「悪い夢」を見ました。
中から見つめる渦の内壁はあまりに寂しげで。
下へ下へと逃げるように流れゆく。
無限につづく暗闇が、決して終わりをもたらす事はないと予感しながら流れゆく。
行く先も知らないままに。
己の色も知らないままに。
……。
響く地響き。
見上げれば、泥の太陽。
どれも正しい事がない。
例えようのない不安感。
加えて、
地響きに混じり。どこからともなく聞こえる、
抑揚のない『声』が空虚さに拍車を掛けるようで――。
※
「お前の」
……また、この夢か。
僕はこの夢を見るたびに、”夢の中”で起きている。
「お前の」「お前の」
いや、起きていると言っても。
もがけるわけでもなく。
沈みゆけるわけでもなく。
ただ。ただひたすらに遠くから、そして近くから聞こえる声に耳を傾けているだけの人形。
「お前の」「お前の」「お前の」
人形か。
人形”そのもの”ならば、
どれだけいいか。
「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」
けれども。
この人形は言葉の意味を知り、
けれども。
目を閉じる事も叶わず。
「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」……。
悲しいかな。
耳を塞ぐ事も叶わず、
次第にたまらなくなっていき――。
「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」「お前の」
「お前のせいだ」
……。
…… …… ……。
※
「うああぁ!」
ガバリと身を起こしたその様は。
なかなかに壮絶であり、鬼気迫るものがあると見た者ならば思うことだろう。
六畳一間の古ぼけた煎餅布団の上、
「……ふぅ、ふぅ、ふぅ!」
男は目を見開き、何を見るでもなく闇を凝視している。
というより、する他ないといった様相。
顔だけに留まらず、体中、暗くて見えないが――汗だらけなのがその疲労が本物である事を自身に教える。
「……ふぅ、ふぅ!」
「……ふぅ、ふぅ!」
「……ふぅ!」
「……ふぅ」
「……」
「……」
そうして、ゆっくり。
「……」
「……」
「……」
「あぁ……あぁ……」
手のひらを目の前にかざし見る。
「……あぁ」
「……」
「……」
「……」
いつもの手だ。変わらない、手。
20代前半の男の手。
間違いなく。
まさしく自らの手なのであるからして、
ぼうっとするのである。
……。
何秒か。
ひょっとしてもう何分か。わからないけれども。
流れ出した時間が許す限り――。
――と言いたいところであるが、しかしそうもいかない。
なぜなら、時間が流れているのはなにも”彼”だけではないのだから。
「ふぅ、ふぅ」
改めて乱れる呼吸に身を任せる……というよりかはされるがままになっているその時、
カチリ。
「っ!?」
突然の、小さな音。
男はおびえようビクリと身を震わせると、
「……!」
そっと顔を横へと向ける。
暗がりで見えぬ何かをさぐる為に。
そうしていると、
チッ……、
チッ……。
ゆっくりと点滅を繰り返しながら、天井に吊るされた年代ものの電球が、
歳を取ったと言わんばかり、
のんびり健気に明かりを灯す。
するとそこには、
「ヨシハルさん」
かわいらしい子猫の柄があしらわれたパジャマを身に着けた女性。
ココア色の肌をした美しい女性が、いつの間にやら立っており、穏やかな顔で”こちら”を見つめているのが見て取れる。
「……あ、」
いまだ意識をさまよわせている男だが、既知の存在であろう者にホッとしたのは間違いない。
明らかに表情が柔らかくなったのが印象的である。
瞬間、まるで憑き物が取れたとでも言うように――。
女性は「ごめんなさいね」と前置きしたのち、
「また、例の夢ですか?」
表情そのままに、穏やかに問いかける。
「…………。うん、そうなんだ」
けれどヨシハルと呼ばれた男は、憑き物が取れたものの力なく。
うなだれながら肯定する。
限りなく弱弱しく、消え入りそうな声で。
「最近、多くなりましたね」
女性の背後には開きっぱなしのスライド式の簡素な扉。
「時期が時期だけに、少しナーバスなのかもしれません」
そう言って。
その右手に抱えていた小袋と、左手に握るミネラルウォーターをヨシハルへと手渡す。
「……うん」
慣れているのだろう。
ヨシハルは別段躊躇するでもなく、小袋の中からカプセルタイプの薬を取り出し口へと運び、
「ん」
ミネラルウォーターを一気にあおる。
薬を飲むためというよりかは、暑く火照った体を一気に冷やそうとして。
そして、
「……」
そのサマを、やはり穏やかに見つめ続ける女性は、
「はい」
今度は、ミネラルウォーターと小袋と交換に、いかにも軟らかそうなタオルを手渡し、
「拭きましょうか?」
尋ねる。
が、
「いや、いい」
「……」
にべもなく断られてしまう。
しかしこれもいつものやり取りなのだろう。
女性はあまり気にせずに、
「……」
「今夜は冷えますからね」
「うん」
「ちゃんと、拭きゃなきゃです」
「うん」
チッ……、
チッ……。
電球が時々息切れをするように点滅をする。
「寝られそうですか?」
「うん」
「そう……、じゃあ」
「うん」
点滅は次第に間隔を広げてゆき、
しまいには――。
「……」
「……」
「……」
「……」
――カチリ。
女性は点滅が消えるより早く、消すのはあくまで自分の仕事だと言わんばかり。
天井から垂れ下がった紐を鳴らす。
「電球も、替えなきゃ。ですね」
そうして、タオルを受け取ると、
「……おやすみなさい」
一言呟き。
そのままクルリと向きを変え、
来た道をただ静かに引き返すのだった。
※
『ありがとう』
部屋を出る際、たしかに聞こえた一言。
後ろ手に戸を閉じたあと。
女性は、
「会長……」
表情は、暗くて窺えないものの。
声は、男のものよりもずっと、
あまりに弱弱しく、切なく。
物悲しい――。