第16話 二人はきっと逃げられない
そうはいってもやっぱり、そんなに簡単に話ができたら苦労しないわけで。
「じゃあ、お母さんの誕生日のお祝いは、変わらずできそうなんだね。良かった」
「う、うん。料理ももう何度か練習してて……最近はお母さんも無理して早く帰ってくるようになっちゃったから、ばれないように頑張らなきゃだけど……」
放課後の帰り道。私はなんとか古海くんと会話を続けながらも、背中は冷や汗でびっしょりだった。
古海くんのことが好きだと分かったはいいけど、話の切り出し方が全然分からない……!
よく考えたら、私って恋愛経験がゼロなのだ。駆け引きなんてできないし、だからといってド直球に「古海くんって私のこと好き?」とか聞けるわけがない。
今だって、手を繋いで帰っているだけでいっぱいいっぱいなのだ。古海くんは週末の事件があってから、堂々と私の家の玄関から学校まで送り迎えをするようになってしまったし、その間はずっと手を繋いでいる。おかげでクラスメイトからは噂され放題だ。
その状態で好きかどうか確かめたりできる鋼メンタルは流石にない。普通の会話をするだけでも心臓がばくばくして仕方がないのに。
「ケーキ取りに行けるかどうかだけ、ちょっと心配かな……お母さん、めちゃくちゃ敏感になっちゃってて。しばらくは外に出るの控えてねって言われてるんだ」
「まあ、そうだろうね。どうするの?」
「ゆかりちゃんに頼んで取ってきてもらおうかな……うーん、ゆかりちゃんも兄弟のお世話で忙しいから、できるかわかんないんだけどね」
「ああ、東堂さんか……」
そこでふと、古海くんが黙ってしまった。私は首を傾げる。
「……僕がケーキ、取りに行こうか? 響さんと一緒に」
「えっ」
「事件の後、響さんが言ってたんだ。神崎さんのお母さん、すごく心配しただろうし、やっぱり少し過敏になってるだろうから。改めて話をさせてもらって、手伝えることがあるなら手伝いたいって。そうすれば、お母さんも負担が減って、神崎さんものびのび過ごせるかもしれないし……」
確かに、お母さんはいつも私を一人で育てていて、私を守れるのが自分だけだと思っている。だから、自分が守れないときは、家になるべくいてほしいと思っているのだ。
「だから、良ければ誕生会の日、僕たちがケーキ届けに行くよ。そこで少し、神崎さんのお母さんの相談に乗るのはどうかな。僕はもちろん、響さんにできることがあれば助けてもらえると思う。響さんは、子育てには全然向いてないけど……」
「向いてないんだ……」
ちょっと分かる気がする。
「でも、強いよ。あの人は。大抵の人間だったら、あの人は負けないと思う」
それも、ちょっと分かる。あのとき、武器を持っている男を蹴り飛ばした響さんは、すごく頼もしかった。
「最近は不審者の話も出てるしね。外からの暴力が怖いなら、響さん以上の適任はいないと思う。響さんは、人を殴ったり蹴ったりするのにも躊躇がないし」
「その言い方はちょっと誤解が生まれちゃうと思うけど……でも、ありがとう」
手を引いてくれている古海くんに笑って、私は頷いた。
「じゃあ、お願いしてもいいかな……もし良かったら、ご飯も一緒に食べようよ。お母さんも嬉しいと思うし……」
「なら、響さんに神崎さんのお母さんと話してもらってる間、僕も料理手伝うよ。二人でやったほうが早いでしょ」
「え、本当? 確かに助かるかも……」
そんな話をしている中で私はハッとした。
告白の話、してない……!
まずい。このままだといつもの帰り道と同じになってしまう。今日は何故か幽霊もそんなに近寄ってこないし、こんなチャンスはそうそうないのに。
ゆっくり深呼吸をして、心の中にゆかりちゃんを置く。ゆかりちゃんは私を見て目をつりあげ、「ゴー!」と古海くんを指さした。ゆかりちゃん、私のこと犬か何かだと思ってる?
浮かんだ疑念を振り払って、私は意を決して口を開いた。
「古海くん、あのね、ちょっと話したいことが……」
「神崎さん、待って」
びたりと、古海くんが足を止めた。
何事かと顔を上げれば、何故か険しい表情で道の先を見ている。
「古海くん?」
「……どうして……」
古海くんのこめかみから、つうっと冷や汗が流れるのを見た。彼は私の手をぎゅっと握って、口を開く。
「神崎さん、引き返そう」
「え? でもこっちが家……」
言いながら、彼の視線の先を見やる。
そこには、一人のおじいさんが立っていた。多分、七十歳くらいだろうか。にこにこ笑う顔にはしわがあって、腰が曲がっている。杖はついてないけど、両手を後ろで組んで立っていた。おばあさんやおじいさんがよくやっている姿勢だ。
ここらへんでは見かけない人だなと思って、すぐにちょっと変だな、と思った。
最近、このあたりにおじいさんが引っ越してきたみたいな話は聞かない。
「そこのお二人さん、ちょっといいかい」
おじいさんが話しかけてくるのを、古海くんはガン無視した。私は驚いたけど、何か、ひどいものでも見たのかと思うほど古海くんの顔色が悪くて、おじいさんよりも古海くんのほうが心配になる。
「古海くん、大丈夫? 確かに知らない人とは話しちゃダメだけど、でも……」
「あの人がここにいるわけない」
妙にはっきりした声で、彼が言う。
「僕はあの人が死んでるのをこの目で見た。二年前だ。生きてるわけないんだ」
「え……」
一瞬、何を言われたのかよく分からなかった。
死んでる?
私はお葬式に出たことがない。もっと言うなら、お父さんとお母さん以外の親戚に会ったことがない。
人が死ぬということは、私にとって現実から最も遠いことだった。
古海くんは冗談を言えるような人じゃない。でも、さっきのおじいさんは普通に立っていたし、話しかけてきたのに。
私は信じられなくて、逆方向に向かう古海くんに手を引かれながら、顔だけで後ろを振り返った。
「え」
おじいさんは、笑っていた。
その口から、ありえないものがのぞいている。
私は最初、みみずか何かかと思った。何か細くてうねうねと動いているものが、何本も口から出ている。
「っ……!」
咄嗟に吐き気をこらえた私の前で、おじいさんはがぱりと口を開けた。
「仕方ないですね。神というものは」
さっきまでの、穏やかな老人の声じゃない。機械的な、感情なんてまるでないみたいな声だ。
そして、そこから爆発したみたいに、大量のミミズみたいな触手が飛び出してきた。
「古海くん!」
私が叫んだ瞬間、古海くんは躊躇のない動きでぐるんっと振り返る。ほぼ反射みたいな動作だった。私を押しのけるようにして前に立ち、一直線に伸びてきた触手の群れを、片手でがしっと掴む。
瞬間、古海くんの膝からがくんと力が抜けた。
「っ!?」
「古海くん!」
電流が流れたみたいな動きだった。前に、静電気が流れるボールペンのおもちゃを見たことがある。あれを使ったクラスメイトも、似たような動きをしていた。あのときの動きを何倍も激しくしたような痙攣とともに、古海くんが崩れ落ちる。
私は慌てて彼の肩をゆさぶった。
「古海くん、古海くん大丈夫!?」
「ダメだ、神崎さん……!」
言って、彼は触手を振り払う。脂汗が額ににじんでいる。
「あれ、触ったらダメだ……! 逃げて!」
「え!? こ、古海くん置いて!? 無理だよ!」
「神崎さんがあれ触ったら死ぬよ!」
「私が触ったら死ぬの!?」
ぎょっとしながら触手を見る。おじいさんは首をかしげながら、うねうねと動くそれを操っていた。白っぽくて不透明な触手がびくびくと揺れて、地面に力なく垂れている。申し訳ないけど本当に気持ち悪い!
「さっき、ちょっとだけど傷をつけておいた……! あれは神経の塊みたいなものだから、外部からの攻撃には弱いはず……!」
見れば、いつの間にか古海くんの手にはカッターナイフが握られていた。地面に落ちた触手にもいくつかの傷がついていて、透明な液体がだらだらとこぼれていた。やばい、本当に気持ち悪い。あれ何の液!?
「神崎さん、逃げて……! あれに捕まったら、まずい!」
「そ、そんなこと言ったって……!」
古海くんはなんでか分からないけれど、上手く動けないみたいだった。あの触手が何かしたのかもしれない。
逃げるということは、古海くんを置いていくということだ。そんなことできるわけない!
「お嬢さん」
びくっと肩が揺れた。おじいさんは触手を動かしながら、気持ち悪いくらいにっこりと笑っている。ぞわぞわぞわ、と腕に鳥肌が立った。
「人をね、探しているんだ。教えてくれるなら、見逃してもいい」
「ひ、人……?」
「そう。髪の色は茶色。そこまで長くないが、縛れるくらいには長い。頭のてっぺん近くで結っていることも多い。女だ。歳は今年で三十六。旦那はいたはずだが死んでいる。君たちと同じくらいの娘が一人いる」
すらすら語られる特徴に面食らいながら、私は必死で記憶をさらった。茶髪で、少し髪が長くて、三十六歳の女の人で……子供がいて……
そこまで考えて、私はさあっと血の気が引くのを感じた。
おじいさんは気づかず喋っている。
「名前はいくらだって変えられるから意味がないね。ああそうそう、誕生日がもうすぐだ。一週間後の、十月二十日」
私は必死で悲鳴を飲み込む。呼吸が上手くできない。
「知ってるかい、お嬢さん?」
知っているも何もない。
それは私のお母さんだ。
意味がわからなかった。こんな、触手が口から生えているような意味のわからない人が、私のお母さんを探している?
絶対に穏やかな訪問じゃないことくらいは分かりきっていた。だって、古海くんはまだ痙攣している。あの触手のせいだ。それなのに、おじいさんはにこにこして、ぞろりと触手が生えた口で、私にお母さんのことを聞いているのだ。
絶対にまともな人じゃない。触手が生えている時点でまともなわけはないけど!
「神崎さん」
少しだけ痙攣の収まった手で、古海くんが私の手を握った。
「走って。君が捕まったらダメだ」
私は泣きそうになった。そんなこと言ったって。そんなこと言ったって!
どうしよう。どうしたらいい? 古海くんは動けない。お母さんが狙われてる。私は子供で、足も早くなくて、力もない。ちょっと幽霊が見えて、幽霊に好かれるだけだ。ここから古海くんを連れ出して逃げて、あのおじいさんに捕まらないように家に帰って、お母さんにどこかに隠れるように言う? そんなことできる?
今も、周りに幽霊がいる気配がする。でも、あれらが私を助けてくれたことはない。私に寄ってくるくせに、私の命令を聞くわけじゃないのだ。ただ、私を美味しいごちそうか何かにしか思ってないから。
惨めだった。私はいつも誰かに助けてもらうばかりで、自分が何かできたことなんか一度もない。
答えない私に首をかしげて、おじいさんは頷いた。
「ふむ、まあいい。なら体に直接聞こう」
「っ! 神崎さん、避けて!」
古海くんが叫ぶ。触手が鞭のようにしなって、私たち目がけて飛んでくる。
でも、私は逃げられなかった。
無理だよ、動けない古海くんがここにいるのに。
私は古海くんに覆いかぶさるように抱きついた。こんなこと、なんの意味もないってわかってたけど。
わかってたけど、ここで逃げたら、古海くんの中に、逃げた私が一生住み着くと思った。
嫌だった。好きな人を見捨てて逃げるのは。
逃げた私を見られるのは。
「神崎さん!」
悲鳴のような古海くんの声が聞こえた瞬間、私は強く古海くんを抱きしめた。




