34
「なんだ、これ……?」
その手に現れた新しい剣を、ユーリは目を丸くして見つめた。
一切の無駄のない造形は、だからといって無骨というわけでもない。真っ白な刀身はよく見れば濃淡が微かに揺らいでおり、刃は一本の髪の如く薄く、繊細だった。
美しい――。
色も、形も、芸術品のようだ。
しばらくの間、全てを忘れて見惚れてしまう。
「ユーリ! 無事か!?」
マオの声を聞き、ユーリは我に返った。
剣があるなら戦える。肉体が悲鳴を上げていようと、心がまだ力を振り絞ろうとしている。
その心に、白い剣は呼応するかのように輝いた。
力が湧いてくる。これなら、まだ動ける。
――《斬撃》。
未だ水塊を撃ち続けるヒュドラ目掛けて、ユーリは剣を振るった。既にヒュドラはユーリを死に体だと判断していたのか、こちらを見ていない頭部を断つべく斬撃を放つ。
瞬間、ユーリは目を見開いた。
その斬撃は、今までの比でないほど疾く、鋭く――広かった。
ヒュドラの首が落ちる。
三つ同時に。
狙った首だけでなく、更にその向こうにある二本の首も斬り落とした。
(……そういうことか)
ぶくぶくと音を立てて再生していくヒュドラの首を見て、ユーリはある事実に気づいた。
視界の片隅では、ロジールが死力を尽くしてヒュドラの首に斬りかかっている。だが、やはりヒュドラに傷をつけることはできない。
その理由が今、理解できた。
「ユーリ!!」
ヒュドラが再生する隙に、マオがこちらへ近づいてきた。
「お主、また妙な覚醒をしおったな!!」
「ああ」
宝座の最適化とやらが終わった直後、ユーリは《顕現》という権能を手に入れ、それを発動することでこの白い剣を手にした。
だが、手にした権能は一つだけではない。
頭の中で声が告げていた。ユーリは今、更に一つの権能を手にしている。
以前、予想した通りだった。
宝座には幾つもの力がある。第一の権能が《顕現》で、きっとその後も第二の権能、第三の権能と、次々と目覚めていくのだろう。
そして、その力で宝座の所有者は何をするのか。
ユーリは今、それを理解した。
「……マオ、宝座の正体が分かったぞ」
マオが「正体?」と首を傾げる。
ユーリは続けて説明した。
「ガレスが言ってただろ。自分たちではあのヒュドラに傷一つつけられなかったって。見たところうちの隊長も同じだ。……でも、俺たちの攻撃は通っている」
ロジールも軍人としてそれなりの実力を持つ男だが、特にガレスは軍人や騎士の中でもかなり強い部類である。そのガレスが傷一つつけられないのは流石に奇妙な話だった。
これには、明確な理由がある。
鍵となるのは――宝座だ。
「いいか、マオ。……宝座はこいつらへの挑戦権だ。同時に、こいつらを倒せる唯一の力でもある」
この土地に上陸した日の夜、ロジールは魔獣について説明した後、「この大陸には絶対に倒せない魔獣がいる」と説明していた。
正確には、それらの魔獣を倒すには特定の資格が必要だったのだ。
初めて資格を手にした時、頭の中の声ははっきりしておらずノイズのように聞こえていた。多分、あの段階から資格や権能の譲渡は処理が滞っていたのだろう。ユーリたちが資格を手にしたのは最初にヒュドラと戦った時だが、本来ならこの大陸に足を踏み入れた瞬間、手に入れていたに違いない。
宝座も同じだ。ユーリとマオは、この大陸に上陸した瞬間、いずれかの宝座を得ることが確定していた可能性が高い。そしてそれがヒュドラを打倒し得る力として、この大陸に認識された。
「妾たちの攻撃のみが、あの蛇に届くということじゃな」
「ああ」
マオの理解をユーリは肯定した。
要するに、何が言いたいのかと言うと――。
「――覚悟を決めろ。こいつは、俺たちが倒すしかない」
ユーリの発言に、マオは一度だけ……しかし確かに深く頷いた。
「妾は何をすればいい」
活路を開いたのはユーリ。
ならばユーリを中心に戦略を練るべきだろう。
どうすればヒュドラを倒せる?
考えるユーリは、ふと刀身を見て、その変化に気づいた。
(刀身の色が変わっている……?)
元々は濃淡こそあれど全てが白く染まっていた刀身だが、今はその中心に青色が差していた。
白と青。二色の組み合わに気づいたユーリは、頭上を見る。
立ち込める曇天。その中心が、ヒュドラの放つ水塊によって吹き飛ばされ、青い空が見えていた。
(空と連動しているのか――!)
空の宝座。その文字通り、この刀身は空の状態によって変化する。
変化するのは見た目だけではない。
空の宝座・第二の権能が目覚めたと同時に、ユーリの脳内にその情報が流れ込んできた。しかし実は今まで理解できずにいた。何故ならそれは、刀身の状態によって変化する権能とのことだった。
刀身の状態とは? そんな疑問が今、解消する。
道が見えた。――あのヒュドラを倒すための道が。
「マオ、今から言うことをやってくれ」
ユーリは端的に要求を伝える。
それさえやってくれれば、あとはこの剣が――空の宝座がヒュドラを討つ。
「本当にそれだけでいいんじゃな?」
「ああ、その先は任せろ」
マオがユーリを信じたのは一瞬だった。
最後の確認にユーリが頷いた直後、マオは残る力の全てを振り絞って一際巨大な砲台を創る。
放たれた砲弾は、荒れ狂うヒュドラの首の脇を抜けた。
奥にある胴体を狙ったわけでもない。大きな砲弾はヒュドラのどの首にも命中することなく、雲に覆われた空へと突き進む。
「爆ぜろ――ッ!!」
マオが叫んだ直後、砲弾が独りでに爆発した。
マオの《創造》なら、砲弾の種類を変えることくらい容易い。
立ち込めていた雲が吹き飛ばされる。
曇天が青空に変わった時、ユーリの握る剣の刀身も清々しい青色に染まった。
この状態だ。
晴天のもと、剣を青く染めたこの瞬間こそ――空の宝座が最大の効果範囲を発揮する時。
空の宝座は、攻撃範囲特化。
その性質をユーリは正確に理解していた。
「第二の権能――――」
跳躍したユーリが、正面にヒュドラの頭を見据える。
青く輝く刀身を見て、ヒュドラの瞳が恐怖に染まったような気がした。殺意を抱く災害が、意思をもつゆえに恐れをなし、退こうとした瞬間だった。
だが、三度目の決戦はない。
ここで終わらせる。そう強く決意しながら、ユーリは権能を発動する。
「――――《暁へ飛翔する閃薙》!!」
空の宝座・第二の権能。
それは、通常の《斬撃》とは比にならないほど巨大な斬撃を放つというシンプルな効果。
だが、雲一つない快晴の時にそれを振るえば、その斬撃はどこまでも続く刃と化す。
どこまでも――。
目の前のヒュドラの首を断っても、勢いが衰えることなく――。
二本目の首を断ち、三本目の首を断ち、それでもなお速度を緩めることなく――。
「届けぇえぇえぇぇえぇえぇえ――ッッ!!」
かつてマオは言った。
空の宝座の効果は、範囲の拡張であると。
その真価が今、発揮された。
止まらない。放たれた斬撃は眼前に立ち塞がる全てを両断し、更になお止まることなく突き進む。風を斬り雲を斬り、どこまでも、どこまでも、目の届かないところまで進み続ける。
水平線の彼方まで、その刃は届く。
ヒュドラの首が全て切断された。
九つの頭が海に落ちた後――ヒュドラの胴体が激しい水飛沫と共に倒れ、もう再生することはなかった。
【〝空〟の担い手が、水蛇ヒュドラを倒しました】
【〝水蛇の征伐者〟を獲得しました】
【以下の権能から一つを獲得できます】
【権能《再生》】
【権能《水上歩行》】
【権能《水蛇降臨》】