6 ベラドンナの真価
王都から戦場のベルランドまで、三日の行程があった。
その間、山麓を繋ぐ森で野営しながら行軍する。
すでに孫もいる禿髪の老将は、白い髭を蓄えた巌のような顔でベラドナを一瞥した。いくつかの戦歴を持つことで総司令官に抜擢されたドードー将軍だ。
「姫君が、軍馬を扱えるとは思いもしませんでしたぞ」
第一騎士団の団長も兼務するドードーは、興味深そうに破顔する。
他の師団長たちも同様だったようで、ベラドナは野営地に造られた簡易作戦室の注目を浴びた。
三日目の行軍を無事に終え、最後の野営を迎えようとしている。
ベラドナに部隊はない。
王とドードー将軍は小隊をつけると申し出てくれたが、ベラドナは結局ドードー将軍の指揮する第一師団の一将という立場で作戦室入りすることになった。
表向きはベラドナの補佐ということで第一騎士団のトトメスも作戦室に居る。
「馬には、幼い頃から親しんでおりましたので」
男の幼馴染と付き合うというのは、なかなか大変だった。
乗馬の練習を始めたフレドリックとトトメスについて、ベラドナも訓練を受けたのだ。
初めこそ講師に嫌な顔をされたが、しつこく行くうちに怪我をされてはたまらないと思ったのだろう。二人と共にベラドナも馬の世話をするようになった。
領地で暮らすようになってからも乗馬はベラドナの趣味の一環で、キールに乗馬の手ほどきをしたのはベラドナだ。
フレドリックとトトメスと一緒に受けた講義は乗馬だけではない。
帝王学、兵法、果ては剣術の手ほどきも受けた。
領主代行の経験もあって、男の中での女の独立した立ち回り方も心得ていたが、実際の戦場へ出るのは、初めてだ。
ベラドナは、自分に出来ることは全てやった。
他の兵卒と同じように食事の準備をし、同じように馬の世話をした。
作戦室に出入りを認められてはいるものの、今のように求められない限り極力発言は控えた。
粗末な食事と、テントを与えられてはいるが固い寝床には驚いた。水も持ち運べる量は飲み水だけだ。手入れのしていない長い髪をエメラルドは惜しんだが、ベラドナは気にしないことにした。化粧道具は一つも持ち込んでいない。
この男だらけの軍の中で鏡などないが、化粧のしていないベラドナは持ち前の長身も手伝って、髪を簡単にまとめた姿は一見すると初陣の若武者にも見えた。
初日はベラドナを気遣う者が多く居たが、彼女の姿勢を見止めた兵士たちはすでにベラドナを姫としては扱わなくなっている。
新参のベラドナに話を振ってから、ドードー将軍は明日の開戦に向けての詳細を語り出した。
ベラドナは、将軍たちの緊張を静かに見守った。
騎兵を五百、歩兵は三百従えた三つの師団からなるローラン軍は、翌朝ベルランド平地に展開する。
今回の野営地は平地のすぐ側だ。夜のうちに軍備を整え、夜明けと共に平野を騎馬で埋める。
歩兵よりも騎馬隊が多いのは、師団編成の半数近くが騎士だからだ。
ローランは、小さい国ながら五つの騎士団を持つ。
潤沢な資金力で育て上げられた騎士団だが、実践は少ない。
戦場は平地。
騎馬は確かに有利に働くが、ジーンランドの兵力には及ばない。
少数精鋭を目的に、騎士団から師団を編成したのは、ローランの苦肉の策だった。
西の大国、モイラの動きを見極めるためにも、騎士団全てを送り出すわけにはいかないのだ。
総力戦にはできない。だが、総力戦に近い武力を投入しなくてはならない。
ドードー将軍の固い面持ちからは、苦渋の選択結果なのだと伝わってきた。
ベラドナの配置は第一師団の中央、将軍のすぐそばと決まった。
作戦会議に解散を告げてから、ドードーはベラドナを呼びとめた。
「本当に戦場へ行かれるおつもりか」
女性としては長身のベラドナよりも更に大きな老将を見上げ、ベラドナは微笑みを向けた。
「将軍におかれましては、わたくしのわがままにお付き合いいただいて、申し訳なく思っておりますわ」
「私は、そうは思っておりません」
ドードー将軍は、はっきりとした低い声で断言した。
自軍のテントに戻りかけていた将軍たちが足を止める。
「姫、あなたのお覚悟のほどは、このドードー、理解しているつもりでございます。しかし、あなたの細腕ですべてを購いきれるほど、戦は容易くございません」
ドードーの眼光が、ベラドナを射抜く。
しとやかな姫の仮面を、悲劇的な姫を装う先を、見透かされている気がした。
本心など見せぬまま、大人しく死ぬつもりか。
将軍の目はベラドナに問う。
「ドードー将軍」
所詮、ベラドナは毒の花。
清らやかに、美しくは生きられないのだ。
「このわたくしが、最善の結果をご覧にいれますわ」
ベラドンナの名に相応しい、猛毒の結果を。
トトメスを伴って自分のテントへと戻ると、ベラドナと同じような鎧を身につけたエメラルドがすでに控えている。
トトメスとは初めて顔を合わせるからか、彼は不審気に眉根を寄せた。ベラドナは説明をしないまま、テントの隅でひざまずいているエメラルドに顔を向ける。
「エメラルド。報告してちょうだい」
「はい」
エメラルドはこうべを垂れたまま、平坦な声で続けた。
「ドードー将軍の放った斥候部隊の幾つかが、既にジーンランドの部隊と鉢合わせしているようです。あちらの斥候もベルランド近辺の森のあちこちに散らばっています」
「そう」
ベラドナはベルランドの地図を頭の中に描きながら、エメラルドの報告を照らし合わせていく。
ベルランドは両脇に山麓を抱えた平地だ。その森は深く、騎馬は通りにくいとされている。
「ドナ。この女は」
ベラドナの隣で黙っていたトトメスが顎でエメラルドを指す。トトメスは不愉快そうだが、エメラルドに気にした様子はない。
「私の騎士よ。情報を集めてもらっていたの」
「……お前、影まで飼っていたのか」
主に情報収集や暗殺を仕事とする者を影と呼ぶことがある。それは、エメラルドのような異民族に多いが、ベラドナはエメラルドの存在を家族どころかトトメス達にも話したことはなかった。
ベラドナがエメラルドを見遣るが、彼女は少し視線を上げるだけだった。
「何年か前に、私の領地で倒れていたところを助けたの。あとは知らないわ。彼女は私の騎士であり、私の大切な友人」
きっと、どこかの裏稼業の集団に所属していたのは間違いない。だが、ベラドナはそれを積極的に調べようとはしなかったし、エメラルドはベラドナを裏切ったことはない。
トトメスはいまだ信じられないような顔でエメラルドを見ていたが、顔色一つ変えない彼女から視線を逸らして、ベラドナに向きなおる。
「で、ドードー将軍に啖呵切った手前、どうするつもりだ?」
トトメスも友人だが、彼も今、ベラドナの部下でもある。
彼の答えに満足したベラドナはエメラルドとトトメスを見渡した。
「明日のお楽しみよ」