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第53話 ー 三日月の笑み


久しぶりの休日。


ここしばらくはずっとダンジョン漬けだった。


胸元の小袋が歩調に合わせてしゃらりと鳴る。

思わず口元がゆるむ。


(小金持ちだな。あのムカデ――アシッド・センティピード様々ってやつだ)


懐の“重み”は心の余裕に直結する。


今日はその余裕を抱えたまま、防具屋へ向かうつもりだった。


「あっ」


肩に乾いた衝撃。


小汚れた子どもが、水を裂く魚みたいに俺の脇をすり抜けていく。


人波のうねりに紛れ、振り返りもしない。


まあ、混んだ通りだ。ぶつかりもする――そう思って二歩、三歩。


……鳴らない。


さっきまで胸元で心地よく擦れていた金の音が、ふっと途切れていた。


皮紐に触れる指先が、軽さだけを掴む。


「……あれ?」


ない。


理解が追いつく前に、心臓が一拍跳ねる。


「ッ――クソガキがっ!」


怒鳴り声が喧騒に飲まれる。


視界の端で、小袋の影が一度だけ光り、群衆の波に沈んだ。


懐の“重み”は心の余裕に直結する。


重みが消えた瞬間、余裕も見事にさらわれた。



人波が押し返す。


屋台の幕が頬を打つ。


黒髪の小僧、骨ばった肩。


小袋は背に回し、手は死角――手慣れてる。


「どけ!」


人をかき分け、屋台を跳び越える。


濡れた石畳で滑りかけるが半歩で立て直す。


出店の看板が揺れた。


小僧は樽の隙間へ消える。


大人じゃ通れない幅。


なら、上だ。


木箱を踏み、屋根に手をかけて身を翻す。


下の泥に小さな足跡が続く。


今なら追いつけるぞ、絶対に逃さないっ!!


路地の出口で目が合う。


小僧が笑い、火打石を弾く。


撒いた粉が白煙を上げ、視界が消えた。


「チッ」


煙の縁を見て、風の抜ける方へ踏み込む。


小袋の紐が短く鳴った。


まだ近い、逃がさない。


白煙を抜けると、路地は急に静かになった。


「ここは……。」


壁に白い×印。


屋根の上で小さな指笛。――縄張りの合図。


小僧は布の垂れ幕をくぐり、裏庭のような小空間へ消えた。


樽、洗濯縄、酢と尿の匂い。


三方を建物で囲まれた袋小路。


待っていたのは“少し年長”の少年だった。


片耳の鉄輪、逆手の短刃。


指に俺の小袋を引っかけ、笑う。


「ここは子鼠ラットの路地。通行料は小袋ひとつ」


屋根に三人、影に二人。


皆、石投げ紐を持っている。


「通行料は払わない。さっさと俺の金を返せ。」


「ふっ、何を言うと思えば。」


「衛兵を呼ばれたら困るのはお前らだろ」


少年の笑みが浅くなる。指笛が一度止む。


「2択だ。俺の金を返すか、ボコられるか。」


「ふっ、言うね、あんさん」


半歩だけ詰める。


視線は小袋、足は退路を踏む。


屋根で石紐がわずかに鳴った――来る。


風を裂く石の群れ。


体を半歩ずらし、肩と腰で滑らせるように抜ける。


踏み込み一つ、地面が遠くなるほどの加速で少年へ。


逆手の短刃が上がるより早く、脇腹に平打ち。


折り畳まれた軽い体が、紙束みたいに転がった。


屋根と影に、怯えが走る。


踏み込む――その瞬間、懐に風が差し込んだ。


「ッ!?」


顎髭の中年が立っていた。


笑いが三日月に歪む。


風音もなく迫る拳。


顎を狙う芯のある一撃。


咄嗟に掌で挟み、受け止めずに流す。


拳を軸に一回転、距離を取る。


手のひらが痺れたーー重い。


「子どもいじめたらあかんやろ、兄ちゃん」


顎髭、長い髪。


人を小馬鹿にしたような笑み。


気配が軽くない。


油断のせい、では片づけられない間合いの詰め方だった。


「どないしたんや、顔こわなってるで」


「……俺の金を返せ」


男はわざとらしく肩をすくめ、懐から小袋を取り出した。


「おお、これのことやろ?」


月を投げるみたいに、それを空へ放る。


小袋が弧を描く。視線が一瞬、引かれた。




ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。

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