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双対のバベル  作者: hino
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忘れられた神々と名も無き大罪人

 荘厳な大聖堂の地下。その一角にある資料室がレオン・クロスハートが時間を持て余すときの居場所であった。彼はまとまった時間があれば必ずと言っていいほどにこの場所で神々に関する書物を読み漁り、司書が戸締まりの時間を告げるまではその手を止めることはない。


 彼が決まって手にするのは創世に関する書物だった。神々がどのようにして大地を生み出し、人間という生き物を産み落としたのか。そして、彼自身が信仰する神は何者なのか。これが彼の最も知りたい事柄であった。


 蝋燭の灯りだけが光源となっている地下の一室では、手元を確認する程度が精一杯であるであろう薄暗闇で、彼は机が書物の山で埋め尽くされるまでその時間に没頭する。


 さて、蝋燭の火もそろそろ底に着こうかという頃合い。今の彼の耳には届かないであろう、間隔が開いた小さなノックの音が入口の扉から響いた。


「クロスハート様。今日のお時間はそろそろでございます」


 扉をゆっくりと開きながら、腰が曲がり始めた老年の女性が彼に一言をかける。この一言で彼はいつも肺に詰まらせていた空気を吐き出しながら、文字だらけの重たくなった頭を上げるのだった。


「ああ。いつもありがとう、エフィさん。すぐに片付けるよ」


 エフィは大聖堂の資料室の管理を任されている司書である。本来であれば文献の一つひとつを棚に戻すことは彼女の役割であるが、彼は腰が曲がり始めた彼女を気遣い、片付けと簡単な掃除まではしてから帰ると決めていた。


 慣れた様子で片付けを進めていく彼を、彼女は静かに見守っていた。彼女の鼻の上に乗っかる小さな眼鏡の奥の眼差しは、まるで優しく育った息子に目を細める母親のような、慈愛に満ちたものだった。


「こんなところでいいかな?」


「ええ。いつもありがとうございます」


 二人は定型句となった互いの短い言葉を交わして、資料室の外へ出る。彼女が資料室の錠をかけた音を合図に、大聖堂の一階部分へと続く廊下を進んでいく。消えかかる蝋燭の灯りを頼りに二人は歩を進めながら、これまたいつもと同じような会話を繰り返すのだった。


「今日の成果はいかがでしたか?」


「うん。これと言ったものはないかな。僕の信仰を捧げた神様は、やはり謎多きお方のようだ」


 しかし、これに続く彼女の返答だけは、いつもと異なるものだった。


「創世に関わる書物は、クロスハート様が一生を賭しても読み切れるかどうかという量でございますからね。あの資料室は決して大きくはないですが、あそこにある書物だけでも全てを読み切るには相当の時間を要するでしょう」


 いつもなら、それでは明日以降もお待ちしていますよ、程度の返答だろうと、彼は言葉の違和感を訝しむような表情をした。


「昨日、クロスハート様がお見えになる前に、異端審問会の方々が来られました」


 異端審問会。彼にとって、否、多くの者にとっても、それは耳障りのよい言葉ではなかった。語気を強めることがないようにと、彼は一拍の間をおいて彼女に尋ねる。


「何をしに来たのかな」


 彼女は彼の低くなった声音に様子を変えることなく、淡々と続ける。


「クロスハート様が資料室に出入りされていると知り、何をお調べになっているのかと尋ねられました。いつも神々の功績をお勉強されているようですとだけお伝えしましたが、それ以外は何も。資料室を覗いてすぐに帰られました」


 二人は大聖堂の一階へと繋がる階段に差し掛かる。彼女のゆっくりとした歩幅に合わせて、彼も歩みを遅める。会話の妙な間が、二人の足音だけを空間に響かせる静寂を作り出していた。

 

彼は不安であったのだ。異端審問会は、神々が創り出した今世に疑問を持つ者を異端として排除する役割を持つ。極端とも言える排他的思考である組織が、身近な人間に接触だけでもしてきたことに危うさを感じていたのである。


 疑わしきは罰せよ。それが異端審問会である。


「異端審問会のことだ。僕が禁忌について調べているとでも勘繰っているのだろうね。エフィさんには迷惑がかからないように気をつけるよ。僕が居るときにまた訪ねてくるようであれば、僕が直接話をする」


 彼の優しさに不安が入り混じった声音など意に介さぬと言うように、彼女はふっと微笑みながら言葉を返す。


「貴方の主神を想う純粋な気持ちに、どうして禁忌などと難癖をつけるようなことをするのでしょうね」


 難癖をつける、という訳ではない。そのことを彼は理解していた。ただただ創世の神々を崇拝する。そこに悪意も邪推もないのである。しかし、それ故に危うい者たちであることも。


 二人は大聖堂の大広間へと出る扉の前に着く。彼女が扉を開いた瞬間、蝋燭の灯りは役目を果たしたと言わんばかりに燃え尽きた。


 と、同時。


「名も無き大罪人」


 彼女ははるか頭上を指差し、消え入るような声で呟く。


 彼女が指差す先。大聖堂の広間のその天井は、太陽と月を背に、光り輝く大剣を掲げる白銀の騎士の像が描かれた、円状の巨大な彩色ガラスが埋め込まれている。宇宙を模したような大きな輪のその周りには、今世を創造したあらゆる神々の象徴も描かれていた。


 雷を纏う鳥。竈門に火を灯す女神。大地を割る巨人。海洋を荒ぶらせる竜。目で追うだけでもくたびれるほどの神々が、色鮮やかに彩色ガラスの中に描かれている。


 陽は沈み切った夕闇の中、月明かりだけが空間に淡く広がる。この時こそがこの空間の最も美しい時であると言わんばかりに、白き月光は色彩豊かな彩色ガラスのそれぞれをにごりなく輝かせていた。


 それこそ巨人でないと手が届かないであろうほどの天井から側面の大壁画へと目を移すと、悪神たちとの戦いの記録が紙芝居のように描かれている箇所がある。彼は彼女が何を指し示しているかと目を細めると、彼女の指先は天井と側面の境目、そこにある彩色ガラスを差していた。


 それは他の彩色に比べて単調なものだった。黒と白のみの対称。描かれているのは黒い甲冑を見に纏った七人の騎士の姿。皆が同じ方向に跪き、何もない空白を崇めているかのような構図であった。


「今の貴方なら、あの絵の意味がわかるかもしれません」


 彼女はそう言って、頭上に挙げた腕をゆっくりと下ろす。


「名も無き大罪人。名を語り継ぐことすら許されなかった、神々の宿敵であったと聞いたことがあります」


 大聖堂の天井には今世の創造神たち。壁面は壁画がほとんどである中、彼女が指差していた彩色ガラスだけが不自然な配置である。採光を取るために大きな窓ガラスは配置されているが、彩色ガラスはほとんどが天井にある。なぜ、その彩色ガラスだけ壁面にあるのか。


「日中は東、南から入る陽の光によって、あのガラスはただの明かりを取るためのものにしか見えません。しかし、月明かりが強い夕暮れ時であれば、こうして何が描かれているかが見えるのです」


 書物を読み漁るためだけに大聖堂に通っていた彼はともかく、日中に参拝に訪れる者たちでさえガラスに何が描かれているかがわからない仕掛けになっているということになる。日が暮れてからのこの空間の眺めは、特別に長居を許されている彼と、大聖堂の戸締まりまで任されている彼女しか知り得ないのである。


 太陽の光が入る方角に、頭を垂れる漆黒の騎士たち。しかし、その姿は陽が差し込む日中には見えない。普通は光を浴びて彩りが映える彩飾をするのではないのだろうかと、彼は思案した。


「彼らは一体、何に祈っているのかな......」


 さあ、と彼女は続ける。


「先代の司書曰く、それは禁忌に関わるとのことでした」


 彼女の口調は、穏やかなまま。異端審問会の話をした直後、禁忌に関わることを口にしているというのに。


「なぜ今、このことを僕に?」


 何か理由があって、このことを話しているのだとしたら、彼女は何を伝えようとしているのだろうか。眉に思考が滲み出始めている彼の顔に微笑むだけの彼女は、


「貴方はいつも考えごとばかりで俯きながらここを去っていきますからね。神々を見上げれば、何かしらの加護があるかもしれないと思ったのですよ」


 そう言って、祭壇近くまで歩いていき、灯りの消えた蝋燭台を棚に戻すなどの作業をし始める。


「片付けたら正面の鍵を閉めますよ。今日はもう遅いですから。続きはまた」


 異端審問会の来訪がきっかけであるのだろうことを彼は察したが、その名前が挙がる話題を続けるべきではないかと考える。


「......それもそうだね。じゃあ、明日また来るよ」


 彼女のいつもと変わらぬ微笑みに見送られ、彼は大聖堂を後にした。

※2025/06/07 一部加筆修正

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