第11話 古海響は受け入れている
「クソっ、おいこの車スモークガラスなんじゃねえのかよ! ガキに見られてんじゃねえか!」
「知らねえよ! つーか本当にこいつ見てたのか!?」
真っ暗闇の中で、二人の男の人の声がする。私はぐったりしたまま、その声に耳を傾けていた。さっきから、濡れたハンカチみたいなものを口に押し当てられていて、それがひどい匂いなのだ。
「そいつ、助手席の窓見て真っ青になってたんだよ! ここに死体があることに気づいてた!」
死体……?
咄嗟に「どういうこと?」と思った。私は何も見てないはずなのに。いや、女の人の幽霊は見たけど、死体なんて……
そのときふと、ため息を吐くような音がした。真っ暗闇だった視界が少しだけ晴れる。するすると音がして、髪の毛が少しだけ動いて隙間を作っていた。
今、私は後部座席に引きずり込まれて、ちょうどあお向けに倒れ込んだような姿勢になっている。つまり、ぎりぎり助手席が見えた。
だらりと垂れた、青白い手が見えた。
「っ……!」
悲鳴を出さなかったのは奇跡に近い。薄々分かってはいたけど、私って怖いと固まっちゃうタイプなんだと思う。そんなこと考えている場合じゃないのに。
車の助手席に、力なく座っている女の人が見える。顔がこちらを向いていなくて助かった。だって絶対に死んでいる。死体をまじまじと見たことがあるわけじゃないけど、分かる。だって、眠っているだけなら、あんな危なっかしい揺れ方はしない。いくら車に乗っていたって。
口を塞がれているからろくに呼吸ができないけれど、そうじゃなくても息を止めるしかなかった。でないと叫んじゃいそうだった。
「クソっ、簡単なバイトって話じゃなかったのかよ……! ミサキにガキなんかできなきゃ、こんなことになってねえっつーのに……!」
「お前はずっとうるせえな! 俺だってこんなことやらされると思ってなかったよ! 早くそいつ落とせ!」
「分かってるよ! さっきから嗅がせてる!」
もう何を言っているのか分からなかった。ハンカチが、さらに強く押し当てられる。
「っ!?」
はちみつを極限まで煮詰めて煮詰めて、それを一気に鼻に突っ込まれたような、強烈な刺激臭がした。甘いような酸っぱいような、ひどい匂いだ。
体が動かない。あの幽霊は古海くんを呼んでくれたかな。お母さん、心配してるかな……
すごく頭が痛かった。服の襟元を強く掴まれていて、首も絞まってる。痛くて、怖くて、寒くて、涙がこぼれた。
『……かわいそうな子……』
意識が途切れる直前、呆れたような声が聞こえた。冷や汗でびっしょりな私のおでこを、誰かがひんやりとした手で撫ぜる。
『……死んでしまうわよ……』
『そうね……私たちみたいに死んでしまう……』
『……かわいそうな子……』
頭の中にくわんくわん反響してくる。知らない声だ。でも、この感覚は知っているような気がした。
けど、もう限界だった。
私の意識が落ちていく。泥の中に沈んでいく。
こかいくん、と、最後にそれだけ呟いた。
◇◇◇
「……神崎さん?」
自分の背にしがみつきながら、息子が冷えた声で何かを呟いたのを、古海響は確かに聞いた。
「蓮、何か言ったか!? というかこっちで合ってるのか!? この先には家も何もないぞ!」
「合ってるよ。幽霊たちがずっとこの道を指さしてる」
「合ってるならいいが……!」
打ち付ける雨にさらされながら、凸凹の親子はバイクを爆走させていた。
神崎琥珀が攫われた場所から、十分はバイクを走らせている。随分と距離があるところまで来てしまったが、相変わらず蓮は、幽霊とやらの指示に従って道案内を続けていた。
彼の視線や態度からして、おそらく予想以上に幽霊がいると考えていい。蓮の反応からわかる程度だが、五百メートル圏内に常に一人以上は存在している。
蓮はあの路地で命令らしき言葉を発してから、再び命令をすることはなかった。つまり、あの一言で、このあたり一帯の幽霊とやらに命令を下していることになる。そもそも幽霊と話ができるというのもそうだが、人間業ではない。
だが、蓮ならやってのけるだろう、という確信が、響の中にはあった。
蓮が怒りを身にまとったとき、風も雨も雷も雪も、全てが彼に従属する。意味がわからないが実際そうなのだから仕方がない。風は彼の声をどこまでも届け、雷は彼が怒りを向けた先に落ちる。
そういうものなのだ。これは原理とかを考えても意味がないので、考えないことにしている。
響は学者だが、このあたりの超常現象には「まあそういうこともある」と片付けてしまえるだけの適当さがあった。実際に起きていることをとやかく言っても仕方がない。
考古学者として遺跡調査やら古物研究をしていると、どう考えても当時の時代に見合わないオーパーツやオーバーテクノロジーがたびたび出てくる。そのたびに原理解明なんぞしていたら脳みそが保たない。
考えても仕方のないことは考えず「そういうもの」として扱うことが、響は割と得意だった。
なんなら現時点で自分も蓮も生きているのだから、あのときよりはかなりマシである。怒りの出力調整が上手くなっていると考えて良い。上手くなっていなかったら死んでいるはずなので、実は下手だった可能性は考えない。無駄だからだ。
それもこれも、あの琥珀という少女のためかと考えると驚嘆に値する。彼に小学校へ通うことを許した判断は正しかった。娘と義息子には「まだ早いのでは」と反対されていたが、怒りをセーブするには怒りを学ぶ必要があるからと、社会に放り出したのは間違いではなかったのだろう。
「それにしても、琥珀くんはなぜ攫われたんだ!? 彼女の母親から聞いたところによると母子家庭らしいし、身代金も払えるか分からんだろうに……! 蓮たちがよく見ている幽霊とやらが関係しているのか!?」
雨の中で声を張り上げる。しかし、背中にぴったりと顔をつけた蓮が、ふるふると首を横に振るのを感じた。
「幽霊はこんな小賢しい真似しないよ。壁も何もかもすり抜けられるのに、わざわざナンバープレート外した車で攫う意味がない」
息子の声は案の定、叫んでもいないのによく通った。この雨を突き破ってすんなりと鼓膜に届く。
「神崎さんを誘拐したのは人間だよ。身代金要求とかがないなら、個人的な恨みか、あとは元々子供を狙っていたか……いや、だったらもうちょっと計画的にやりそうだな……なんかすごく雑な攫い方だったし……」
「なら、琥珀くんは何か良くないものを見た可能性があるな……!」
「見た?」
「奴らにとって見られてはいけないものを見たなら、咄嗟に攫うこともあるだろう! いわゆる口封じだ。この手の雑な犯罪をする奴らにはよくある!」
苦い顔になった。正直、そういう経験はしないに越したことはない。自分も似たような目に遭ったことがあるが、あまりに身勝手な理由で辟易したものだ。どこにだって愚かな輩はいる。
「……でも、もしかしたら……」
不意に、蓮がぽつりと言った。声が急に遠くなる。彼の声は風に乗ってどこまでも届くが、それは彼の意思に呼応してのことだ。聞かせる気がないのか、聞かせたくないのか、蓮はぽつぽつと取りこぼしそうな小さな声で言う。
「あの村が、関わってるかもしれない……」
「村?」
「星螺村。神崎さん、興味があるみたいだった。ただ気になるっていうんじゃなくて、何か、記憶のどこかに引っかかってるみたいな顔だった」
絶句した。ここであの村の名前が出てくるとは思わなかったのだ。
「まさか、あの村の出身……いや、そんなはずはない。あの村に子供はいなかった。お前以外は」
「そうだよ。神崎さんがいたなら僕が見てないはずがない。けど、僕……どこかで、神崎さんに会ったことがあるような気がするんだ」
響は心の中で頭を抱えた。あの村が関わっているなら、警戒レベルを引き上げなければいけない。なぜならあの村は、自分がフィールドワークに行った中でも三本の指に入るくらい醜悪な場所だからだ。
正直、物理的のみならず、この世に存在するあらゆるデータを抹消してでも消すべき村だと思っている。流石に、データから消すのは無理かもしれないが……
まあ、だが、そもそもあの村は既にほとんど人が住めない状態になっているはずだ。当時の異常性もほぼ消え去っているし、誰かが復興でもしようものならすぐに分かる……はずなのだが、絶対などないということを、響はよく知っている。
何せその証明とも言える存在が、己の息子だ。
「琥珀くんの母親に、星螺村を知っているか聞いておくべきだったな……」
先ほど電話で話した、錯乱状態の女性を思い出す。一人娘が誘拐されたのだから当たり前ではあるが、今にも家を飛び出しそうな勢いだったのをなんとか宥めたのだ。人を宥めるという行為が、自分は死ぬほど苦手だというのに。
「この嵐の中で無理やり外に出てこられたらそれこそ二次被害が出かねん……! 蓮、とにかく星螺村との関連性を考えるのは後だ、急ぐぞ、道を!」
「この先の信号を右!」
その指示でぴんと来た。この先には、ガラの悪い輩がよくたむろしている廃工場がある。
趣味の悪いところに子供を連れていくな! と脳内でキレ散らかしながら、バイクのハンドルを強く握りしめた。




