第21話 ー 市街戦
赤い月が、世界を焼いていた。
森から溢れた炎が風に煽られ、夜空を焦がす。
火の粉が雪のように舞い、瓦礫の上に降り注ぐ。
「――退け!門が破られた、退けぇッ!!」
誰かが叫ぶ。
だが、その声に応える者はいなかった。
誰もが戦っていた。
逃げる者も、死ぬ者も、立ち向かう者も。
区別など、もうつかない。
血と灰と叫びが、街を覆っている。
鬼どもは街に入り込み、破壊の限りを尽くす。
俺は息を吐いた。
胸が焼けるように熱い。
頬には誰かの血がついている。
自分のか、仲間のかも分からない。
槍を支えに立ち上がると、視界の端で炎が揺れた。
燃えているのは民家だ。
木造の壁が音を立てて崩れ、幼い悲鳴が中から響く。
「くそっ……!」
足が勝手に動いた。
熱気が顔を焼く。
扉を蹴り飛ばし、中へ飛び込む。
「いるか!?返事をしろ!!」
煙の中で咳き込みながら、影を探す。
泣き声。
小さな子供が、机の下にうずくまっていた。
震える手で、俺の足を掴む。
「……大丈夫だ。」
俺はその子を抱え、外へ飛び出す。
炎の渦を抜けると、外の空気が冷たく感じた。
だが、安堵する暇はない。
「逃げろ、門の方へ!」
子供を走らせようとしたその時――
背後で、地面が揺れた。
低い唸り声。
振り向くと、炎の中から一体の鬼が現れた。
燃え落ちた梁を押し退け、真紅の瞳でこちらを見据えている。
腕は丸太のように太く、肩には火が宿っていた。
(……まだいたか。)
俺は子供を突き飛ばすように遠ざけ、槍を構えた。
体はもう限界に近い。
腕は震え、息も荒い。
だが、足は止まらなかった。
「来い……!」
鬼が吼えた。
その咆哮が風を裂く。
地面を蹴り、突っ込んでくる。
重い。速い。
槍を突き出す暇もない。
ただ本能で、身を捻った。
鬼の拳が頬をかすめ、地面が砕けた。
衝撃で転がり、背中を打つ。
「ぐっ……!」
視界が歪む。
血の味が口に広がる。
それでも、槍を離さなかった。
膝をつきながら、呼吸を整える。
脳裏に浮かんだのは――後ろにいる子供。
(退いたら……誰が守る?)
鬼が再び腕を振り上げる。
その瞬間、俺は地を蹴った。
低く滑り込み、腹下へ槍を突き立てる。
「うおおおおおおっ!!」
刃が貫通し、熱い液体が頬にかかる。
鬼が咆哮を上げ、暴れる。
それでも、俺は手を離さなかった。
腕が軋み、骨が悲鳴を上げる。
「……倒れろッ!!」
全身の力を込めて、槍を捻った。
骨が砕け、鬼が崩れ落ちる。
その体が地を揺らし、炎が舞い上がった。
息を吐く。
手が震えて止まらない。
もう立つ力も残っていなかった。
「はぁ……はぁっ……」
見上げた空に、赤い月が滲む。
その光の下で、街は焼け続けている。
人の叫び、獣の咆哮、爆ぜる木。
それが一つになり、まるで地獄の音楽のようだった。
(……守れなかった。)
拳を握る。
指の間から血が滲んだ。
そこへ、仲間の声が響く。
「おいっ!無事か!?」
顔を上げると、鎧が焼け焦げたカイが駆けてきた。
額から血を流しながら、息を荒げている。
「ここはもう駄目だ! 南門まで下がるぞ!鬼族の長ーーハイオークの《グルム》が北門に現れた!」
一瞬、心臓が跳ねた。
その名前を聞いた瞬間、疲労が吹き飛ぶ。
考えるより先に、体が動いた。
「……行く。」
「おい、待て!お前ひとりで――」
聞こえなかった。
炎の中を走る。
焼けた屋根が崩れ、火の粉が降り注ぐ。
息を吸うたびに、肺が焼ける。
それでも止まらない。
(俺は馬鹿だ……。)
赤月の下、街が崩れていく。
人の営みが、音を立てて壊れていく。
その中を、俺はただ走った。
この事態を引き起こした者として、出来る限りの事をしたければならない。




