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第25話 予想外の話

 三が日を過ぎても、まだ世間一般的にはお正月気分が抜けきらない時期。美子が自宅で義理の叔母の急な訪問を受けたのは、そんな日の昼下がりだった。


「照江叔母さん、いらっしゃいませ」

「美子ちゃん。急に押しかけしまってごめんなさい」

「私は構いませんが、まだ一応松の内ですし、そちらの方がお忙しいのでは?」

「そうなんだけど、急にぽっかり時間が空いてね。なるべく早めに直接美子ちゃんと顔を合わせて、話したい事が有ったものだから」

「はぁ……」

(電話で済まない話って事? 一体、何事かしら?)

 きちんと着物を着こなした彼女は、この時期は単独か叔父と一緒に後援会の新年会や年始回りで多忙ではと、美子が不思議に思いながらお茶を出すと、照江は早速真顔で話を切り出した。


「あのね、時間もあまりないし単刀直入に聞くけど、うちの俊典の事をどう思う?」

「え? 俊典君、ですか?」

「ええ、そう」

(いきなりそんな事を言われても……)

 照江と和典の長男であり一つ年下の彼とは、子供の頃はそれなりに顔を合わせて遊んだりもしたが、成人してからは主に冠婚葬祭などの親戚付き合いがある時に顔を合わせる程度であり、美子は取り敢えず彼に関して認識している内容を、慎重に考えながら口にしてみた。


「そうですね……。俊典君は常に物事に対して慎重で、周囲の人を立てる事ができて、自分の意見と異なる内容でも素直に受け止められる、包容力のある人間だと思いますが?」

「良く言えばそうだけど、悪く言えば優柔不断で、自己主張できなくて、周りの意見に流されやすいとも言えるわね」

「叔母さん……」

(そんな身も蓋も無い事を言われても)

 自分なりに良い様に表現した気遣いをばっさりと否定されて、美子は溜め息を吐きたくなったが、その表情を見た照江が焦った様に両手を振って弁解してくる。


「ごめんなさい、誤解しないでね? 何も美子ちゃんに文句を言いに、わざわざここまで来た訳じゃないのよ」

「はぁ……」

(だったら何なの?)

 この義理の叔母の意図が全く掴めずに困惑した美子だったが、次の台詞を聞いた衝撃で、思わず目を見開いた。

 

「美子ちゃん。俊典のお嫁さんになってくれない?」

「はい? あの、今、何て仰いました?」

 当惑した美子に、照江が真剣な顔付きで畳み掛ける。


「だから、美子ちゃんに俊典と結婚して欲しいの」

「差し支えなければ、理由をお伺いしたいのですが」

 あからさまに拒否も出来ず、取り敢えず詳細を聞いてみようと美子が促してみると、照江は重い溜め息を吐いてから、苦渋の表情で話し出した。


「俊典が主人の後継者を目指して、一昨年から主人の秘書になって色々勉強しているのは、美子ちゃんだって知っているでしょう?」

「はい、勿論存じています」

「だけどさっきも言ったけど、あの子は母親の私から見ても何というか意欲や迫力に欠けるし、何か一本ピシッと通っている感じがしないし、深謀遠慮が感じられないのよ」

 親馬鹿などではなく、寧ろ第三者よりも冷静に息子を評したその態度には共感を覚えた美子だったが、恐らく彼女が比較対照にしているのが、彼女の義父や夫であるのが容易に察せられた為、さすがに美子は俊典を不憫に思って彼を庇った。


「叔母さん、俊典君はまだ二十代半ばですよ? 頭角を現すのは、まだまだこれからじゃありませんか。確かにお祖父さんや叔父さんと比較したら気が揉めるかもしれませんが、そんな風に急かしたら可哀想だと思います」

「それは私も思ったわ。だからせめてしっかり者の妻が、あの子を支えてくれれば良いと考えたの。だから美子ちゃんに、俊典と結婚して貰いたいのよ」

「お話の向きは分かりましたが……、買い被り過ぎではないでしょうか?」

 控え目に辞退しようとした美子だったが、照江は真剣な表情のまま首を振った。


「そんな事は無いわ。前々から考えてはいたんだけど、精進落としの時の美子ちゃんの凛とした立ち居振る舞いと毅然とした対応を見て、あの頼りない俊典の背中を叩いて励まして支えてくれるのは、もう美子ちゃんしかいないと確信したの!」

「はぁ……、恐縮です」

(あれで目を付けられたわけね……)

 一気に表情を明るくして照江が語気強く訴えてきたのを聞いて、美子は思わず項垂れそうになった。そんな彼女には構わず、照江の独白めいた訴えが続く。


「今までも考えてはいたんだけど、俊典の方が一つ下だから学生だったり、独り立ちしてもいない状態だったから、こちらから口にする事はできなかったの。それに優子義姉さんや恵子義姉さんも、息子さんの結婚相手に美子ちゃんの事を狙っていたから、あまり迂闊な事は言えなくて」

「そうでしたか……」

「でもそうこうしているうちに、お義姉さん達の所は次々にお嫁さんを迎えたし、待てば海路の日和ありってこの事よね! それに美子ちゃんとだったら、私、嫁姑としても上手く付き合えると思うの。後援会だって納得するし、寧ろ諸手を挙げて賛成してくれるわ。何と言っても、本来お義父さんの後を継ぐはずだった、昌典義兄さんの娘さんなんだもの!」

 握り拳で鼻息荒く主張する照江に若干引きながら、美子は何とか笑顔を自分の顔に張り付けた。


「そうでしょうか? 私には、分不相応なお話かと思うのですが……」

「美子ちゃんのそういう謙虚な所も、私は好きよ?」

「ありがとうございます」

(これはもう、今ここで何を言っても無駄だわ)

 にこにこと笑顔を振り撒く照江に、美子はこの場で適当に誤魔化したり宥めたりするのを諦めた。するとここで、照江が幾分神妙に言い出す。


「さすがに今すぐに結婚してくれとは言わないし、喪中にも係わらず正式に縁談を持ち込む様な真似をしたら、あの非常識な人と同列視されるから控えるけど」

「勿論、あの人達と叔母さんを、一括りにしたりはしません。安心して下さい」

「ありがとう、美子ちゃん。……それで、これまで従兄弟としか思っていない相手との結婚話をいきなり持ち込まれても、美子ちゃんも戸惑うだろうし、ここは一度当事者同士で会って、それについての話をして貰えないかしら?」

「はぁ、それは……」

 流石に結婚についての即答は避けられて安堵したものの、この話自体をどう回避すべきかと悩んで言葉を濁した美子に、照江が急に心配そうな顔付きになって言い出した。


「勿論、今現在他からの縁談があるとか、お付き合いしている人がいるとかなら、断ってくれて構わないのよ? 嫌だ、私ったら。こういう事は真っ先に、お義兄さんや本人に確認しないといけないのに。一人で先走ってしまって、ごめんなさいね?」

 根は悪い人間ではないと分かっている照江に、心底申し訳なさそうに謝罪され、美子は(確かに先走り過ぎではあるわよね)と思わず苦笑しながら宥めた。


「いいえ。別に問題はありませんから」

 すると瞬時に、照江が嬉々として確認を入れてくる。

「じゃあ今のところ、美子ちゃんには特に決まった相手とか、お付き合いしている人とかは居ないのよね?」

「それは……」

 再び口ごもり、反射的に脳裏に秀明の顔を思い浮かべた美子だったが、自分自身に弁解する様にその事実を打ち消した。


(別に結婚相手が決まってるわけじゃ……。だって付き合ってるわけじゃないし、勿論正式に婚約とかしてるわけじゃないし、あいつから求婚されたのも面白半分だろうし。取引とか交換条件とかでしか、一緒に出歩いてもいないし……。確かに指輪は渡されたけど、しっかり返してしまっているし)

 そして若干の後ろめたさを覚えながら、自信無さげに叔母に告げる。


「そう、なるんじゃないでしょうか?」

 その途端、照江は両手を打ち合わせて、満面の笑みで申し出た。

「良かった! じゃあ今度、俊典と一緒に食事でもしてくれない?」

「ええと……、お食事ですか? 構いませんよ? 私も久しぶりに、俊典君の顔を見たいですし」

「分かったわ! 早速あの子に言っておくから。俊典の事、宜しくね! 頼りにしてるわ、美子ちゃん!!」

「はぁ……」

 照江の迫力に押され、身を乗り出してきた彼女に掴まれた両手をぶんぶん上下に振られるままになりながら、美子は完全に諦めの境地に至った。すると照江が急に時計で時間を確認して、慌てた様子で立ち上がる。


「本当に良かった! 今年は春から縁起が良いわ!! あ、じゃあそろそろ迎えが来る時間だから、お邪魔様でした!」

「いえ、大したお構いも致しませんで」

 慌ただしく辞去する照江を見送る為に一緒に玄関から出ると、丁度門の所に倉田家の専属運転手が運転する車が停車した所であり、それに笑顔で乗り込んだ照江のスケジュール管理能力の一端を目の当たりにした美子は、(さすが照江叔母さん。政治家の妻の鏡だわ)と心底感心しながら走り去る車を見送った。



 その日の夜。珍しく早く帰って来た昌典を交えて、家族揃って夕飯を食べ始めて早々に、昌典が美子に声をかけた。

「そう言えば美子。お前近々、俊典君と食事をしに行くそうだな」

「え、ええ。そうだけど……。どうしてそれを?」

 軽く動揺しながら問い返した美子に、昌典が困惑気味に説明する。


「夕方、照江さんが上機嫌で俺の携帯に連絡してきた。『今後とも親族として、これまで以上に宜しくお付き合い下さい』との事だ」

「そう……」

(叔母さん。浮かれ過ぎです)

 彼女の中では既に結婚までのスケジュールが組み立てられているのかもと、美子は些かうんざりしながら考えていると、その会話の意味が全く分からなかった美野と美幸が怪訝な顔で問いを発した。


「え? 俊典さんが家に来るわけじゃなくて?」

「どうして美子姉さんと、二人で食事に行くの?」

「…………」

 下二人とは対照的に、父と姉の会話でおおよその事情を察した美恵と美実は無言で顔を見合わせたが、昌典が顔を顰めながら美子に確認を入れた。


「美子」

「何?」

「はっきり他の人間に対して公表している訳でも無いし、俺としては照江さんと言えども余計な事は言えなかったから、取り敢えず頷いてはおいたがな。どうしてそうなった?」

「……なんとなく?」

 父が暗に「あの男の事はどうするんだ」と尋ねているのは分かっていた美子だったが、正直あまり考えたく無かった為、投げやりに答えた。その態度を見た昌典は、盛大に溜め息を吐いて匙を投げる。


「もういい。俺はもう、何も言わん。自分で何とかしろ」

「そうするわ」

 呆れられたのは分かったものの、下手に弁解する必要性も感じなかった美子は、そのまま食事を再開し、微妙な空気のまま皆で夕食を食べ終えた。

 そして夕食が終わるやいなや、美恵の部屋でその部屋の主と美実が、当惑した顔を見合わせる事になった。


「ねえ、どうする?」

 声を潜めて美実が尋ねると、美恵が苛立たしげに応じる。

「どうもこうも……。滅多に無い分、時々姉さんの無神経さには、どうしようもない位腹が立つわね」

「ここは知らなかった事にする?」

「馬鹿言わないで! そんな事をしたら、後が怖過ぎるわよ!」

 美恵が盛大に反論すると、美実は姉の肩に片手を置きながら、真顔で申し出た。


「そうよね。じゃあそう言う事だから、年長者として連絡宜しく」

「ちょっ……、冗談じゃないわよ! せっかくあれの親友と付き合ってるんだから、あんたが男を介してチクれば良いでしょ!?」

 慌てて自分の肩からその手を払いのけつつ美恵が訴えたが、美実も必死の形相で言い返した。


「それこそ冗談じゃないわ! 淳を殺す気!?」

 それから暫くの間、姉妹の間で激しい論争が繰り広げられたが、結局は「付き合いが長い方が、回避方法も熟知している筈」との結論に達し、一方的に淳に嫌な任務を押し付ける事になった。



「……それで?」

 悪友からの電話に出た秀明は、相手の話を一通り聞いてから、短く、静かに問いかけた。それを聞いて、かなり危険な物を感じ取ったのか、電話の向こうから淳が躊躇いがちに話を続ける。


「だから……、今の話をサクッと纏めるとだな……、近々美子さんが、従兄弟の一人と食事に行くって事なんだが……」

「上手く纏めたな。さすがだ、淳」

「は、はは……。そりゃどうも……」

 穏やかな口調で褒め言葉を口にした秀明だったが、その顔から表情が綺麗に消え去っている事に、電話の向こうでも淳には分かっていたらしく、緊張を孕んだ掠れ気味の声が伝わる。


「良く分かった。じゃあな」

 そこで話は終わったとばかりに秀明が声をかけると、淳が焦った声で言い聞かせてきた。


「あ、おい、ちょっと待て! あまり変な事はするなよ? 一応彼女とは血が繋がってる従兄弟で、倉田代議士の長男なんだからな!?」

「それ位分かっている。一々喚くな。切るぞ?」

 淡々と言い返して通話を終わらせた秀明は、そこではっきりと面白く無さそうな顔付きになって吐き捨てた。


「前々から、父方に目障りな奴が何人か居たが……。美子にどうこう言う前に、この機会に目障りな奴らを一掃する為のネタでも集めておくか」

 そう呟いた秀明は早速時間を無駄にせず、とある旧知の人物の電話番号を選択して電話をかけ始めた。


「光? 今大丈夫か?」

「はい、大丈夫です。どうしたんですか? 白鳥先輩」

 いきなりかかって来た電話に、後輩の一人である篠田光が不思議そうに問い返すと、秀明は彼を唆す様に話しかけた。

「またちょっと、ネタになりそうな奴が居てな。ちょっと調べてみる気はないか?」

 そう持ちかけると、予想に違わず嬉々とした声が返ってくる。


「先輩の勘働きの恩恵に与れるのなら、幾らでも調べますよ。これまでだって、散々儲けさせて貰いましたからね」

「じゃあ、今回調べて欲しいのは倉田俊典だ。父親の倉田和典代議士の長男で、私設秘書を務めている筈だ」

 しかしそれを聞いた光は、当惑した声を上げた。


「はぁ? そんな典型的な二世議員目指してるボンボン調べて、埃なんか出てくるんですか?」

「二世じゃなくて三世だな。彼の祖父が倉田公典だ」

「父親も祖父も揃って与党保守派の、一見身綺麗な前職現職じゃないですか……」

 忽ち面白く無さそうな声になって黙り込んだ相手に、秀明は宥める様に言い聞かせる。


「大した事が分からずに無駄骨に終わったら、かかった経費に関しては俺が倍額支払う」

 秀明にしては珍しいそんな殊勝な物言いを聞いて、光は機嫌を直したらしく明るい口調で断言した。


「分かりました。今回も先輩の話に乗ってみましょう。もし空振りに終わったら、先輩の連勝記録にストップがかかるだけの話ですからね」

「そう言う事だ。ちょっと急いで調べてみてくれ」

「分かりました。やってみましょう」

 力強く請け負った光の言葉に満足しつつ、秀明は幾つかの世間話などをしてから通話を終わらせた。


「無駄足に終わりそうで、悪いな」

 そして(どうせ大したネタは上がらないだろうから、経費は最初から倍額を準備しておこう)と高を括って一人密かに苦笑していたが、この事が後にとんでもない事態を引き起こす事となった。



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