第53話 ー 三日月の笑み
久しぶりの休日。
ここしばらくはずっとダンジョン漬けだった。
胸元の小袋が歩調に合わせてしゃらりと鳴る。
思わず口元がゆるむ。
(小金持ちだな。あのムカデ――アシッド・センティピード様々ってやつだ)
懐の“重み”は心の余裕に直結する。
今日はその余裕を抱えたまま、防具屋へ向かうつもりだった。
「あっ」
肩に乾いた衝撃。
小汚れた子どもが、水を裂く魚みたいに俺の脇をすり抜けていく。
人波のうねりに紛れ、振り返りもしない。
まあ、混んだ通りだ。ぶつかりもする――そう思って二歩、三歩。
……鳴らない。
さっきまで胸元で心地よく擦れていた金の音が、ふっと途切れていた。
皮紐に触れる指先が、軽さだけを掴む。
「……あれ?」
ない。
理解が追いつく前に、心臓が一拍跳ねる。
「ッ――クソガキがっ!」
怒鳴り声が喧騒に飲まれる。
視界の端で、小袋の影が一度だけ光り、群衆の波に沈んだ。
懐の“重み”は心の余裕に直結する。
重みが消えた瞬間、余裕も見事にさらわれた。
◆
人波が押し返す。
屋台の幕が頬を打つ。
黒髪の小僧、骨ばった肩。
小袋は背に回し、手は死角――手慣れてる。
「どけ!」
人をかき分け、屋台を跳び越える。
濡れた石畳で滑りかけるが半歩で立て直す。
出店の看板が揺れた。
小僧は樽の隙間へ消える。
大人じゃ通れない幅。
なら、上だ。
木箱を踏み、屋根に手をかけて身を翻す。
下の泥に小さな足跡が続く。
今なら追いつけるぞ、絶対に逃さないっ!!
路地の出口で目が合う。
小僧が笑い、火打石を弾く。
撒いた粉が白煙を上げ、視界が消えた。
「チッ」
煙の縁を見て、風の抜ける方へ踏み込む。
小袋の紐が短く鳴った。
まだ近い、逃がさない。
白煙を抜けると、路地は急に静かになった。
「ここは……。」
壁に白い×印。
屋根の上で小さな指笛。――縄張りの合図。
小僧は布の垂れ幕をくぐり、裏庭のような小空間へ消えた。
樽、洗濯縄、酢と尿の匂い。
三方を建物で囲まれた袋小路。
待っていたのは“少し年長”の少年だった。
片耳の鉄輪、逆手の短刃。
指に俺の小袋を引っかけ、笑う。
「ここは子鼠の路地。通行料は小袋ひとつ」
屋根に三人、影に二人。
皆、石投げ紐を持っている。
「通行料は払わない。さっさと俺の金を返せ。」
「ふっ、何を言うと思えば。」
「衛兵を呼ばれたら困るのはお前らだろ」
少年の笑みが浅くなる。指笛が一度止む。
「2択だ。俺の金を返すか、ボコられるか。」
「ふっ、言うね、兄さん」
半歩だけ詰める。
視線は小袋、足は退路を踏む。
屋根で石紐がわずかに鳴った――来る。
風を裂く石の群れ。
体を半歩ずらし、肩と腰で滑らせるように抜ける。
踏み込み一つ、地面が遠くなるほどの加速で少年へ。
逆手の短刃が上がるより早く、脇腹に平打ち。
折り畳まれた軽い体が、紙束みたいに転がった。
屋根と影に、怯えが走る。
踏み込む――その瞬間、懐に風が差し込んだ。
「ッ!?」
顎髭の中年が立っていた。
笑いが三日月に歪む。
風音もなく迫る拳。
顎を狙う芯のある一撃。
咄嗟に掌で挟み、受け止めずに流す。
拳を軸に一回転、距離を取る。
手のひらが痺れたーー重い。
「子どもいじめたらあかんやろ、兄ちゃん」
顎髭、長い髪。
人を小馬鹿にしたような笑み。
気配が軽くない。
油断のせい、では片づけられない間合いの詰め方だった。
「どないしたんや、顔こわなってるで」
「……俺の金を返せ」
男はわざとらしく肩をすくめ、懐から小袋を取り出した。
「おお、これのことやろ?」
月を投げるみたいに、それを空へ放る。
小袋が弧を描く。視線が一瞬、引かれた。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。
毎日ガンガン更新していくつもりなので、評価とブックマークお願いします。
モチベーションに繋がります。




