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半世紀の契約  作者: 篠原 皐月


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第33話 人生を変えるコスプレ

 桜との約束の日時に美子が華菱に出向くと、入口の自動ドアを抜けて店内に足を踏み入れた途端、着物をきちんと着こなした女性に深々と頭を下げられた。


「いらっしゃいませ」

「藤宮と申しますが、加積さんは」

「美子さん! こっちにいらして!」

 明るい声がした方に顔を向ければ、奥に位置している畳敷きの広いスペースに座っている桜が嬉しげに手を振っており、美子はそれに苦笑しながら軽く頭を下げる。


「加積様のお連れ様でしたか。ご案内致します」

「ありがとうございます」

 笑顔が五割増しになった様に感じる店員の後に付いて歩き出した美子だったが、何となく周囲からの視線が気になった。


(何か、店中の人間の視線を集めている気がするんだけど?)

 あからさまな物では無かったものの店員は興味津々であり、この店にとっては上客と思われる、居合わせた年配の御婦人方は驚きを隠そうともせずに、美子に視線を向けていた。それに少々居心地が悪い思いをしながらも、彼女は気にしない素振りで奥へと進んだ。


「こちらからお上がり下さい」

「分かりました」

 脱いだコートを案内してきた店員に預けた美子が靴を脱いで上がり込み、座布団に落ち着くと、桜が笑顔で話しかけてきた。


「こんにちは、美子さん。わざわざ足を運んで貰って、申し訳無かったわね」

 それに何か答える前に、桜の隣に足を崩した胡坐座りの同年配の男性が、如何にも嘆かわしいと言った感じで口を挟む。

「全くだ。失態を犯しただけではなく、相手に煩わしい思いをさせるとは」

「全面的に私が悪かったとは、ちゃんと認識しているわよ?」

「どうだかな」

 些かムッとした感じで言い返した桜と、溜め息を吐いた男性のやり取りを聞いて、美子は本気で困惑した。


(この男の人は誰かしら。随分貫禄があるけど、まさかヤクザさんとか? でも桜さんの連れみたいで、気安く話してるし。身内かお友達?)

 如何にも良家の奥様然の桜と、彼女のイメージとは真逆の色黒で眉が太い、ごつい顔付きの男性を交互に見ていると、その視線を感じたのか、彼が苦笑しながら美子に向かって自己紹介してきた。


「ああ、これはすまない。私はこれの夫の加積康二郎だ。はじめまして」

 横に座る桜を軽く指差しながら告げてきた加積に、美子は内心で安堵しながら頭を下げた。


「そうでしたか。初めてお目にかかります。藤宮美子と申します」

「宜しく、美子さん。それと、少々足を悪くしているので、女性の前だが楽な姿勢で失礼している」

「まあ、そうでしたか。どうぞお気遣いなく。お楽になさっていて下さい」

(やっぱり桜さんのご主人だけあって、見た目はともかく礼儀正しい方みたいだわ)

 洗練された所作とは言えないまでも、神妙に断りを入れて来た加積に、美子は自然に好感を覚えた。


「今日は偶々用事が無かったので、これが迷惑をかけたお嬢さんに、俺からも直に謝罪しようと出向いて来たんだ。これが失礼な事をした上に、面倒をかけて申し訳無かった」

「いえ、本当にお気遣いなく。本来であれば良心的な方でもクリーニング代程度で済ませるところを一から仕立てて頂くなんて、却って恐縮しております」

「それなら良かった。今日は美子さんと反物を選べると、これが朝からウキウキしていてな。少々退屈で煩わしいかもしれないが、ばあさんの酔狂に付き合ってやってくれ」

「いえ、煩わしいなんて」

 似合わないウインクまでしながら、加積が茶目っ気たっぷりに言ってきた為、美子は思わず笑ってしまったが、ここで些か腹を立てた様な桜の声が割り込む。


「まあ! 私が『ばあさん』なら、あなたは『じいさん』じゃないの! 選ぶのに邪魔ですから、黙って引っ込んでいて頂戴!」

「これだ。最近お前は、夫を全然敬って無いだろう?」

「妻を『これ』呼ばわりするろくでなしなんて、敬う必要性は皆無よ」

 そんな調子で言い合っている夫婦を、美子は微笑ましく見守った。


(何か見ていると楽しいし、お似合いのご夫婦よね。一見上品な桜さんと強面の加積さんだから、文字通り美女と野獣なんだけど。どういった経緯で結婚したのか、ちょっと気になるわ)

 そんな事を考えて美子の好奇心が多少疼いていると、加積が急に懐を探りながら言い出した。


「そうだ。忘れないうちに、美子さんに渡しておこう」

「何でしょう?」

 不思議に思いながら美子が彼に視線を向けると、加積はジャケットの内ポケットから名刺入れを取り出し、その中の一枚を彼女に向かって差し出した。


「これを」

「加積さんの名刺ですか?」

「ああ。見ず知らずの人間から着物を貰った事で、美子さんが恋人に変に勘ぐられたりしたら申し訳ないからな。何か問題があったら、その名刺を見せて説明してくれ。こんな枯れた年寄り相手に、嫉妬する馬鹿は居ないだろうが、何か問題が生じたら俺が責任を持って対応しよう」

 真顔でそんな事を言われた美子は、何とも言い難い表情になりながらも、取り敢えず手を伸ばして名刺を受け取る。


「いえ、恋人とかそういうのは……。取り敢えず、名刺は頂いておきますが」

 そしてそれをバッグにしまうやいなや、桜が我慢しきれない様に声をかけた。

「それじゃあ美子さん。早速反物を見て貰える? 似合いそうな物を、次々出して貰うから」

「あ……、はい」

 それを合図に、これまで静かに控えていた店の者達は、一斉に職務に勤しみ始めた。


「姿見はこちらです。実際に、肩に掛けてご覧下さい」

「素材も色々とご用意できますので、ご希望の物があれば、遠慮無く仰って下さいませ」

「お若い方ですから、やはり明るい色調の物が宜しいかと」

 わらわらと美子を囲むように集まった店員にあれこれ勧められ、美子はかなり悩んだ末に一反を選んだ。それで話は終わりかと思いきや、口達者な桜と老練な店員に丸め込まれて、他にも色々と小物を選ぶ羽目になり、全て終了した時にはかなりの疲労感を覚えていた。


「それではこちらの仕立てに、二週間程お時間を頂きます。仕上がり次第ご連絡を入れて、自宅にお届けしますので」

「宜しくお願いします」

 畳に広げたり並べたりしていた物を全て片付けた後、店から供されたお茶と和菓子を味わって漸く人心地ついた美子は、改めて礼を述べた。


「ありがとうございます、桜さん。着物だけではなくて、帯やバッグに草履まで揃えて頂いて」

「良いのよ。せっかく贈るんだから、ぴったりのコーディネートをして貰いたいし。帯とかは、ここまで足を運んで貰った迷惑料の代わりね」

「はい。ありがたく頂戴します」

(ここで納得しておかないと、もっと酷い事になりそうだものね)

 鷹揚に頷いた桜に、美子は内心では色々思いながら笑顔を返した。しかしここで桜が片手を頬に当てながら、物憂げに愚痴らしき物を零す。


「本当に、美子さんの様な若くて綺麗なお嬢さんの物を選ぶのは楽しいし、似合う物が沢山あるけど、うちの人にはねぇ……」

「悪かったな。生まれつき人相が悪くて」

「え? どういう事ですか?」

 苦笑の表情になった加積に美子が思わず口を挟むと、桜が少々忌々しげに言い出す。


「だって美子さん。この人った眉がつり上がってて目つきが悪くて、顔全体が四角くて柔らかさに欠けるし、髪も剛毛でピンピンはねるのよ? 目の前に小さな子供を連れて来たら、全員怖がって泣くわ」

「本当の事だが、もう少し言いようは無いのか?」

「……桜さん」

 どうフォローしたものか本気で困惑した美子だったが、桜の愚痴っぽい訴えは更に続いた。


「少しでも知的で穏和に感じられる雰囲気にして、周りの人の好感度を上げられないかとこれまで色々試してみたんだけど、本当にコーディネートのしようが無くて。やるだけ無駄だったわ」

「挙げ句の果て、こいつは俺に『整形手術なさい!』とキレたんだが、幾ら怖そうに見えても、親から貰った顔を変える気にはなれなくてな。それが余計に気に入らないらしい」

「はぁ……、そんな事があったんですか」

(確かに怖そうだし、只者には見えないのよね。でも本人が嫌だって言うのに、整形手術を強要するのもどうかと思うし)

 両者の言い分は分かるものの、正直どちらにも肩入れできずに困った美子は、ふと以前美恵が言っていた台詞を思い出した。そこで若干悪くなってきた雰囲気を何とかしてみようと、控え目に声をかけてみる。


「桜さん、ちょっとお聞きしたいんですけど」

「何? 美子さん」

「整形手術とかしなくても、周りの人から見た加積さんのイメージが怖くない様に変われば良いんですよね?」

「ええ、そうね」

「じゃあ服装や髪型、小物のコーディネートと言うより、いっその事、誰がどこからどう見ても警戒心を抱かせないコスプレとかを、加積さんにして貰ったらどうですか?」

「警戒心を抱かせないコスプレ?」

「因みにどんな物かな?」

 唐突な提案に、加積と桜は揃って不思議そうな顔付きで美子を見やると、彼女は落ち着き払って告げた。


「そうですね……。例えば幼稚園児のコスプレとかだったら、間違っても周囲の人は恐怖心を覚えないと思います。寧ろ幼稚園児に見せたら、自分達の仲間と思ってくれるかもしれません。ひょっとしたらそれだけで、人生が変わるかもしれませんよ?」

「………………」

 そこで夫妻が無言で何度か目を瞬かせると同時に店内が静まり返り、美子は自分の予想と異なる反応に、内心で戸惑った。


(あら? 何か急に静かになったけど、どうして? ここは『嫌だ、美子さんったら、そんな冗談言って』とかって、笑うところじゃないの?)

 そうやって軽い冗談で気まずい雰囲気を払拭しようと思ったつもりが、相変わらず加積夫妻は真顔のまま沈黙していた。そこでさり気なく周囲の店員や居合わせた客の様子を窺うと、真っ青になっている者、そそくさと視線を逸らす者、狼狽した様子で奥に引っ込んだり店から出て行く者などが目について、美子は密かに冷や汗を流す。

 そんな中加積が沈黙を破り、落ち着き払った口調で美子に問いを発した。


「美子さん。幼稚園児はどういう服装をするものかな?」

 唐突過ぎるその問いかけに、美子は慌てて彼に視線を向けながら、反射的に言葉を返す。


「え? ええと……、しっかりした制服がある所もありますが、王道はスモックでしょうか? それに帽子と通園バッグは外せないかと」

 自分の幼稚園時代を思い返しながら口にした台詞に、桜の言葉が続いた。


「帽子はやっぱりベレー帽よね? そして男の子だったら半ズボンだわ!」

「桜さん?」

 そこでいきなりウキウキとした口調で提案してきた桜に、美子は僅かに顔を引き攣らせながら困惑の声を上げたが、それに加積が真顔のまま頷く。


「ふむ……、なるほど。試す価値はありそうだな」

「は? あの、加積さん?」

「それでは、美子さんの着物を仕立てるついでに、それらも私に合わせて一式作って貰おうか」

「は、はあぁ!? 加積さん、ちょっと待って下さい!」

 考え込んだ加積に嫌な予感を覚えた美子だったが、その予感が現実の物となって、激しく狼狽した。しかしその場で動揺したのは美子だけだったらしく、黙って横に控えていた責任者らしい女性が、落ち着き払って加積に向かって頭を下げる。


「承知致しました。それでは具体的な形状や、使用する生地を今から決めさせて頂きます。採寸も致しますので、少々お時間を頂きますが」

「構わない。今日は時間があるからな」

「あの! ここは呉服店ですよね? 基本的に着物は直線裁ちに直線縫いじゃないですか。曲線縫いの多いスモックなんて無理でしょう?」

 慌てて美子が会話に割り込んだが、そこで下げていた白髪交じりの頭をゆっくりと上げた彼女が、若干鋭い目を美子に向けながら宣言してきた。


「藤宮様。ここは呉服店です。二百年以上前から、布地を扱っております。板を縫えと言われたなら流石に不可能だと即刻お断りいたしますが、布を縫えと言われたのならこの店の看板にかけて、丸でも三角でも四角でも、ご満足頂ける様に縫い上げてご覧にいれます」

「……はぁ」

「稀にですが国外のお客様から、着物地でドレスを縫ってくれと言われる事もありますので、型紙から起こしたり立体裁断できる担当者もおりますので、ご心配には及びません」

「そうですか……」

 堂々と胸を張った彼女に、美子はもう何も言えなかった。そして彼女が無言でパンパンと両手を二回打ち鳴らすと同時に、店員が全員弾かれた様に再び職務に没頭し始める。


「スモックでしたら薄い色が主流でしょうか?」

「そうなると、無地の萌黄や若草、水浅黄や白緑辺りですね」

「それに加えて、灰白色や灰桜の反物も揃えて持って来て! 勿論、薄手の物よ!」

「桑田さんを急いで呼んできます! 加積様の採寸をして、型紙を起こして貰わないと!」

「ベレー帽にはちりめん素材で、色は明るく、模様が入っても宜しいですね」

「半ズボンは少し厚めで、肌触りが良い物を」

 バタバタと棚や奥の倉庫らしい所を行き来する者達の他に、何人かは草履を脱いで畳に上がり、紙に簡略したデザイン画を描きながら加積夫妻と相談し始める。


「ところでスモックは、デザイン的には前開きと後ろ開き、どちらに致しましょう?」

「後ろにした方が、腹部にポケットを大きく付けられますが」

「うちの子は前開きでしたね。ポケットに蓋は付けますか?」

「名札はどうしましょうか?」

 テキパキと目の前で展開していく光景を、美子は両手で茶碗を持ちながら、ただ茫然と見入っていた。


(さすが老舗と言われるだけはあるわ。皆、全然動じずに仕事に集中してる。どうしよう……。軽い冗談のつもりだったのに)

 そしてつい先程、軽い気持ちで口にした台詞を美子は心底後悔しながら、冷め切った茶を飲み干した。


 結局、加積の幼稚園児の服装と小物に加え、悪乗りした桜まで保育士の物を揃えて欲しいと無茶振りをするのをどこか遠い目で聞き流しながら、美子は心の平穏を保った。その後加積夫妻が乗って来たセンチュリーで自宅まで送って貰った美子は、門の前に降り立ってから、後部座席の二人に向かって頭を下げた。


「送って頂いて、ありがとうございました」

「いやぁ、今日はなかなか楽しかったから、礼には及ばない」

「着物が仕上がったら華菱からこちらに届くから、是非自宅に見せに来て頂戴ね? どんな風に素敵に仕上がったか、見てみたいの」

「はい。お礼方々、全て身に着けてお伺いします」

「絶対よ? 約束ね!」

 そして揃って上機嫌な夫婦を乗せたセンチュリーを手を振って見送ってから、美子は深々と溜め息を吐いた。


「……疲れた」

 後半はどう考えても自業自得の感があった為、愚痴は零さずに黙って玄関の戸を開けて家に上がり込む。そして居間に入ると、予想外に妹二人の出迎えを受けた。


「お帰りなさい、美子姉さん」

「あら、早いのね、二人とも」

「今日は部活が無かったし」

「インフルエンザが流行ってて、午前中で帰る事になったの。明日から学級閉鎖だし」

「そう。あなた達も気を付けてね?」

 苦笑しながらコートを脱いでソファーに落ち着くと、気を利かせた美野がお茶を淹れて持ってくる。


「はい、良かったら飲んで。私達、部屋に行ってるから」

「ありがとう。ご飯ができたら呼ぶわね」

 そうして美野と美幸を見送った美子は、華菱での出来事をあれこれ思い出しながらゆっくりお茶を飲んでいると、ふと加積から手渡された物の事を思い出した。


「そう言えば加積さんの名刺を、ちゃんとしまっておかないと」

 そこでちょうどお茶を飲み終えた為、バッグから取り出して名刺を確認した美子は、バッグとコートを持って自室へと向かった。


(貰った時は良く見なかったけど、私でも知ってる有名企業の名誉顧問をされてるのか……。確かに羽振りは良さそうね)

 歩きながら名刺に印刷されている社名とロゴマーク、肩書を見て、美子は一人納得した。


(話してみると結構面白いおじいさんなんだけど、典型的な見た目で損をする人なのね。ちょっと気の毒だわ)

 うんうんと頷きながら廊下を歩いていた美子だったが、階段を上がりかけてふと笑みを零す。


(でも……、『誰からプレゼントを貰った』と嫉妬されるかもしれないって。加積さんなりに気を遣ってくれたのは分かるけど、幾ら何でも弁償として頂いた物に対して、どうこう言う人間はいないと……)

 しかしここで美子は、ピタリと足の動きを止めた。


(そう言えば、『男と食事してヘラヘラ笑ってた』位で、俊典君の全身を染料塗れにしたんだったわ、あいつ)

 そして全身の動きを止めると同時に、美子の顔から血の気が引いた。


(まさかこの事を知ったら、加積さんにまで変な因縁を付けないでしょうね!? ちゃんと早めに詳しく事情を話しておいた方が)

 そしてコートを放り出し、慌ててバッグの中から携帯を取り出して電話をかけようとしたところで、美子は辛うじて幾らかの理性を取り戻す。


(ちょっと待って。落ち着くのよ、私。時差がどれだけあると思ってるの。今、向こうは早朝よ。それに携帯が繋がるとは思えないし、宿泊先だって分からないじゃない)

 そして一つ深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、それ以前の問題を頭の中で提起する。


(それ以前に、どうして私が、この場にいない無関係な男の顔色を伺う様な事を、わざわざしなくちゃいけないわけ? おかしいでしょう?)

 そう自分自身に言い聞かせながら、美子は若干怒りの表情になりつつ、乱暴にバッグの蓋を開けて元通り携帯をしまい込もうとした。


(大体、一方的に求婚されただけで返事をしていない、付き合ってもいない人間じゃない。これじゃあ何か後ろ暗い事があって、弁解をしているみたいだわ)

 そんな自分の戸惑いと幾分かの疾しさを誤魔化す様に、美子はバッグに携帯を放り込もうとしたが、見事に狙いを外したそれが一直線に落下し、派手な衝突音を立てる。


「あああっ! ちょっと! 何で落ちるのよっ!!」

 理不尽だとでも言わんばかりの叫び声を上げ、美子が階段を下りて携帯を拾い上げる所までを、偶々一階に降りようとして階段の上から目撃する羽目になった美野と美幸は、一階に行く事を諦めて一度自分の部屋に戻る事にした。そして並んで歩きながら囁き合う。


「何かやっぱり変よね、美子姉さん」

「江原さん絡みだとしか思えないけど」

 ここ最近の百面相付きの美子の挙動不審っぷりに、二人は思わず溜め息を吐いた。


「大丈夫かしら? 美実姉さんの話だと、江原さんが出張から戻るまでまだ暫くかかりそうなのに……」

「そこまで心配しなくても。『会えない時間が二人の愛を育てる』って週刊誌に載ってたよ?」

「この前も思ったけど、どんな週刊誌を読んでるのよ? それにあの二人の間に、育む程の愛があると思うの? 寧ろ、破滅の足音が聞こえるわ。どうしよう……」

 自分の台詞に動揺したのか、途端に深刻な顔付きになって狼狽える美野を見て、美幸が小さく肩を竦めた。


「本当に、美野姉さんって悲観的だよね」

「美幸が楽観的過ぎるのよ!」

 そんな風に妹達に心配されながらも、表面上は穏やかに時は過ぎていった。そしてそれは正に、嵐の前の静けさであった。



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