第13話 彼はその声に応えた
刹那ののちに光は消えて、何かが倒れる音がする。
首からも手が離れて、私は大きく咳き込んだ。
「っ、げほっげほ、ぐっ、ごほっ……!」
痛みと苦しさに耐えて、必死に息を吸った。ぼろぼろと涙がこぼれた。
「神崎さん!」
いつもより硬い声がして、私の背が慌てたように撫でられる。
温かい手だ。
古海くんの手だった。
「待ってて、今外すから」
言って、古海くんが手早く私の縄をほどいてくれる。手も足もあっという間に自由になって、私は思わず目の前の古海くんにしがみついた。
「こ、こわ、怖かった、怖かったぁ! 古海くん!」
「か、神崎さん。息、ちゃんと吐いて。むせちゃうから……」
「うう……ゔゔゔ〜〜!」
そんなこと言われても無理だった。もう怖くて怖くて怖かったんだから、息とか考えてる余裕なんてない!
駄々っ子みたいにしがみついてただ泣いた。分かってる、子供みたいだって。でも、でもすごく怖かったんだよ。
すごく怖かったんだよ、古海くん。
「くそっ……何が……!」
はっとした。工場の中はまだ暗いままだけど、たびたび雷がびかびか光っていて、断続的にその場の景色が見えた。
古海くんが飛び蹴りをした男が、ふらふらしながら立ち上がっている。
古海くんは、座り込んだ私を抱き抱えるようにして、その男の人を睨みつける。けど、すぐに怪訝そうな顔をした。
そして、小声で私に聞いてきた。
「ねえ、あの人……もしかして、すごい取り憑かれてる?」
「す、すごいどころじゃ、げほっ……ないけど、そう。でもあれは、正確には呪われてる、んだと、思う……」
私は小声でぼそぼそと喋る。
女の人たちはみんなまだしがみついている。その中でもさっき私に話しかけてきた人は、目をカッと見開いて、爪を首筋にギリギリと食い込ませていた。すごい、めちゃくちゃブチ切れてる。死んだばかりっていうのもあるだろうけど、生きているときも、すごくいい人だったんだろう。
あの女の人は、子供がいるって言ってた。もしかしたら、私と同じくらいの子なのかもしれない。幽霊が、自分の家族と同じ年代の人を贔屓することはたまにあって、私も何度か見逃されたり助けられたりした。
「そう。じゃあ、大丈夫だね。あの人、多分もう僕らのこと見えてないし。遠からず、呪いで動けなくなるだろうね」
「だ、大丈夫じゃないよ古海くん、あのね、ここにいるの、あの人だけじゃなくて……」
「おいおいおい、お前ガキも捕まえとけねえのかよ!」
雷が、もう一人の男の人の姿を映し出した。からからと何かを引きずっている音がする。多分、鉄パイプか何か……ここの工場にあった機材の一部かもしれない。
「あーもうめんどくせえなあ……! ただでさえ攫うはずだった女殺しちまって、あの人になんて報告したらいいのかも分かんねえのに……!」
古海くんが、私をぎゅっと抱き寄せて、小声で呟く。
「神崎さん、静かにしてて」
「でっ、でも、あの人、武器……」
「大丈夫」
「大丈夫って……!」
絶対に大丈夫じゃない。たぶん、私はあの女の人の死体を見たと思われているのだ。死体を見られた犯人がすることなんか、ひとつしかない。
「大丈夫」
でも、古海くんは何も怖くなさそうな顔で、そう言うのだ。
「あ? なんかガキ増えてねえ? うわ……くそめんどくせえ……もう殺してからあの人に相談して、どっかに埋めちまったほうがいいんじゃねえのかなあ」
から、から、と、何かが床に擦れるような音がする。男の人が近づいてくる。
呪われてるほうの男の人は、ぶつぶつ言いながら耳を塞いでうずくまってしまっていた。そちらをちらりと見て、軽く舌打ちをする。
「チッ、ガキ一人大人しくさせられねえグズが……めんどくせえ、とりあえず気絶でもさせときゃいいだろ……まあ死んでもなんとかなるし……」
ぞっとした。逃げなきゃ。早く、どこかへ。
でも、古海くんが離してくれない。なんで? こんなところにうずくまっていたってダメなのに。
そうやってもぞもぞしている間に、すぐ近くまで男の人がやってきていた。やっぱり鉄パイプを引きずっている。庇うように、古海くんが私を抱え込んだ。
「動くなよ〜お前ら。変なとこ当たったら死んじまうからなあ」
男の人はにやにやしている。なんで笑っていられるのか分からない。人を殺したのに。これから、人を殺そうっていうのに。
私がぎゅっと古海くんの手を握ったときだった。
「今だ」
「えっ?」
「響さん! そこから十メートルと一歩先、二時の方向!」
びかり、とその場が雷に照らし出されて、瞬間、視界の中で黒い影が動いた。
「は? 何っ……がっ!?」
だ、だ、だ、だん! と地を駆ける音が響いた瞬間、鉄パイプを振り上げた姿勢で立っていた男の体が、綺麗に「く」の字に曲がったのを見た。
横から低い姿勢で走り込んできた響さんが、綺麗な回し蹴りを決めていた。
「俺の息子に、触るな」
低い声で響さんが言った直後、ものすごい音がした。蹴っ飛ばされた男が、そのまま壊れた機材の山に突っ込んだのだ。
ぱかっと私の口が開く。い、今の、何!?
凄かった。片足だけでその場に立って、すごく綺麗に真横に足が伸びて。すごい。古海くんもそうだったけど、何か武術でもやってるのかなと思うくらい、姿勢が綺麗だったのだ。
「無事か、蓮。琥珀くん」
「僕は大丈夫」
「は、はい! 無事です!」
「琥珀くん、服がすごいことに……それは決して無事では……いや、これは後でいいな。怪我はないか」
「え、た、多分?」
「具合が悪いところは? ここに連れてこられるときに何かされたか」
「何か……」
どうしよう。されたことが多すぎる。ていうか、怪我ないって言っちゃったけど、首絞められたんだった、さっき。
私がもごもごしていると、古海くんがすらすらと答えた。
「神崎さんは手足を縛られてたから、そこがアザになってるかも。あと、僕が駆けつけたときに首を絞められてたから、首にもアザがついてる可能性があるのと、脳が大丈夫かどうか、一度検査してもらったほうがいいと思う」
「ヤバいじゃないか」
「うん、ヤバいよ」
古海くんたちが真顔で「ヤバい」って言ってるの、ちょっと面白いかも……
なんとか笑わないように気をつけていると、響さんが不意にこちらを向いて、感心したように頷いた。
「君はすごいな、琥珀くん」
「え?」
「急に男二人に攫われて、何も分からなかっただろうに、パニックになって自分の身を危険にさらしたりしなかった。しかもきちんと生き残っただろう。君はすごい」
そんなことを言われると思ってなくて、何も言えなくなってしまった。
そんなことない。すごく怖かったし、全然ぼろぼろに泣いていた。喚かなかったんじゃなくて、叫ぶこともできなかっただけだ。危険な目に遭ったときに一歩も動けない人間なだけだ。
でも、古海くんがすぐに頷いてしまう。
「そうだよ。それに、神崎さんはちゃんと助けてって言ってくれたからね。二回も。攫われたときと、首を絞められてたとき」
「えっ……あ、もしかしてあそこにいた幽霊さんから聞いたの?」
「ううん、直接聞こえてた。だから追いかけようとしたんだけど……流石に車は無理だった。ごめん」
ごめん、だなんて。
謝ってもらう必要なんかない。むしろ、私が助けてって言えたのは。
言えたのは、古海くんの。
「助けてって言ってくれてありがとう、神崎さん」
「っ……」
私は息を呑んだ。目の奥が、じわじわと熱くなって、鼻の奥がじくじくと傷んで。
一応、我慢しようとして、頑張ったのだ。でも無理で、結局はまた、ぼろぼろと泣いた。止めたかったけど止められなかった。握ってもらった手が震えていた。
「こ、こっちのセリフだよぉ……! 助けてくれてありがとうぅ……!」
がばっと抱きついて、古海くんの肩におでこをくっつけて、わんわん泣いた。
「えっ、わ、あの、神崎さん……」
「うあああん! ごめんねぇ! 勝手にいなくなっちゃってごめんねぇ!」
「なか、泣かないで、神崎さ、ああ待って目こすらないで……」
「守ってくれてありがとう……怖い思い、させて、ごめんね……!」
私の涙をぬぐってくれていた古海くんの手が、ぴたりと止まった。
「うん、怖かった」
ふっと顔を上げると、見たことないくらい真剣な顔をしている古海くんと目が合った。
「神崎さんが死ぬんじゃないかと思って、すごく怖かった」
私の手をぎゅっと握る、古海くんの温かな手が、かすかに震えている。
「古海く……」
「怖かった。神崎さんが車に引きずり込まれたのが見えて、叫んでるのが聞こえて、僕を……僕を、呼んでるのが、聞こえて、でも、僕の足じゃ追いつかなくて」
「……」
「怖かった。ずっと怖かった。首絞められてる神崎さん見て、心臓のあたりが、握られたみたいに痛くなって、それで」
「古海くん、あの」
「あと、何秒か遅かったら、もしかしたら、神崎さんが、」
「古海くん」
大きな声で、どうにかさえぎる。古海くんがこっちを見た。私は手を伸ばした。
「泣かないで、古海くん」
古海くんの頬に手を当てる。彼の頬は、いくつもの涙の筋で濡れていた。真剣な顔のまま、はらはらと涙を零している。




