27
天球庭園。
その名を聞いた時、ユーリは転生した時のことを思い出した。
真っ白な空間で、ユーリは一人の女と向かい合っていた。
淡黄色の髪を肩まで伸ばした彼女と、ユーリはこんな会話をしていた。
『アンタ……誰だ?』
『そうですね……皆さんからはよく、庭園と呼ばれています』
庭園。
天球庭園。
多分、この二つは一致している。
ユーリは思わず額に手をやった。
情報は結びついたが、謎は更に深まった気がする。……あの女が庭園? だとするとあの女に空間を操る力があるというのか? そういえば自分があの女と会った真っ白な空間は何なんだ? あれこそまさに庭園の力で作られた空間なのではないか?
何なんだ?
この大陸には――――何があるんだ?
「ユーリ、何か心当たりがあるのか?」
無意識に深刻な様子で思考していたユーリは、ガレスの一言で肩を跳ね上げた。
確実に何かある反応を見せてしまった。どう答えるべきか、悩んだユーリは塔の中で見た光景を思い出す。
「いや……そういえば塔の中に壁画があったことを思い出してな。一番左に、球体の絵があったが……」
「鋭いな。あれこそが天球庭園の姿だ」
ハガットは説明を続ける。
「儂らは秘密裏に庭園の研究を進めていてな。塔にあった他の資料から、庭園の能力や形についても知ることができた。庭園は紛れもなく空間を操るための道具であり、その形は球体。現在、判明しているのはそのくらいだが……」
そこまで語って、ハガットは再びユーリが手に入れた文書を指で持ち上げる。
「ここに記されている『庭園は塞がれ』という文言は初めて目にするものだ。塞ぐ、塞ぐか……ううむ、庭園の能力を考えると、隔離するという意味だろうか。しかしこれは古代の文書。今も塞がれているのかどうかは要検討だが……」
ハガットの発言は次第に独り言となり、最後には聞こえなくなった。
思考に没頭するハガットを見て、改めてガレスがユーリとマオを見る。
「塔に残された文献によれば、庭園の力を使うと、山を平地にすることも砂漠に川を流すことも可能らしい」
「……なるほど。どうりで他言無用なわけだ」
「ああ。間違っても、信用できない人物の手に渡ってはいけない力だ」
かつて、この地で栄えていた文明は、その庭園の力で土地を開拓していたのだろうか。
失われた古代の生活に思いを馳せることは浪漫を感じる行為だが、スケールが壮大すぎて想像が追いつかない。
「ルクシオル王国は何故それを欲しがるんじゃ?」
「復興のためだそうだ。魔族との戦争で王国は疲弊しているからな」
「復興のため、のぉ……」
マオが訝しむ。
ふと、ユーリは床に転がっている装置を見て、気づいたことを口にした。
「空間を操るってことは、つまり空間歪曲現象も起こせるってことか?」
「かもしれないな。しかし少なくともこの装置が庭園というわけではないはずだ。形状も、力の規模もまるで違う。同じ技術が使われている可能性は高いが……」
詳細は調べないと分からないし、調べる方法も今のところない。
「取り敢えず、極秘裏の任務については理解した。それらしき手がかりを見つけたら、ガレスたちにこっそり報告すればいいんだな?」
「ああ。お前たちが協力してくれれば百人力だ」
◆
会議用の小屋を出たら、空がすっかり暗くなっていることに気づいた。
「うーむ、色んな情報が出てきたのう」
マオが軽く伸びをしながら呟く。
その背中を、ユーリは真っ直ぐ見つめた。
「マオ、ちょっといいか?」
「できれば後にしてほしいのじゃ。妾はこれから待ちに待った拠点の改築を行う。丁度、お主たちが手合わせしている間に隊員たちの許可も取ったしのう」
ふっふっふ……と怪しげに笑うマオ。
しかしユーリは、そんなマオに対して真剣な面持ちで告げた。
「真面目な話だ。マオがその気になれば、すぐに終わる」
「……ふむ。そこまで熱く見つめられたら、応える他ないのう」
マオは茶化すように肩を竦めた。
だがユーリは真顔のまま、端的に問いかける。
「お前、なんで女神と邪神がこの大陸にいるって知ってたんだ?」
その問いに、マオも真剣な面持ちをした。
「相変わらずの勘の良さじゃな。先程の会話でそこに結びつけられるとは」
先程の会話がなくても、遅かれ早かれユーリはこの疑問を抱いたはずだ。
従って、マオも隠し続けるつもりはなかったのだろう。そう思いながら、ユーリはこの疑問に至った経緯を語り出す。
「壁画には、庭園以外にも二つの絵が描かれていた。ハガットが翻訳した日記にも、庭園の他に王冠、船という単語が並んでいた。壁画でも、日記でも、まるでこの三つは同格であるかのように扱われている」
つまり――――。
「この大陸に眠る秘宝は、庭園だけじゃない。王冠と船……あと二つある」
「まあ、そう考えるのが自然じゃな」
頷くマオに、ユーリは続けて言った。
「なら……庭園と同じように、それぞれを狙っている組織もあるんじゃないか?」
そして、もしもマオが前世の段階からその組織と接触を果たしていたならば……マオが新大陸に関する情報を知っているのも頷ける。
というより確実に接触しているはずなのだ。当時、新大陸の情報を持つ組織はごく少数。戦争で余裕のなかった魔族たちが自力で新大陸の調査をしていたとは考えにくいし、マオが魔王だった頃に頼った情報源がどこかにあるはずだ。
「見事な推理じゃ。お主には〝探偵〟の資格を授けよう」
「そんな権利お前にはないだろ。……いや、手に入るなら欲しいけど」
もし〝探偵〟という資格があれば、その権能はどんなものだろうか。証拠とかを探しやすくなるのかな……なんて頭の片隅で空想するユーリに、マオは説明を始める。
「現在、この新大陸の調査には三つの国が参加しておる。どこか分かるか?」
「ルクシオル王国、神聖エレヴァニス皇国、そしてグランベル帝国だな」
「その通り。そして先程、ルクシオル王国は庭園とやらを狙っていることが判明した。他の二国も大量の遠征隊を送っている以上、何かを狙っているはずじゃ。ひょっとすると王国と同じように庭園を狙っているかもしれんが……少なくとも、神聖エレヴァニス皇国は違う」
そう言い切れる根拠が、マオの中にはあるようだった。
何故、マオは皇国の事情に詳しいのか。
「……そういえば、あの国は魔族の領地と近かったな」
「うむ。ゆえに妾は前世であの国の情報を仕入れていた。……その情報の中にあったのじゃよ。皇国の、神々と接触するという計画が」
神々と接触する――。
それはまさに、今ユーリたちがやろうとしていることと全く同じだ。
「計画を知る過程で、この大陸に眠る秘宝についても知ることができた。じゃが当時の皇国はその正体までは明らかにできず、庭園だの王冠だの船だのといった名前を知ったのは妾もついさっきじゃ。しかし皇国は、その秘宝の在処を執拗に調べていた」
神々と接触するには、その三つの秘宝のいずれかが必要というわけだ。
皇国の動きがそれを証明している。
「ガレスから話を聞いた限り、庭園はあんまり神々と関係なさそうだよな」
「うむ。つまり残りの二つ……王冠か船、このどちらかが神々への道標となりそうじゃ」
消去法で、マオはそう予想する。
「そして、妾は……船と呼ばれる秘宝に心当たりがある」
それは初耳だった。
怪訝な顔をするユーリに、マオは続けた。
「妾が持つ《輪廻転生》の権能……これに、目録の船という概念が反応しておった。船とは恐らくこれのことじゃ」
「……そういえば言ってたな。なんとかノアっていうのが反応したって」
大蛇を退けた後、夜の海岸でマオが話していたことを思い出す。
まさか、なんとかノアの正体がそんなに壮大なものだったとは、あの時のユーリには想像もつかなかった。
「その船とやらに、神々との繋がりは感じるか?」
「今のところ半々じゃのう。目録の船が、資格や権能と密接な関わりのある概念なのは間違いない。となれば権能を自在に与えられる神々との繋がりも感じるが……どうにも間接的で、推測の域は出ないのじゃ」
神々と直接繋がっているかどうかは、まだ定かではないらしい。
静かに吐息を零し、ユーリは空を仰ぎ見た。
天球庭園。
目録の船。
そして、まだ名前も知らぬ王冠。
この大陸に眠る三つの秘宝。
そのうちのどれかが――あのクソ神どもと繋がっている。
「……いいね。ちゃんと前に進んでるじゃねーか」
ユーリは不敵な笑みを浮かべて言った。
「王国の狙いは天球庭園で、俺たちの狙いはそれ以外の船か王冠。で、皇国もそのどちらかを狙っているから、最悪の場合は競争しなくちゃいけないわけか」
「そうじゃのう。……あぁ、困ったことになったのじゃ。まさか国を相手に争うかもしれんとはのぅ……」
マオはわざとらしく怯えた演技をした。
演技だ。決して本気で怯えているわけではない。
その胸中を理解できるのは、世界でただ一人、ユーリだけだった。
「いけるだろ」
軽い口調でユーリは言う。
そんなユーリに、マオも不敵に笑った。
「だって俺たちは――」
「――勇者と魔王。人類最強と、魔族最強じゃ」
たかが国如きに負けてたまるか。
神々に喧嘩を売ると誓った二人の覚悟は、およそ人々には想像もつかないほど強靱で、自らの勝利を疑わなかった。