第14話 それはきっと恐怖だった
こんなこと思っちゃいけないって分かってるけど、すごく、あんまりにも綺麗な泣き方をしてるから、私は案外冷静になって、せっせと古海くんの涙をぬぐった。
「ごめんね、そうだよね、怖かったよね」
「……うん」
「古海くんが助けてくれたとき、怒ってくれてるのかなって思ったけど、本当は、怖かったんだね」
「そう……そう、だよ」
ぼろぼろ泣いているのは、今度は古海くんのほうだった。ゆっくりと手が伸びてきて、私を痛いくらいに抱きしめる。
「怖かった。幽霊は睨んでいれば基本は動かないし、殴ればいなくなるけど、人は……」
「うん」
「人は、殴ってもいなくならないし、幽霊がするよりも、もっとひどいことができる……」
「うん、そうだね……」
そうだね、私たち、幽霊が何をしてくるのかを知っているから。幽霊がどんな生き物で、どんなに怖くて、どう対処すればいいかを知ってしまっているから。
だから、人間はそれよりひどいことができるっていうのも、自然と分かってしまうんだよね。
「怖かった。怖かったんだよ、神崎さん……」
「うん、ごめんね、ありがとう……」
古海くんは幽霊を壁に叩きつけてしまえるくらい力が強いけど、私の手を握るときに力加減を間違えたりしない。なのに、今は私を抱きしめる力がすごく強い。本当に、心配させちゃったんだ。
ごめんね、とありがとう、の気持ちをこめて、私はその背をゆっくりと撫でた。
するとそのとき、しげしげこちらを見下ろす響さんと、ばっちり目が合った。
すうっと背筋が寒くなる。
や、やばい。古海くんのお父さんの前で、古海くんをめちゃくちゃに泣かせてしまった!
これは怒られるのでは!? と身構えた私の前で、響さんが口を開く。
「琥珀くん、君は本当にすごいな」
「え?」
「蓮を学校に通わせたのはやはり正解だった。ここまで蓮を理解してくれている子がいるとは……不特定多数との交流による感情理解を望んではいたが、ここまでスムーズに行くとは思っていなかったな……」
なんだか変なことをぶつぶつと呟いている。な、何?
「琥珀くん、今後とも蓮をよろしく頼む。その調子で、この子に己の感情というものを教えてやってくれ」
「へ……? あ、はい……?」
なんか、ゆかりちゃんが言ってたのと同じようなことを頼まれてしまった。
「響さん、余計なこと言わないで」
ゆっくり頭をもたげた古海くんが、ちょっと私から離れる。鼻をずずっとすすりながら、上着を脱いで私に着せた。
「神崎さん、これ着ておいて。服破けてるから……」
「あ、ありがとう」
「あと響さんは本当に余計なこと言わないで。そういうのいいから」
「何がだ。感情の制御をするには、感情を学ぶのが一番いいだろう」
古海くんはぴたりと動きを止めて、あからさまにじとーっとした目になった。私は「感情の制御」という言葉に首を傾げる。私から見れば、古海くんはたまに変なことを言い出すだけで、クラスの男子よりよっぽど冷静なのに。
「響さん、本当にデリカシーがないよね。ニコ姉に言いつけるよ」
「は? 待て、やめてくれ。よく分からないが俺が悪かった。ニコくんに冷めた目で見られるのは本当に堪える」
「だから言いつけるよって言ってるんだよ」
なんだかよく分からなかったけれど、やっぱり古海くんって、響さんには遠慮がない。私の肩を抱いて背中をさすってくれているとは思えない冷たい発言がじゃんじゃか出てくる。
「とりあえず、警察には連絡を入れておいたからそろそろ来るだろう。そこのうずくまっている男も縛っておいたほうがいいか……?」
「そいつ、神崎さんの首絞めたやつだよ」
「よし、厳重に縛っておこう」
どこから取り出したのか、響さんの手には頑丈そうなロープが握られていて、あっという間に男たちを縛ってしまった。
それと同時に警察のサイレンが聞こえて、私はようやく大きな息をつく。
「良かった」
隣で、古海くんが呟いた。私たちは自然と、互いの肩にもたれかかるようにして、その場に座り込んでいた。
「良かった、神崎さんが無事で……」
「うん、ありがとう……古海くんも、怪我なくて良かった……」
「うん」
ぎゅっと手を握りあう。温かかった。知っている温度が心地よくて、私たちはそれからしばらく、ずっと手を握っていた。
その後、すぐに警察の人がやってきて、響さんと少し話をしてから縛られてる男の人たちを連れていった。
私はというと、急いでここまで来たらしいお母さんにほぼ半泣きでもみくちゃにされ、古海くんもすさまじい勢いでお母さんにお礼を言われてびっくりしていた。お母さんは響さんにもめちゃくちゃに頭を下げていて、ずっと泣いていた。いつも元気で溌剌としているのに、なんだか、知らない人みたいだった。
「神崎さんが言ってた通り、いいお母さんだね」
大人たちががやがやと話をしているなかで、古海くんがぽつんと言った。
「神崎さんのことが大好きだから、心配だったから、あんなに泣いてるんだよ。僕と一緒だ」
「そ……」
私はパッとお母さんを見る。女の警察官の人になぐさめられて、ようやく落ち着いたのか、これまでの事情を話している。その背中が、まだ震えていた。
「そっか……」
そうかもしれない。お母さんはいつも私が一人で出かけることを渋るし、なんなら時々、怒ったように強く言うこともあって、私は正直、ちょっと窮屈に思っていたりする。でも、私がひどい目に遭ったとき、お母さんはあんなふうに泣くのだ。
私のことが好きだから。それが分からないほど、私も馬鹿じゃない。
「そっか、さっきの古海くんと同じ……ん?」
私は思わず古海くんを見た。
あれ? 待って、おかしい。ちょっと待って。
「どうしたの、神崎さん」
「さっきの古海くんと同じで、お母さんは、私のことが好き……?」
「うん、そうだよ?」
「そ……」
それって、古海くんも、私を好きということになってしまうのでは?
ブリキみたいに動かなくなってしまった私に、古海くんは首をかしげた。
「神崎さん、どうしたの。どこか痛いところある? あ、首やっぱり痛い? だいぶ痣になっちゃってるから、手当てしたほうがいいかもね」
「あ、ありがとう、大丈夫……」
嘘だった。全然大丈夫じゃないし、痣に関しても正直それどころじゃない。
古海くんが、私のことを好き……!?
急に心臓がばくばくと鳴り出す。頭の中で天地がひっくり返ったんじゃないかと思った。それくらいびっくりしていた。
だって、古海くんと恋愛って、一番結びつかなさそうな要素だ。本当にこれは悪口じゃなくて、古海くんが誰かを好きになるところなんて想像もできなかったし、その相手が私だなんて、さらに思いもしなかったのだ。これまでに何度も手を繋いだし、怖くて抱きついたりもしたけど、でも、だからって……
ぐるぐると頭の中でこれまでの記憶がめぐる。分からない。恋とかしたことないし、古海くんが私に向けている感情が、本当に恋なのかも分からない。そうだよ、だって、好きだって言われたわけじゃないし。
でも、一番わけが分からないのは、そんな曖昧な情報だけで、こんなにも動揺している自分自身だった。
「神崎さん?」
「だ、大丈夫、大丈夫、大丈夫だから……」
「全然大丈夫じゃなさそうな顔色してるけど。真っ赤だよ、熱ある?」
古海くんがものすごく鈍感で助かった! 助かってるのか分からないけど!
でも、とにかく私は何も言えなくなってしまった。それから家に帰るまで嘘みたいに静かになっちゃった私に、古海くんはずっと話しかけてくれていたし、お母さんもすごく心配してくれた。なのに、私は本当にそれどころじゃなかった。誘拐されたことも首を絞められたことも頭から吹っ飛んでいた。
どうしよう。
古海くんが私を好きだったとして、私はどうしたらいいんだろう?




