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第10話 逃げる女に追わない男

 一時の激情に駆られて思わず指輪を投げ捨てたものの、自室で少し過ごして徐々に頭が冷えた美子は、自分のした事を改めて思い返して若干顔を青ざめさせながら庭に出た。既に妹達が居ないのを見て取った美子は、慎重に自分が放り投げたと思われる辺りを探してみたものの、指輪が影も形も見当たらない事に罪悪感が増大する。


「全く、何でこんな事に……。大体あいつがいきなり、順序をすっ飛ばして人の指に婚約指輪なんて填めたりするから」

 半分以上八つ当たり気味の言葉を口にしながら、美子が池の手前をうろうろと歩き回っていると、ここで先程騒いでいた妹達の事を思い出した。


(そうだわ! 美恵達が慌てて指輪を探していた筈だし、皆がもうここに居ないなら、見つけて誰かが保管してるんじゃないかしら?)

 そう見当をつけて幾らか気が楽になった美子は、いつの間にか昼食の準備をする時間帯になった事を思い出し、家の中に戻った。すると玄関で、外出するらしい美野と鉢合わせする。


「あら、美野。今から出かけるの?」

 何気なく声をかけると、美野はビクッと反応し、狼狽しながら出してあった靴を履いて、美子に断りを入れてきた。

「うん、急に用事が出来て。お昼は外で食べて来るから要らないから。急にごめんなさい」

「それは構わないわ。ところで美野、さっきの」

「ごめんなさい、急いでるの。行ってきます!」

「……行ってらっしゃい」

 バタバタと出て行った美野を呆気に取られて見送りながら、美子は思わず独り言を漏らした。


「珍しいわね、万事落ち着いてるあの子が、あんなに慌ただしく出かけていくなんて」

 多少不審には思ったものの、美子はそのまま台所へと向かい、昼食の準備を始めた。すると飲み物を取りに来たらしい美恵が、背後の冷蔵庫を漁り始めた為、調理を続けながらさり気なく聞いてみる。


「ねえ、美恵」

「何?」

「その……、さっきのあれだけど、どうなった?」

「『あれ』って何?」

 パタンと冷蔵庫のドアを閉めながら、不機嫌そうに妹が問い返してきた為、反射的に振り返って美恵と顔を合わせた美子は若干たじろいだ。


「え? だから……、『あれ』の事なんだけど」

「悪いけど、全っ然分からないわ。姉さん、はっきり何の事か言ってくれない? それともその年で、早くも若年性痴呆症? 冗談止めてよね。父さんと母さんの介護はするつもりだけど、姉さんまで責任持てないわ」

 横柄に上から目線でそんな事を言い放たれた美子は、こめかみに青筋を浮かべながら静かに言い返した。


「……もう良いわ。昼食ができるまで、出て行ってくれない?」

「勿論そうするわ」

 そして平然と出て行った美恵に背を向けて調理を再開した良子だったが、今度は美実がひょっこり台所に顔を見せた。


「美子姉さん、お昼ご飯まだ~?」

「あと十分位かしら? もう少し待っててね」

「は~い」

「あ、美実、ちょっと待って」

「何?」

 すぐに背中を見せた美実を慌てて引き留めた美子は、先程よりは具体的に尋ねてみる事にした。


「その、さっきの指輪の事なんだけど……」

 かなり気まずい思いをしながら問いかけた美子だったが、美実はきょとんとした顔になって問い返してくる。

「ああ、あれ? あれがどうかしたの?」

「その……、どうなったのかと思って……」

「知らない。それじゃあね」

「あ、ちょっと!」

 素っ気なく話を打ち切って出て行ってしまった美実に、美子は顔を引き攣らせたが、気を取り直して調理を再開した。そしてそろそろ出来上がるかといった頃合いに、今度は美幸がやってきた。


「美子姉さん、そろそろご飯出来る? お皿とか揃えるのを、手伝おうかと思ったんだけど」

「手伝ってくれるの? ありがとう、お願い」

 いつもなら美野が良くやってくれる手伝いを美幸が進んで申し出て来た事で、美子は少し機嫌を直して指示を出した。それを素直に聞いて皿を並べ、盛り付けを手伝ってくれる美幸に感謝しながら、さり気なく問いかけてみる。


「あのね、美幸。ちょっと教えて欲しいんだけど」

「なあに?」

「その……、さっき私が投げた指輪。どうなったのか知らない?」

 恐る恐る尋ねてみた美子をちらりと見やった美幸は、盛大に溜め息を吐いて困った様に告げた。


「一応、落ちた辺りを皆で探してみたんだけど、見つからなかったの。ひょっとしたら池の中に落ちたかも。完全に水を抜いて底をさらってみるしかないかもね。もしくは、上手い具合に岩の下とか隙間に入り込んじゃったとかかな?」

「そう……。ごめんなさい。ありがとう」

 妹達に迷惑をかけた自覚はあっただけに、美子は素直に頭を下げた。しかしそれを見た美幸は、気に入らない様に顔を顰める。


「謝る相手が違うでしょ? 美子姉さん、そこに座って」

「え?」

「いいから座る!」

「……はい」

 そして食卓に美幸と向かい合って座った美子だったが、ここで美幸から予想外の説教を受ける羽目になった。


「美子姉さん。子供の私が言う事じゃないけど、さっきの姉さんの態度はお世辞にも分別のある社会人の行動じゃないと思う。何なの? いきなり指輪を投げ捨てるって。失礼以前の問題だよね?」

 腕組みした美幸からの指摘に、全く反論できなかった美子は項垂れる。


「ごもっともです」

「気に入らないなら相手に返す。きちんと理由も説明する。『対話による相互理解が人間社会では必要だから、その時その時の感情のままに行動しない様に心がけなさい』っていつも姉さんに言われてるんだけど? 違うの?」

「その通りです」

 いつも妹にかけている言葉がそのまま自分に返って来た事に、美子は密かに落ち込んだ。しかし美幸は真顔のまま、容赦なく続ける。


「じゃあ無くしちゃったのは仕方が無いとして、姉さんが江原さんと直接顔を合わせて、正直に無くした事を報告して謝って、その上で『申し訳ありませんが、やっぱりお付き合いはできません』って言わなきゃ駄目だからね? それが社会人としての、せめてもの礼儀だと思う」

 その主張に全く反論できなかった美子は、嫌そうに溜め息を吐いたものの、了承の言葉を返した。


「分かったわ……、そうするから」

「本当にそうしてよ? 言い難いのは分かるから、私が江原さんに連絡を取ってあげるから」

「……お願いします」

(どうして私が、美幸にお説教される羽目に……)

 常には絶対あり得ない事態に、美子が内心でかなりへこんでいると、その様子を食堂のドアの隙間からこっそり覗いていた美実が、満足そうに美恵に囁いた。


「計算通り。私達から色々言われても喧嘩になって、美子姉さんが益々臍を曲げるだけだし、普段叱ってばかりの美幸から窘められた方が、絶対精神的ダメージは大きいと思ったのよね」

 笑いを堪えながらの満足気な口調に、美恵は少しだけ美子に同情した。


「あんたも美幸も、意外に容赦ないものね。しかも基本的に嘘がつけない美野を、江原さんへの使いにさっさと出すあたり流石だわ」

「もっと褒めて良いわよ?」

「呆れてるだけよ」

 苦々しく呟いた美恵は妹を引きずる様にしてその場を離れ、美幸が昼食の準備が整ったと知らせに来てから、何食わぬ顔で食堂に戻った。



 そして美幸に連絡を取って貰った美子は、一週間悶々と過ごした後、次の日曜日に重い足取りで、秀明との待ち合わせ場所へと向かった。

「さてと、ここよね。分かり易い場所に居てくれれば良いんだけど……」

 そんな事を呟きながら地下鉄の最寄駅から地上に出た美子は、そこのすぐ横にあった入口から、秀明から指定された公園へと入った。


 美子が初めて足を踏み入れたそこは、官庁街に隣接しているとは思えない程緑が溢れていて、落ち着いた雰囲気の場所ではあったが、低い石垣や大木の背後に幾つもそびえ立っているビルを見て、内心少し興を削がれた。そして園内に伸びている石畳の道をゆっくり進み、細長い池を回り込んで行くと、池に向かって幾つか並んだ細長いベンチの一つに座っている秀明の姿を認め、僅かに顔を顰める。それとほぼ同時に秀明も美子の姿を認めたらしく、笑顔で座ったまま軽く手を振ってきた。

 

「やあ、迷わずに来れたみたいだな。どうぞ」

「ありがとう。思ったより分かり易い所で良かったわ」

 目の前に美子がやってくると、秀明は綺麗に折り畳まれた白いハンカチを広げ、自分が座っているベンチに敷いて、身振りでそこに座る様に勧めた。それに軽く礼を言って座ってから、美子は考えていた疑問を口にする。


「ところで、どうしてこんな所で会う事にしたわけ?」

 それに秀明は正面の池に視線を合わせながら、苦笑気味に答えた。

「どこかの店じゃなくこういう場所だと、向かい合って話をしなくても良いだろう? どうやら、言いにくい話で呼び出されたみたいだし」

「気を遣ってくれたみたいね」

 思わず溜め息を吐いた美子だったが、秀明が事も無げに続ける。


「まあ、カウンター席に座れば、同じ事だが」

 それを聞いた美子の顔が、盛大に引き攣る。

「…………やっぱり単なる嫌がらせ?」

「冗談だ。それで? 直接言いたい事って何かな?」

 改めて呼び出された用件について尋ねられた美子は、正面の池に視線を向けつつ、軽く下唇を噛んでから重い口を開いた。


「その……、先週貰った指輪の事だけど……」

「デザインが気に入らなかったとか?」

「そうじゃなくて」

「じゃあもう少し、大きい石の方が良かったのか?」

「違うわよ!」

「やっぱりエンゲージリングは、ダイヤより誕生石派だったか? それならこの前の物は引き取るから、二人で買い直しに行こう」

「要らないわよ! 第一、あれは無くしちゃったし!」

 最初言いよどんでいたものの、見当違いの事を秀明が言ってくる為、美子は勢いに任せて叫んだ。すると秀明は気まずそうに俯いている美子を見て、どこか笑いを堪える風情で囁く。


「へえ? 因みに、どんな状況で無くしたのか、聞かせて貰いたいな」

「その……、指から抜き取った後庭に放り投げたから、後で探したけど見つからなかったの。ごめんなさい」

 正直に理由を述べて、自分の方に向き直って申し訳無さそうに頭を下げた美子を見て、秀明はその顔に浮かんでいた笑みを深めた。


「俺の事を気に入ってないみたいだし、最初からすんなり受け取って貰えるとは思っていなかったから、無くそうが捨てようが構わないさ。また新しいのを買えば良い」

「あなたにとっては婚約指輪って、そんなにどうでも良い物なの?」

「どうでも良いな。幾らでも換えがきく」

「…………」

 その淡々とした口調に、指輪を投げ捨てた事を告げても相手が怒り出さず、寧ろ全く気にする風情を見せない事で美子は安堵したものの、その反面そんな物を自分に渡そうとしたのかと、些か理不尽な思いを抱えた。彼女のそんな内心の困惑を見透かした様に、秀明は美子を見ながら含み笑いで告げる。


「俺のどこが気に入らない?」

「胡散臭い所が」

「如何にも清廉潔白な俺なんて、周囲から見たら気持ち悪いだけだと思うんだが?」

「激しく同感だわ」

 美子の即答っぷりに、秀明は益々面白そうに笑った。


「益々気に入ったな。男関係皆無の処女のくせに、男を見る目が結構肥えてる所が。この前も言ったが、俺は結婚相手としてはなかなか好条件だ。ここら辺で手を打っておいたほうが、対外的にも得策だと思うが?」

 にこやかに微笑みつつ秀明がろくでもない事を言ってきた為、こめかみに青筋を浮かべながら、美子は押し殺した声を絞り出した。


「……一つだけ言わせて貰いますが」

「何だ?」

「あなた、私と『結婚を前提としたお付き合いをしたい』とか言ってましたし、こちらの意向丸無視で指輪を押し付けたりしましたけど、これまで私に『愛してる』とか一言も言ってませんよね? ああ、『残り物同士、結婚しないか?』とは言われた覚えはありますけど」

 皮肉っぽく言われたその台詞を聞いた秀明は軽く目を見開き、真顔で数秒考え込んでから、掌と拳をポンと打ち合わせて満面の笑みで口を開いた。


「ああ、言われてみれば、すっかり忘れていたな。愛しているんだ、美子。結婚してくれ」

「ふざけるのもいい加減にして!!」

「うぐっ!? ……っう」

 叫ぶと同時に反射的に美子が下から繰り出した拳は、見事に油断していた秀明の顎に炸裂し、その弾みで舌を噛んだらしい秀明は、片手で口を覆いつつ呻いた。そんな彼を半ば無視する様に、憤慨した美子がベンチから立ち上がって立ち去ろうとしたが、その背中に秀明が小さく声をかける。


「……美子」

「何よっ!?」

 勢い良く振り返った美子に向かって見せる様に、座ったままの秀明が、空いている方の手でジャケットのポケットを探り、中から取り出した物をかざしてみせた。日光を浴びて小さく煌めいたそれが、この一週間美子が散々悩んでいた原因の代物だと分かった瞬間、彼女の怒りが振り切れる。


「ばっ、馬鹿ぁぁぁぁっ!!」

 そして絶叫と共に手にしていたハンドバッグを秀明に投げつけた美子は、振り返らずに公園の出入口に向かって駆け出した。

(何なの何なのあれはっ!! どこまで最低野郎なのよ、あいつ!! この一週間面白がって、放置してたのよね? その間、私がどれだけ悩んだと思ってるのよ! それにあれを持ってるって事は、四人全員グルって事よね!? もうどうしてくれようかしら!)

 すれ違う者達から好奇の視線を受けている事にも気が付かないまま、美子は公園内を駆け抜けたが、地下鉄の駅へと下りる階段の所で、ふと我に返った。


「……バッグ」

 自分の迂闊さに気付いた瞬間、美子は脱力して思わずその場にしゃがみ込んでしまった。


(財布もカードも携帯も、全部バッグの中。戻って、あいつに返して貰わないと。でもそんなの絶対に嫌! したり顔で返してくれるとは思うけど、それと引き替えに何か大事な物を、捨てる事になる気がするんだもの!!)

「うぅ、どうしよう……。私の馬鹿」

 階段の上がり口の横で、美子が涙ぐみながら暫く悶々としていると、頭上から困惑気味の声が降ってきた。


「あの……、大丈夫ですか? 具合が悪いなら休める所にお連れするか、救急車を呼びますが。取り敢えず、立てそうですか?」

(え? この声、ひょっとして!?)

 どうやら美子が体調を崩したのかと勘違いした人間が声をかけてきたと分かったが、微かに記憶にある声と言い回しに、美子は勢い良く声のした方を振り仰いだ。


「やっぱり! あいつの後輩の柏木なんとか!!」

「げ!? 藤宮さん!?」

「ここで会ったが百年目! 千円で良いわ。お金を貸して!!」

 叫びながら勢い良く立ち上がった美子は、そのままの勢いで柏木に組み付いた。対する柏木はあれから二年以上経過した現在でも、女性恐怖症を完全に払拭できていないらしく、真っ青になりながら美子を振り払おうとする。


「は、はいぃ!? ちょっ、取り敢えずその手を放して下さい!!」

「何言ってるの、逃がさないわよ!? 女のプライドがかかってるんだから!」

「逃げませんから! お金も出しますから、お願いですから少し離れて下さい!!」

「そもそもこんな事になったのは、全面的にあの男のせいなのよ! 悪いけど、あの男の後輩に払う気遣いなんか無いわ!」

「気遣ってくれなくても良いですから! 離れて貰わないと財布が出せません!!」

 どちらも必死に言い募った二人は、そこで取り敢えず一歩分の距離を取った。そして逃げ腰の柏木が、恐る恐る美子に財布から取り出した千円札を手渡す。


「どうぞお使い下さい」

「ありがとう。取り乱してごめんなさい。すぐに返すから、連絡先を教えて貰えるかしら?」

「いえ、差し上げますから。それでは失礼します」

 そこで踵を返してさっさとその場を離れようとした柏木の腕を、美子ががっちりと捕まえた。


「ちょっと! ちゃんと返すって言ってるでしょう!? あの男の後輩に、借りは作らないわよ!」

「分かりました! 分かりましたから! 今すぐ連絡先を書きますから、お願いですから手を離して下さい!」

 殆ど泣きが入りかけていた柏木は、手早く名刺の裏に自宅の住所と電話番号を書き込むと、それを美子に押し付ける様にして脱兎の如く駆け去って行った。


「……悪い事をしたわ」

 その背中を見ながら一応反省した美子は、なるべく早く返金する事を心に誓いつつ、地下鉄の構内に向かって階段を下りて行った。


「一体何をやってるんだか」

「まともに拳を食らってたわね~」

 美子が走り去った後、秀明がベンチに広げたハンカチを畳んでいると、どこからともなく美実と淳が現れて、からかい混じりの声をかけてきた。しかし秀明は全く動じず、薄笑いしながら応じる。


「見せ物としては面白かっただろうな。見物料をよこせ」

「冗談はともかく、益々怒らせてどうする気だ? せっかく彼女の方から、連絡をくれたってのに」

 苦々しく言った淳だったが、秀明は淡々と言い返した。


「そんな事より、彼女がバッグを取りに戻って来るから、お前達はもう少し隠れてろ」

 それを聞いた美実が、肩を竦めて言い返す。

「そんな事は今更でしょう? 指輪を持ってる事をバラしたんだから、私達がグルだって事は美子姉さんに分かっちゃった筈だし」

「それもそうだな」

「でも姉さん、どんな顔して戻ってくるかしら? 怒りと気まずさで真っ赤になってるんじゃない?」

「悪い妹だ」

 淳と美実のそんな楽しげな会話に、秀明は苦笑しつつ時折交ざりながら聞いていたが、美子が立ち去って十分以上経過しても戻って来る気配が無い為、僅かに眉根を寄せた。


「おい、少し遅くないか?」

 そう言われて、思い出した様に腕時計で時間を確認した淳と美実も、怪訝な顔になる。

「う~ん、俺達まで一緒に居るのを見て、戻りにくいとか?」

「それで本格的に拗ねて、公園の入口辺りでうろうろしてるのかしら? ちょっとそこら辺を探して、姉さんを見付けたら引っ張って来るから、このままここで待ってて」

「了解」

 そして美実が小走りに駆け出して行き、出入口までの道とその周辺に加えて、念の為広い公園の半分程を二十分位かけて回ってみてから、元のベンチに戻ってみたが、そこには淳と美子のハンドバッグを手にした秀明しかいなかった。


「美子姉さん、どこにも居なかったんだけど……。戻って来て無いのよね?」

「そうだな」

 その頃には、秀明は不愉快そうな表情で物騒なオーラを周囲に撒き散らし始めており、長い付き合いでその危険性を知り抜いていた淳の表情は冴えなかった。しかしそこまでの認識は無かった美実は、後先考えずに軽口を叩く。


「おかしいわね~、近くに交番も無いし、まさか家まで歩いて帰るなんて、馬鹿な事を考えるとは思えないし。そうするとヒッチハイクとか? 姉さんもやるわね~」

 それを聞いた途端、秀明が無言で美実を睨んだ。その眼光の鋭さに、慌てて淳がその場を取り繕おうとする。


「こら、美実! 幾ら何でも、美子さんがそんな軽率な事をする筈無いだろうが!」

「そりゃあ、普段の姉さんだったらね。でも随分頭に血が上ってたみたいだし、『乗せてってやるから』とか言われて、ホイホイ男の車に乗っちゃったりして~」

 そう言って美実がくすくすと笑った為、秀明は完全に表情を消して立ち上がった。それを見た淳が秀明の両腕を捕らえつつ、小声で言い聞かせる。


「ちょっと待て、落ち着け! 美実に悪気は無いし、美子さんだってどうやってかは分からんが、帰宅してる最中だと思うから、こんな所で暴れるな!!」

 かなり本気の淳の訴えに、秀明が不気味な笑みを見せながら応じる。


「暴れる? おかしな事を言うな、淳。俺が誰を相手に暴れると?」

「取り敢えずの憂さ晴らしと美実の代わりに、俺をボコるつもりだろ!」

「分かってるなら抵抗するな」

 そんなやる気満々の台詞を聞いて、淳は盛大に舌打ちした。


「抵抗するに決まってるだろうが! そもそもそんなに美子さんの事を心配するなら、最初から怒らせずに自分で送っていけよ! 好きな女に会う度にちょっかい出しては怒らせて喜ぶなんて、今時の小学生以下だぞ!」

「はぁ?」

「……なんだよ、その間抜けな声と顔は」

 なにやら急に殺気が薄れた上、毒気を抜かれた表情になった秀明を、淳は呆気に取られて見やった。そんな中、どこかに電話をかけていた美実が、通話を終わらせてのんびりとした口調で二人に報告する。


「ねえ、美子姉さん、ついさっき家に帰ったらしいわ。留守番してる美幸に確認したから」

 それを耳にした男二人は、勢い良く美実に視線を向けた。


「は? どうやって帰ったんだ?」

「さあ、そこまでは。美幸も聞いてないみたいだし」

「お前の姉さんには、靴の底に札を仕込む習慣でもあるのか?」

「そんな変な習慣は無いわよ! ……え? 江原さん?」

 怪訝な顔の淳と憤慨気味の美実が言い合う中、秀明は無言のまま美実にハンドバッグを押し付け、石畳を歩き始めた。その背中に、淳が慌てて声をかける。


「あ、おい、秀明! どこに行く気だ?」

「帰る」

「……そうか。またな」

 振り返りもせず、素っ気なく立ち去っていく秀明を見送りながら、淳は隣の美実にボソッと呟いた。


「以前から、ひょっとしたらと思ってたんだがな」

「何が?」

「秀明の奴、本気でお前の姉さんに惚れてるっぽい」

 それを聞いた美実は、たちまち渋面になって確認を入れてきた。


「これまで、面白半分にちょっかい出してるだけかと思ってたわけ?」

「いや、そうじゃなくて……。あいつ恐らく、本気で惚れた腫れたって経験がこれまで皆無だったから、それを自覚してないと思う」

 困惑気味にそう語った淳の顔をしげしげと見上げた美実は、怪訝な顔になって問いを重ねた。


「つまり? 江原さんは本気で美子姉さんの事を好きだけど、自分では面白半分にちょっかいを出してるだけだと思ってる?」

「……多分」

 そこで真顔で顔を見合わせた二人は、少ししてから心底嫌そうに視線を逸らした。


「面倒くさいわね……」

「冗談じゃ無いよな」

 どう考えても姉と親友の色恋沙汰に巻き込まれるのが決定事項の二人は、これからの騒動を思って、揃って重い溜め息を吐いた。



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