第1話 古海くんはちょっとおかしい
隣の席の古海くんは、ちょっと変わっている。
いや、かなり変わっている。
古海くん――古海蓮くんは、私と同い年の小学六年生だ。夏休みが明けて一週間経った後の、すごく中途半端な時期に転校してきた男の子。
彼を初めて見たとき、おそらくはクラス中の子がその目に釘付けになった。もちろん私も。
古海くんの左目は、透き通るような灰色をしていたのだ。右目は普通なので、最初は違和感がすごかった。古海くんの左目は濁っているとかではなく、灰色で、かつ透明だった。どういう仕組みか分からないが、生まれつきなのだという。
「古海蓮。十二歳。養父から学校に通っていいって許可をもらえたから、転校してきた……きました。よろしく」
帰国子女というわけでもないのに、古海くんは外国の言葉でも喋っているかのような口調でそう言った。
ようふ? と前の席のゆかりちゃんが首を傾げる。古海くんはちょっと不思議そうな顔をしてから、ああ、と頷いて言葉を重ねた。
「育ての親のことだよ。僕は実の親がいないから」
クラスの中がかすかに震えた。私も目を見開く。事情があっておばあちゃんの家で暮らしていたり、親が離婚してしまった子は知っているけど、実の両親がいない子は初めて見た。
けれど、古海くんはまるで気にした様子がない。ごくごく当たり前のことをただ言った、みたいな顔をしていた。慌てているのはみんなと先生だけで、私はなんだか拍子抜けしてしまう。
担任の由美先生が焦ったように手を鳴らして、私の席の隣を示す。
「古海くん、あそこが君の席だから。ほら、琥珀ちゃんの隣。座ってね」
「はい」
古海くんは素直に頷いて、すたすたと歩いてきた。クラス中の子たちがその姿を目で追っているのに、まるで気にしていない。心が鋼なのかもしれない。
「よろしく」
「よ、よろしく」
一声かけて席に着くかと思いきや、彼は何故か私の席の前で立ち止まると、じぃ……っと私を見下ろした。なんでかよくわからなくて、思わず私も見つめ返す。
よく見ると、古海くんはすごく整った顔立ちをしていた。不思議な目は切れ長で少しつり上がっていて、ちょっと怖いようにも見えるけど、パーツのバランスが抜群にいい、と思う。おまけに顔が小さくて、顎のラインがしゅっとしている。雪みたいな真っ白な肌の中で、唇だけが血のように赤い。
「……君、目がいいんだね」
ぽつんと彼が言った。私は思わず「へ?」と言う。初対面で十数秒見つめてきた感想がそれ?
「たまに休めたほうがいいよ。じゃないと見えすぎるから」
不思議なアドバイスをして、古海くんは席に着いた。なんだかよく分からない。確かに私は目がいいから、よく後ろの席にされるけど。
第一印象がそれだったから、私の中で、古海くんはちょっと変な人のカテゴリにしばらく入っていた。
◇◇◇
古海くんを「ちょっと変な人」から「本当にかなり変な人」に格上げしたのは、ちょうど彼が転校してきて、半月くらい経った頃のことだった。
転校生が人気なのは最初だけみたいで、クラスのみんなが彼へ質問責めをする日々は二、三日で終わっていた。これに関しては、古海くんの話し方がかなり独特なのもあると思う。
「ねえ、古海くんって、どっから転校してきたの?」
「うーん、北のほうかな」
「え、北ってどこ? 東北?」
「多分」
「多分って何……?」
「ねえ体育好き? どのスポーツ得意?」
「……? 分からない」
「えー、なんかあるじゃん! 野球得意とか、サッカー得意とかさ」
「……走れるよ」
「いやそれは流石に分かるって!」
「ねえねえ、育ての親ってどんな感じ? 仲良い?」
「古海さん? 古海さんはなんか……頑丈な人だよ」
「え、親のこと名字呼びなの?」
「うん。父さんって呼んだらやめなさいって言われるから」
「えそれヤバい人じゃない? ていうか頑丈って何?」
「古海さんは普通だよ。全身傷だらけだけど元気だし」
「ヤバい人じゃん」
一事が万事こんな感じだ。いや、話し方が変ってわけじゃないんだけど、なんかとにかく「噛み合ってない」って思う。隣の席だから全部聞こえてるし。
ていうか、お父さん傷だらけなの? どういうこと?
古海くんにめちゃくちゃ話しかけていたゆかりちゃんが「ダメだこりゃ」という顔をして私を見てきたときもある。
「ねえ琥珀、古海くんていつもこんな感じなの?」
「うーん、そうだね……いつも通りかな……」
つまり、いつもちょっと変だ。
古海くんも「何を当然のことを?」という顔をしていた。全然当然じゃないよ、古海くん……と私は思う。絶対に少し変わってるのに、本人には自覚がない。
でも、多分悪い子じゃないと思う。転校したてで教科書がないからって私が見せたときは、いつもページをめくってくれるし、たまに先生に当てられて私が焦ったときも、静かに答えを教えてくれたりする。
本当に、良い人ではあるんだけど、なんか、やっぱり変な人なのだ。
「お前さあ、それ、見えてんの?」
古海くんが転校してきてちょうど半月後の、ぎょうかん休みのときだった。クラスの中でもよく騒いでいるグループにいる彰人くんが、にやにやしながら古海くんの目を指さした。
「それさあ、カラコン? ダメじゃん、学校にそういうの持ってきたらさあ」
ああ、また始まった。嫌だなあと思って、気づかれない程度に首をすくめる。
彰人くんはこういうところがある。からかうことを普通のコミュニケーションだと思ってて、私は正直ちょっと苦手だ。
けれど、古海くんはきょとんとして首を傾げた。
「生まれつきこういう色だって、最初に説明したと思うけど」
「はあ? そんなんいくらだって嘘つけるじゃん。そんな目したやつ見たことねえし」
古海くんはちょっと黙って、顎に曲げた人差し指を当てる。少し考えこむようなしぐさだ。
それを見た彰人くんは「勝った」みたいな顔をして、古海くんに近づいていく。嫌だなあ、と私はまた思った。何と戦ってるつもりなんだろう。
「なんだよ、やっぱ図星だから何も言えねえわけ?」
「いや、多分無理だなと思って」
「は? 何が?」
「分かってもらうのが。だって君、僕の話を聞く気がないよね?」
びっくりするくらいまっすぐな目で、彼は彰人くんを見た。
「カラコンしてるかって聞いたけど、別に僕がカラコンしてるかどうかはどうでもいいんだよね? カラコンしてるってことにしたかったんだよね? じゃあ、僕が何言っても無駄だよね。君が『そういうことにしたい』と思ってるわけだから」
「は……」
「だから、僕はこの会話、あんまり意味ないと思うよ。そういうことにしたいなら、僕と話す必要はないわけだし、君も僕の話を聞く気がないでしょ? 時間がもったいないと思う」
古海くんはそう言って、眠そうに頬杖をついて、目を閉じた。彼は休み時間はよく寝ているから、それ自体は普通なんだけど……
私は彰人くんの様子を伺った。
彼は一瞬何を言われたのか分からない、みたいな表情をして、でもじわじわと顔を真っ赤にした。ああやっぱり、と思う。その時点で私は、古海くんのことを「かなり変な人」にカテゴライズした。
だって古海くんには、彰人くんのことを煽った自覚が、多分これっぽっちもないのだ。馬鹿にするとかじゃなくて、本当にシンプルに「時間がもったいないからやめようね」って言いたかっただけなんじゃないかなと思う。一緒に過ごした時間は長くないけど、隣の席だから、他の人より古海くんのことは分かる。
彰人くんの唇がわなわなと震えて、まなじりがきっと吊り上がる。ああ、どうしよう、まずい。
古海くんの言ってることは多分、全部正しい。でも、正しいことがイコールで「良いこと」にはならないんだって、私はよく知ってる。
「お前、ふざけんなよ!!」
いきなり彰人くんが怒鳴って、古海くんに向かって大きく右の拳を振り上げた。周りの子たちが悲鳴をあげて、私もぎょっとして「古海くん!」と思わず叫んでいた。
でもその瞬間、古海くんがぐるんっと首を回して彰人くんを見た。驚いて目を咄嗟につむるどころか、かっと見開いて、ばねみたいに片手をはね上げる。
振り下ろされた拳のほうを見もしなかった。ばぢん! という音を立てて、手のひらで彰人くんの拳を受け止める。
空気がしんっと静まり返る。私は咄嗟に息すら止めていた。
彰人くんは信じられない、みたいな目で古海くんと自分の拳を交互に見ていた。私もそう思う。止めたこと自体じゃなくて、止めた瞬間、古海くんはまばたきすらしなかったのだ。普通、殴られるってなったら怖くて飛び上がっちゃったりしない? ましてや、目の前で拳を止めたのに、まぶたの一つも動かないなんてこと、ある?
誰も何も言えないでいる間、彼はずっと彰人くんを見ていた。見開いた目の奥で、らんらんとした光が輝いている。
その薄い唇が開かれた。
「何?」
一言、それだけを言う。やめてよ、でも、痛いよ、でもない。
古海くんの瞳孔が開いている。彼はゆっくりと彰人くんの手をどけて、ゆっくりと身を乗り出して尋ねた。
「何、って、聞いてるんだけど」
「……っ、あ」
私は頭を抱えた。彰人くんが完全に怯えている。
「こ、古海くん、古海くん」
咄嗟に声をかけたら、古海くんはふっと目元から力を抜いて、私を見た。
「なあに、神崎さん」
あ、私の名字、覚えててくれたんだ……じゃなくて。
「古海くん、その、ちょっと怖いかも」
「こわ……?」
「うん。あのね、目を見開いてると、ちょっと怖いなって思う。怒ってるのは分かるけど……」
古海くんは、いつも何考えてるかよくわからなくて、たまにちょっと怖い。けど、多分、ちゃんと説明したら分かってくれる人だ。
すると、古海くんは目をぱちぱちっと瞬かせた。そのときにはもう、普段通りの目に戻っていた。
「……そっか、ごめん、気づかなくて。怒ってないよ、大丈夫」
私はぶんぶんと首を横に振った。
「ううん! 元はと言えば彰人くんが喧嘩ふっかけたのが悪いから!」
「はあ!?」
「だ、だってそうでしょ! 人のこと殴ろうとするほうが悪いに決まってるじゃん! あとその前に古海くんに言ってたことも、普通に失礼だよ。人の見た目をけなしたらダメだって習ったじゃん」
彰人くんはびっくりした顔で私を見ていた。
私はというと、もう心臓が痛いくらいに鳴っていた。だって、男の子にこんなふうに言い返したことなんかないし。
でも、古海くんだけ悪者になるのは、ちょっと違うんじゃない? って思ったのだ。
「あ、彰人くんが、悪いよ、絶対」
「はあ? お前さあ――」
そのとき、教室の扉が開く音がして、由美先生が入ってきた。
「ほらみんな〜! 席着いて! 授業始めるよ!」
ちょうどそのとき、授業開始のチャイムも鳴った。彰人くんは舌打ちをして、ぱっと身を翻して自分の席に戻っていく。
私はそれを見届けてから、ハーーーッと息を吐いた。
「神崎さん」
ふと、古海くんが言った。
「ありがとう、怒ってくれて」
「え? あ、いや、全然……だってあれは彰人くんが悪いし……」
「うん、僕もそう思う。だから、今度からは僕がちゃんと怒るよ」
ちょっと驚いて目を見張る。咄嗟に、あれ以上怒るの? と思ってしまった。さっきのめちゃくちゃ怖かったけどな。
古海くんはやっぱり、だいぶ変な人だ。自分が彰人くんを煽ったことにも全然気づいていないみたいだし、あれで怒ってないっていうのは無理があると思うし、じゃあちゃんと怒ることができるのかっていうのも怪しいし。
でも、授業中に私の教科書を見てるときの古海くんは、やっぱりちゃんと優しい。すごく変な子だけど、良い子ではあるのだ。




