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すまいる  作者: 仲村 歩
3/5

地上に降りた天使の囁き

「啓太、起きてください」

「啓太ってば。起きて!」

まだ、微睡んでいたいのにシフォンに体を揺すられて起こされてしまった。

「シフォンは早いな。おはよう」

「おはようございます。そうじゃないです。早く来てください」

「ん?」

訳が判らずパジャマ姿のままシフォンに手を引かれてテレビの前に連れて来られてしまった。

テレビでは古い映画を放送していた。

「トラさんを見たいです」

「へぇ? ここに行きたいの?」

「はい、行きたいです」

その映画は確か夏休みとこの時期か正月にやっていた柴又が出てくる映画だった。

バリバリの下町でクリスマスに行く若い奴なんて殆ど居ないだろう。

それでもシフォンは今日までしか俺の側に居ない。

シフォンが行きたいと言う場所に連れて行ってやるのが役立たずの俺に出来る最大限の事だろう。

そうは思っても俺はそう言う事に不慣れで仕方なく唯一無二の親友である男に電話で教えを乞うた。

するとマイルに先を越されたとかほざいていたがこの時期のデート情報を非の打ち所がないくらい教えてくれた。

あいつには悪いがポイントだけ掻い摘ませてもらう。

あまり遠くまで出かけない俺にとって柴又は凄く遠くに感じてしまう。


気を取り直して直ぐに着替えを始める。

時間は限られていて有効に使わないとシフォンに申し訳がない。

こんな役立たずの側に居てくれるのは今日一日だけなのだから。

ネイビーブルーのパーカーの上に茶色のジャケットを羽織って黒のダウンコートで良いだろう。

下は色落ちしたいつも穿いているジーンズだ。

リビングに行くとシフォンが準備万端の格好で待っていた。

可愛らしい花柄ワンピースの上に少し短めで厚手の茶色いワンピースを重ね着している。

裾や袖から下の花柄ワンピースが見えていて良く似合っている。

コートは姉貴のお気に入りだったオフベージュのダッフル風のブークレニットダウンを手に持っていた。

「行こうか」

「はい、啓太ってお洒落さんですね」

「たまにはね」

シフォンの飾り気のない言葉を素直に受け取る。


大通りまででてタクシーを拾う。

「啓太、車ですか」

「そうだよ、先に寄っておきたい所があるからね」

手を上げると直ぐにタクシーが止まりドアが開いた。

シフォンを先に乗せて隣に乗り込んで運転手さんにとりあえずの行先を告げる。

しばらく走ると道路と並行して電車が走っているのが見える。

「うわぁ、電車です」

「もしかしてシフォンって車とか電車に」

「はい、乗った事がありません」

「それは、もしかして飛べるから?」

「そんな事をしたら人を驚かすだけじゃないですか。でも存在の力が弱まってしまった時は大急ぎで飛んで人が沢山いる所に移動する事もあります」

「そうなんだ」

納得はしたものの想像すると少し怖いものがある。

実体が儚く朧げな人が宙を飛んでいるって例のあれじゃないか。

もしかして例のあれは全て天使の見習いなのかもしれないなんて思ってしまうのはシフォンに出会ったからだろう。

「それに私達はお金を持っていませんから。移動は歩きです。その方が沢山の人と出会うチャンスがあるので」

「えっ、あっ、そうなの? じゃ、お腹が空いた時とかはどうしているの?」

「困ってる人を助けたりすると食べ物を頂ける時があるので、それに燃費が良いので少しの食べ物で十分なんです。でもどうしても必要なときは男の人に食べさせてもらう事があります」

「それってもしかして初めて出会った時のサラリーマンみたいな男に?」

「はい」

素直に『はい』と言われても困ってしまう。

この世界ではそれを援交なんて呼ぶ行為に近いからでシフォンにどう説明していいのか頭を悩ます。

「あっ、でも啓太が思っているような事は全然ないですよ。食事の後で『良い事をしてよ』って言われたら笑顔でその男の人の所に飛んでいくと男の人が逃げ出してしまいますから」

それはそうだろう真顔で笑いながら飛んでくる女の子なんて正しく例のあれそのもので、本当にあった怖い話になってそれこそ都市伝説になりかねない。

普通の男の子ならプッと噴出して笑い出す所なのだろう。

「やっぱり、啓太は笑いませんね」

「ゴメンな」

「笑ったら教えてあげようと思ったのに」

「何を教えてくれるのかな?」

「笑わない啓太には教えられない事です」

本気とも冗談ともつかない事を少し拗ねた振りをして言っている。

それでも俺は笑えない。

哀しみや苦しみと言った感情を失うと同時に喜びや笑顔も一緒に失ってしまったのだから。


柴又までの途中で浅草に立ち寄り後々必要な整理券を先に購入して柴又駅に向かった。


トラさんの銅像が柴又駅で出迎えてくれた。

そして帝釈天に続く参道を歩く。

参道の両側には煎餅屋や飴屋に甘味処やお土産屋などの手作り自慢のお店が立ち並んでいる。

何でもこの辺で一番古い商店街らしい。

その中にトラさんのロケ地の団子屋もあった。

シフォンは嬉しそうに物珍しそうにキョロキョロしている。

周りを見渡すとやはり年配の人だらけだった。

帝釈天の二天門まで歩かずに前を歩いていたシフォンが振り返った。

「啓太、行こうか」

それは親友の言葉通りだった。

俺が柴又の帝釈天に行くと言うと『おっさんか?』と切り返されてしまった。

仕方なく女の子と行くと告げると沈黙の間があり、直ぐに飽きるぞと言われてしまう。

こんな時期に柴又帝釈天なんかに行きたいと言う女の子は普通じゃない、日本の女の子がそんな事を100%言うはずがなく外国の子かと聞かれた。

流石にあいつの千里眼には驚かされる。

確かに別世界の女の子だ。

それも天上の世界だ。

予想通り浅草に行くことになりそうだ、一応シフォンに確認してみる。

「浅草にでも行ってみる?」

「うん、また車なの?」

「今度は電車で行ってみようか」

「えっ、本当に?」

「ほんとほんと、俺も基本的に嘘は付かないから」

タクシーの中から興味津々で電車を眺めていたので乗ってみたいのだろうと思った。


電車に乗るとシフォンは俺の横に座り足をブラブラさせてまるで子どもの様にしている。

すると突然シフォンが指でリズムを取りながらトラさんの有名なセリフを言いだした。

「四谷赤坂麹町、チョロチョロ流れるお茶の水、粋な姉ちゃん……」

「ああ! 駄目。女の子がそんな事を言ったら」

「うう、結構毛だらけ猫灰だらけお尻の周りは……」

「それも駄目!」

「どうして駄目ですか?」

「シフォンは判ってて言っているよね」

「それを言っちゃお仕舞よ」

「お仕舞じゃないし、帰ろうか」

「嫌です」

シフォンが口を尖らせて拗ねている。

何故だか俺を笑わそうとしているように感じる。

隣同士で座っているけれど微妙な間がシフォンと俺の間に空いている。

その間に手を下ろすとシフォンの手に触れてしまいドキッとして鼓動が跳ね上がった。

「ご、ゴメン」

「平気ですよ、啓太なら」

そんな事をサラッと言っているがシフォンの顔がどことなく赤い。

そんな事を言われた俺の顔も赤くなっているだろう。

なんてぎこちない初々しいカップルなんだ。

カップル?

思考が悪循環して顔がさらに赤くなってしまった。

気まずさを隠すように窓の外を見ると建設中のスカイツリーが天に届かんばかりに誇らしげに真っ直ぐに建っている。


浅草に付いて目指すは浅草と言えば雷門、雷門と言えば浅草の恐らく一番有名なスポットだ。

「うわぁ、大きい……」

シフォンが雷門の顔とも言うべく700キロの巨大な提灯を見上げて声を上げている。

雷門は風雷神門と言うのが正式名称で……あいつの細やかな説明が蘇る。

確かに右に風神が左に雷神がそれぞれ睨みを利かせている。

それにしても外国の人が多い。

それもその筈で日本を紹介する外国人向けのパンフレットの表紙に必ずと言ってもいいほど写真が載っている超有名なランドマークなのだから。

それと若い人も多くこの時期だからなのかカップルが異常に目につく。

カップル達は楽しそうに腕を組んだり手をつないだりしている。

「シフォン、置いていくぞ」

「啓太、待ってください」

小走りで駆けてきて俺の肘の辺りをちょこっとだけ摘まんだ。

雷門と書かれた大きな提灯をくぐると反対側には正式名称の風雷神門と書かれていて風神・雷神と対照となる様に水をつかさどる竜神様の天龍像と金龍像が奉安されていた。

そして仲見世は帝釈天参道の商店街とはまた違う感じで石畳の両側に綺麗な電飾看板が取り付けられ統一感があってこれはこれで良い味を醸し出していた。

それにしても年末だからだろうか人が多い。

俺の肘を摘まんでいるシフォンを見下ろしてシフォンが摘まんでいる腕を腰に当てた。

「ほら」

「えっ、良いんですか?」

「まぁ、繋いでおかないと迷子になりそうだからな」

「ぶぅ、私はペットじゃありません」

「可愛い子犬見たいだぞ」

「啓太は酷いです」

そう言いながら俺の腕を叩いた。

ふっと鼻を鳴らすとシフォンが俺の顔見て微笑み腕を組んで来た。

「啓太はやっぱり優しい人です」

「一応、俺も男だからな」

柔らかい物が腕に押し当てられているがそれには蓋をしておく。


仲見世で焼きたての人形焼を買って頬張りながら歩く。

宝蔵門をくぐり金龍山浅草寺の本殿に行き参拝する事にした。

「どうやっるのですか?」

「ん? 合掌して一礼してから南無観世音菩薩と唱えるんだよ」

「はい」

2人で並んで合掌して目を閉じて一礼する。

「「南無観世音菩薩」」

「ここの本尊の観世音菩薩は仏様の中でも最も慈悲深い仏様で人の哀しみを取り除き楽しみを与えてくれるんだって。まるでシフォン達みたいだね」

「えっと大先輩なのかもしれません」

あいつ情報からピックアップしてシフォンに教えると顔を赤くしてモジモジしている。

凄く微笑ましく感じる。

微笑ましい?

もしかして俺って笑っているのか?

そんな筈はない……

そんな考えを打ち消すように浅草寺からレトロ感満載の花やしきに向かった。


が、花やしきの東ゲートが工事中になっている。

仕方なく案内に従い笑運閣ゲートに向かう。

笑う門には福来るみたいな俺にしてみれば笑えない名前の建物だ。

門をくぐり目の前にある遊園地はレトロというより……

シフォンの瞳が輝きを増しているので止めておこう。

フリーパスを買わないで回数券を買った事に胸をなでおろしたのも束の間だった。

「啓太。あれが良いです」

シフォンが指差したのは日本最古のローラーコースターで花やしきの名物アトラクションだった。

花やしきがシフォンと同じく初体験の俺でも知っている奴だ。

「凄くドキドキしますね」

「そうだね」

小さなコースターに乗り込んで肩と肩が密着するくらい隣にいるシフォンがそんな事を言っている。

周りの建物が異常なほど近い。

係員の案内と警報音の様な甲高い音が鳴り響く。

コースターが動きだし坂をカタカタと音を立てながら登りはじめたと思ったら急降下をした。

左に旋回して下りながら花の湯を潜り抜ける。

かなりアップダウンと振動が激しい。

民家の様な間をすり抜け周りからキャーキャーと絶叫が上がる。

周りにあるものすべてが手を伸ばせば届きそうだった。

民家を潜ると終点と言うか乗り場になっていた。

坂を上り切るのに1分、坂を下ってから30秒ちょっとだったと思う。

「啓太!」

コースターを降りるとシフォンが俺の腕を引っ張った。

連れて行かれた先はローラーコースターの乗り場だった。

連続で3回も乗ってシフォンは満足そうだった。

フリーパスにしておけばよかった……

コースターに乗って満足したのかその後は園内をブラブラする。

元々植物園だったと聞いた事がありその為か園内には色とりどりの花や変わった植物が沢山植えられている。

するとシフォンが何かを見つけたようだ。

「啓太、あれ!」

シフォンの指の先には小さな池があり赤い可愛らしい橋が架かっている。

「しあわせ橋か、何だかな」

「どうしてですか? 素敵です」

あいつ情報をシフォンに耳打ちするとシフォンがキラキラと瞳を輝かせて俺を見上げている。

「本当に願いがかなうんですか? 振り向かないで渡り切ると」

「まぁ、願掛けみたいな物かな」

困った人の願いをかなえる事が出来る天使の見習いが真顔で俺に聞いている。

「あっ。もしかして自分の願いは叶えられないとか」

「出来ます。でも禁止条項第3条で自分の願を決して叶えてはならないと禁止されているんです」

「そっか、それじゃ渡ろうか」

「はい、振り返っちゃだめですよ」

「了解しました」

シフォンが俺の手を取って歩き出し2人で橋を渡り切った。

「あの、啓太さんは何をお願いしたんですか?」

「ん? 恥ずかしいから内緒」

「もう、ケチです」

「ケチ言わない、シフォンは何をお願いしたんだ」

「恥ずかしいから耳を貸してください」

屈んでシフォン顔に耳を近づけるとシフォンが耳打ちした。

天使の見習いは俺の事が最優先事項らしい。


その足でお化け屋敷に行ってみる。

鉄板の日本のお化け屋敷そのもので……

「ここのお化け屋敷って本物の幽霊が出るって噂なんだよ。一度来てみたかったんだ」

「な、何で中に入ってしまってからそんな事を言うですか?」

「シフォン、日本語が可笑しくなってるぞ」

「こ、怖いの嫌いです」

簡単に女の子に食事をご馳走するような見ず知らずの男が怖くなくて、ある筈の無い幽霊が怖いと俺の腕を掴んでいる。

まぁ、天使や天使の見習いも本来ならある筈も無いか。

それに例のあれは天使の見習いかも知れない可能性が濃い。

チョット物音がしただけでシフォンの腕に力が篭り直ぐに躓きそうになる。

恐らく目を瞑って俺の腕にしがみ付いて歩いているに違いない。

「ちゃんと見てたか?」

「見てました。少しだけ怖かったですけど」

シフォンが涙目になっている。

時計を確認するとそろそろ移動する時間になっていた。

アトラクションをするにもあと一つくらいだろう。

「他に見たい物ってあるかな」

「あの上には何があるんですか?」

そこは笑運閣ゲートの屋上で俺も何があるのか知らなかった。

階段を上がると途中に赤い鳥居が現れ笑運閣ブラ坊神社と書かれていた。

屋上には小さな社があり不思議な形をした神様が祀られている。

近くにある案内看板を読むと花やしきに宿る幸福の神様で球根の形をしているそうだ。

これがあいつ情報の中で唯一意味が判らない物だったけど今意味が判った気がする。

『求婚するなら球根頼み』か……

何でも良縁や結婚の神様として密かに話題になっているらしい。

芽をなでると良い出会いがあり腰をなでると球根の腰にちなんで玉の輿ってベタだな。

とりあえず手を合わせてみた。

浅草寺といいブラ坊神社といい、まるで天使がらみの場所ばかりの様な気がするのは俺だけだろうか。

柴又に行く前に立ち寄って購入しておいた整理券を確認して浅草駅近くの隅田川沿いにある水上バス乗り場に向かった。


隅田川にはアニメ界の巨匠がデザインしたスペースシップみたいな未来型水上バスが浮かんでいる。

何でもティアードロップをイメージしているらしい。

「涙の形ね。すげえじゃん」

「啓太、凄く綺麗です」

「乗るよ」

「えっ? はい!」

ガルウイングの搭乗口から乗り込む。

本当にスペースシップの様になっている。

中に入ると先進的と言うか結構広いスペースなのに窓際にあるベンチシートとその横にあるテーブル付の椅子しかない。

後ろには弓なりのベンチシートがあるようだ。

で、時期が時期だけに周りはお約束通り恋人達ばかりで俺とシフォンも照れながらテーブル付の椅子に座り窓の外に視線をやる。

流石にイヴとは言え平日なので子ども連れの家族は殆ど居なかった。

浅草寺から花やしきへそして水上バスでお台場へ。

あいつが教えてくれた絶対にはずれの無いデートコースだった。

何故、俺とそう変わらない恋人いない歴のあいつが詳しく知っているのか疑問だったが深く考えない様にしよう。

それこそ1人でシミュレーションなんてしている姿を想像しただけで痛すぎる。

この船は大きな窓が多用されていて結構開放感がある。

橋の下を通る度にシフォンは口を開けて上の窓を見上げている。

「シフォン、口が空いてるよ」

「ふぇ、あっ、はい」

恥ずかしそうに俺の方を見ている。

そんな顔で見られると……

何かが俺の中で変わり動き出している。

でも、気付いてしまったら何かが起こりそうで怖くて気付かない振りをした。

レインボーブリッジの下を通過するとお台場が見えてくる。

お台場は元々ペリーが来航した時に江戸幕府が埋め立てて造らせた砲台の事で今もその面影を残す砲台がある。

確か一度も使われずに開国に至ったはずだ。

そんな事を頭の中で復唱していた。


水上バスを降りるとそこは恋人達の聖地と化していた。

「啓太、海です!」

「風が冷たいね」

シフォンが嬉しそうに手すりから体を乗り出している。

不思議な色のシフォンの髪が風に吹かれて揺れている。

海を眺めながら遅めのランチを食べて海辺を散歩しているとシフォンが観覧車に乗りたいと言い出した。

プロムナード公園を通り観覧車があるパレットタウンに向かう。

ここにはヴィーナスフォートなんかがあったはずだ。

少し並んで大観覧車に乗り込む。

ゆっくりと上昇していき景色が開けてくる。

生憎の曇り空だったけど遠くまで見渡せる景色はとても綺麗だった。

「啓太に出会えてよかった」

「役に立たないけどな」

「そんな事は無いです。凄く楽しいです。それに」

「それに、何?」

「試験の最終日ですから」

「そうだね」

それ以上俺は何も言えない。

俺にはシフォンに叶えてもらいたい願いも無ければ恋を教える事も出来ないのだから。

そんな俺に対してもシフォンは微笑みかけてくれる。

観覧車を降りて俺とシフォンは周りの恋人達と同じようにゲームをしたり店を冷かしたりして歩き回った。


多くのカップルが集まっているのがアクセサリーを扱っているお店だった。

クリスマスプレゼントでも選んでいるのだろうか。

周りと同じようにアクセサリーを見ているとペアのブレスレットに目が留まった。

2重巻の本革のブレスでシンプルなシルバーのリングとその中に銅のリンクがバランス良くって文字が彫られている。

「啓太、シンプルで素敵だね」

「そうだね」

シフォンも気に入ったようだ。

すると店員の女の人が声を掛けてきた。

「そちらの商品は当店の一押しで文字入れも出来ますよ」

「へぇ、そうなんだ」

でも、文字入れには少し時間が掛ると告げられた。

「仕方がないか。今日しかないからね」

「そうですか。とてもお二人にお似合いだと思います」

諦めようとすると店員さんが残念そうにしている。

俺が立ち去ろうとするとシフォンが俺の腕を掴んだ。

「啓太。ちょっと待ってください」

「別に構わないけど」

「あの、それを持って少し見せてもらえませんか」

「はぁ」

店員さんが不思議そうな顔をしてペアブレスを持ってシフォンの前に差し出すとシフォンが店員さんの手を包み込むように掴んだ。

その一瞬、光に包まれたような感覚に陥る。

それは眩暈がしたような感じだった。

すると目の前に店員さんの満面の笑顔があった。

「ご注文の品です。ご確認をどうぞ」

「えっ、はい」

店員さんが差し出したケースを見ると確かにシルバーと銅のリングに俺の名前とシフォンの名前が刻印がされている。

シフォンの方を見るとチョロッとベロを出している。

天使の見習いが力を使った瞬間だった。

思わず肩から力が抜け支払いを済ませそれぞれの腕に付けてもらった。

「あのな、シフォン。あれほど人前で力を使うなって言ったのに」

「啓太の為じゃないです。店員さんが困っていたので助けただけです。天使の見習いの唯一の仕事ですから」

「本当に驚かせやがって」

「えへへ、啓太に怒られた」

コツンとシフォンの頭に拳を当てると頭に手を置いて喜んでいる。

何で怒られて喜ぶんだよと思うが良しとしよう。

シフォンも気に入ったブレスが手に入ったのだから。

でも、シフォン達が持つ力の大きさに驚いたのは本当だ。

「なぁ、シフォン。どうして彼女の願いを聞かなかったのにあんな事が出来るんだ?」

「ええっとですね。基本的に願い事がある人が天使の見習いに触れると願いが叶うんです」

「それじゃ、ぶつかっただけでも叶ってしまうんじゃんか」

「その為に私達が鍵の役名をしているんです。私達天使の見習いが叶えてあげたいと思わない限り力は発動しません」

「それで第二条があるんだな」

「はい、そうです」

お台場は噂通り飽きない場所だった。

色々な複合施設が隣接していて時間を忘れてしまう。

レストランで夕食を済ませ遊んでいると結構な時間になっていた。


イルミネーションが煌めき。

大きなツリーが目の前にあり。

レインボーブリッジがライトアップされている。

何処からかクリスマスソングが聞こえ聖地たる所以が実感できる。

気が付くと今日と言う日もあと1時間で終わりを告げようとしている。

そしてそれはシフォンとの別れの時でもある。

かなりのハイテンションだったシフォンも大人しく俺の横に居てくれる。

「ありがとうな」

「啓太にそんな事を言われたら私はどうすれば良いんですか? お礼を言うのは私の方です」

「そんな事は無いよ。凄く楽しかったよ」

「えへへ、何だか嬉しいです。あまり人にそんな事を言われたことが無いから」

シフォンの言葉に違和感を覚える。困っている人を助け苦しんでいる人を救ってきたシフォンに感謝しない人が居ない訳がない。

何で『ありがとう』って言われたことが無いんだ。

「なぁ、シフォン。俺がもし笑ったら何を教えてくれるんだ?」

「そ、それは教えられません。啓太は笑ってくれませんから」

しあわせ橋でシフォンが願った事は『俺が笑えますように』だった。

何故かシフォンが俯いてしまった。

そんなシフォンの姿を見て何かを俺に隠している事に気付いた。

「それじゃ、質問を変えるよ。俺に何を隠しているんだ?」

「啓太はずるいです」

天使の禁止条項第一条の一は『天使は人を欺いてはならぬ』隠す事は出来ても嘘を付く事は出来ないのだろう。

俯いているシフォンの顔を見た時にはっきりと気付いた。

光るものがシフォンの握りしめている拳に落ちた。

「天使の見習いには寿命がありません。でも地上に降りて試験が開始され万が一合格できない時は光の粒子に戻ってしまうんです」

「それってつまり存在が無くなると言うコトなんだな」

「はい、光の粒子になって次に生まれてくる天使の見習いの卵になるんです」

「それじゃ、俺の願を叶えれば」

「それでも合格は出来ないと思います。私はドジで失敗ばかりして合格ラインに届かないと」

「でも、やってみなきゃ判らないだろ」

「出来ないです!」

シフォンが涙をポロポロと流しながら真っ直ぐに俺の瞳を見ている。

俺自身が大嫌いな俺の紺碧の瞳を。

「願いを叶えれば啓太の記憶から私は消えてしまうんです」

「だから感謝された事が無いって」

「はい、それに啓太から私が消えてしまうって思うと胸が苦して」

「バカだな、天使になりたいんだろ」

「それすら今は判らないです。こんな気持ち初めてで」

「このままじゃ消えて無くなってしまうんだぞ」

「こうなるんじゃないかって思っていました。だから最後は私を助けてくれた優しい啓太の側に……」

シフォンが俺のジャケットを両手で握りしめ俯いたままで泣いている。

今の俺には抱きしめてやる事しか出来なかった。

Keisuke.Kの哀しげなクリスマスソングが何処からか流れてくる。

思わず空を見上げた。

とても切ない彼の声とシフォンの泣き声が星すら見えない夜空に吸い込まれていき、それに呼応するかの様に雪が揺られながら舞落ちてきた。

それはまるで空に帰るために翼を広げて羽ばたいた天使が落としていった羽の様だった。

頬に雪が舞い落ち水滴になる。

冷たい筈なのに何故か温かい物が俺の頬を伝う。

それは忘れていた感情が戻ってきた瞬間だった。

どうして今日なんだ?

こんな思いを再びするのなら出会いたくなんて無かった。

それは俺が気づかない振りをしていた物だった。

シフォンと過ごすうちに停滞していた俺の時計の針が動き出していた。

あの音はその音だったんだ。

シフォンを失うのが怖い。

これが恋なのかなんて俺自身にも判らない。

だからシフォンに教えるなんて不可能だ。

それなら俺に出来る唯一の事はシフォンに俺の願を叶えてもらい天使にしてやる事だけ。

何もしないで手を拱いているのはもう2度とごめんだ。

シフォンの肩に手を置いてシフォンの体を離してシフォンの顔を見た。

「啓太、泣いてるの?」

「ああ、感情が戻っていたんだ。シフォンと出会って。俺の願を叶えて欲しい」

「でも、それじゃ2度と」

「第二条だよ」

「やっぱり啓太は優しいです。願いを頭の中に思い浮かべて私の体に触れてください。そうすれば」

「判った」

「啓太……」

「シフォン、大好きだよ」

哀しさや苦しい事を忘れてはいけなかったんだ、悲しみや苦しい事を知るから喜び笑いそして優しく出来るんだ。

今なら判る俺の願は哀しさや苦しい事を忘れ去る事じゃない。

心から俺の願を祈り小さなシフォンの唇に優しく重ね合わす。

光の粒子が弾ける様に飛び散り大きく優しい光につつみこまれた。


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