4/8(火) 学校に行こう(そして二度と行くまいと思う)
学校の先生はいつ学校に来てもいいと言った。ならば明日すぐ行ってもいいということなのだろう。そういうわけで、吸血鬼は朝早起きして学校に着いて行くことにした。
「俺この辺で電車のチケット買ったことないわ」
不慣れに券売機を操作する吸血鬼に買い方を教えて、朝の通勤ですし詰めの電車に乗る。各駅停車で五駅、降りる頃には吸血鬼はだいぶげっそりしていた。
「二度と乗らねえわ。毎日こんなんなの?」
「帰りはカラスに変身して僕の頭に乗っとく? 帰るまで変身は解いちゃダメだけど」
「……そうする」
そうすりゃ交通費も浮くだろ、という。
学校があるのは何の変哲もない駅前ビルの地下である。エレベーターに比べて目立たない位置にある階段を二階下り、鉄製の扉を開ける。
「おはようございます」
「おはよう。今日は一番乗りだな」
奥の事務室から声が聞こえる。先生と思しき男が、書類の合間から整った顔を上げる。薄い色の金髪を後ろで束ねて、花弁のような色彩が入った赤い目がこちらを見る。作り物の顔だ。
「君が――噂の吸血鬼か。会えて嬉しいよ」
手前のソファに一人、同じような恰好が座って携帯電話を弄っている。関心無さそうにこちらを一瞬向いて、また携帯電話に視線を落とす。先生とまったく同じ顔をしている。
「あれは?」
「薪麿はいつも一番乗りだよ。先生と一緒に住んでるから」
先生はこちらに来て、吸血鬼に握手を求めた。吸血鬼は狩人の後ろに隠れた。嗅いだことのない種族の臭い、近い種族は見た目通り人間だが、見た目よりもはるかに臭いが若い。生まれて五年と経たない子どものような、水っぽい臭いだ。得体の知れない奴。
「何者だ? あんた」
「君が不審に思うのもわかる。私には人のような血が流れているが、君にはカロリー半分以下といったところだろう。生命力も半分以下なのだからね」
「何言ってんだあんた……」
「今日は見学だろう。特に何を用意しているわけではないが、君の興味を惹けるものがあったなら幸いだ」
生命力もそうだが、苦手な雰囲気だ。頭のどっかネジが抜けてるんじゃないの。
「私はこの学校の校長をしている、九鬼、という。薪麿、君も挨拶を」
携帯電話を仕舞い、ソファから立ち上がる。先生と同じようなにおいがする。
薪麿と呼ばれた彼は吸血鬼の手を取り、鼻が触れるほど顔を近付ける。
「吸血鬼なんだろ。あんたが私の血を吸ったら、私はどうなる」
マリーゴールドのような黄色い目だ。
「死ぬだろうな。貧血で」
「私は吸血鬼に成れるか?」
「お前の身体が耐え切れたなら」
「携帯持ってる? 連絡先交換しよう」
連絡先を交換したら、薪麿はまた定位置に戻った。
狩人がこの教室を案内してくれるらしい。この学校は少し首を回せば視線だけで一巡できるような場所だ。奥は事務所で手前の薪麿が座っているのが一応の応接間、左手に見える円卓が授業をするという教室らしい。壁際には背の低い本棚と、動く置物がたくさん。奥の壁の向こうは図書室と自習用の個室だそうだ。
「おはようございます!」
「おはようございます」
図書室の蔵書を眺めていると、二人分の声が聞こえてきた。
「おはよう」
片方は全身をベルトで留めていてギシギシうるさく、もう片方は普通の人間に見える。
「おお、噂の吸血鬼どの!」
全身ベルトのほうが駆け寄って、吸血鬼にの両手を取って詰め寄る。距離が近いな。また嗅ぎ慣れない臭いがする。車の臭いだ。いよいよ生き物ですらないものが出て来るようになったか。
「拙者はテル・ヒダルマンと申します。吸血鬼どののお名前は!?」
「ダスク。ダスクのクドラク」
「ダスクどのでござるか!」
なんで車が人型でござる口調で全身ベルトなんだ。髪は真っ青で目は燃えるように赤い。これで目立たないわけがない。どういう意図の生き物なんだ。吸血鬼は得体の知れない様子の生き物に、かなり引いていた。
「そうだ、吸血鬼どのと会ったら一言聞きたかったのでありますが……」
全身義体のテルが手を挙げて聞く。動くたびにギシギシ言っている。
「宿敵と暮らすなど、ちょいと思考がクレイジーではござりませぬか?」
「そりゃあっちに言え。提案したのは理人だ」
「いつまで続くか見ものでありますな……」
しかも性格が悪い。なんなんだ。
「黙ってろカス。自分の同居が上手く行ってないからって僻んでんのか?」
薄っすら開けた口の端に炎が漏れた。適当に言ったことだったが、どうやら図星だったらしい。これ以上の会話は無意味と断じて、吸血鬼は手をぱっと離して、もうテルのほうを向かなかった。仲良くしたがらない人と喋る価値は無い。
吸血鬼が目を向けると、事務所のほうで先生と喋っている唯一普通の人間らしい彼が円卓のほうに去る。何か話してたみたいだけど。悪いことしちゃったかな。
「なあ、先生。これどういう学校なんだ?」
「……人間でなかった者が、社会に馴染むための、最初の段階の学校だ。ここで人間社会と戦うための知恵と後ろ盾を付けて、他の場所に行くための場所だ」
「あんたも人間じゃないのか?」
「もとはね。でも悪い人間だったから、やめたんだ。学校を造ったのもごく最近だ。これからはいい人間になって、人の役に立つことがしたいって思って」
――偽善者め。
「理人のスポンサーとの関係は? あいつとの関係はそこからだろ?」
「友人だよ。さっき私が話してた彼――ネイっていうんだけど、彼と会ったことがある?」
「無い」
「本当に?」
「顔近いんだけど。何かあったの?」
「悪魔に憑かれてたんだ。知り合いに悪魔はいる?」
いるともいないとも答えられない。まったく仲良くないからだ。
この学校には授業というものが特になく、生徒たちは各々自分の決めた課題に向かって作業をするらしい。一応決められた休憩時間はあるが、それも自己の判断ですればいい、ということになっているようだ。
「すみません、ちょっとエレベーターが混んでて」
と言って、ホワイトボードの裏から最後のの一人が来る。誰もいつものことだと知っているらしいが、吸血鬼はぎょっとした。ここ来てから驚いてばっかりだ。ちょっと嫌になる。
「彼は少しズレていて、ちょっと見えにくいんだ」
よろしく、と彼はこちらに手を振る。
全身義体のロボに、元悪魔憑き、位相のずれた人擬きに、錬金術師謹製の人造人間。かろうじて普通と言えそうな人間は一人だけ。なるほど、錬金術師のやりそうなコレクションだ。
元悪魔憑きは怖がって近付かないし、人造人間は既にこちらに関心が無い。ストレンジャーに至ってはいるのかいないのかすらわからない。今この教室に通う生徒は、これで全員のようだ。
授業が始まってから、教室内の書棚を漁るのも早々に飽きて、吸血鬼は狼に変身してソファの上でゴロゴロしていた。
「おや。暇を持て余してしまったかな」
吸血鬼は先生の問いかけにワン、と吠えて応える。これでは犬と変わりない。
「理人くん、課題が終わったら帰るといい。吸血鬼くんが寝てしまう前に」
「はい。そうします」
行きに宣言した通り、帰りはカラスに変身して狩人の頭に乗った。
「君、けっこう重いんだね」
狩人の頭の上はふわふわしていて座り心地がいい。羽をだらんと下げてくつろぐ。誰も彼も彼らを見ていたが、理由は明確なので気にすることもない。
帰ってから変身を解き、欠伸をする。
「どうだった? 学校」
「面白くはねえな。寝てた方がマシ」
「そりゃ君何もしてなかったからね。夜行性だし」
「帰って良かったのか?」
「いいんだよ。君どうせ一人で帰れなかったろ」
「まあ、そうだけど」
「だからいい。今日の目的は果たせたわけだし。昼飯は適当に食っといて」
バタン、と押し入れの戸を閉じる。慣れない外出をして、疲れているらしい。
狩人は冷凍のご飯を電子レンジでチンして、一人昼食をとった。
吸血鬼が昼寝を終えると、学校の時間が終わったらしい薪麿からメッセージが来ていた。こちらの方が流暢に話せるらしい。陰気なやつだ。筆まめと呼ぶべきか。
[連絡先を交換してくれてありがとう]
[吸血鬼の血と君の能力について調べたいことがある]
[具体的な検査方法はまた後でになるけど]
[良ければ返事が欲しい]
[暇な時でいいから]
薪麿。意思を持った、錬金術師の予備の身体。必要がなくなったから、彼は彼として生きている。記憶と知識を移した欲深な錬金術師は元来の欲を失ったように見える。残された予備の身体が人よりも長い生を望む。皮肉なものだ。吸血鬼は喉の奥で笑った。学校行ってよかった。
彼は吸血鬼の血によって得たものが偽の永遠であることを知っているはずだ。そんなもので何がしたいのか。
[いいけど、まずは仲良くなってからにしない?]
あとはあの元悪魔憑きと仲良くなりたいな。悪魔は商売敵だし。彼の心の弱みに付け込めたらいいんだけどな。
にやにやと彼が携帯電話の画面を眺めていると、アラームが鳴ったのに起きてこないのを不審に思った狩人が押し入れを開けた。
「……暗い中で画面見てたら目悪くなるよ」
「俺夜行性なんだけど?」
「関係あるかな、それ……」
吸血鬼は携帯電話を置いて、夕食の準備に取り掛かった。今日は何の買い物もしていない。そんなときには昨日買った冷凍のチキンステーキを使う。現代には便利なものがたくさんある。