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第19話 反撃

 翌日の深美の葬儀と告別式の朝。滞りなく準備を進めていたにも係わらず、美子にとって予想外の事態が発生してしまった。

「すみません、田野倉さん。今から都合は付きますか?」

 藤宮家はこれまで何度も法事などで同じ料亭から料理人と仲居を派遣して貰っており、美子がすっかり顔馴染みになっていたベテランの田野倉に、廊下の隅で人目を憚る様にしながら事情を説明すると、きちんと着物を着こなした彼女は、全く動じずに笑顔を返した。


「大丈夫ですよ、美子さん。多少の人数の増減など、想定のうちです。こちらはプロですから」

「ありがとうございます。宜しくお願いします」

「お任せ下さい」

 安堵して頭を下げた美子だったが、田野倉は笑顔で請け負ってから不思議そうに問い返した。


「朝になって急に、遠方にお住まいの方が連絡も無くお見えになったのですか?」

「いえ、都内在住の方ですが、普段それほど親しくしていないのに、何故か息子さんを二人同伴して来まして。骨上げにも参加させると言い出したものですから」

 苦々しげに口にした彼女に、田野倉が益々怪訝な顔付きになる。


「平日に、ですか? 何かで学校がお休みだから、連れていらしたんでしょうか?」

「二人とも社会人です」

「まあ……」

 そこで田野倉が何とも言い難き顔付きで黙り込むと、廊下を制服姿の美野が小走りにやって来た。


「美子姉さん。ご住職と副住職がいらしたわ。今お父さんが挨拶してるの」

「分かったわ。今行くから」

「お膳の方はお任せ下さい。調理師に伝えておきます。器類も予備がありますから大丈夫です」

「お願いします」

 田野倉がすぐに了承してくれた事で取り敢えず安堵した美子は、葬儀会場である部屋に向かった。


 それから定刻通り、通夜と同様に菩提寺の住職と彼より若い副住職によって、つつがなく深美の葬儀が執り行われた。その後無事出棺し、斎場での骨上げも済ませてから再び家に戻り、近親者だけで還骨法要と繰り上げ初七日法要が営まれる。

 その後、藤宮家側で人数分の膳を整え、下座の昌典が喪主として列席者に挨拶して精進落としが開催されると、喪主自ら上座の二人の僧侶の元に進み、御礼言上がてら酌を始める。

 未成年である美野や美幸は、食欲の無さそうな顔で大人しく膳をつついていたが、美子、美恵、美実は手分けして親族や会社の重役達の席を回り、参列して貰った事に対する感謝の言葉を述べながら酌をしつつ、歓談を始めた。そしてここに至って朝からずっと気を張りつめていた美子も、漸く気持ちに余裕を取り戻してきた。


(幾つかの小さなトラブルは有ったけど、取り敢えず大きな問題はなく進められたわね。後はこの精進落としだけ終わらせれば良いし、気が楽だわ)

 そう考えて密かに安堵の溜め息を吐いた美子だったが、その一連の儀式の最後の最後で、最大級の揉め事が勃発する事になった。


「まあまあ、美子ちゃん。本当に大変だったわね。急な事でおばさん、本当に驚いちゃったわ」

 何組かの参列者の席を回って、美子が母とは従姉妹に当たる橋田珠子の席にやって来ると、相手がやや大げさに馴れ馴れしく声をかけてきた。それに内心嫌気が差しながらも、それは面には出さずに丁重に礼を述べる。


「この度は一家揃ってお出で頂き、ありがとうございます」

 その台詞には若干の嫌味も含まれていたが、生憎な事にそれは相手には通じなかった。

「それは藤宮家の一族としては、当然の事よ。深美も娘を五人も残して、さぞ心残りだったでしょうねぇ」

「そうですね」

(何よ、病院に一度も見舞いに来なかったくせに、如何にも親しげなふりをして、馴れ馴れしくお母さんの名前を呼び捨てにするなんて。しかも年始にも息子連れで来た事なんか無い癖に、急に一家揃って来るなんて、どういう了見よ)

 厚かましい物言いの上、朝から余計な手間をかけさせられた事もあって、美子の機嫌は急激に悪化していったが、珠子の猫撫で声での会話が続いた。


「今後藤宮家は、色々と大変よねぇ。伯父様はとっくにお亡くなりになっているし、残っているのは婿養子で入った方と、お嬢さんだけだなんて」

「会社の事も家の事も、特に支障はないかと思いますわ。父は今の所、健康に不安もありませんし」

 さらりと流そうとした美子だったが、珠子はさも当然の様に横柄に言い放った。


「それはそうでしょうよ。婿養子になった位ですから、しっかり会社を守って貰わないとね。そうじゃないと、後が困るわ」

「後と仰いますと?」

(本当に以前から思っていたし、お母さんも良い顔をしていなかったけど、お父さんに対して馬鹿にした態度を隠そうともしないわね、この人。何様のつもりよ? お父さんは……、いない? 会社から何か仕事に関しての電話でも来て、抜けたのかしら?)

 全く悪びれずに会話を続けている為、珠子の言っている内容を耳にした周囲の何人かは、この時点で無言で彼女に咎める様な視線を送り始めた。美子もさり気なく父親の姿を探したが、取り敢えず席を外しており、不愉快な物言いを耳に入れていなかった事が分かって安堵したが、珠子の傲岸不遜な物言いは更に続いた。


「あら、取り敢えずあの人に旭日食品の社長職は任せるけど、あくまで次に繋ぐまでの処置よ。やっぱり藤宮家の血を継いでいる人間が、その座に就かなくてはね」

(何訳知り顔で言ってるのよ。勘違いも甚だしいわ)

 完全に呆れかえった美子は、素っ気なく話を終わらせる事にした。


「勿論社内には、藤宮家と関わりの有る方が何人もいらっしゃいますので、会社の将来に不安はありませんから」

「美子ちゃんはそんな風に控えめ過ぎるから、門外漢に良い様に付け込まれそうで、おばさん心配なのよね。だから私の息子と結婚しない?」

「……はい?」

(何、この人。今、何て言ったの?)

 話は終わったとばかりに腰を上げかけた美子だったが、さらっと言われた内容を聞いて、己の耳を疑った。しかし珠子は全く悪びれずに、笑顔を振り撒きながら言ってのける。


「うちの息子二人、どちらもまだ決まった相手はいないのよ。それなりに見た目も良いし、美子ちゃんとなかなかお似合いよ? 藤宮家の事も良く分かっているし、何でもそつなくこなせるから、結婚したら美子ちゃんはつまらない事に煩わされる心配は要らないから」

(仮にも葬儀の席で、何非常識な事を言ってるのよこの人。第一、どうして自分の息子を、そこまで恥ずかしげも無く売り込めるわけ? 頭がおかしいんじゃない!?)

 美子はもはや呆れるのを通り越して、怒りしか湧いてこなかったが、表情を消して必死でそれを抑え込んでいる美子を見てどう思ったのか、珠子は一層熱を入れて喋り続けた。


「やはり家の中に若い男性がいれば、他から舐められたりしないものよ? 対外的にも後継者がいると分かって、安心して貰えるわ。息子達もね? 藤宮家の為ならすぐにでも今の職場を辞めて、旭日食品に入社して構わないと言ってるのよ?」

 あまりにも非常識過ぎる申し出に、完全に静まり返った室内のあちこちから非難や怒りの視線が向けられているのを察した橋田が妻の袖を引いて小声で窘めた。


「お、おい、珠子。幾らなんでもこんな場で、そんな事を」

「五月蠅いわね、大事な所なんだから、あなたは黙ってて! ほら、正輝も剛史も顔を合わせるのは久しぶりでしょう? 美子ちゃんに挨拶して」

「母の言う通りですよ。安心して下さい、美子さん」

「俺達で立派に、旭日食品を支えていって見せますから」

(へえぇ……、こんな三文芝居の当事者になるとは、夢にも思って無かったわね)

 どうやら空気の読めなさっぷりは母親並みだったらしい息子二人は、調子の良い事を言いながら美子に向かって愛想笑いを繰り出したが、当然美子は微塵も感銘を受けなかった。


「そうなると、お二人ともすぐに旭日食品に入社して頂けると?」

「ええ、勿論よ」

「ですが、来年度の採用試験は既に終了していますから、再来年度の採用試験をお受けになって下さいね。優秀な人材なら、旭日食品は適正な入社試験を受けて頂ければ、いつでも採用する筈ですから」

「そ、そこは、藤宮家の方で何とか上手く」

 さらりと正論を述べた美子に、珠子が焦りと媚びを同居させた様な表情で何かを言いかけたが、美子はそれを遮りながら涼しい顔で話を続けた。


「確かに旭日食品には、藤宮家の縁戚の方が何人も入社しておりますが、皆さんきちんと入社試験を受けて選抜を通った、優秀な方ばかりです。それに間違ってもコネ入社などと陰口を叩かれない様に、仕事で人一倍実績を出している方ばかりですわ。正輝さんも剛史さんも、無事入社されたら頑張って下さい。お母様が自信を持ってお勧めする位ですから、さぞかしご優秀なんでしょうし」

「あ、あのね美子ちゃん、それは」

 尚も何か言いかけた珠子の台詞を尚も遮り、美子は些かわざとらしく思い返す素振りをしながら、問題の二人に目を向けた。


「ああ、でも……。確かお二人とも以前旭日食品の採用試験を受けて、不採用になったのでしたか? 今更採用になるとは思えませんが」

 美子がそう口にした途端、室内のあちこちで失笑が漏れ、はっきり言われた二人は途端に愛想笑いを消して睨んできた。そして珠子は怒りを露わにして、美子を怒鳴りつける。


「なんですって? あの時息子達が採用されなかったのは、あの婿養子のせいよ!! 社内で自分の影響力が少なくなるのを心配して、裏で手を回して採用させないようにしたんじゃない!」

「よせ、何を言い出すんだ!!」

 完全に難癖を付けているとしか思えないその訴えにも、美子は憐れみさえ感じさせる眼差しで、全く動じずに言い返した。


「自分に都合の良い様に妄想するのは勝手ですが、能力の有る無し以前に、自分の仕事に責任や誇りを持っている方は、軽々しく『職場をいつでも辞めても良い』とか口にされないですし、普段全く行き来のない人間の葬儀に出向く為に有休を取得した挙げ句、就職斡旋を依頼するような真似はしないと思います」

「ふざけるんじゃないわよ!! こっちは会社や家の跡取りにもならない、生意気な娘ばかり五人も産んだ挙句に、婿養子の言いなりになって会社を好き放題にさせた上、早死にする様な間抜け女の尻拭いをしてやろうと、親切心で言ってるのよ!?」

「珠子、止めろ!!」

 珠子が暴言を吐いた途端、静まり返っていた室内の空気が完全に凍り付いた。と同時に周囲から一斉に非難する視線が突き刺さったのを感じた橋田が狼狽しながら妻を窘めたが、彼が謝罪の言葉を口にする前に、美子が淡々とした口調で言い出す。


「そうですか。母が間抜け女ですか」

「あ、いや、美子君。今のはだな」

「それでは、誰でも入れるような三流大学に何とか押し込んだものの、元々大した能力も無い為に就活に悉く失敗し、唯一コネを利かせられる父親の会社に就職させれば、社内で社長令息の肩書を使って経費を誤魔化して自分の懐に入れたり、社内の女性に二股三股かけていたのがばれて到底庇い切れず、会社に居づらくなる様な息子しか産めなかったあなたは、恥知らずの殻潰しとでもお呼びすれば宜しいですか?」

「なっ!!」

「なんでそれを!?」

「お前! こそこそ調べてやがったのかよ!?」

 そう言って酷薄な笑みを向けた美子に、珠子は怒りで益々顔を赤くし、正輝と剛史は狼狽えて怒鳴り返した。しかし美子は白けた様な表情で言い返す。


「あら、図星でしたか。あなた方の様などうでも良い人達のどうでも良い事を調べる為に、時間やお金を使うのは無駄と言う物です。ただ普段付き合いの無い家の葬式に、平日仕事を休んで来るなんてよほど再就職先に困っていらっしゃるのかと。自身の父親の会社にも居づらくなるなんて、余程のろくでもない事情かと思っただけですわ。勿論、今私が口にした内容だけでも無いのでしょう?」

「……っ!!」

「あの、美子君。これは」

 もはやぐうの音も出ない連中と、狼狽えるばかりの小者を冷たく見やった美子は、感情を感じさせない声で言い放った。


「即刻、お引き取り下さい。これは藤宮家の総意です」

「は?」

「金輪際、我が家はあなた方を親族として遇するつもりはありませんし、訪ねてきても客として遇しないと、申しております」

「何を言っているの?」

 すこぶる冷静、かつ冷め切った声での美子の宣言に、咄嗟に橋田家の人間は反応できなかったが、美子はわざとらしく溜め息を吐き、相手を真正面から見据えたまま背後の妹達に呼びかけた。


「どうやらごく初歩的な日本語も、理解できない方々の様ですね……。美恵」

「はい」

「美実」

「当然よね」

「美野」

「分かりました」

「美幸」

「おっまかせ~!」

「あ、ちょっと美幸! お膳を飛び越えるなんて、何事よっ!!」

 美子の呼びかけに答えたのも、腰を上げたのも年の順だったが、一番先に橋田家の席まで到達したのは、迷わず最短距離を選択した美幸だった。そして問答無用で剛史のお膳を持ち上げ、さっさと廊下に向かって歩き出す。


「よっと!」

「あ、おい! 何をする!」

 慌てて引き止めようとした剛史の横で、美野が正輝のお膳を持ち上げながら淡々と説明を加えた。

「美子姉さんが今後一切、あなた達を客として遇しないと言いましたから。あ、ちょっと美幸! 足で襖を開けるのは止めなさい!!」

「は? ちょっと待て!」

 驚いた正輝を丸無視して、美野が美幸を叱責しつつお膳を抱えて後を追うと、美恵と美実も当然の如く夫婦の膳に手をかける。


「親族でも客でもない人間に、饗する膳はありません」

「そういう事。……あら? 往生際が悪いわね」

「あなた達! こんな事をして良いと思ってるの!?」

 橋田は呆然としていたが、珠子は憤怒の形相で美実に渡すかと自身の膳に手をかけて抵抗した。しかしその上から、料理の上に徳利の中の酒が降りかかる。


「お酒まみれのお料理が、そんなにお好みですか。そんな恥ずかしい酒乱の方は、藤宮家の親族にこれまで一人たりとも存在しておりませんが」

 横から手を伸ばした美子が、徳利の中身を全て珠子の膳の中に流し終えてから侮蔑的な視線を投げかけると、珠子は顔を赤黒く染めて勢い良く立ち上がった。


「……っ!! 覚えてらっしゃい!!」

 そして捨て台詞を吐いて足音荒く一家が出て行くのと入れ違いに戻って来た妹達に、美子が言葉少なに言いつける。

「美野、美幸。塩」

「はい!」

「行って来ます!」

 嬉々として再び台所に戻って行く二人と、何事も無かった様に二つの膳を運び去る美恵と美実を見送ってから、美子はこの間唖然として事の成り行きを見守っていた参列者に向き直って、頭を下げて謝罪した。


「お騒がせ致しました。できれば先程の醜態はお気になさらず、ご歓談下さい」

 そう口にしてから美子は静かに上座に進み、住職達に向かって改めて詫びを入れた。

「ご住職、大変見苦しい物をお見せ致しまして、面目ございません」

 そう言って深々と頭を下げた美子に、長年の付き合いのある老僧侶は鷹揚に頷いた。


「いやいや、法要の席とは故人を悼み、安らかに逝ける様に残された者が想いを馳せるもの。あの様な者が居たならば、成仏の妨げ以外の何物でも無い。宜しい様に」

 そう言って合掌した住職の横で、副住職も苦笑いで頷く。

 

「正直、私共の方から説教しようかと思っていた位ですから、お気になさらず。しかしあの様な方が拙僧の様な若輩者に意見されたとて、素直に心根を改めるとは思えませんので、年長者に丸投げするつもりでおりましたが」

「何だと? 全く近頃の若い者は、年長者を敬うどころか、隙あらばこき使う気満々でけしからん」

「いえいえ、ご住職の徳の深さを身にしみて存じ上げている故の物言いですので、ご容赦下さい」

 そんな気安いやり取りで漸くその場の雰囲気が解れ、室内がざわめきを取り戻した為、美子は改めて住職達に感謝して軽く頭を下げてから、父方の親族達が固まっている席に向かった。


「和典叔父さん。会期末のお忙しい中わざわざ足を運んで下さったのに、見苦しい所をお見せしまして、本当に申し訳ありませんでした」

「気にするな美子ちゃん。住職の言うとおりあまりの暴言ぶりに、私も怒鳴りつけるつもりでいたからな。唖然としているうちに、先を越されてしまったが」

「本当に、美子ちゃんがピシャリと言ってくれて、胸がスッとしたわ。ところであの方は、どんな方なの? 藤宮家と関係がある方よね?」

 神妙に頭を下げた姪を夫婦揃って宥めてから、義理の叔母である照江が眉を顰めて小声で尋ねてきた為、美子は疲れた様にそれに答えた。


「母の父と、あの人の母親が兄妹で、母の従姉妹の一人に当たります。ご主人が旭日食品の関連会社の社長をしておりますが、普段は殆ど行き来していませんのに、急に一家揃って出向いて来たので、朝からおかしいとは思っていたのですが……」

 その苦々しげな顔付きを見て、自身も様々な冠婚葬祭を取り仕切らなければ立場である照江は、すぐにピンときた。


「ひょっとして……、朝に急いでお膳の数を増やしたとか?」

「はい。お分かりになりましたか」

「なるほど、良く分かったわ。あれだけの暴言を吐いても、向こうの親戚が傍観しているわけが」

 些かわざとらしく声量を通常レベルに戻しながら発言した照江に、美子は少し慌てた。


「声が大きいぞ、照江」

「叔母さん。決して傍観していたわけではありませんから」

 慌てて和典も窘めたが、昌典の姉で美子の実の伯母に当たる優子と恵子も、同情する顔付きになって横から声をかけてくる。


「でも、やっぱり色々大変そうね」

「なまじ血縁があると言いにくい事があるでしょうし、何か困った事があったら、いつでもこちらの方に声をかけてね?」

「私も相談に乗るわ。愚痴を零すだけでも、気が楽になるでしょうし」

「ありがとうございます。優子伯母さん、恵子伯母さん」

 そこで少し父方の親戚と和やかに話をしていると、漸く用事を済ませたらしい昌典が部屋に戻って来たが、膳が四つとそこに居る筈の人間の姿が見えなくなっている事にすぐ気が付き、周囲の者に訝しげな声をかけた。


「……何かありましたか?」

 しかし流石に口にするのは憚られる内容であった為、皆が口を噤む中、自分で説明しようと美子が声を上げたが、それを大叔父に当たる人の声が遮る。

「お父さん、それが」

「昌典君、話がある。鴫原君と守田君と土井君も少し時間を貰えるか?」

 険しい表情の義理の叔父の顔を見て、昌典は瞬時に真顔で応じ、指名された者達もおおよその用件を悟って素早く立ち上がる。


「はい」

「分かりました」

 そこで美子は、冷静に父に向かって申し出た。

「お父さん、それなら南西の座敷を。座卓と座布団を揃えてあるわ。誰か具合が悪くなったり、休憩する可能性もあるかと思ったから。美恵、そちらに人数分のお茶をお出しして」

「準備してくるわ」

 そうして旭日食品上層部だけでの密談が開始された後は、室内では和やかな雰囲気で会話が交わされ、無事にお開きの時間を迎える事となった。



「今日は本当に疲れたわ……」

 何とかその日の予定を全て終わらせた美子は、居間で睡眠導入剤を飲んでから自室に入り、寝支度を整えて自分のベッドに転がった。そして先程飲んだ物を思い出して、枕元の携帯を引き寄せる。

「役に立ったし、一応お礼のメールを送っておこうかしら?」

 殊勝な事を呟きながら片手で操作していた美子だったが、すぐに眠気に抗えずに、深い眠りに落ちていった。


 その直後、美子からのメールを受け取った秀明は、『無事終わりました』と記載された件名から本文に視線を移して、軽く首を傾げた。

「『ありがとうございまし』? 最後の『す』を打ち間違えたのか、『ました』と打つところを力尽きたのか……」

 真顔で自問自答したのは数秒だけで、秀明は「どちらにしても、ぐっすり眠れそうだな。お疲れ様」と苦笑を浮かべ、次にやるべき事を思い出して、早速行動に移した。



「……と言う事が、昨日の精進落としの席であったのよ。姉さんが追い払わなかったら、私がやってたわ」

「全くろくでもないわよね、あの一家!! それ相応の報いは受けたけど!」

「美子さんが本当に容赦ないって事と、君達姉妹の結束が予想以上に強固だって事が、今の話で良く分かったな。それで、『それ相応の報い』って?」

 翌日の夕食の時間帯。密かに前日のうちに秀明から呼び出しを受けていた美恵と美実は、最寄り駅近くの中華料理店の個室で、丸テーブルを挟んで秀明と淳に向かって前日のトラブルについて洗いざらいぶちまけた。

 美恵は料理に見向きもせず据わった目で紹興酒を舐めながら、美実は大皿から直に料理をかき込みながらの訴えに、淳が若干引きながらも尋ねてみると、彼女達が交互に解説を加えてくる。


「その場で母の叔父、つまり母方の大叔父が、その場にいた旭日食品を含む旭日グループの重役達を招集して、旭日ホールディングス社長の座を父に譲り渡す宣言をしたの」

「と言うと?」

「五年前に祖父が亡くなった時、婿養子の父が旭日食品の社長職をそのまま務めるのはともかく、旭日グループを束ねるホールディングス社長も兼任させるのはどうかと難癖を付ける抵抗勢力があってね。内紛を避ける為に、その大叔父が就任した経緯があったのよ」

「確かに社内に、反社長派は存在しているな」

 ひんやりとした秀明の声に、淳は本気で肝を冷やしたが、怒り心頭の二人は平然と話を続けた。


「だけど大叔父さんが『婿養子だろうが何だろうが、昌典君以上に旭日食品社長職を務められる人物はいないし、ホールディングス社長職も然り。深美の死去でまた下らん事を言い出しかねん輩を、この機会に徹底的に排除する』と宣言して、大幅な経営陣入れ替えとグループ再編に着手したわけ。この五年の間に、その準備は着々と進めていたらしいけど」

「元々、あの女の亭主の会社、グループの名前で仕事取ってる様な所だしね。グループ内での発言力が徐々に低下していた事に焦って、この機会にうちにすり寄ろうとしてこのざまよ。その会社が旭日グループから排除されると同時に、今日ホールディングスが所有していたその会社株を一斉に放出したから、株価と信用がガタ落ちで、年明けには青息吐息でしょうね」

「年明けどころか、年内に経営が傾くんじゃないの?」

 全く同情しない口調で美実が肩を竦めると、ここで美恵が秀明を見据えながら詰問した。


「それで? わざわざ私達を呼び出した上に、『昨日今日で何か変わった事は無かったか』なんて聞いてきたって事は、お通夜で何か見聞きしたわけ?」

「君達の耳に入れる事じゃない」

「…………」

 秀明の即答っぷりに、美恵と美実は無言で顔を見合わせてから、再び彼に視線を戻した。


「私、男の価値って、どれだけ使えてナンボだと思うの」

「私のモットーは、使えるものは何でも使う、なのよね」

「だろうな」

「納得だ」

 互いに真面目な顔でやり取りをしてから、美恵が目線で美実を促した。心得た美実が持参したショルダーバッグの中から大きめの封筒を取り出し、秀明に差し出しながら念を押す。


「くれぐれも、藤宮の名前は出さないでよ?」

「勿論。そこの所は信用してくれ。因みにどの程度が希望だ?」

「本音を言えば綺麗さっぱり消して欲しいけど、大事になると困るから、関東から追い出せれば良しとするわ」

 封筒を受け取りながら発した問いに、美恵が淡々と答えた内容を聞きながら、秀明は中に入っていた書類をよけて、何枚かの写真を取り出して淳に見せる。


「……淳?」

「ビンゴ」

「決まりだな。手間が省けて助かった」

 淳が一瞥して短く答えると、秀明が満足そうに薄笑いを漏らす。それを見た美恵と美実も、不穏な気配を醸し出しながら頷いたのだった。


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