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第3話 最低男の来訪

「本日は、無理を言って申し訳ありません。お邪魔させて頂きます」

 大きくて横にかさばっている紙袋を提げ、玄関で礼儀正しく一礼した秀明に、玄関で彼を出迎えた美子は頬が引き攣りそうになるのを自覚しながら、普段通りの声を心掛けながら促した。


「……いらっしゃいませ。どうぞ、お上がり下さい」

「失礼します」

 神妙に断りを入れて靴を脱いで上がり込んだ秀明を引き連れて、美子は廊下を歩き出した。しかし曲がり角の陰や半開きのドアの内側から、こそこそとこちらの様子を窺っている気配に、苛立たしさが増大する。


(この男……。本気で迷惑かけてると思ってるなら、わざわざ出向いて来ないでよ! 皆も何をコソコソと覗いてるの! 纏わり付いて、質問攻めにしないだけマシだけど)

 そして自分達の様子を窺っている気配をすぐに察知した秀明が、前を歩く美子に苦笑気味に囁いた。


「妹さんが四人いらっしゃるとお伺いしていましたが、今日は皆さんご在宅の様ですね」

「後程、父の方から紹介すると思います」

「それは楽しみです」

(何よ、この胡散臭い笑み。できる事なら殴り倒したい……)

 美子は不愉快さが徐々に増大していくのを押し隠しながら、客間まで秀明を連れて行き、襖の前で膝を付いて中にいる父に声をかけた。


「お父さん、白鳥さんをお連れしました」

 すると、落ち着き払った声が聞こえる。

「入って貰いなさい」

「どうぞ、お入り下さい」

「失礼致します」

 美子が静かに引き開けた襖の向こうに秀明は軽く一礼してから足を踏み入れ、用意されていた大きな座卓を挟んで、昌典の正面に用意されていた座布団に座った。


「藤宮さん。本日は休日の貴重なお時間を割いて頂き、ありがとうございます」

 そう言って神妙に頭を下げた秀明に、昌典は鷹揚に笑ってみせた。 

「いや、今日は特に予定は無かったので、お気になさらず」

 しかし秀明が顔を上げて彼と視線がぶつかった瞬間、両者とも奇麗に表情を消し、その場に微妙な沈黙が漂う。

(何? 睨み合ってるって感じでは無いけど、どうして黙っているわけ?)

 常にはない父の様子に美子が戸惑っていると、昌典はすぐに何事も無かったかの様に、いつもの人当たりの良い笑顔を浮かべつつ、話題を持ち出した。


「ところで白鳥さんのお話では、先週の見合いの席で美子に失礼な事を言ってしまったお詫びがしたいとか。娘にどのような事を仰ったのでしょうか?」

「藤宮さんには個性豊かな娘さんが五人おられますが、ある筋の批評では」

「あのっ! 本当に大した事はありませんので。本当にお気になさらなくて結構です」

 どうやら正直に口にするつもりだと察した美子は、慌てて会話に割り込み、秀明を睨みつけつつ視線で(一言でも余計な事を口にしたら、承知しないわよ!?)と圧力をかけた。それが分らない秀明ではなく、美子の必死さに思わず笑ってしまう。


「そうですか? それにしては、なかなか豪快な反撃でしたが」

「……美子?」

 今度は父親から探るような視線を向けられて、美子は内心怒り狂った。

(こっ、この男! 蹴られただけでは足りなくて、頭髪全部むしり取られて、つるっぱげになりたいみたいね!?)

 拳を握り締めつつ美子が不穏な事を考えていると、ここでタイミング良く襖の向こうから声がかけられた。


「お父さん、お茶をお持ちしました」

「ああ、入りなさい」

「失礼します」

 当事者である美子に代わって、お茶を淹れる様に言いつけられていた美恵が、三人分のお茶を持って室内に入った。そして客人である秀明の前に茶碗を乗せた茶卓を置く。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 美恵が興味深そうに秀明を眺めたが、秀明の方はその類の視線には慣れている為、余裕の笑顔であしらった。すると美恵が入ってきた襖の方に顔を向けた昌典は苦笑し、その向こうにいる筈の娘達に向かって声をかける。


「三人ともそこに居るな? 紹介するから、入って来なさい」

「はい!」

 一際元気な声と共に女の子が入ってくると、その後に彼女の姉らしき少女達が二人続いて入ってくる。そして誰に何も言われずとも、先ほど入って来た美恵も含めて、美子の横に年齢順に一列に並んで正座した。


「白鳥さん。釣り書きを見てご存じだとは思いますが、美子には妹が四人います。茶を出したのが次女の美恵よしえで今大学四年です。それとこちらの手前から順に、高校二年の三女の美実よしみ、次に中二の四女の美野よしのと、最後は小五の五女の美幸よしゆきになります。皆、白鳥英明さんだ。ご挨拶しなさい」

 軽く説明した昌典が促すと、彼女達は年の順に短く挨拶してきた。


「はじめまして」

「……どうも」

「いらっしゃいませ」

「こんにちは! 見合い写真よりも、イケメンさんですね!」

 美恵は薄笑いを浮かべつつ、美実は観察する様に、美野は恥ずかしそうに、そして美幸は遠慮なしに感想を述べる。するとそれに美野が噛み付いた。


「美幸、いきなり失礼じゃない!」

「褒めただけじゃないの」

「二人とも、お客様の前よ?」

 溜息を吐いて美子が窘めると、秀明が笑いを堪える表情になって、土産として持参した紙袋を美子に向って差し出した。


「すみません、お渡しするのを忘れていました。些少ですがお納めください」

 それに美子が礼を述べる前に、身を乗り出して紙袋に印刷されている店のロゴを確認した美幸が、歓声を上げた。

「あ、やった! 《プリーメル》のケーキ! あそこはどれも美味しいんだけど、ナポレオンパイが入ってると良いなぁ」

「美幸! 頂きものに対して色々言うなんて失礼でしょうが!」

「えぇ~、良いな~って言っただけじゃな~い」

 生真面目な美野に叱責されて美幸がむくれ、姉達は(また始まった)と呆れて溜め息を吐いていると、秀明が笑顔で年少者二人に声をかけた。


「美幸ちゃん、確かナポレオンパイは入っていたから、安心して」

「やった! ありがとう、白鳥さん」

「どういたしまして。それから美野ちゃんは、どんなケーキが好きなのかな? 十二種類を一つずつ買って来たんだけど、その中に美野ちゃんの好きな物も入っていて、喜んでくれたら嬉しいな」

「あの……、私は何でも美味しく頂きますので……」

「そう? じゃあ皆で仲良く分けて食べてくれる?」

「はい」

(美幸、美野……、あっさりこんなのに騙されないで)

 美幸が満面の笑みで、美野も嬉しそうに頷いてみせたのを見て、美子は頭痛を覚えた。そこで美実が皮肉っぽく言い出す。


「そうすると十二個買って来たんですよね? 申し訳ないけど父は辛党で、ケーキの類は食べないんですが?」

「ええ、それもお聞きしていましたので、藤宮さんにはこちらのお酒をご用意させて頂きました。好みが分からなかったので、小さめの瓶にしましたが」

「それは、わざわざご丁寧に、ありがとうございます」

 秀明がすかさず差し出したもう一つの細長い紙袋を、昌典は苦笑しながら受け取った。しかし発言内容に矛盾を感じた美恵が突っ込みを入れる。


「じゃあ、どうして十二個持ってきたのかしら?」

「姉妹五人と夫人で六人ですから、一人二個で計算したんですが。そういえば夫人は今日はお留守ですか?」

「…………」

(え? 何だ?)

 途端に静まり返った室内に秀明が戸惑っていると、美実が淡々とその理由を説明した。


「事前の情報収集に穴が有ったみたいね。母さんは今、入院中なの」

「それは、大変失礼しました」

 さすがに秀明も自分の非を詫びたが、昌典は重くなった室内の空気を取り払う様に、穏やかな笑みを浮かべつつ語りかけた。

「いえ。実は白鳥さんの話を深美みよしにしましたら、是非会ってみたいと言われましたが、さすがに病室にお招きするわけにはいきませんし、代わりに我が家に来て頂きました。白鳥さんの事は、私から伝えておきます」

 それに秀明は頷き、さり気無く話題を変える。


「そうでしたか、ご夫人に宜しくお伝え下さい。しかし姉妹全員に『よし』という字が入っていますが、それはお母様の名前から取られたのですか?」

「ええ。我が家では代々、美しいと書いて『よし』と読ませる名前を付けています。私は婿養子なので違いますが、妻の妹達や叔母達もそうなんですよ」

「そうでしたか。家族の絆の強さが見える様で、宜しいですね」

「私もそう思います」

(何をどうでも良い話を延々と。さっさと頭を下げて帰りなさいよ!!)

 何となく室内の空気が和み始めて安堵したものの、世間話に突入した秀明達に、美子は密かにいらついた。すると昌典との会話に一区切り付けた秀明が美子の方に体を向け、先程中途半端になっていた謝罪を行う。


「それでは、美子さん。先日は大変失礼を致しました。一社会人として大変分別の無い発言をしたと、猛省しております。お許し下さい」

 そう言って深々と頭を下げた秀明に、美子もこれ以上揉める気は無かった為、素直に頭を下げた。

「それに関しては、その後の私の対応にも非があると思われますので、相殺にして頂ければ嬉しいです。本日はわざわざ足を運んで頂いた上、結構な物を頂戴いたしまして、ありがとうございました」

「私の気持ちですので。お気になさらず」

 そこで互いに謝罪が済んだのを見た昌典が、何気なく秀明に問いかけた。


「それでは白鳥さん、これで用事はお済みかな?」

「いえ、ここからが本題になります」

「ほう? 本題とは?」

 すると秀明は昌典に体を向け、傍目には真剣な表情で口上を述べた。

「美子さんと、結婚を前提としたお付き合いをさせて頂きたく、ご挨拶を兼ねてお願いに参りました」

「それはそれは……」

「はぁ?」

 そして深々と頭を下げた秀明を見て、昌典は些か皮肉気な笑みを浮かべ、美子は戸惑った声を上げた。そして頭を上げた秀明が、自分に向って軽く小馬鹿にしている様な笑みを向けてきたのを見た瞬間、美子は盛大な抗議の声を上げる。


「冗談じゃ無いわよ! 誰があんたみたいな、裏表の激しい奴と結婚するもんですか!」

 しかしここで、昌典がのんびりした声でとりなしてくる。

「美子、落ち着け。全く裏の無い人間などいる筈がない。それに初対面でお前に早々に悟られる程度の裏表しかないなら、大して問題にはならんだろう」

「お父さん!」

「しかし、初対面でお前をそこまでキレさせる人間など、初めてかもしれんな」

「…………っ!」

 苦笑いしながらの父親の指摘に、美子は歯ぎしりしそうになるのを懸命に堪えた。そして彼女の妹達からの興味津々な視線を意識しながら、秀明は目の前に座る男に対しての認識を、更に深める。


(先程から思っていたが、やはり只者では無さそうだな。あっさりそんな風に言い切れるとは、ひょっとしたら俺の方の事情も分かっているか?)

 そして無言で考えを巡らせていた秀明に、昌典が落ち着き払った声で話しかける。


「白鳥さん」

「はい」

「美子の結婚に関しては、全面的に美子の判断に任せているので、私が制限を加えるつもりはありません。その気があったら口説いて下さい」

「ありがとうございます」

「ちょっと、お父さん!」

 思わず声を荒げた美子だったが、そんな娘に昌典は多少意地悪く笑う。


「いい大人なんだから、気に入らない相手なら蹴り倒せば良いだけの話だ」

「……あのね」

(やはり彼女が口にしないまでも、見合いの席で何があったのかは、父親の方はおおよそ想像できているらしいな)

 顔を引き攣らせた美子に吹き出しそうになりながら、秀明は昌典の洞察力に感嘆した。するとここで、美子か硬い表情で断わりを入れてくる。


「申し訳ありませんが、そのお話はお断りします」

「即答しなくても良いじゃありませんか。私のどこが、そんなに気に入らないですか? 言って頂ければ、改めるべき所は改めますが」

 余裕の笑みでそんな事を口にした秀明に、美子は腹立たしい思いを抱えつつ考えを巡らせる。

(自分が誰と比べても、見劣りする筈が無いって自信が透けて見えるわ。しかも悔しい事に、粗探ししても見つかりそうに無いじゃないの。こうなったら……)

 そして美子は、苦し紛れに言い出した。


「あなたが国家公務員だからです」

「え?」

 その予想外の切り返しに、秀明はもとより彼女の妹達も怪訝な顔になったが、美子は淡々と考えた台詞を口にした。

「ご覧になって分かりません? 我が家は兄弟がいなくて妹ばかりなんです。誰かは旭日食品の将来有望な社員を婿に取って、その人に社長職に就いて貰わなければいけませんから」

 そこで美幸の不思議そうな声が割り込んだ。


「美子姉さん、姉さん達がお婿さんを取らなくても大丈夫だけど?」

「美幸? どうして?」

「大きくなったら、私が旭日食品の社長になってあげるから。安心して頂戴!」

 自信満々で胸を張りつつ請け負った美幸に、美子は深々と溜息を吐いた。

「……あなたが社長に就任したら、旭日食品は一年経たずに倒産するわね。賭けても良いわ」

「美子姉さん、酷いっ!」

 本気で腹を立てた美幸を半ば放置し、美子は秀明に向ってきっぱりと宣言する。


「美幸の世迷い言はともかく、私と結婚したいのなら、経済産業省を辞めて旭日食品に入社して、課長職以上になったら改めていらして下さい。その時に私がまだ独身だったら、考えて差し上げます」

 その傲慢とも言える口ぶりに、妹達は揃って呆れ、困惑した。

「全く……、どこまで高飛車なのよ」

「美子姉さん、無茶ぶりもいいとこよね?」

「さすがにそれは無理なんじゃ……」

「美子姉さんが、ここまで頑固だとは思わなかったな~」

 しかしこの間、落ち着き払って姉妹のやり取りを聞いていた秀明は、事も無げに言い返す。


「美子さんの主張は分かりました。それならば私が旭日食品に入社して課長職以上になれば、取り敢えず結婚を前提とした交際について、考えて頂けるんですね?」

「え、ええ。確かにそう言いましたが……」

(何? まさか本気にした、わけじゃ無いわよね?)

 何となく言質を取られてしまったかの話の流れに、美子は思わず不安になったが、そんな彼女を無視して、男二人で会話が交わされる。


「藤宮さんのご意向はどうでしょうか?」

「美子が言う通りにして貰いたい」

「分かりました。それではその時は口説いても良いとお父上から許可が出たので、それまで少々お時間を頂きます」

「……はぁ」

(この男、正気なの?)

 思わず頷いたものの、唖然としてしまった美子だったが、秀明は平然と微笑みつつ話題を変えてきた。


「今日は、貴重な一家団欒の場にお邪魔しまして、申し訳ありませんでした。そういえば美子さんは先週『気分転換する時には、お茶を立てたり書道をする』と仰っていましたから、今日の様に姉妹が揃っているお休みの日には、全員でお茶を立てたりするんですか? なかなか華やかで、藤宮さんには目の保養になりそうですね」

 秀明としては最後に和やかになる話題を出してから辞去しようと、何気なく口に出した内容だったのだが、何故かそう言った途端、室内が困惑した空気に包まれた。


「気分転換にお茶?」

「確かに、美子姉さんは心得はありますけど」

「それって……」

「そういう事もしますが」

「美子姉さんの一番のストレス解消法は、サッカーですよ?」

「ちょっと美幸!」

 キョトンとした顔付で美幸が口にした内容に、姉達は密かに慌てたが、秀明は即座に問い返した。


「美幸ちゃん、今、何て言ったかな?」

「だからサッカー。美子姉さん、凄く上手なの。庭にゴールポストもあるし」

 正直に答えてしまった美幸の横で、美野が思わず頭を抱える。秀明が姉妹の並びに視線を走らせ、無表情な美子の所で視線を止めてから、興味深そうに頼んできた。


「ふぅん? それは凄い。是非お庭を拝見したいな」

 当然美子は無言を貫いていたが、昌典が笑いを堪える表情で促す。

「それなら美子、白鳥さんを庭にご案内して差し上げなさい」

 そう言いつけられて、美子は溜め息を吐いてから立ち上がった。


「……分かりました。ついて来て下さい」

「恐縮です」

 苦虫を噛み潰したかの様な美子に続いて、楽しそうに笑いながら秀明が立ち上がる。

「私も行く!」

「あ、ちょっと美幸! 少しは遠慮しなさいよ!」

 当然、それを見逃すつもりはない彼女の妹達もぞろぞろと後に続き、総勢六人で庭へ向かう事となった。


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