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ベラドンナの憂鬱  作者: ふとん
8/12

8 ベラドンナ、疾走

 本営横の森は鬱蒼とした針葉樹が広がっている。

 ひとつ間違えれば枝にぶつかり落馬する危険もある森を、ベラドナを先頭にして疾走する。

 本来なら馬が通れるはずのない道だ。

 ベラドナがエメラルドに調べさせた、ジーンランドの斥候部隊が使っていた道である。

 この道は、ローランの不意をつけるようにもなっているが、逆に言えば本営までの一番の近道だ。

 危険な道ではあった。

 だが、ベラドナはどんな手段でも使うと決めていた。

 しばらくすると、ひゅんと風を切る音と共に弓が降ってくる。

 ベラドナは馬を駆けさせたまま、騎士たちに進めと手で合図を送った。

 弓兵を見つけた騎士が射落とす。

 騎馬が二騎、木陰から踊りでてベラドナに向かって槍を振りかざす。

 だが、疾風のように小剣が騎士の喉元を食い破る。

 エメラルドだ。

 彼女もベラドナと同じく軍馬を走らせているが、その装備は軽装だ。なめした皮の防具を腰と胸、腕に金属の篭手をつけただけで、あとは兵士の平服と変わらないがその軽装だけに、彼女は馬上でも魔法のように短剣を投げ、馬の目を潰す。

 ベラドナは馬から落ちた騎士に目もくれず、走り抜ける。

 山道は緩やかな坂道で、ベラドナ達はちょうど坂をくだるようにして駆けている。

 次々と敵兵は多くなる。

 トトメスが長剣で槍を弾く。

 鎧を着ているとは思えないほどの素早さで槍を奪ったかと思うと、相手の騎士の馬首に突き刺す。

 一瞬、無防備になったベラドナを狙って別の騎士が咆哮を上げた。

 だが、ベラドナは冷静に自分の剣を抜いて、迷わず振るう。

 一閃。

 鎧の付け根、肩口を切り裂く。

 ベラドナの腕前では腕が落ちるほどではないが、それでも騎士は堪らず馬から落ちた。

 生死は確認しない。

 ただひたすら前へ。

 はぐれた者はすぐに引き返せと指示を出しているが、誰も逃げ帰ろうとはしなかった。

 一人はベラドナの盾となり、一人は後続の敵と相対し、欠けていく騎士たちの顔をベラドナは憶えている。


 これが、ベラドナの選んだ道なのか。

 生臭い血と、跳ね上がる泥。

 全身が痺れるようで、けれど止まらない。

 吐く息以外の言葉はなかった。


 ただ斬り、ただ奔る。


 速く。


 早く。


 疾く。


 それ以外、ベラドナは考えなかった。


 鍛えられた軍馬が泡を吹く、その寸前まで走らせて、ようやく森を抜けた。

 エメラルドの地図通りの、ジーンランドの本営が目の前だ。



ド ド ド ド ド !



 ベラドナが黒い陣を見つけると同時に、騎馬隊の地鳴りがする。

 まさかと思ったが、味方の騎兵が見えた。

 遠くでは未だ乱戦が続く中を、小隊が一本の槍のように突破してきたのだ。

 騎馬は貴重な戦力なうえ、ローランの戦力自体少ないというのに、囲まれれば、即全滅の危険な攻めだ。


(将軍!)


 これは、ドードー将軍の非常に危険な賭けだ。

 そして、将軍はベラドナの奇襲に賛同を示してくれた。

 ベラドナは熱に浮かされたように、混乱した戦場を走り抜ける。

 ようやくベラドナ達に気がついた兵が一斉に槍を向ける。


「行ってください!」


 こんな時でも丁寧なエルガが、既に兜のない血濡れた顔をベラドナに向けて叫んだ。


「ご武運を!」


 ファーガンが既に矢の切れた弓で敵兵を殴りつける。

 タイラーは何も言わずにベラドナを狙っていた槍兵へと小剣で斬りつける。

 ベラドナは走った。

 本営は近い。

 近衛兵の重い鎧の隙間を、エメラルドの小剣は縫うように突き刺した。

 トトメスは近衛隊長の首へと、奪った長剣を投げつける。

 ベラドナの外套に弓が突き刺さる。

 咄嗟に近くの兵へと黒い外套を投げつけ、剣を突き立てる。


(ああ、ありがとう。マーガレット)


 ベラドナが無傷だと確認したエメラルドが自分の小剣を見張り台でこちらを狙っていた弓兵へと投げた。


「行け!」


 トトメスが怒鳴った。

 ずたずたになっている篭手で、ベラドナに向かってきた槍を受け止めたのだ。


 走れ。


 ベラドナは震える自分の足を叱咤した。

 追いすがろうとする敵将を振りきり、陣営の最奥。

 地図の広げられた机の向こうで、黒い鎧を見つけた。



 あれだ。



 長い手足、背は思ったよりも高い。

 荒い呼気を一瞬だけ整えた。


 驚いたように振り返るその一瞬だけが、ベラドナに許された隙だ。


 長い双剣を彼が手に取る前に。

 ベラドナはすでに切れ味の鈍った剣を払うように振りかざす。

 顔を覆っていた騎士の兜が飛んだ。




 赤い。




 眼の眩むような紅。

 焼け焦げたような深い茶色の髪、驚きに見開かれているのが、まるで宝石のような赤い双眸。



 ベラドナは息を呑んだ。

 だが、頭の冷静な部分で男の胸倉を掴んで押し倒していた。

 二人して地面へと倒れこむ。

 男が小剣を取り出す前に、広い胸に膝を押し当てて、剣先を喉元に突きつける。

 切れ味は鈍いが、突き刺すことは容易だ。

 がらん、と遠くで乾いた音が鳴る。

 ばさりと散らばったのは、きっと自分の髪だろう。


「殿下!」


 血相を変えた兵士が走りこんでくる。

 背後から突き出された剣を、ベラドナは奇跡的に避けることが出来た。

 我ながら悪運が強い。

 しかし、これでは、この目の前の男が体勢を立て直すのが早いか、兵士にベラドナが殺されるのが早いか。

 ベラドナは鋭い切れ味の剣で裂かれた髪の一房を見捨てるように目で追い、そして男の喉元に当てていた剣を自分の元へと引き寄せる。

 分が悪い。

 机の下にでも転がりこもうとしたが、その腕を押し倒していた男に取られた。

 ぐっと掴まれたかと思うと、ベラドナの背後から剣を振りおろそうとしていた兵士の剣を恐ろしい速さでベラドナの剣で受け止めた。



 ガキン!



 兵士の剣を受け止めると、ベラドナの剣はあっけなく折れた。

 転がった切っ先を半ば呆然とベラドナは見遣った。

 自分で柄を放さなかったのは偶然だ。ベラドナの右手は剣を握ったままで手の感覚がない。

 思いのほか近くで溜息が聞こえた。

 ベラドナを膝に乗せたまま、黒い鎧の男は地面に溜息を零して顔を歪めている。

 不思議に思って男の視線を追うと、地面には先ほど切り落とされたベラドナの髪の一房が散らばっているだけだった。

 それを、目の前の男は、自分の利き腕でももがれたかのように、苦しいのか痛いのかもわからない痛切な顔で見下ろしている。

 妙な男だ。

 自分を殺そうとした女の髪が一房切り取られただけで、どうしてそれほど痛ましい顔をするのか。

 ふと、凝視していたベラドナに男が顔を上げた。

 やはり、若い。

 厳つい鎧に反して、面相は精悍というには程遠かった。

 年は、ベラドナよりも幾つか上というところだ。

 目鼻立ちは整っているが、眼鏡をかければ、まるで学者のようでもあり、穏やかな顔をしていれば近所の子供たちに教鞭でも垂れているような、そういう、戦場には似合わない容貌だ。普通に対面していれば、どうしてこんな男が、と思ったことだろう。

 男は微笑んではいないが、どこか優しげな顔でベラドナを見つめ、


「あなたが、ローランの魔女、ベラドンナ?」


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