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ガレスの身体と剣を打ち合いながら、ユーリは考える。
ガレスはこの黒い靄に乗っ取られていたと考えてもいいだろう。いつから乗っ取られていたのかは不明だが、空間歪曲現象の犯人は間違いなくこの黒い靄だ。本体はここにはないのか、それとも最初から存在していないのか……いずれにせよこの靄が人の身体を借りて装置を仕掛けていたに違いない。ひょっとするとガレス以外の身体にも乗り移っていたのかもしれない。
(この剣、どこの流派だ)
ガレスに乗り移った黒い靄の猛攻を凌ぎながら、ユーリは眉を潜める。
下半身で力を溜め、上半身でそれを解き放つ剛剣。地面の凹凸を利用した体重移動は理に適っており、その一挙手一投足が破壊力の増大に繋がっている。こんな剣術は見たことがない。だが我流にしては粗を感じず、その動きは時代による洗練を彷彿とさせた。
(――強い)
ガレス本人よりも――――。
振り抜かれた剣を避けると、豪快に風を切る音が聞こえた。人の胴など容易く切断してみせるであろうその剣は、徐々にユーリの心身を追い詰める。
だがその時、ユーリは閃いた。
それはひょっとすると、《超感知》の賜物かもしれなかった。
「……お前、なんか霊っぽいな」
黒い靄を見てユーリは言った。
「じゃあ、これが効くんじゃねぇか?」
ユーリがガレスの身体と距離を詰める。
上段からの豪快な振り下ろし。それを紙一重で避けたユーリは、権能を発動した。
――《魔祓い》。
塔で手に入れたばかりの〝祈祷師〟の権能。その効果は、霊の類いを葬るものだと聞いた。
ユーリの握る剣が薄く発光する。その刀身で黒い靄を両断した。
『ぐ、うぅ……ッ!?』
ガレスの身体が後退し、黒い靄が呻き声を上げる。
予感的中。この黒い靄には〝祈祷師〟の権能が効果絶大だ。
『貴、様――ッ!?』
黒い靄が殺意を漲らせたその時、突如、ガレスの足元から大量の槍が生えた。
ガレスの身体が大きく跳躍し、頭上の木に登る。
ユーリが振り返ると、そこには不敵な笑みを浮かべた相棒がいた。
「待たせたのう、ユーリ」
レイドたちの避難を済ませたマオが、合流を果たした。
瞬間、ユーリの肩から力が抜ける。
もう負ける気がしない。
「ガレスはあの黒い靄に乗っ取られていた。捕まえるぞ」
「了解じゃ。妾を襲ったのも、恐らくそいつじゃのう」
マオを襲ったのもこの黒い靄に乗っ取られた誰かだとすると納得できる。あの時、拠点にいなかったのはハガットだが、ハガットの老体でマオと戦うことはできないと判断して犯人候補から除外した。しかしこの黒い靄がハガットの身体に乗り移り、強引に肉体を動かしていたのだとしたら不可能ではない。この黒い靄には尋常ではない戦闘経験があり、老体でも多少は戦えることが予想できた。
(先にマオを狙ったのは、俺が〝祈祷師〟を持っていたからか?)
この黒い靄には、ユーリが一人になる瞬間を狙うという手もあったはずだ。
そうしなかったのは、恐らく〝祈祷師〟の権能を警戒したからである。黒い靄はこの力を苦手としている。
『……この身体では分が悪いな』
黒い靄はそう言って、ガレスの身体を退かせた。
「待て! どこへ行くのじゃ!!」
叫ぶマオと共にユーリはガレスの身体を追う。
逃がすわけにはいかない。このままではガレスの身体が奪われたままだ。最低でもガレスだけは取り返す必要がある。
空間歪曲現象はもう起きていなかった。高速で逃げるガレスを追ううちに、ユーリたちは海岸の方へ近づく。視界の片隅に第八遠征隊の拠点が映ったが、今は暢気に顔を出している場合でもない。
「ユーリ、海岸に出るのじゃ!!」
「ああ!!」
そろそろ森を抜けて海岸に出る。
そんなことは言われなくても分かっているが、マオが伝えたかったのは別のことだ。
この海岸には――化け物がいる。
『深域より来たりし魔獣の王よ!!』
海岸に出たところでガレスは逃走をやめ、海に向かって何かを叫んだ。
『アルザスを滅ぼした七獣の一角よ!! その暴威を解き放て!!』
ガレスの叫びに呼応するかのように、海面が浮上した。
海の中から現れた、山の如き巨大な蛇――九頭の大蛇はユーリを鋭く睨む。
その目に宿る憎悪を感じ、ユーリの全身が粟立った。
【〝空〟の担い手が、水蛇ヒュドラの試練を開始しました】