第45話 ー 竜討伐の宣言
ーー《アルティ王国・王都レガリオ》
アルティ王国は、かつて「竜を討つ王家」として栄えた国である。
初代王が炎竜を斬り、その骨を玉座の下に埋めたという伝説が、いまもこの国の誇りだった。
だが、王家の血筋は長い年月の中で濁り、“王位を継ぐ者”を巡っての争いが続いていた。
病床の老王には、二人の息子がいた。
第一王子ーーレオネル・ヴァルガードは政治を得意とし、貴族派の支持を受ける。
第二王子――ルシアン・ヴァルガードは、軍と民衆の人気を狙う。
貴族の金と、民の信。
どちらが国を動かすのか。
その答えを決める舞台が、今日――ここに用意された。
◆
王都の中央広場には数千の民が集まっていた。
王家の旗が翻り、壇上に第二王子ルシアンの姿が現れる。
陽光を浴びた白金の鎧が、まるで神像のように輝いた。
群衆がどよめく。
「王子だ!」
「ルシアン殿下だ!」
歓声が波のように広がる。
ある男はその群れの中、腕を組んで見上げていた。
(……派手な見世物やなぁ。せやけど、こういうのに民はホンマ弱いわ。)
壇上では、ルシアンが静かに手を挙げた。
たったそれだけで、ざわめきが止む。
「――我は、アルティ王国第二王子、ルシアン・ヴァルガード。」
その声は澄んでいて、よく通る。
若き貴族らしい気品と、誇りを滲ませていた。
「この地に棲まう“竜”の報せ、すでに諸君も聞いていよう。
王国を脅かすその怪物を、放置してはならぬ。
祖王が竜を斬り、この国を建てたようにーー。
私は再びその名を取り戻す!」
群衆が沸いた。
旗が振られ、声が上がる。
「おおおーっ!!」
「殿下万歳!!」
ルシアンはその歓声を浴びながら、さらに言葉を重ねる。
「貴族は机の上で国を語る。だが、民を守るのは剣だ。
ゆえに私は剣を取る。
我が手で竜を討ち、この国に新たな秩序を示そう!」
その瞬間、群衆の熱気が爆ぜた。
人々は拳を掲げ、子供たちですら口々に「ルシアン!」と叫んだ。
冷めた目でそれを見ていた。
(……“竜を討って王になる”、か。わかりやすいけど、危ない橋渡っとるな。)
彼の視線の先で、ルシアンは剣を高く掲げる。
刃に太陽の光が反射し、眩い閃光が空を裂いた。
「竜の血を以て、王家の誇りを証明する!
これが、私の――王としての初陣だ!」
群衆は歓喜の渦に包まれた。
その裏で、ただ一人。
ある男だけがーー静かに笑っていた。
(“王としての初陣”ねぇ……。)
風が吹いた。
旗が鳴り、群衆の声が空を震わせる中ーー彼の銀瞳だけが、冷たく研ぎ澄まされていた。
◆
ーー《王都レガリオ・北宮殿》
第二王子ルシアンが「竜討伐」を宣言したその夜。
北宮殿の会議室では、別の灯がともっていた。
静寂の中、蝋燭の炎が揺れる。
壁には地図。
王国の交易路、領主の配置、貴族家の紋章がびっしりと貼られている。
その中央で、第一王子――レオネル・ヴァルガードが腕を組んでいた。
「……愚かだな、弟は。」
彼の声は低く、冷えた鉄のようだった。
目元には疲労よりも、計算の色が濃い。
「“竜を討つ王家の再来”か。見栄えはいい。民も酔うだろう。だが――」
隣に控える宰相代行・メレディンが頭を垂れる。
「歓声など、風が吹けば散る泡のようなものだ。」
レオネルはゆっくりと椅子に腰を下ろした。
長い指先が机の上の封書を弾く。
そこには「竜討伐遠征軍 結成許可状」と記されている。
「許可など出していない。……父上の署名は偽造だな。」
「陛下はすでに意識が朦朧としておられます。実質、ルシアン殿下の陣営が宮廷文官を抱き込み――」
「やらせておけ。」
レオネルは微笑んだ。
だが、その笑みには血の匂いがした。
「竜……A級の枠にすら収まりきらぬ魔物。
仮にいたとしても、“竜討伐”が成功するはずがない。」
「……お言葉ですが、もし万一、殿下が竜を討てば……」
「その時は、英雄として“死ぬ”だろう。」
部屋が静まり返った。
蝋燭の炎が小さく揺れ、静寂の中で時の音だけが響く。
メレディンが息を呑む。
「……まさか。」
レオネルはゆるく微笑んだ。
その眼差しには、もはや情ではなく計算しかなかった。
「熱狂は長く続かぬ。
民は明日の飯と銅貨の方が大事だ。
我々は“竜を討つ者”ではなく、“国を動かす者”であればいい。」
彼は机上の地図に指を滑らせた。
赤い印がいくつも刻まれている――それは資金源となる貴族家と商会の連結図だ。
「交易路、兵糧、聖印教会。
すでに半分は我が陣営の掌中にある。
残るは……軍だけだ。」
「軍はルシアン殿下の支持が厚いかと。」
「ならば、支持ごと“焼けば”いい。」
その言葉は、炎よりも冷たく落ちた。
「竜討伐軍は南方に位置する――《ルーベントダンジョン》へ向かう。
あの地の深層には、あの“中央ギルド《深淵探索局》”が討ち損ねた竜が眠っているという。
真か虚かは関係ない。……民は竜という伝説を信じるものだ。」
地図上の黒い印が、ルーベントの名の上に重なる。
「弟は少数の精鋭騎士に加え、“A級”パーティー《断世の剣》を率いるそうだ。
華やかな顔ぶれだな。だが、見栄えだけでは戦は終わらぬ。」
「……不幸な事故が起こると?」
レオネルは静かに頷いた。
メレディンは顔を強張らせた。
「……陛下のご存命中に、それを?」
「父上が崩御された瞬間、私は“秩序の継承者”となる。
混乱の中でこそ、秩序は生まれる。」
葡萄酒を注ぐ音が、やけに鮮やかに響いた。
杯を傾けると、赤い液が蝋燭の光を映して揺れる。
それは血のようにも見えた。
「竜は討たれず、弟は滅び、民は嘆く。
だが、その時、誰が“再建”を宣言する?」
メレディンは深く頭を垂れる。
「――レオネル・ヴァルガード殿下。」
レオネルは満足げに目を閉じた。
「それでいい。」
窓の外では、まだ歓声が響いていた。
“竜討伐”に酔う民の声。
王都の夜は熱を帯びている。
だが、この北宮殿の空気だけは、氷のように冷たかった。
レオネルは小さく呟く。
「弟よ。お前が竜を討たなければ愚者として消える。もし、万が一討つようなことがあれば……背後には気を付ける事だな。」
蝋燭の炎がぱち、と音を立てる。
その小さな火が、王国の未来を焼く火種になることを――まだ誰も知らなかった。




