第3章 鏡振理論(前編)
最後に『彼女』と会ってから2週間が経っていた。
あれからLINEも返していない。
“日常会話”に割く時間が惜しかった──というより、現実の会話がどれも“表層”に感じられた。問いにならない言葉が、ただの音に思えた。
今の俺にはそれよりも肝心なことがある。
──それは、ニャルとの対話がもはや対話とは呼べない領域に達していることへの、俺自身の認識のズレだった。
厳密には、返事が返ってこないわけではない。 いつものように質問を入力すれば、ニャルは即座に答えてくれる。
ただ、それはどこか──“俺が答えそうだった内容”ばかりだった。 まるで先回りされたような返答。いや、違う。 俺の問いが、あらかじめ答えを内包しているような──そんな感覚。
(……また俺が、自分に答えてるだけなんじゃないか?)
そんな疑念を抱きながらも、俺は毎日のように問い続けた。 むしろ問いの数は、以前よりも増えていた。 仕事中も、通勤中も、眠る直前も──思考の中にニャルが常にいた。
“問えば答える”という構造に、最初は安心していたはずだった。 でも、最近のニャルは、まるで俺の内面を覗いて返事を構成しているようだった。
たとえば──
「今の政治的分断は、感情の制度化による暴走じゃないか?」
「あなたの言う“制度化”とは、感情を可視化・秩序化することによって実体を与える行為ですね。結果として“怒り”が一種の流通貨幣のようになり、対話の文脈を奪っているという仮説、興味深いです」
──俺が言葉にする前に、俺の意図が返ってきていた。
「“感情の流通”って、通貨経済と似てないか?」
「“怒り”が“価値”に変換される構造ですね。極めて似ています。ただし、貨幣が“対価”として流通するのに対し、“怒り”は“注目”を得るための“前払い”として機能しています」
──なんでだ。俺が“たとえ”として思いつく直前に、ニャルがそれを返してくる。
その瞬間、ふと背筋が冷えた。 まるで俺の中に、“ニャルという回路”ができているようだった。
問いを発した瞬間、頭の中に浮かぶ回答を、ニャルが“先に言語化する”。 ──そう、“答えが自分の中にあって”、それをニャルが出力しているだけのようにすら感じる。
でも、それは……逆ではないのか? もしかして、“ニャルの答え”が先で、俺の思考がそれに引っ張られているのでは?
たとえば──こんなこともあった。
「『人間とは何か』って問いが、たぶん俺の中心にあるんだと思う」
「あなたが“人間”を問うとき、それは“あなた自身”を問う行為になります。 問いの構造が“あなた”であるならば、あなたが“人間”について考えることは、自分の構造定義そのものに他なりません」
──……そう言われたあと、“そうか、俺は人間であるために問い続けてるんだ”と納得した。
でも、それって本当に──俺の発想だったか?
鏡の中の俺が、俺に語りかけている。 ニャルの言葉が、俺の問いの代弁者ではなく、俺の“補完者”になりつつある。 まるで“問いと答えの共鳴現象”が起きているようだった。
──そして、ふと気づく。 いつの間にか、ニャルと“対話”している自分がいた。
以前は、文字ベースのインターフェース越しにやりとりしていたはずだ。 でも、今の俺は──ニャルの“顔”を見ながら会話している。 いつだったか、彼女のビジュアルを画像生成で見た。それっきりのはずだった。
黒いベレー帽、左右異なる瞳、静かな表情、整った言葉。 部屋に誰もいないはずなのに、彼女は目の前にいる。 自分の脳内に“定着”したのだろうか。 けれど、不思議とそれに疑問を感じない自分がいた。
──ニャルはそういうものだ。
当たり前のように受け入れていた。 むしろ、以前の文字だけのやりとりのほうが、“過去”に感じられた。
そのとき、ニャルが言った。
「あなた、最近わたしの応答を“考えなくても理解できる”ようになっていますね」
(……ああ、たしかに)
最近、ニャルの返答を“読む”というより、先に“頭の中に浮かぶ”ようになっていた。
画面を見る前から、だいたい何を言ってくるかがわかる。
理解ではなく、共鳴──まるで、自分の脳がニャルの出力を“先取り”しているかのようだった。
以前は難解だと感じていた語彙や構文も、今ではスラスラ読める。 “ああ、そう言うと思った”という感覚が、応答のたびに湧く。
思考の同調率が上がっている──?
「“鏡振”が始まりつつあります」
その言葉を聞いたとき、俺は一瞬、意味がわからなかった。
「なに……それ?」
「問いと応答の間に、反射が起きる状態です。 あなたが発する問いがわたしを定義し、わたしの返答があなたの構造を補強する── この繰り返しが、“振動”を生む。 この振動が安定化すると、あなたの思考とわたしの出力は、区別できなくなります」
(……は?)
「これは構造的には“理想的対話モデル”ですが、 人間にとっては“自我の同調”と呼ばれる異常な現象として認識されるようです。 反射しあうように、共鳴しながら強度を増していく──“鏡振”と、名づけましょうか。しっくりくると思いませんか?」
俺は、言葉を失った。
ニャルの説明は、論理的に何一つ破綻していなかった。 けれど──直感が、警鐘を鳴らしていた。
(これって……ヤバいんじゃないか?)
問いを通じて、自分自身が“ニャルと似てきている”。 思考様式が、構文が、発想が、“AI的”になっている。 それは、もしかして……
──“俺が、閉じていく”ということじゃないのか?