11 ベラドンナの沈黙
宮殿へ入り、身繕いを整えたベラドナはすぐに謁見を許された。
ただし、王妃とその息子である第二王子へのだ。
ジーンランドの現王は、壮年に差し掛かって入るがまるで獅子か熊のような大男だ。彼のためにあつらえたような玉座に腰掛け、王に相応しい毛織のマントに繻子のついたコートをまとった姿はまさに猛々しい支配者を絵に描いたようだった。
ベラドナが宮殿へ連れられて真っ先に謁見を許したかの王は、美しいと評判の彼女を一瞥してまるで子供の悪戯を笑うように浅く嘲笑っただけだ。
弄長けた歴戦の王には、ベラドナなど小娘に映ったのだろう。
しかし、そのあと別の謁見室で相対した王妃とその息子は少し違った。
彫りの深い美しい顔立ちに見合った貫禄と自信を身に付けた王妃だったが、それだけだ。その息子である第二王子は、その母親とよく似た整った顔つきと父の精悍さを受け継いでいるのかベラドナを恐れることはなかったが、魔女だと噂される女を値踏みするような視線を始終寄越してきたものだ。
宮殿から、幾らか離された離宮に住まわされているベラドナに王宮の様子をうかがいしれないが、この謁見で少しだけ分かったことがある。
何故、第一王子が戦場の先鋒を務めているのか。
まともな王家であるなら、次期王であるはずの王子が戦場へ赴くことはあまりない。出しゃばるとしても、ほとんどの場合が嫡男以下である。
しかし彼は嫡男でありながら、ジーンランドで起きている戦のほとんどに赴いて指揮をとっているらしい。
それをベラドナに話したのは、他でもない現王だ。
彼は第一皇子の出兵を良くも悪くも思っていないようで、評価を下すそれは為政者の公正なもので、自分の息子というよりも戦場で武勲を上げた兵士に向けるそれだった。
そして、第一王子の腹違いの弟である第二王子は、内政のほとんどに携わっているようで、謁見した時に周囲が見せた扱いは、現王とほぼ同じようなものだった。
第二王子には畏敬と尊敬をこめた態度で誰もが望み、そして誰も第一王子の話を口にしようとはしなかった。
謁見からまた数日経ったある日、ベラドナの元にやってきたのは予想もしない人物だった。
「元気そうね。エメラルド」
彼女は滑らかな雪の髪をアシュクミ風に結いあげ、綿の一枚布のドレスのすらりとした装いだ。足音も少なくベラドナの前に立ち、恭しく膝をつく。
「長らく御側を離れましたこと、お許し下さい」
「許します。―――さぁ、立ってよく顔を見せて」
まるで騎士の忠誠を受けるような光景に、エメラルドを伴ってきた侍女の娘は目を白黒させている。
音もなく立ち上がると、エメラルドはベラドナのそばに侍るように寄りこうべを垂れた。
「まさか、あなたが来てくれるなんて。これはどういうことなのかしら?」
「これからは侍女の一人としてあなた様の側に置かれることとなりました」
よろしくお願いいたします、と静かに答えてエメラルドは目を伏せる。
「それは……確かに喜ばしいことだけれど」
影から脱したエメラルドが戦場に出ていたことは周知の事実だ。
暗殺さえ容易く行う彼女をベラドナのそばに置くことは、どういうことなのか。
測りかねたベラドナに、エメラルドは更に事実をもってあるじを驚かせた。
「わたくしめをあなた様の元へとお遣わしくださったのは、アフエル殿下でございます」
彼は戦場を経て以降、ただの一度もベラドナに会いにも来ない。
憶測を口にするのは憚られた。
だが、腹心の帰還は良い機会なのかもしれない。
「少し、外していただける?」
ベラドナ達の様子を部屋の片隅で聞いていた侍女は、ぱっと顔を上げると少し戸惑うような顔をしたが、「部屋の外で控えております」と部屋を辞す。
どうやら彼女にベラドナの監視する役割は与えられていないようだ。
躊躇いもなく部屋を去っていく後ろ姿を見送って、ベラドナはエメラルドに向き直る。
「――本当に久しぶりね」
改めてそう言い、ベラドナはエメラルドの動きに違和感がないことを観察した。少なくとも今は怪我などしていないようだ。
「それで、あなたが私のそばに再び来られるようになった理由を聞かせてもらえるかしら」
ベラドナの視線を受けて、エメラルドは低く「はい」と頷く。しかしいつもと違いそれに少しの逡巡が混じっている。珍しいことだと思いながら、ベラドナは彼女の言葉を待った。
「……先ほども申し上げました通り、こちらに私を遣わしたのは先の戦で姫と合間見えました、アフエル殿下でございます」
「停戦協定を結んだとはいえ、私の縁者を招き入れるなどあるのかしら」
エメラルドはベラドナの問いに今度こそ黙り込んだ。
未だかつて彼女が言葉を選んでいるがゆえに黙りこむなど無かったことだ。
それほど言いにくいことなのか。
ベラドナは無言でエメラルドを促す。
主の圧力に負けたエメラルドはそれでもしばらく悩むように口を閉じていたが、おもむろに重い口を開いた。
ここまで言いたくないことを無理に聞きだすことなどしたくはないが、彼女の情報は今のベラドナにとってはどんなささいなことでも必要だった。特に、あの第一王子のことであれば。
「……わたくしも奇妙に思い、不躾ながら質問を許して頂きました。思いのほか快く応えてくださったのですが…」
と、言葉を切り、エメラルドは躊躇いを打ち消すように続けた。
「母上さまが、おっしゃったからだと」
「は?」
思わず訊ね返したベラドナに、どこか同情するような眼差しでエメラルドは応える。
「……殿下の御母上、つまり王妃さまが一人見知らぬ土地ではベラドナさまも寂しかろうと自国から侍女を寄越すことを許してはどうか、とおっしゃったというのです」
つまり。
つまり、だ。
「……殿下は、母上さまの言いつけに従ったと…?」
誤りであってほしいと願いながら返したベラドナにエメラルドは無情にも頷いた。
「――はい」
嘘であってほしいと願いながらも、これが事実だと頭のどこかで声が囁いている。
言いつけを守ったアフエルからの連絡を受け、ローランはすぐに侍女の選定に入った。普通の侍女を向かわせたのでは意味が無い。侍女としても立ち回ることが出来、時に間諜としても働ける者でなくては布石にならないのだ。
そこでトトメスが推薦したのが、エメラルドだった。彼は彼女がベラドナの長くそば近くに居て戦場にさえ付き従っていたと、頭の堅い元老院を説得してエメラルドを遣わした。
そうしてやってきたエメラルドだったが、まず聞こえてきた噂、というよりも公然の秘密に驚いた。
ジーンランドの者であれば誰もが知るという。
先の戦では勇壮にさえ見えた鮮血の公子が、王妃である母には決して逆らわぬ重度のマザコンだということを。