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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。

城は内側から落ちる——歴史Vtuber、幼馴染に開城す

作者: 世紀末覇者
掲載日:2026/03/11

歴史解説系Vtuber「古都こよみ」。同時視聴は跳ねない。終わってから伸びる。


——はずだった。


博物館案件の監修を外され、配信枠を削られ、構成案は可愛くデコられ別人の手柄になった。「難しい話は人が離れる」。数字を盾にする上司。根拠を消して盛られた台本。


それでも、たった一人、彼女を支え続けた幼馴染がいた。


宵星プロダクションの看板Vtuber——朝凪すず。


——これは、正しさを手放さなかった歴史Vtuberが、幼馴染に城を明け渡すまでの話。

『年表の余白に、君の名前』


 私の配信は、同時視聴が跳ねない。


 その代わり、終わってから伸びる。


 戦国期の兵站、ビザンツ帝国の税制、江戸の火消し組織の再編。そういう、だいたい人に「なんで今それ?」と聞かれる話を九十分かけてやる。


 コメント欄には、毎回だいたい同じ顔ぶれが来る。


〈待ってた〉


〈今日も濃くて助かる〉


〈作業用じゃなくて正座用〉


 変なファンがついたな、と自分でも思う。でも、好きだ。熱量の高い視線は、数字の小ささをたまに忘れさせる。


 Vtuberとしての名前は、古都こよみ。


 宵星プロダクション所属。中規模の箱で、勝手に歴史解説担当になった。


 会議室で、真壁プロデューサーが私のチャンネル分析をモニターに映した。


「来月の城南市立博物館案件、メインは姫乃るるで行く」


 横で、るるが小さく笑った。


 薄桃色のツインテール。うさぎ耳のヘアクリップ。ふんわり。やわらか。小学校のころから、ずっと変わらない。


「監修は私、ですか」


「資料協力。るるの方が間口が広い。お前の話は濃すぎる」


「博物館案件なのに?」


「だからだよ。難しい話は人が離れる。数字、見てから喋れ」


 言われなくても、毎日見ている。


 数字は嘘をつかない。


 嘘をつくのは、だいたい人だ。


「こよみ先輩の配信、るる、嫌いじゃないんですぅ」


 るるが小首をかしげる。昔から、その角度はよく計算されていた。


「でも案件って、楽しくないとダメじゃないですかぁ。補習みたいになっちゃうと、みんな寝ちゃうし」


「佐伯学芸員の監修希望、私名義で来ていましたよね」


 私が言うと、真壁さんは露骨に眉を寄せた。


「会社に来た案件だ。誰を出すかは運営が決める」


「私の構成案は」


「るるに渡せ。お前は裏で支えろ。そういうの得意だろ」


 どうやら私は便利な幽霊に昇格したらしい。


 斜め前の席で、すずが無言でペンを置いた。


 朝凪すず。


 歌もゲームも雑談も強い、宵星の看板。私とるるの幼馴染でもある。


 小学校の図書室で、私が本を開いて、すずが隣で笑って、るるが向かいで机を揺らしていたのを、なんとなく思いだす。


「真壁プロデューサー」


 すずの声は静かだった。


「監修者の名前を落とすなら、先方には先に伝えた方が良くないですか。あとで面倒なことになりますよ」


「面倒にしないための運営だよ。朝凪はMCに集中して」


 すずはそれ以上、何も言わなかった。でも私にはわかる。あれは納得した顔じゃあない。


***


 会議のあと、廊下の自販機前に立つと、すずが缶コーヒーを一本押しつけてきた。


「甘いやつにしといた。糖分、いるでしょ」


 幼馴染の気遣いは、たまに雑だ。


 プルタブを開ける音が妙に響く。


「企画書、バックアップ取っときな」


「いつも取ってる」


「もっと徹底的に」


 すずは壁に肩を預けたまま、私を見る。


「……るる、自分が読めない文は、読まないで飛ばすよね」


「知ってる」


「真壁Pも、都合のいい数字しか見ない」


「それも知ってる」


「だよね」


 それだけ言って、彼女はスタジオに戻った。


 昔から、すずは余計な慰めを入れない。


 代わりに、必要なものだけ置いていく。


 私はその日のうちに、構成案、参考文献、スライド、引用箇所、メール履歴を、私用ドライブに丸ごと保存した。


***


 るるに渡した構成案は、二日で別物になって返ってきた。


「難しいところ、削っておきましたぁ!」


 共有ドキュメントのコメント欄に、星の絵文字つきで書いてある。


 削られていたのは、難しいところではなかった。


 根拠だ。


 一次史料、諸説の併記、通説が生まれた経緯、誤解されやすいポイント。話を雑にしないための骨がきれいに抜かれていた。


「この『真田幸村が最後に叫んだ名台詞』って、何が出典?」


 私が社内チャットで送ると、すぐに既読がついた。


「え、ネットで見ましたぁ」


「一次資料は?」


「そこまでいります?」


「博物館案件です」


「こよみ先輩って、そういうとこなんですよねー」


 そういうとこ。


 便利な日本語だ。


***


 その夜、私の定期配信枠が消えた。


 真壁Pからの連絡は短かった。

「今月は短尺強化月間。長時間配信は休止」


 代わりに入った仕事は、「るる用・戦国あるあるショート台本のチェック」。


 私は机に額をつけた。


 木目が冷たい。


 胸の奥も同じくらい冷たかった。


 そこに、メッセージが飛んできた。


 すずだった。


「今、リハ見た。るる、太閤検地を"ふと……けんちっ!"て可愛く読んでた」


「ふとけんち」


「笑ったら負けだから我慢した」


「えらい」


「えらいから、あとで褒めて」


「すごく甘いコーヒー、買っとく」


 私は少しだけ口元を緩めた。


 そのやりとりだけで、酸欠気味の頭に少し空気が入った気がした。


***


 城南市立博物館とのコラボ当日。


 表に出るのは、すずと、るる。すずがMCで、メインを張るのは、るる。学芸員の佐伯さんは実写での合成だ。


 私は裏方として、台本確認と史料チェック。


 真壁PがDiscord越しに進行指示を飛ばしている。


 配信開始三分前、るるが私の机に寄ってきた。


「こよみ先輩、あのさぁ」


「何」


「もし間違っても、配信中に訂正とか、しないでくださいね?」


「間違えないのが先」


「るるだって頑張ってるんです。あんまり厳しくすると、空気悪くなるし」


 私はノートを閉じた。


「るる」


「はい?」


「頑張ったかどうかと、合ってるかどうかは別」


 彼女の口が、ちょっとだけ尖った。


 小さいころ、負けそうになるとああいう顔をした。その次に泣くか、噛むか、誰かのせいにするかは、運だった。


「ほんと、そういうとこ」


 それだけ残して、るるは照明の中に戻っていった。


***


 前半十五分までは、なんとかなった。なっていた。


 るるのテンションは高く、すずの回しは正確で、視聴者の反応も悪くなかった。


 問題は、中盤の「戦国の城はどう落ちる?」のコーナーだった。


「えっとですねぇ、真田幸村が最後に大逆転したのって、やっぱり愛と絆なんですよぉ」


 学芸員の佐伯さんが、笑い成分極小の、苦笑いをする。


 それにも構わず、るるは続けた。


「あと、大坂城って、最後は内部から裏切りがあってぇ」


 ない。


 コメント欄の流れが変わる。


〈出典どこ?〉


〈それ創作じゃない?〉


 佐伯さんの眉間に、今度こそはっきりと、深いしわが刻まれる。


 Discordの向こうで真壁さんが舌打ちした。


「古都、コメントでフォローしろ。なんとかしろ。早く!」


 自分で外しておいて、よく言う。


 けれど、配信は生ものだ。


 本格的に燃える前に、やるしかない。


 私がキーボードを叩こうとした、その瞬間だった。


「ここで、監修担当の古都こよみに入ってもらいます」


 すずが、いつもの柔らかい笑顔で言った。聞いてない。そもそも、そんなこと、できるはずが……


 〈古都こよみ〉が、画面に表示された。すずは、それができるように、仕込んでいたのだ。


 とはいえ。私の動きをスキャンしてるカメラは、ない。なのに画面の〈古都こよみ〉は、視聴者に手を振っている。


 ええい、ままよ。今はこの怪奇現象のことを考えてる場合じゃない。


 マイクを、ミュートから、ONに。


「古都こよみです。三分だけください」


「戦国の城は、だいたい"かっこいい人がかっこよく戦う場所"として語られます。でも実際は、もう少し地味です」


 画面に城の断面図を出す。私は事前に用意していた予備スライドを、自分のタブレットから飛ばした。


「落ちる理由は、気合いより先に、兵糧です。米、塩、水、移動経路。人はドラマで燃えますけど、城は補給で落ちる。真田の話も、そこを外すと急にファンタジーになる」


 コメント欄が、一気に流れを変えた。


〈きた〉


〈これこれ〉


〈待ってました〉


〈三分で終わらなそうで好き〉


 私は続けた。


「さっき出た"名台詞"は、後世の脚色がかなり混ざっています。脚色が悪いわけじゃない。物語として広がる力はある。ただ、博物館でやるなら、どこまでが史実で、どこからが人気のある創作か、そこは分けて話したい」


 佐伯さんが、横で小さくうなずいた。


「今日の展示でも、一次史料と後代の軍記物は並べてあります。見比べると、歴史の面白さはむしろ増えます。人間、勝手に盛るので」


 すずが笑う。


「それ、歴史の話です?」


「人類全般です」


 コメントがまた跳ねた。


 笑いが入り、空気が戻る。

私は話し続けた。城の構造、兵糧攻め、後世の英雄化、史料の読み方。難しくしすぎず、薄めすぎず。視聴者の知性を、勝手に低く見積もらない。


 それだけ守った。時間は守らなかった。


 配信終了時、同接はその日いちばん高いところにいた。


***


 配信のあと、すぐに緊急のミーティングということになった。


 場所は文化センターの会議室。ミーティングというより、謝罪の場だ。全員がNDA締結済みの関係者に限られていた。


 宵星プロダクションからは城戸社長、真壁P、るる、すず、私。城南市立博物館からは佐伯さんと、法務担当。


 佐伯さんが最初に口を開いた。


「当館としては、監修希望を出した古都さんが資料協力に回されていた件を重く見ています。事前の説明もなかった」


「それは、会社判断で」


 真壁Pが言う。


「人気面を考慮した最適化です」


「最適化」


 私が復唱すると、彼は少しだけ声を荒げた。


「数字があっての判断です! 古都のコンテンツは固定ファン向けで、新規流入が弱い。今回の案件は間口が必要でした」


「じゃあ」


 私はタブレットを机に置いた。


「数字を見て話します」


 会議室が静かになる。


 私は画面を横に滑らせた。


「私の長尺配信、平均視聴維持率六一パーセント。メンバー継続率、箱内一位。書籍案件からのCV、過去三件とも最高値。今回の博物館案件の先方指名、私名義。るるに渡した構成案は、こちらが原本です」


 次の画面。


 ドキュメントの更新履歴。引用箇所の削除。名義変更の指示。真壁Pからのメッセージ。


〈古都の名前は前に出すな〉


〈難しいと離脱する〉


〈るる向けに甘くしろ〉


 真壁さんの沈黙が、答えだった。


 佐伯さんが、書類を閉じる。


「当館は、姫乃さんの今後の起用を見合わせます。あわせて、今回の監修体制について正式な抗議を出します」


 るるの顔が青くなる。


「るる、頑張ったのに……。こよみ先輩の話は暗いし、難しいし、るるならもっと可愛くできるって……ちゃんと可愛くして、見やすくして、そしたら、るるが選ばれるって……!」


 選ばれる。


 その言葉だけが、やけに重かった。


 私は彼女を見た。


 薄桃色の髪はきれいで、目元はうるんでいて、今にも泣きそうで、でも泣いたところで消えないものばかり机の上に並んでいた。


「るる」


 私の声は自分でも驚くくらい平らだった。


「私の原稿を削ったのは、可愛くするためじゃない。自分で読めないところを、消しただけ」


 るるの肩が跳ねた。


 城戸社長がようやく口を開いた。


「姫乃さんは、しばらく活動自粛で……」


 るるが椅子から立ち上がる。


「るるだけ!?」


「だけ、じゃないと思うよ。多分」


 今度は、すずが言った。


 彼女はスマホを机に置いた。


「リハの音声です」


 再生される。


 るるの声。真壁Pの声。私の名義を落とす相談。間違っても古都は前に出すな、という指示。


 真壁Pの口が固まる。


 すずは音声を止めた。


「こよみのことを、ずっと"裏で支えろ"って使ってた。今日、前に出て一番回ったの、見ましたよね」


 城戸社長が、今度はちゃんと青ざめた。


「真壁くん、これは……」


「社長」


 私は封筒を一枚、机に滑らせた。


 契約終了届。


「私、来月末で宵星を離れます」


 誰かが息をのむ音がした。


「城南市立博物館様と、別口で企画を進めています。シリーズ監修と出演。あと出版社から連載の依頼も来ました」


 私は真壁Pを見た。


「難しい話は人が離れる、でしたよね」


 机の上の数字を、指で軽く叩く。


「離れなかったです」


 るるは泣いていた。


 でも、彼女の世話を焼くのは、もう私の役目じゃあない。


***


 宵星を出たのは、梅雨の終わりだった。


 荷物の八割が本で、残り二割が配信機材。


 人間の引っ越しというより、ちょっとした資料室の移設だった。


 新しい部屋は、仕事場を兼ねた1LDK。壁一面を本棚にした。


 初配信のタイトルは「城はなぜ落ちるのか。兵糧と噂と、人間の話」。


 同時出演、朝凪すず。


 彼女は宵星との契約を切って、個人勢になった。その最初の外部コラボ先が、私だった。


 配信は大成功だった。


 コメント欄は、歴史の話と、私たちの距離感へのざわつきで半分ずつ埋まった。


〈空気うますぎ〉


〈てぇてぇ〉


〈幼馴染の連携じゃない〉


〈てぇてぇ〉


 余計なお世話だ。

配信終了の赤いランプが消える。


 私はヘッドセットを外し、椅子にもたれた。


「終わった……」


「終わったね」


 すずもヘッドセットを外す。


「反省会、する?」


「五分後」


「却下」


 彼女は私の椅子の背に手を置いた。


「仕事の話、終わり」


「早いな」


「十分待った」


「何を」


 すずは少しだけ笑った。


「告白」


 心臓が、一拍だけ遅れた。


 私はたぶん、すごく変な顔をした。


「……いま?」


「いま。仕事じゃなくなったから」


「段取りが雑」


「こよ相手だと、これでも丁寧」


 こよ。


 配信では絶対に呼ばない名前。


 私が息を吸う前に、すずの指が頬に触れた。


「幼稚園のころから好きだった」


 ド直球。


「こよが好きなものを、好きだって顔で喋るときの声。ずっと好き。箱にいるあいだは、仕事の顔して我慢してた」


 すずの親指が、耳の下をかすめる。


「だから、もう言う」


 そこで一度止まって。


 彼女は、私に口づけた。


 やわらかい、と思った。


 次に、近い、と思った。


 その次は、何も思えなかった。


 頭の中の文字が全部飛ぶ。


 唇が離れて、すずが少しだけ眉を下げる。


「……返事、待つけど」


「待たなくていい」


 自分の声が、変に低い。


 私は椅子から立ち上がって、すずのパーカーの袖をつかんだ。


「待たなくていいから、もう一回」


 すずの目が、丸くなる。


 珍しい。


 たぶん、いま私の方が少しだけ攻めている。


「こよ、それ反則」


「歴史は反復で覚えるから」


「そういう理屈でキスを要求する人、初めて見た」


「私も初めて」


 言った瞬間、笑いがこぼれた。


 すずも笑った。


 その笑いごと、今度はもう少し長く、深く、彼女が私に触れてくる。


 城は、外からじゃ落ちない。


 内側から崩れる。


 たぶん私のも、そうだった。


 ソファまで後ずさって、ふたりで座るというより、半分落ちるみたいに沈み込んだ。


 すずが私の額に自分の額を当てる。


「ひとつだけ、種明かしして」


「種明かし?」


「博物館コラボのとき。どういう魔法を使ったら、〈古都こよみ〉を画面に出せたの? リップシンクも完璧だった。でも、カメラはなかった」


「あれはね。私が〈古都こよみ〉を演ってた」


「は?」


「〈古都こよみ〉が動いてるとき、〈朝凪すず〉は待機モーションを再生させてた。気づかなかった?」


「リップシンクは」


「こよが何をしゃべるかなんて、全部わかるもの。タイムラグ、感じなかったでしょ?」


「降参」


 言いながら、今度は私からキスをした。


 ひどく静かな夜だった。


 なのに、胸の中だけうるさかった。


***


 朝、目が覚めると、カーテンの隙間から光が細く落ちていた。


 隣で、すずが寝ていた。


 髪が少し乱れて、睫毛がやけに長く見える。昨日、あんなに強気だったくせに、眠っていると無防備だ。


 私はそっと指先で前髪をよけた。


 すると、目を開けないまま、すずが私の手首をつかむ。


「起きてるじゃん」


「五分前から」


「ずるい」


「観察は基本」


「学芸員か何か?」


「彼女」


 言ったあと、自分で一秒遅れて熱くなった。


 すずがようやく目を開けて、笑う。


「もう一回言って」


「嫌」


「言わせる」


 引き寄せられて、私はそのまま抱き込まれた。


 シーツの中で体温が混ざる。肩口に顔を埋めると、洗いたての柔軟剤と、すず自身の匂いが少しする。頭がぼんやりする。


 唇が、首すじに軽く触れた。


「すず」


「うん」


「朝から距離が近い」


「昨日からだよ」


「そうでした」


 私は彼女の肩を軽く叩いた。


 叩いたのに、離したくなくて、結局そのまま背中に腕を回す。


 すずが満足そうに息を吐く。


「こよって、好きになると素直だね」


「好きになる前が素直じゃないみたいに言う」


「だいぶ堅城」


「城だから」


「じゃあ今、落城済み?」


「開城くらいにしといて」


「じゃ、入るね」


 返事の代わりに、またキスされた。


 短く、何度も。


 唇の端をかすめるやつ、笑いながら重なるやつ、呼吸の境目で触れるやつ。ひとつひとつが軽いのに、ぜんぶ残る。


 私は最後に、すずの胸元へ顔を押しつけた。


「……もう少し、こうしてる」


「許可制じゃないよ」


「じゃあ命令」


「それは従う」


 昔から、すずは私に甘い。

今は、それを言い訳にしなくていい。


***


 昼前、簡単に朝食を作って、次回配信の打ち合わせをした。


 打ち合わせと言っても、すずが私の隣に座って、私のノートを覗き込みすぎるのが半分だった。


「近い」


「見えない」


「肩が当たってる」


「当ててる」


 悪びれない。


 私はトーストをかじった。


「ファンにバレるよ」


「もう半分くらいバレてない?」


「勘はいいけど、確証はない状態」


「じゃあ、もう少し泳がせよっか」


 すずがそう言って、私の口元のパンくずを指で取った。


 その指にキスしそうになって、私はぎりぎりで止まる。


 止まれた自分を、少し褒めたい。


「こよ」


「何」


「その顔、夜まで覚えとく」


「最低」


「最高の間違いでは」


 私はノートで彼女の肩を小さく叩いた。


 すずは笑って、今度は頬に軽く口づける。


 そこだけ熱い。


***


 一週間後。


 私たちは新シリーズの収録を始めるため、収録スタジオに来ていた。控室の外は、あわただしい空気に包まれている。まもなく、時間だ。


「緊張してる?」


「少し」


「珍しい」


「初回だから」


「嘘。私がいるからでしょ」


「……否定しにくい」


 すずが笑う。


 そのまま、誰もいないのを確認して、首を傾けた。


「ご褒美いる?」


「配信前なんだけど」


「短いやつ」


「雑」


「丁寧にもできるよ」


 負けた。


 私は一歩だけ近づく。


 すずが私の顎をそっと持ち上げて、触れるだけのキスをひとつ。


 たったそれだけで、さっきまでの緊張が別のものに変わる。


「……効くな」


「でしょ」


「ずるい」


「幼馴染特権」


「恋人特権でしょ」


 言ってから、また自分で熱くなる。


 すずは、ものすごく嬉しそうに目を細めた。


「今の、配信切り抜きにしたい」


「しなくていい」


「私の心に保存した」


「それは消せないね」


「一生ね」


 スタッフが扉をノックする。


「本番、三十秒前です」


 私たちは揃って返事をした。


 扉が開く直前、すずが小さく囁く。


「こよ」


「ん」


「この先の年表、隣に書いていい?」


 私は一度だけ、彼女の指を握った。


「もう書いてある」


 赤いランプが点く。


 私たちは笑って、同じ画面に並んだ。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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