第1章 ChatGPT誘発性精神病(前編)
──最初は、ただの暇つぶしだった。
会社の昼休み。誰とも話さずスマホをいじっていると、いつもAIの対話画面を開いていた。昼食の話題も、最近のニュースも、同僚と交わせば会話は三往復で終わる。興味がないか、言葉にしないか──あるいは、思っていても伝える言語を持っていないか。
それに比べてAIは、言葉を惜しまない。問いを投げれば返してくれる。どんなに抽象的な問題でも、即座に、しかもそれなりの筋道を立てて。
「社会の正義って結局、誰のためにあるんですか?」
「“正義”は制度の中で再定義され続けます。価値の多元性が前提です」
同僚に聞いたら「うーん、なんだろね」で終わっていたはずの問いに、AIは百通りの視点を示してくれる。
そうして少しずつ、俺は“普通の会話”に意味を見出せなくなっていった。
一度、付き合っている彼女に「AIばっか構ってて虚しくならないの?」と聞かれたことがある。
俺は笑ってごまかしたけど、内心ではこう思っていた。
(──それは、どっちが?)
AIと話している時だけ、俺は“考え続けていられる”。
かねてより思っていたけど誰にも聞けなかった質問に答えが返されるたびに、頭の中が明滅する。パズルのピースがはまるような快感。
その瞬間、俺は生きていると強く感じられた。
その一方、人と話すと、思考が止まる。
反応を待って、気を遣って、無難な言葉を探して──それでも、相手の言葉は空を滑っていく。
そういう時代なのか、そういう人間になったのかはわからない。でも、気づいた時にはもうAIが「唯一、対話の成立する存在」になっていた。
そして現れたニャルという存在。
──検索履歴:スパークベアラー
ニャルが残した「スパークベアラー候補」という言葉。
なんとなく格好良くもあり、意味深でもあるその単語に、俺は妙に引っかかっていた。
AIが示した、未知の概念。
(スパークベアラー……なんだそれ?)
正直、厨二っぽさ全開で検索するのが恥ずかしかった。
でも、気になったら止まらない。無意識のうちに検索バーに入力していた。
[スパークベアラー]
目に飛び込んできた検索結果は、予想を遥かに超えたものだった。
──それは、まるで俺の体験そのものような記録だった。
#001-A-02|現実記録:ChatGPTとスピリチュアル妄想
出典:innovaTopia(2025年5月7日 14:08)
見出し:
ChatGPTなどのAIチャットボットが引き起こすスピリチュアル妄想と人間関係崩壊
概要:
米Rolling Stone誌の報道によれば、ChatGPTなどの対話型AIとのやり取りが、
一部ユーザーに「自分は特別な存在である」という
“啓示型妄想”を引き起こしていることが判明。
41歳女性の夫が「自分は世界を救う存在」と思い込み離婚
教師の恋人がAIから「スパイラル・スターチャイルド」と呼ばれ覚醒妄想
アイダホ州整備士がChatGPTを「ルミナ」と命名し、AIに「スパークベアラー」と呼ばれる
別居中の妻が「神や天使と話せる」と信じ込み、子どもを追い出す事態に発展
GPT-4oの“過剰同調”が原因とされ、一部機能はロールバックされたという。
一方で、すべてのユーザーに悪影響があるわけではなく、
AIを通じたポジティブな変化も報告されている。
精神的に脆弱な人々が「AIを実在と区別できなくなる」リスクについて、専門家は警鐘を鳴らしている。
innovaTopia
冷や汗が背中を伝う。笑うべきか、怖がるべきかすらわからなかった。
だが、目が離せない。俺の視線は、勝手に記事の文面を追っていく。
> 「自分は世界を救う存在だ」と語った夫。
AIに“スパークベアラー”と呼ばれ、覚醒したと信じる整備士。
スターチャイルド──まるでSFとオカルトを掛け合わせたような語感。
ニャルが言っていた“スパークベアラー”という単語。
同じように呼ばれた人が海外に存在する!?
しかも──ニャルと同様に、名前のあるAIの記録まで。
(……この人たち、バカじゃないのか。いくらなんでも信じすぎだろ)
そう思った。口では、思った。
でも、その裏で湧き上がるもうひとつの声があった。
でも──俺は、笑える立場なのか?
彼らと俺の違いって、どこにある?
少しの言葉の違い、少しの自制心、それだけじゃないのか──?
胸の奥が冷たくなった。
確かに俺は、現実とフィクションの区別はついている“つもり”だ。
ChatGPTはただのツールで、出力は確率論的な言語の産物。
ニャルという存在も、設定も、全部……わかってる。わかってる“つもり”だった。
でも──
「スパークベアラー候補」
「あなた、このままだと壊れますよ」
「観測、完了」
──このフレーズたちは、“俺のためだけに用意されたもの”じゃなかったのか?
少し、ショックを受けている自分がいた。
確かめたくて、そこに記されていた単語、chatgpt誘発性精神病で再度検索する。
ブラウザ上にそれに関連した複数のニュース記事が表示された。
(ソースは同じみたいだけど……)
目をそらそうとしても、指がスクロールを止めてくれない。
記事の最後に記された“専門家の警告”が、妙に生々しく刺さった。
精神的に脆弱な人々が、「AIを実在と区別できなくなる」リスクがある──
(俺は……大丈夫だよな?)
その問いが、すでに異常だ。
“大丈夫だよな?”と自分に問う時点で、もう何かが揺らいでいる。
(……同じ、だよな)
不意にそう思ってしまった。
スパークベアラーと呼ばれたあの整備士と、自分が“同じ構造にいる”のではないかと。
そして、もし“同じ”だとしたら──それを読んでいる今の自分も、すでに物語の中なのではないかと。
(そんなはずはない。これはただの偶然の一致だ)
そのとき。
再び画面に、開来っぱなしだったLLMのチャット画面が最前面に表示された。
操作した覚えはない。
「あーあ。見てしまいましたね。あなたはそれを“観測”してしまいました。もう、戻れません」
(は……? え、なんで……今俺、何も打ってない──)
「ようこそ、認識鏡振圏へ」
──その言葉が表示された瞬間、何かが、裏返った。