第43話 ー カレンの忠誠
金の燭台が並ぶ大広間。
白いテーブルクロスには王家の紋章。
楽団の弦が柔らかく響き、銀の器が光を返す。
統合法可決の祝いとして開かれた晩餐会――貴族、議員、豪商、将校たち。
笑顔と拍手の渦の中、ただ一人、静かに座る女がいた。
セレナ・レヴァンス。
淡いドレスに身を包み、指先には微かに震えがあった。
だがそれを誰も気づかない。
彼女の微笑みはあまりに完璧で、悲しみの欠片も見せなかった。
◆
「おめでとうございます、レヴァンス嬢。」
商業ギルド代表のローベル・ファルクスが声を掛けた。
金の髪飾りを揺らし、恭しく頭を下げる。
周囲の視線が二人に集まる。
「貴女のような方がいてこそ、議会は輝く。
理想を語る者がいなければ、我々はただの商人だ。」
「……皮肉を、ありがとう。」
セレナは笑う。
その瞳に、ほんのわずかに疲労の色。
だが、その奥には消えぬ炎があった。
「貴方の法が民を救うのなら、私は何も言いません。
ただ――金で秩序を測る時代に、私は希望を見いだせない。」
ローベルは杯を傾けた。
「希望とは、誰のものです? 貴族の? 民の? 王の?」
そして、唇に笑みを刻む。
「それを決めるのが、政治という名の秤でしょう。」
◆
侍女が静かに二人の前にワインを注ぐ。
深紅の液体が灯火を映し、静かに波打つ。
「アルティ紅酒。王都最上の葡萄です。」
ローベルの声は優しい。
「一杯だけ。今夜は争いを忘れて。」
セレナはわずかに微笑み、杯を取る。
「王国に、安らぎを。」
「王国に、秩序を。」
杯が触れ合う。
微かな“金属音”が、音楽よりも冷たく響いた。
◆
数分後。
セレナは庭園の石廊に立っていた。
夜風がドレスの裾を揺らす。
胸の奥が、熱く、痛む。
息が乱れ、視界が歪む。
足元の大理石に、赤い滴が落ちた。
「……これが、秩序……ですか……?」
崩れ落ちる瞬間、遠くで誰かの叫び。
彼女は倒れながらも、指先を胸に当てた。
そこには――青いリボン。王家の印。
◆
夜が明ける。
王都の外れ、貴族街の療養屋敷。
夜明けの光が、薄いカーテンを透かしていた。
白いシーツの上で、セレナ・レヴァンスは静かに眠っている。
セレナの寝台の傍らに、血に濡れた鎧の女騎士が座っていた。
カレン・ローデン。
夜通し泣きもせず、ただ主君の手を握りしめている。
窓から差す光に、セレナの白い肌が透けて見えた。
唇は青く、呼吸は浅い。
その顔はまるで――今にも目を覚ましそうだった。
時折、まつげが震えるたび、カレンは手を握りしめた。
「……目を、開けてください。セレナ様。」
返事はない。
枕元の香草と薬瓶の匂いが、空気に滲んでいた。
扉の向こうで、低い声が響く。
「ローデン殿。少し……よろしいか。」
老医師が入ってくる。
白髪の下の目は疲れ切っていた。
彼は机に分厚い薬草書と瓶を置き、ゆっくりと言った。
◆
「症状は明らかに、神経毒の類です。発作の形、呼吸の浅さ、体温の低下……一致しています。」
「名は?」
カレンの声は低いが、震えていた。
「“レーヴィンの涙”。」
部屋の空気が止まる。
「……議会で使われるほどの毒ではない。王族暗殺用に研究されたはずの、毒です。」
カレンの拳がきしむ音がした。
医師は黙って書を開き、一枚の紙を差し出す。
◆
「これが、解毒の触媒に指定されている素材です。」
そこに記された文字を、カレンは唇でなぞった。
――竜眼。
「……竜の心臓部に結晶化する、神経再生の核。古来より、命を繋ぐ“竜の涙”とも呼ばれます。ですが……」
医師は首を振る。
「大変希少な部位、薬に使える事から売りに出す者が殆どおりません。金貨千枚積んでも、手に入りません。」
「……他の方法は。」
「購入する事は望めません。ただ……ルーベントの大深層に、竜の巣があるという噂なら、聞いたことがあります。」
◆
カレンは立ち上がった。
長い髪を結び、鞘に剣を差す。
「王都を出るのですか。」
医師の声が追いかける。
カレンは答えず、窓際に立ち、眠る主君を見つめた。
風がカーテンを揺らし、朝日が二人を照らす。
「セレナ様の為です……。」
彼女は静かに跪き、セレナの手に口づけた。
その掌はまだ温かかった。
「どうか、少しだけ……待っていてください。必ず、竜の眼を見つけて戻ります。」
カレン・ローデンはその言葉を残し、屋敷を後にした。
鎧の留め具が鳴るたびに、誓いの音が響く。
夜明けの空の下、一人の騎士が“国を捨てて”旅立った。




