第19話 ― 赤月の衝突
地鳴りがした。
地の底から唸りを上げるような、獣じみた足音の波。
森を抜けた風が、血の匂いを運んでくる。
「構えを崩すなッ!!」
前列の隊長が叫ぶ。
しかし、その声はすぐに、轟音に飲まれた。
最初の一体が、闇を裂いて飛び出した。
灰色の鬼――身の丈は二メートル半。
鎖を引きずりながら、巨腕を振り上げる。
槍の列がそれを迎え撃つ。
「突けぇッ!!」
鉄と肉のぶつかる音。
火花と血が同時に散った。
槍の穂が鬼の胸を貫く――はずだった。
だが、その皮膚は岩のように硬い。
刃先が沈まない。
押し返される。
圧が違う。まるで、巨岩と押し合っているようだ。
「ぐっ……!」
前列の兵士が弾き飛ばされ、地面を転がる。
そのまま、巨腕が振り下ろされた。
地面が陥没し、血と土が混ざり合う。
「っ……!」
俺は走った。
槍を構え、体を低くする。
息を殺して――間合いへ。
(胸は駄目だ。硬すぎる。狙うなら……喉か、腹。)
地を蹴る。
滑るように駆け抜け、槍を突き上げた。
「――ッ!」
刃が、喉の奥に食い込む。
赤黒い液体が噴き出した。
鬼の眼が見開かれる。
その巨体が、のけ反りながら崩れ落ちた。
「一体、落ちたぞ!!」
誰かの声が上がる。
だが、すぐに別の悲鳴がかき消した。
「くそっ、後衛に回れ!押される!!」
視線を向けると、左翼がすでに崩れ始めていた。
盾を構えた兵たちが、押し潰されるように倒れていく。
その上を鬼が踏みつけ、鎖を振り回す。
骨の砕ける音。叫び。火花。血。
(……まずい。前線が持たない。)
俺は息を整え、再び駆け出した。
槍を構えながら、崩れた列の隙間へ飛び込む。
「おい!下がれ!死ぬぞッ!」
「下がったら街が終わるだろ!!」
若い兵の声。
彼の槍は、恐怖で震えていた。
俺は彼の前に出た。
「俺が受ける。お前は次のを突け。」
「は、はい!」
鬼が突進してくる。
腕を振り上げ、鎖を振り抜く。
金属音と共に、世界が傾いた。
鎖が地面を裂き、砂と火花が舞う。
俺は地を滑りながら避け、槍の柄で軌道を逸らす。
そのまま、脇腹を突いた。
手応え。
刃が滑るように肉を割き、熱が腕に伝わる。
「――倒せッ!!」
兵が追撃する。
数人がかりで押し込み、鬼が膝をついた。
その首を狙って、一撃。
鈍い音と共に、頭が転がる。
「やった……やったぞ!!」
《22Lv → 23Lv》
(っ!?、、こんな簡単に、レベルが上がった……?)
歓声が上がる――
だが、それは一瞬だった。
森の奥から、さらに大きな影が現れた。
一際大きな鬼。
肩には白い骨の装飾。
その背中から、獣のような咆哮が漏れる。
「族長級……か!?」
一人が呟いた瞬間、そいつは走った。
地面が爆ぜ、風が唸る。
その速さは、もはや獣ではなく“刃”だ。
「――避けろッ!!」
叫ぶ間もなく、前列の数名が吹き飛んだ。
盾が砕け、肉片が宙を舞う。
その度に、赤月の光が血を照らす。
「総員退け!!退けぇぇッ!!」
指揮官の声が掻き消える。
誰も、聞いていなかった。
ただ、生きるために。
ただ、戦うために。
俺は血に濡れた槍を握り直す。
恐怖よりも先に、体が動いた。
考える暇などない。
今ここで退けば、街が焼かれるーーいや、経験値を逃す。
「……退かない。」
赤月の下で、俺は槍を構え直した。
息を吸う。
足を沈める。
あの巨体の動きを、目で捉える。
風が鳴る。
鬼が踏み込む。
そして、俺もまた、踏み込んだ。
(やるしかない。)
夜が、裂けた。




