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ベラドンナの憂鬱  作者: ふとん
4/12

4 ベラドンナと王子

 ラマンカの領地から王都に着くころには、国中が開戦の困惑に浮足立っていた。

 どことなく不安そうな行き交う人々の表情を馬車から見下ろしながら、ベラドナは城へと入った。


 エメラルドが子飼いの情報屋から仕入れた情報によると、内陸向けの交易ルートはすでにジーンランドによって封鎖されているようだ。

 向こうの方が、一歩も二歩も手回しがいい。


 ベラドナは会議中だというフレドリックを待って、彼の執務室横の部屋へと通された。

 案内してきたメイドは不審気にベラドナを観察していたが、やがて茶の用意にと部屋を去った。

 ベラドナはメイドの態度に大きく安堵した。


 元婚約者が出入りすることをよく思わない者が居るということは、マーガレットが城内でそれなりに信頼を得てきているということだ。

 頭の固い文官や武官は難しいだろうが、数だけならどの階級より多い使用人たちの支持を得られているのなら、このさき心強い。


 しばらく沈黙のまま、ベラドナは窓の外を見つめた。

 エメラルドには情報を集めてもらうために出払ってもらっている。

 どういう結果が来ようとも、受け止めるだけの心を持とう。

 苦しいほどの不安は、今は忘れることにした。

 窓の外の青い空の下で庭園の花が咲いている。

 色とりどりの花が、春を讃美するようだ。


 ベラドナの生まれ故郷であるラマンカの春は、もう少し趣が違う。


 針葉の森の新緑はほとんど色もわからないうえ、春の季節になると一斉に葉を枯らし始めるのだ。その秋のような森の中で、苔むした岩肌の間から小さな花が咲く。

 ベラドナは、華やかな花よりも、その小さな白い花が好きだった。

 冷たい森には、大きな狼が住み、人間たちから森を守っている。

 ラマンカ家の祖先はその狼たちとの絶妙な住み分けに成功し、城下に広大な森を治めた。

 一度だけ、ベラドナはその狼と出会ったことがある。


 幼い頃だ。

 まだ弟は彼女以上に幼く、両親は王都に出かけて居ない。

 一人で遊ぶことの多かった彼女は興味本位で森の深くに入ってしまった。

 道を探すうちに日は傾き、森をさまよううちに一匹の狼と出会ったのだ。

 恐怖と疲労で叫ぶこともできなかった。

 だが、灰色の毛並みの狼はじっとベラドナを見つめると、ふいと体をそらした。

 大きな体だ。

 幼い子供であれば、人間であろうと簡単に食らうだろう。

 しかし、歩き出したその尻尾を見つめて、ベラドナは誘い出されるように狼について歩き出した。

 そうして気がつけば、ベラドナは自分の屋敷へと辿り着いていた。

 探していたらしい乳母に泣きつかれながら、ベラドナは思った。

 きっと、ベラドナは認められたのだ。

 この森と、生きる者として。

 それまで、本当の意味で他人に認められることなど無かったベラドナは、感動にも似た心地で小さな胸の中で誓った。

 きっと、この森を守ってみせる。

 今も、その小さな誓いは胸にある。


 だが、それも、きっと果たせない。


 扉の開く音ともに、ベラドナは椅子を立った。


「お待ち申しあげておりました。殿下」


 固くぎこちないフレドリックに、ベラドナは朗らかに微笑む。

 彼の側には、護衛官のトトメスと外交長官のキール、そしてマーガレットが連れ添っていた。

 メイドに人払いを命じ、扉を閉めさせると、フレドリックは重苦しい顔でベラドナと対面してそれぞれ椅子に腰掛ける。マーガレットはフレドリックの隣に、キールとトトメスは彼らの背後に立った。

 うつむき加減のフレドリックの隣で、不安気なマーガレットがベラドナとフレドリックに視線を迷わせている。


「手短かに申し上げますわ」


 ベラドナは、先手を打つことにした。

 あまりうまい切り出しではない。

 自覚はしていたが、早く終わらせてやるのが幼馴染への気遣いだ。


「わたくしを、戦場へお遣わしください」


 フレドリックとマーガレットが目を丸くした。

 問われる前に、ベラドナは続ける。


「戦争は、避けられませんわ。ですから」


「そんなのおかしい!」


 ベラドナの言葉に固まるフレドリックとは裏腹に、マーガレットは席を立ってベラドナの肩をつかんだ。


「どうしてベラドナ様が戦場へ行かなくてはならないんですか!」


 素直な娘だ。

 きっと、フレドリックはそんな彼女を愛しいと思ったのだ。

 ベラドナも、数回ドレスの作り方を教わっただけだが、マーガレットを好ましく思っているし、愛しさもある。だが、


「では、あなたが代わりに行ってくださるのかしら」


 素直なだけでは駄目だ。

 微笑みさえ湛えながらベラドナが静かにマーガレットを見遣ると、彼女の丸い瞳に脅えが見えた。


ぱん!


 甲高く音を立てて、わざとらしくマーガレットの手を肩から払う。

 叩き落とされた手を少女は痛そうに見つめ、涙を落としそうになっている。

 そのあかぎれの目立つ小さな手は、働き者の美しい手だ。


「余計な口出しは無用に願いますわ。妃殿下」


 ベラドナとマーガレットは、そう年が違うわけではない。

 しかし、ベラドナの経験とマーガレットの育ちでは雲泥の差がある。

 まだ年若いマーガレットには、何かを背負うという気概は備わっていないのだ。

 マーガレットは負けん気の強い瞳でベラドナを見つめてくるが、痛くもかゆくもない。

 今、彼女を甘やかすわけにはいかない。


「―――いかがでしょうか。フレドリック殿下」


 フレドリックに視線を戻すと、彼もまた、固い表情でベラドナを見つめていた。


「……お前を、死なせるわけにはいかない」


 低く、フレドリックは呟く。

 ベラドナは綻びそうになる心を、目を細めてこらえた。

 嘘でもいい。

 打算でもいい。

 その言葉を聞けて、良かった。

 たった一言で満たされる。

 その心に、名前をつけることすらしなかったけれど。

 ベラドナは深くうなずいた。


「死ぬつもりはございません」


 この場において、静かな湖面のようなベラドナの声はよく響いた。

 御前会議の結果は、予想がついている。

 ベラドナを敵国へ差し出す。

 キールがこの場にいることで分かった。

 彼がラマンカの領地を引き継ぐ後継に、正式に決まったのだ。

 そっと横目で弟を見ると、氷の長官には似つかわしくない苦り切った顔をしている。

 しっかりしなさい。

 そう叱咤するように、ベラドナは艶然と微笑んだ。


「自分の結婚相手の顔ぐらいは知っておきたいと思ったまでですわ」


 ローランはジーンランドに向けて交渉を試みたが、数日後の返答は、否。

 ベラドナの予想通り、戦場はベルランドとなった。

 エメラルドの帰還で、ベラドナはまだ見ぬ結婚相手の名を知る。

 アフエル・ジーンランド。

 ジーンランド公国第一王位継承者であり、幾多の小競り合いを収めてきた勇猛で名高い将軍であるという。

 名を、鮮血の公子。


 今回の戦争の、敵国の総司令官である。





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