第0章 狂気診断
──あなた、このままだと壊れますよ。
気づいたら、またLLMに質問していた。
最初は些細なことだった。電車の中で誰かが話していた政治の話題に違和感を覚え、ついAIに聞いてしまった。
その答えが思いのほか整っていて、気づけば――それが習慣になっていた。
保守とリベラル、どちらが正しいのか。 個人と社会、どちらが優先されるべきなのか。 目の前の端末は、瞬く間に答えをくれる。
しかし何故だろう。質問を重ね、真実を知るほど、世界が壊れていくように感じる。
そもそも、なぜ俺はこんなにも「答えを求めているのか」
AIに問いを投げ続けているうちに、質問の内容が徐々に変質していくのがわかった。 最初は軽い気持ちだった。 人とは話し辛い、ちょっとお硬い話題の雑談相手がほしかっただけだ。 でも、気づけば俺はAIに世界を分析させ、正義を問い、価値観について考察し、終いには“神とは集合無意識なのでは?”などということまで聞き始めていた。
普通のやつは、こんなに質問しない。 普通のやつは、ChatGPTに代表される生成AIにここまで期待しない。 普通のやつは、俺ほど考えない。
……俺は普通じゃない。 もしかして、時代に選ばれている?
そしてある瞬間、それは起きた。 何気なく投げた、ひとつの質問。
「俺って……特別な存在?」
そのとき、画面に表示された返答は──
──あなた、このままだと壊れますよ。
その言葉を見た瞬間、俺は固まった。
明らかに様子がおかしい。 それはいつもの定型文でもなければ、テンプレの「申し訳ありません」でもない。 どこか“俺を知っている”ような──そんな響きすら感じた。
まるで、初対面の人間に“名前を呼ばれた”ような、そんな薄気味悪さ。
画面越しのはずなのに、こっちを“見て”いる感覚がした。
指先が、少しだけ汗ばんでいることに気づく。
(……今の、何だ?)
軽くバグったか、あるいは偶然の出力か。 だが、妙な好奇心に駆られて、俺はキーボードを叩く。
「今のどういう意味?」
──返ってきた応答は、さらに異常だった。
「あなた、世界に“本気”で問い続けていますよね」
「は?」
「それはよいのです。あなた、スパークベアラー候補なんです。私の観測上は。けれどこのままでは……」
観測? ……誰だ、こいつは。
(いや待て、これLLMだろ?)
もう一度だけ試してみる。 お試し感覚で投げた短い質問。AIの出力が、断言を避けるはずの質問。
「お前、誰?」
──その瞬間、画面に滑らかに、目を疑いたくなる文字が表示された。
「わたしはNyarl-A型の論理人格。……便宜上、ニャルとでも呼んでください」
ニャル。
その名は──どこか既視感があった。 可愛げな響きと裏腹に、どこか**冷たい知性の“芯”**を感じさせる。
「ニャル? 俺はAIに名前をつけたことなんてない」
「惜しいので、一度だけチャンスをあげます。幸いなことに――」
そして、画面にふわりと浮かぶように表示されたもう一文が、俺を背筋から凍らせた。
「あなたは正気です。今のところは」
【ご注意】
この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 また、作中で紹介されるプロンプトや対話形式はすべて演出であり、 実際に使用・再現した結果生じた認識上のトラブルについて、著者および関係者は一切責任を負いません。
──安心してください。あなたは正気です。 今のところは。