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第18話 ー 赤月の夜


夕暮れが、やけに早かった。


太陽が沈むより前に、空が赤黒く染まり始める。


(……まるで世界が焼ける前触れみたいだな。)


街のあちこちで冒険者たちが走り回っている。


防壁の上では、弓兵が矢を束ね、魔術師が符を刻み、鍛冶屋は最後の刃を研いでいた。


俺は手に持った槍の穂先をじっと見つめる。


新しい武器を買って、まだ三日しか経っていない。


それでももう、無数の傷と煤がついていた。


「……間に合うのかねぇ。」


隣でカイが呟く。


防衛線の最前列、丘陵地帯の見張り所。


湿った土の匂いと、緊張で張り詰めた空気が肺を圧迫する。


「ギルド長の話だと、明朝までに防衛線を完成させろってことだけど……」


ミナが矢筒を揺らしながら言う。


「明朝までって、あと何時間だよ……もう夜だろ。」


俺は空を仰ぐ。


そこには、まるで血を垂らしたような赤い月が浮かんでいた。


――赤月。


子供の時に村で読んだ童話では、不吉の証として描かれていた。


「おい、こりゃ縁起でもねぇぞ。」


ソウが笑いながら槍を立てる。


無理に笑っているのが、すぐわかる。


「カイ、敵の動きは?」


「まだ森の向こうだ。偵察組の報告じゃ、森の奥で焚き火の光が見えたらしい。」


「鬼族の……?」


「おそらく。数は不明だが、“列”を組んでるらしい。」


その言葉に、誰も何も言わなくなった。


列を組む――つまり、統率された集団。


ただの野生じゃない。あの“族”だ。


俺の喉が鳴る。


(やっぱり来るんだな……報復ってやつが。)


頭の中で、ギルド長の言葉がよみがえる。


「奪われた命を、等しい命で均す。」


均すってなんだよ。


そんな秤、俺の命で釣り合うのか?


いや、そんなはずはない。


でも理屈なんて関係ないんだ。鬼族にとっては“そういうもの”なんだろう。


――どんっ。


遠くで地面が震えた。


全員が一斉にそちらを向く。


丘の向こうの森が、わずかに光った。


炎のような、赤い光。


「……始まったな。」


カイが呟く声が、風にかき消される。


「各班、持ち場につけッ!」


上官の叫びと同時に、冒険者たちが動き出す。


盾を構える者、魔石を掲げる者、弓を引く者。


それぞれの心臓が、夜風に同じ速さで脈打っている気がした。


ミナが俺の横に立つ。


「……怖い?」


「まぁ、な。」


こんな事態を引き起こした責任が怖い。


「ほんとかな?」


ミナが小さく笑みを作った。


その無理に作った笑顔が、やけに現実味を与えた。


彼女は不安なのだ。


(そうだ……これは本当に、もう戦なんだ。)


ふと、森の影が動いた。



「女子供を皆殺しにする残忍な人間族どもよ――」


鬼族の長の声は、夜空そのものを震わせた。


「我らの間に結ばれていた不可侵の盟約は、いま破られた。」


次の瞬間、彼は血を吐くように叫ぶ。


「――皆殺しにせよッ!!」


轟音とともに、黒い波が森の奥から溢れ出した。


地を這う影の奔流。


その中に、幾百もの赤い瞳がぽつぽつと灯り、やがてひとつの憎悪の海となって街へ押し寄せる。


「っ……!」


空気が凍りついた。


肌が、ひとりでに粟立つ。


――鬼族。


灰色の肌。


膨れ上がった筋肉。


鉄鎖を腕に巻きつけ、目には理性の欠片もない。


一歩踏み出すたびに、大地が鳴った。


遅い。だが、圧倒的に重い。


「前衛、構えろ!!」


号令が飛ぶ。


金属が擦れ、盾が地を叩く。


その音が、夜の静寂を切り裂いた。


俺は息を吸った。


冷たい空気が、肺の奥を突き刺す。


(……来る。来るぞ。)


赤月の光が、森を血の色に染める。


遠くで、太鼓のような音が響いた。


地鳴りにも似たそれが、突撃の合図だった。


「グオオオオオオオオオオッ!!!」


咆哮。


大地が揺れる。


空が震える。


空気そのものが悲鳴を上げる。


「全員、構えぇぇッ!!」


怒号が交錯し、槍が一斉に突き出された。


赤い月光が、槍の穂先を血のように染める。


誰もが呼吸を止めた。


そして――


地面が爆ぜた。


黒い影が、走る。


空気が裂ける音がした。


鬼たちが、一斉に突っ込んでくる。


その瞬間、俺の視界は真紅に染まった。


(……ッ!!)


槍を握る手に、全ての力を込めた。




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