表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/18

第17話 兄は弟を守るもの


 そのときだった。


 私たちと触手の間にすべりこむようにして、大きな影が降ってきた。

 どんっ! と地面が震える。衝撃しょうげきに驚いて悲鳴を上げ、私は古海くんと一緒に尻もちをついた。


 ぱちぱち、と瞬いて、呆然とそれを見上げる。

 最初に目に入ったのは、広い背中だった。


「何を、しているんですか、こんな子供相手に」


 外国人特有の、少しだけなまりが入った日本語。わずかに震える声は低い。怒りを丁寧に上から押さえつけているような声だった。

 誰、だろう。

 最初は、響さんが助けに来てくれたのかと思った。けど、その人は全然知らない人だった。浅黒い肌に、ずっしりとした大きさのナイフを持っている。ナイフは触手と一緒に地面に突き立てられていて、その人自身も触手を踏みつけにしていた。

 触手がぶちぶちと引きちぎれる音がする。おじいさんが「ギャッ!」と声を上げた。


「イサーンにい!」


 古海くんが声を上げた。

 男の人がくるりと振り返る。ひどく冷たい顔をしていたその人は、私がびくっと肩を揺らしたのを見て、驚いたように目を見開いた。


「ああ、だっ、大丈夫!? ええと、れんくんのお友達かな……?」


 急にわたわたし始めたその人は、さっき触手をナイフで切り裂いたとは思えないくらい幼く見えた。頬にそばかすがあって、喋るたびに少し動く。

 私はぽかんと口を開けた。だ、誰……?


「それどころじゃないんだ、イサーン兄……!」


 古海くんが体を起こして、顔をしかめる。


「その触手、触らないで……! 多分、しびれて動けなくなる!」


 イサーン兄、と呼ばれたその人は、一瞬ですっと真顔になった。


「分かった」


 そしてふところから何か分厚い手袋みたいなものを取り出してはめると、私に向かってにこっと笑った。


「大丈夫だから、そこにいてね。すぐ終わらせるから」

「お、終わらせるって……」


 言葉は続かなかった。彼の背後から、触手が鞭のような動きで迫る。


「あっ、危な……!」


 私が何かを言う暇もなかった。

 彼の目が光る。刹那せつな、彼は目にも止まらぬ速さで振り向くと、躊躇ちゅうちょなくその触手を掴んだ。古海くんが崩れ落ちたときのことを思い出して息を飲む。けれど、彼は動きをにぶらせることもなく、ナイフを下から上へと振り上げる。

 すぱんっと触手が切り取られた。おじいさんが悲鳴を上げる。


 そのまま、彼はおじいさんに向かって一気に走り出す。慌てたのかまた触手を伸ばしてきたけれど、顔に向かってきたそれを、彼は身を低くしてけた。

 その後も、向かってくる触手を時には退き、足でり落とし、掴んで切り裂き、確実におじいさんの元へと向かっている。


 すごい。同じ人間とは思えない。

 それくらい、その人は身軽だった。響さんと同じくらいの背丈があって、響さんよりもややがっしりとした体格をしているのに、全然重みを感じさせない。羽でも生えているんじゃないかと思うくらいの速さで動く。


 あっという間に、その人はおじいさんの元へとたどり着いた。目の前に飛んできた触手の塊を、上半身のみの最小限の動きで避ける。そのままひとまとめにした触手を素早く掴んで、おじいさんの動きを止めた。


「できれば事情をお聞きしたかったんですが……蓮くんたちの安全のためです。すみません」


 息も切らさずに言い切ると、触手を引っ張られて動けないおじいさんの腹に、すさまじい勢いでこぶしを叩き込んだ。奇妙なうめき声と一緒に、どさりと倒れる音がする。


「ふー……」


 その人は注意深く息を吐いて、おじいさんを見つめていた。私はほっとして、ようやく肩から力を抜く。

 良かった。多分、気絶したんだ。

 おそろしい波が去っていくような心地がした。今さらだけど、心臓の音が耳の奥で強く鳴っている気さえする。

 本当に怖かった。あれは一体なんだったんだろう?

 というか、この人は誰なんだろう?


「ねえ、古海くん、あの……」


 何から聞こうか迷って言葉に詰まった私の前で、古海くんが真っ青な顔で「ダメだ」と呟いた。私にすがるようにしてその場に立ったかと思うと、急に声を張り上げる。


「イサーンにい! よく見て! そいつはっ……」


 え、と私が思った瞬間、おじいさんの目がカッと開いた。その腕が、まるで老人とは思えない速さでバネのように動く。

 憎しみと怒りのこもった目は、イサーンと呼ばれた男の人に向いていた。


 けれど、彼の目は変わらずいでいた。全てを予想していたような動きで、おじいさんの腕を素早く掴む。怒りに染まったおじいさんの目が見開かれたのと同時に、彼は動いていた。

 気づけばおじいさんの脇腹わきばらには、四角くて黒色の何かが押しつけられていた。


 ばりばりばり! と、何かがすさまじい勢いで弾けるような音がした。

 瞬間、おじいさんの目がぐるんと回った。あっという間に白目をむいて、上半身を起こしかけた姿勢でびたりと固まる。

 その指が不自然に痙攣けいれんしていて気づいた。さっきの黒くて四角いものは、多分、スタンガンだ。スタンガンって、普通の人が持ってるものなんだっけ……?


「蓮くん」


 すごく静かな声で、イサーンというらしい男の人が振り返る。


「この人、死んでるよね?」


 私は思わず「えっ」と声を上げたけど、古海くんは冷静に「そうだね」なんて言っている。そうだねじゃないよ、古海くん。

 男の人は首をかしげながら続ける。


「この人の瞳孔、開きっぱなしだった。手もすごく冷たかったし、そもそも筋肉のこわばり方が異常だ。明らかに死後しご硬直こうちょく……え、なんで動いてたの?」

「分からないけど、多分、もう崩れるよ」

「え」


 古海くんが言った通りだった。硬直していたおじいさんの指が、ぼろりと崩れた。

 私は流石に喉の奥から情けない悲鳴を上げて、古海くんにしがみつく。古海くんも私にしがみついているので、なんか抱き合うみたいな姿勢になっちゃったけど、それどころじゃない。


 ぼろぼろと、まるで砂で作った人形が壊れるみたいに、おじいさんの体がどんどん崩れていく。私は真っ青になりながらそれを見ていた。

 すると、途中で体の中からずるりと、細長い触手のようなものがい出てきた。私はさらに悲鳴をあげたけど、すかさず男の人が触手の上に足をだん! と叩きつけた。

 何かがつぶれるような音がして、静かになった。


「イサーンにい流石さすが


 古海くん、今それはちょっと違うと思う。

 私と同じことを考えたのか、男の人も苦く笑った。


「蓮くん、こんなのは全然『流石』じゃないよ。僕からしたら、意味がわからないことだらけだし……これ潰しちゃってよかったのかな……」

「そいつ、多分寄生するタイプだから、放っておいたらイサーン兄に寄生してた可能性が高いよ」

「ええっ!? 怖いな……」


 苦笑した男の人と、ばちっと視線が合う。途端に優しそうな目をして、男の人は私に向かって小さく微笑んだ。目の前にしゃがみこんで、私たちの手を取る。


「ごめんね、怖がらせて……初めまして。僕はイサーン・ハーディク。蓮くんの義兄あにです。君は蓮くんのお友達かな?」


 ああ、やっぱりそうなんだ、と思った。古海くんは前に、自分には姉と兄がいると言っていた。この人がそうなんだろう。

 私はなんとか頷いた。からからに乾いた口を動かす。


「神崎、琥珀です……」

「琥珀ちゃん。あのね、ああいうものは、無理に思い出さないほうがいいよ。子供は特に感受性が強いから……怖いものを見たときの傷も大きいんだ」


 言って、ゆっくりと温かな手で私の手を包み込んだ。ごつごつしていて、ところどころにタコがあって、傷痕みたいなものも感じる。

 けれど、温かい手だった。今までのあれこれを思い出して、思わず目にじわりと涙が浮かぶ。安心したら、怖さを思い出してしまった。

 しかし、私はその瞬間にハッとした。


「あ、あの! 助けてください!」

「うん?」

「お、お母さんが、お母さんが……!」


 どこからどう説明したものか分からない。何故か分からないけど、さっきのおじいさんは私のお母さんを探していたみたいなのだ。でもそもそも、狙われてる理由も分からないし、人違いかもしれない。


「イサーンにい、神崎さんのお母さんが危ない。そこで死んでる人が狙ってたんだ」

「えっ本当に!?」


 秒で状況が説明されてしまい、私は咄嗟とっさに頷いた。


「名前は言ってなかったから、あの、人違いかもしれないですけど……」

「いや、すぐに家に行こう。お母さんは今日、家にいるんだよね?」


 私はこくこくと頷いた。今日は、お母さんは家で仕事をしているのだ。


「あ、あっちです!」


 ここから家まではすぐだ。私は古海くんを支えながらなんとか走った。古海くんはずっと私の手を握ってくれていて、泣きそうになる。私は、ずっと守ってもらってばかりだ。何も返せていないのに、いつも頼ってしまう。

 それでも今は、全力で走るくらいしか、できることがなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ