し、それをスカートのポケットに忍ばせて、皆が揃っているであろう座敷へと向かった。


「美子姉さん、お寿司が届いたわ」

「丁度良い時に帰って来たわね」

 途中で大き目の寿司桶を二つ抱えた美恵と出くわし、一つ受け取って一緒に座敷に向かうと、男二人は早速ぐい飲み片手に微妙な雰囲気を醸し出していた。


「あら。お寿司が届く前に、早速飲んでたのね」

「何を言ってる。米の前に酒だろうが」

「はいはい」

 若干機嫌が悪そうな昌典に、苦笑気味の秀明を見て、美子は密かに溜め息を吐いた。

(早速、絡み酒っぽいわね。この人がちょっとやそっとで、恐れ入るわけ無いけど)

 全く秀明の心配などせずに、座卓に寿司桶を置き、何か不足している物は無いかと周囲を見渡すと、秀明の前にかつて深美が使っていた箸置きに、彼用の箸が置かれているのが目に入った。


「その箸置き……」

 思わず美子が呟くと、それを耳にした美野が心配そうに尋ねてくる。

「この前江原さんが泊まった時に、お母さんの紅葉を使ってたでしょう? だからそれが良いかと思って。いけなかったかしら?」

「そう。構わないわよ?」

 笑って頷いた美子に美野も安心した様に笑い、そこで美実が汁椀を配り終えた為、藤宮家の全員が座卓を囲んで夕食を食べ始めた。しかしすぐに美子が隣に座る秀明に話しかける。


「秀明さんに、渡したい物があるんだけど」

「何だ?」

「婚約指輪のお返しの、記念品として準備してみたの。開けてみてくれる?」

「分かった」

 ここで美子がポケットから取り出した、包装して細いリボンが掛けてある長方形の小さな箱を、秀明は嬉しそうに受け取った。そして早速座卓の上でそれを開け始めたが、他の者が興味津々で見つめる中、見覚えがありすぎる形状とサイズの代物に、美幸だけが真っ青になって呟く。


「え? まさか美子姉さん……」

「美幸? どうかしたの?」

 隣に座る美野がさすがに妹の異常に気付いて声をかけたが、そこで秀明が蓋を開け、周囲を覆っている緩衝材を除いて現れた物を見て、無表情で何回か瞬きを繰り返した。それを目にした藤宮家の者達の目も揃って点になったが、何とか気を取り直した秀明が、美子に尋ねる。


「美子……。これは何か、一応聞いても良いか?」

 その問いに、美子は楽しそうに笑いながら答えた。

「ふふっ、黒兎形の箸置きよ。可愛いし、あなたのイメージにぴったりでしょう?」

「…………」

 そう言われた秀明は、再度無言で貰った箱を見下ろした。その中には確かに脚を曲げてうずくまり、耳を伏せている黒い兎がちんまりと収まっており、微妙な表情で考え込む。その一方で座卓の反対側から、困惑も露わな囁き声が伝わってきた。


「姉さんの感性って……」

「江原さんのイメージって、狼なんだけど」

「兎……。でも白じゃなくて黒だし、一応雄っぽいかしら?」

 美子以外の姉達が揃って戸惑う中、美幸だけは激しく狼狽し、思わず中腰になって叫んだ。


「ちょっ、ちょっと美子姉さん!! 婚約記念品にそれってあり得ないよね!?」

「酷いわね、準備してくれたのは美幸なのに」

 若干拗ねた様に美子がそう口にした事で、室内全員の視線が美幸に集まってしまう。その事で彼女は益々動揺し、言わなくても良い事まで口走った。


「だって! まさかあの指輪のお返しのつもりだったなんて、全然思わなかったんだもの! 美子姉さんは、そんな事一言も言ってなかったし!! 明らかに桁が二つ違うよね? それの購入費用、五百円プラス消費税だよ!? せめて両目の赤いガラス玉を、ルビーにしなくちゃ駄目だって!!」

 両手を振りつつ真っ青になりながら主張した末妹を見て、姉達は揃って頭を抱えた。


「何でそんなしょぼい金額を暴露するの……」

「あんな小さな目、ルビーにしても大した事無いって」

「美幸、あんたって子は……」

 そんな外野をまるっと無視して、美子は微笑みながら再度秀明に声をかけた。


「どう? 実用性で考えてみたの。時計やカフスボタンとかのセットも捨てがたかったけど、こういうのも良いんじゃない? これから皆で揃って食事する毎に、これを出す事にしようかと。お母さんのを使うんじゃなくて、私達みたいに秀明さん専用の物が欲しいかなと思ったから」

 そう言われた秀明は、満足気に頷き、早速箱から取り出しにかかった。


「うん、これが良い。気に入った。今から早速、使わせて貰うか」

「気に入って貰えて良かったわ」

「美幸ちゃん、素敵な物を選んでくれてありがとう」

「……いえ、どういたしまして」

 急に礼を言われた美幸は、盛大に引き攣った顔で何とか言葉を返したが、彼女の姉達は納得しかねる顔付きで囁き合った。


「あれで良いの?」

「本人が良いって言ってるんだから、良いんじゃない?」

「江原さんの感性も、全然分からない……」

 そして箸置きを交換してから、秀明は唐突に話題を変えた。


「ところで美子。住みたい場所はあるか? それに合わせて、新居を決めようと思うんだが」

 それを聞いた瞬間、美子は本気で戸惑った声を上げた。

「……え?」

「どうかしたのか?」

「ここに住むんじゃ無いの?」

「…………」

 真顔で問い返された秀明は思わず黙り込み、室内に静寂が満ちた。しかしそれは短い間だけで、すぐに秀明が納得した様に頷く。


「そうか。すっかり忘れていたが、美子は家付き娘だったな。出る事は全く考えていなかったか。それなら俺がここに入る」

「本当?」

「ああ。そもそも俺は江原から白鳥に改姓して、また江原に戻してるから、名前を二回変えるのも三回変えるのも大して違わないからな」

「良かった。色々面倒そうだなって思ってたの」

 サラッと改姓宣言をした秀明に、事も無げに語る美子を見て、妹達は先程とは別の意味で頭を抱えた。


「サラリーマンの江原さんの方が、絶対に面倒じゃない」

「姉さん、名前を変える気、皆無だったわね」

「本人達がそれで良いなら、私達が口を挟む筋合いは無いけど……」

「本当に良いの?」

 しかし彼女達の当惑をよそに、秀明はサクサクと話を進めた。


「ところで入籍はいつにする? 俺の方の書類は揃ってるから、美子の本籍地に届け出るなら、明日にでも入籍できるが」

「そうね……」

「挙式と披露宴の後だな。藤宮家では代々そうしている」

 ここで唐突に話に割り込んできた昌典に、美子は意外そうな顔を向けた。


「そうなの? 初耳だけど」

「そうなんだ。だからそれらが済むまでは、入籍は許さん。それに付随する、その他諸々もだ」

 暗に婚前交渉云々の事を含めて告げた昌典に、秀明は僅かに顔をしかめてから笑顔で応じた。


「そうですか。それでは早急に手配を」

「一生に一度の事だから、じっくり準備を進めるべきだな。その為なら一年後になっても、俺は一向に構わないぞ?」

「お父さん……」

「…………」

 自分の台詞を遮って、昌典が含み笑いで言ってきた為、秀明の笑顔が微妙に変化し、美子はそんな二人を見て溜め息を吐いた。


(物分かりが良さそうなふりをして、この狸親父……)

(やっぱり変な所で、心が狭いわね)

 しかしすぐに気を取り直した秀明が、昌典に向かって神妙に頭を下げる。


「それでは藤宮家の祝宴として、おかしくない規模と家格の挙式と披露宴の準備を進めます」

「そうしてくれ」

「目標としては、三ヶ月後でしょうか?」

「……ほぅ? それは楽しみだな」

 不敵に笑った秀明を見て、今度は昌典の顔が引き攣り、娘達は揃ってうんざりした顔を見合わせた。


「お父さん、往生際が悪過ぎるわ」

「それ以上に、江原さんが負けて無いし」

「どっちの気持ちも分かるけど……」

「本当に、二人とも大人気ないよね?」

 そんな囁き声を聞きながら、美子は頭痛を覚えた。


(本当にどうなるのかしら? 普通に考えたら、準備に半年から一年はかかるものなのに)

 しかしそれから秀明は機嫌良く食べ進めていた為、取り敢えずこの場でそれについて追及するのは止めて、自らも楽しく食べつつ会話する事にしたのだった。


 翌日の午後。藤宮家に、宅配便で大量の荷物が届けられた。

「何かしら? この大量の荷物。かさばっている割には、妙に軽いし……。私宛てだし、開けてみても良いわよね?」

 送り主が秀明であり、自分宛てであった為、取り敢えず受け取ったものの、これについての話を聞いていなかった美子は困惑した。そして戸惑いながらも一番大きい箱を開封し、中身を覗き込んだ美子は、驚いて目を見開く。


「これって!?」

 そして数十秒固まった美子は、その後猛然と全ての箱を開封して中身を確認した後、携帯を手にして秀明に電話をかけた。しかしなかなか応答が無く、留守電に切り替わってしまう。


「もうっ! こういう時に限って、会議中とか商談中なの!? 暇になったらすぐにかけ直して!」

 苛立たしげにメッセージを残して通話を終わらせると、それから二十分程して秀明から美子の携帯に電話がかかってきた。


「俺だが、どうかしたのか?」

「どうもこうも! 何なのよ、あのドレス!」

 平然と尋ねてきた秀明に、美子は叫ぶように問い質した。しかし彼にとっては予定していた事だった為、淡々と確認を入れる。


「ああ、届いたか。ちゃんと他も揃ってるだろうな?」

 その問いに、美子は即座に答えた。

「ブーケもベールも靴も手袋も、あなたのタキシード一式と靴とブートニアまで、完全に揃ってるわよ! これ、どういう事? お母さんに見せた時のレンタル品と同じ物を、わざわざ買ったわけ?」

 一気に言い切った美子に、秀明は苦笑しながら答えた。


「いや。それは元々レンタル品じゃないんだ。あの店はレンタル事業をやっていないからな」

「それって……」

 相手の言わんとする事をすぐに理解した美子が、呆然となって黙り込むと、秀明が穏やかな口調で言い聞かせてくる。


「あの時、二人分を一揃い購入して病院で使った後、専門の業者でクリーニングして貰って、今まで店で保管して貰っていた。式はそれを着てするから、確かにちょっとフライングではあったが、俺達が深美さんに見せた“あれ”は嘘じゃない」

「……あ、あのねぇっ!」

「うん? どうかしたのか?」

 言い返そうとしたものの、これ以上何か言ったら泣き出しそうになった美子が口を噤むと、秀明は何事も無かった様に声をかけてきた。そんな彼に向かって、手の甲で目の周りを擦った美子が、いつもより低めの声で告げる。


「好きな物……」

「は? 今、何て言った?」

「好きな料理をメールで教えて。偶には作ってあげるから、夕飯を食べに来なさい。お父さんにも文句は言わせないわ」

 些か素っ気なさすら感じる口調で美子が宣言すると、秀明は電話越しに嬉しそうに応じた。


「分かった。後からメールする。早速、明日食べたいんだが」

「分かったわ。作って待ってるから」

 そして通話を終わらせてから、早速届いた箱を空いている部屋に運び込んでいると、秀明からのメールが届いた。


「早速来たわね」

 そして送信されてきた内容を確認して、呆気に取られる。

「ちょっと……、何よ、この膨大なリストは?」

 しかし呆れながらも怒り出す事は無く、それを確認し終えた美子は、引き続き箱の整理を続けた。


「取り敢えずおかしくない組合せで、明日の夕飯の献立を考えましょうか」

 そして引き続き機嫌良く片付けを終えた美子は、携帯の画面を眺めて、翌日の夕飯の献立について考えを巡らせたのだった。



「やあ、今晩は」

「いらっしゃい、江原さん!」

「今日はお仕事が忙しく無かったんですか?」

「随分早いお出ましね。忙しく無かったの?」

 職場からの移動時間を考えると、どう考えても定時より前に上がったとしか思えない時間に来訪した秀明に、美子は疑惑の眼差しを向けたが、彼は笑顔で土産の花束とケーキを差し出しながら、事情を説明した。


「忙しかったが、残った仕事は上に押し付けたり下に丸投げして、早退してきたからな」

「あのね……」

「うわぁ、江原さん悪い人~」

「ちょっと美幸! 冗談に決まってるでしょう?」

 美子が顔を引き攣らせ、美幸が大げさに驚いたが、秀明は苦笑しながら弁解してきた。


「実は美野ちゃんの言う通り、今のは冗談なんだ。今日は午後から外に出ていて、商談先から直帰予定だったからね」

「なぁんだ、騙される所だった」

「江原さんが、そんなに不真面目なわけ無いじゃないの」

 妹二人はそれで納得したが、美子は上がり込んだ秀明と並んで廊下を歩きながら、疑わしそうに再度尋ねた。


「本当に直帰予定だったの?」

「当たり前だ」

(もの凄く怪しいわね……)

 しれっとして言い返した秀明をそれ以上問い詰める事もできず、美子は疑惑を抱えたまま彼に手料理をふるまった。

 そして料理を綺麗に平らげた秀明が、満足して自宅に帰ってから少しして、昌典が帰宅した。しかし遅い夕飯を食べながら、自分が帰宅する直前まで家にいた人物の事に話が及んだ途端、渋面になる。


「今日、江原君が夕飯を食べに来ただと?」

「ええ。出先から直帰だったとかで、随分早い時間に来て。食事の後もお茶を飲みながら色々話をしていて、お父さんが帰る直前まで居たんだけど」

「ほおぉぅ? 俺が聞いた話とは、随分内容が違うな」

 そのはっきりと皮肉が込められた口調に、美子は嫌な予感を覚えながら尋ねてみた。


「……因みに、お父さんはどういう話を聞いたの?」

「今日は夕方から主だった管理職が一堂に会しての会議で、奴はその席でこの前の南米視察の報告をする筈だったんだがな? 急な体調不良で早退したと、所属部署から司会者の方に連絡があったらしい」

 淡々と昌典が説明した内容を聞いて、美子の顔が強張った。


「その……、それじゃあ、その報告は……」

「奴が纏めた報告書と資料を元に、同行者が報告した」

「そうですか……」

 そこで言葉少なに頷いた美子に、昌典が軽く睨みつけながら呼びかける。


「美子?」

 そこで父親が暗に求めている内容を、理解できない美子では無かった。

「……教育的指導をしておきます」

「そうしてくれ」

 ブスッとしながら頷いた昌典のご機嫌を取ろうと、ここで美子は恐る恐るお伺いを立ててみた。


「あの……、お父さん。お燗して持って来ましょうか?」

「頼む」

 そして美子は気まずい空気が満ちた食堂から台所に抜け出し、重い溜め息を吐いた。


(職場で大嘘ついた挙句に、しれっとした顔で食べまくっていくなんて、あの男!)

 取り敢えずお酒を出したら、文句の電話をしてやると決意しながら、美子は手際良く燗をつけて昌典に運んで行った。


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