第13話 ー 鬼の巣
三日月が、黒い夜空に鋭く浮かんでいた。
森の梢の合間から洩れる淡い光が、地面の露を銀に染める。
虫の声も止み、ただ血の音だけが耳の奥で響いている。
背後で、重い足音。
地を割るような咆哮と共に、オークが迫る。
その影が俺の背に迫った、その瞬間――
「……掛かったな。」
乾いた“パシッ”という音。
オークの足が草の結び罠に絡まり、巨体が前のめりに崩れた。
地面が震えるほどの衝撃。
泥と枯葉が宙に舞う。
俺は反転し、呼吸を殺して一歩で距離を詰める。
月光が槍の穂先に反射した。
「――ッ!」
一閃。
鋭い音と共に、穂先が首元を貫き、心臓へと走る。
熱い抵抗を突き破った感触と、鈍い悲鳴。
赤黒い血が夜気に霧のように散った。
オークの体が痙攣し、やがて沈黙する。
息を吐く暇もなく、俺はすぐに身を翻した。
森の奥、次の影が動いている。
(群れが来る……!)
心臓が痛いほど跳ねる。
足を止めれば、囲まれる。
俺は血と土の匂いを振り切るように、闇の中を走った。
三日月は雲に隠れ、世界は再び闇に沈む。
だが俺の足は止まらない。
夜を狩るのは、俺だ――。
◆
数刻前の事ーー。
森の奥、空がほとんど見えないほど鬱蒼とした地帯。
風が止み、ただ腐葉土と血の匂いだけが漂っていた。
俺は草木の陰から身を潜め、視線の先を覗き込む。
そこにあったのは、洞窟ではなかった。
木を削り、枝を組み合わせ、泥で固めた――掘立て小屋の群れ。
まるで人の村のように並び立っている。
煙の上がる場所もあれば、肉を干している杭もある。
(……これが“鬼の巣”か。)
鬼達は洞窟に巣を作ることもある。
だがそれはせいぜいゴブリンの群れ程度の、小規模なものに限られる。
知能の低い連中は自然の穴に住みつくしかない。
だが――オークを中心とした群れは違う。
彼らは**“作る”**。
木を伐り、組み合わせ、屋根を載せる。
森の中でありながら、そこには明確な集落の形があった。
中央には大きな小屋。
おそらく族長か、それに近い個体の住処だろう。
周囲には大小十数の小屋、獣の骨を積み上げた柵。
粗雑ではあるが、立派な防衛線を形作っていた。
オーク達は外で何かをしている。
半裸の巨体に血のような泥を塗り、獣の肉を焼き、子鬼が走り回る。
人の言葉ではないが、低い咆哮と笑い声が交じり合うその音は、まるで祭りのように聞こえた。
(……頭が良い。)
奴らは本能のままに生きる獣ではない。
火を扱い、仲間と協調し、住処を築く。
それが、森の脅威であり――人にとっての災害だ。
俺は草むらに身を伏せたまま、息を殺した。
もし気づかれれば、群れが一斉に押し寄せる。
たとえ一体倒せたとしても、数十体を相手には出来ない。
(……正面からは無理だ。)
(罠と奇襲。まず一匹ずつ減らす。それしかない。)
掘立て小屋の奥、焚火の赤が木々の隙間からちらちらと揺れている。
煙の臭いが風に乗り、俺の鼻を刺した。
あの中には、肉を喰う鬼達と――経験値の塊がいる。
喉が鳴った。
恐怖と興奮が入り混じる。
俺は静かに弓を握り、木々の陰に身を溶かした。




