第30話 ー ドルードとの契約
鍛錬場に隣接する小部屋に通される。
古い地図、石版、封蝋の切れ端。
机の上には、金属枠に収められた透明な結晶。
ドルードは結晶を指で弾いた。
淡い光が内部に波紋のように広がる。
「これは鍛治ギルドから預かっている“記録晶”。お前がE級で一か月前登録、レベル十二――さっきの話は照合できた。」
(真実証明アイテムか。こういうの、ギルドってほんと抜け目ないよな……)
「まず条件だ。」
ドルードは指を三本、静かに立てた。
「ひとつ。三ヶ月の“期限”は遊びじゃない。
ルーベントのダンジョンは来季に大規模な『地層再配置』が起きる。深層の構造が変わる。
その前に彼女の両親の手掛かりを掴めなければ、痕跡は消える。だから三ヶ月だ。」
エリナの喉が小さく鳴る。拳を握る音が聞こえた。
「ふたつ。お前たちは明日から十日間、潜らない。
走る、立つ、呼吸、槍の基礎。俺が組む。
体が壊れない“戦い方”を叩き込む。それを守れないならここで終いだ。」
(十日間レベルアップ出来ないじゃないか……いや、ここで背伸びして死ぬよりマシか。)
「みっつ。これだ。」
机の引き出しから、親指の先ほどの灰色の石が二つ、革紐に通された状態で出てくる。
「帰還石。発動すると最寄りの出入口に“巻き戻る”。一回で砕ける。
これは“エリナ優先”で使え。明文化する。」
ドルードは紙を引き寄せ、さらさらと短い文面を書いた。
——
・依頼名『深層到達補助』
・期間三ヶ月、ただし初動十日は訓練。
・成果目標:深層入口到達/両親の遺品もしくは手掛かりの確保。
・報酬:金貨二十枚(成功報酬)。前金なし。費用は別途実費精算。
・安全規定:帰還石はエリナ優先。致命のリスクが高いと判断した場合、撤退を最優先。
・逸脱時:ギルドへの報告および依頼取消。
——
「……“金目当て”は嫌いじゃない。」
ドルードは視線だけこちらに寄越す。
「仕事は金で回る。だが“順番”がある。命が先、次に手掛かり、最後に金だ。」
俺は頷いた。紙を受け取り、目を通す。
字の端々が、軍人か職人のように無駄がない。
「それと――」
ドルードはもう一枚、封のされた厚手の封筒を出した。
蝋には見覚えのない印章。
二本の剣と、鳥の翼。
「エリナの両親の最後の報告書。ギルド保管の写しだ。
深層の手前、『竜の巣穴』という支洞で行軍を止めた記録がある。詳細は後で読め。」
エリナは封筒を両手で受け取り、深く頭を下げた。
目の縁が赤い。けど涙は落ちなかった。
「ありがとうございます。」
「礼は成果が出てからでいい。」
ドルードは壁の時計を一瞥し、俺たちに向き直る。
「明朝五時、鍛錬場。足と呼吸を作る。」
「足と呼吸……?」
「地面と喧嘩できない奴は、深層の険しい石にも負ける。」
なるほど。理屈が嫌いじゃない。
俺は槍の石突を床に軽く当てた。
「約束します。十日、やります。それからーー三ヶ月で、入口までは必ず。」
ドルードは鼻を鳴らし、背を向ける。
「言ったな。いい顔だ。」
部屋を出る直前、彼はふと思い出したように振り返った。
「最後に一つ。」
「はい?」
「エリナに“手”を出したら、深層より先にお前の墓ができる。」
「出しません!!」
エリナが耳まで真っ赤にして俯く。
俺は全力で首を振った。
光より速く。
(よし、テストは通った。あとは――上がるだけだ。)
外に出ると、夕風が汗を冷やした。
訓練の痛みは明日地獄だろう。
でも、足取りは軽い。
エリナが封筒を胸に抱えて、横に並ぶ。
「ありがと。……十日、頑張ろう。」
「うん。十日で、強くなろう。」
空が群青に変わる。遠くで鐘がひとつ鳴った。
明日の五時が、急に楽しみになった。




