第22話 ー 投げ槍の功績
夜が赤い。
空を見上げれば、赤月が滲んでいた。
まるで血の中に沈むような色だ。
風が重い。
街の北側から、鐘の音と怒号が響いてくる。
(……始まったな。)
鬼族の長。
あの噂の魔物が、このベネルトの北門に現れたという。
俺は倉庫の屋根の上から、その戦場を見下ろしていた。
門の向こうでは、灰色の巨人が暴れている。
街を護る冒険者たち――いや、中心に立っているのは彼らだ。
B級冒険者パーティー《断界の剣》。
この都市で最も名の知れたパーティー。
王都でも通じる実力者。
リーダーはアレクサンダー・クロウ、大剣使い。
(……あの大剣の軌跡、速いな。)
剣が地を裂くたび、”青白い閃光”が走る。
土煙の中からもう一度振り下ろす。
重く、正確だ。
「お爺さんが話していたスキルってやつか……。」
それでも、鬼族の長は止まらない。
◆
グルムの咆哮が空気を裂く。
鼓膜が痛む。
だが俺は目を離さなかった。
皮膚の質感、呼吸の間隔、踏み込みのリズム。
全部を見て、頭の中で並べ替える。
(再生してるな……焦げた肉が盛り上がってる。回復速度が異常に早い。)
(だけど――あの右脚の動きだけ、少し遅い。)
火球を受けた跡。
あそこだけ、皮膚の色が黒く変わっている。
筋肉の動きが鈍い。
巨体でも、負荷がかかる箇所は決まってる。
(膝の内側、だな。)
◆
戦況は悪化していた。
《断界の剣》の動きが鈍ってきた。
魔力が切れているのか、光が弱い。
盾槍の男が膝をつき、弓手の女が転倒する。
グルムの攻勢が増していく。
「……やべぇな。」
俺は屋根の縁に手をかけ、地面へ飛び降りる。
砂煙に紛れて、廃屋の影に身を滑り込ませる。
距離は三十メートル。
風の流れ、重力、角度。
呼吸を整える。
(スキルなんかなくても、投げ槍は届く。狙うのは、呼吸の“間”。)
右脚が前に出た瞬間――。
「――今だ。」
投げた。
槍は一直線に走る。
音が消え、空気が裂ける。
次の瞬間、金属音と共に手応えが伝わってきた。
命中。
グルムの膝裏。
硬い皮膚を抜けて、関節を貫いた。
巨体が崩れ、膝が地を叩く。
◆
「今だッ!!」
誰かの叫びが響いた。
リーダーのアレクサンダーが飛び出す。
両手剣が光を帯びる。
蒼白銀――中位祝福強の光色。
剣神に祝福された理想の斬撃。
「ーー《アバランシュ》!!」
斬撃が奔り、鬼族の首を吹き飛ばした。
轟音。
地面が揺れる。
砂塵が舞い、火の粉が夜空を散った。
◆
俺は静かに膝をついた。
手が震える。
それでも、笑いが込み上げた。
(……やったぞ!!)
その瞬間、脳の奥が熱くなる。
光が、頭の中で弾けた。
《26Lv → 32Lv》
視界が一瞬、白く染まる。
血の匂いと鉄の味が鼻の奥に残る。
胸の奥で、心臓が跳ねた。
(あぁ……来た、これだ。)
全身が熱い。
指先が痺れる。
喉が渇いて、呼吸が荒くなる。
「……っは……ははっ……。」
笑いが止まらない。
◆
遠くで歓声が聞こえる。
《断界の剣》が勝った。
でも、俺はそっちを見なかった。
だって、どうでもいい。
倒したのは俺じゃない。
でも――俺は貢献できた。
その事実が、全てだった。
俺は回収した折れた槍の血を拭った。
夜風が頬を撫でる。
赤月がゆっくりと沈んでいく。
(まだ上がれる。もっと、上へ行ける。)
そう思った瞬間、胸の奥がざらついた。
それが、どんなに危険な衝動かもわからないまま。
俺は街の裏通りへ歩き出した。
未だ隠れた鬼を探して……。
背後では、英雄たちの歓声が響いていた。




