日付不明 吸血鬼の愛と性について(真実を認めるのに苦しむこともある)
「び……ビッチ」
「新しい言葉を覚えたのか。えらいぞ」
ある日、光差す床の間の廊下で、吸血鬼と狩人が向かい合っていた。二人の間には反り返った張型が置いてある。張型とは男性器を模したディルドの和風な言い方で、これは蛍光ピンクに色付けされた合成樹脂でできている。吸血鬼のものだ。彼が一人でこの家のお守りをしていた間、性欲の処理に使っていたものらしい。さしもの淫乱吸血鬼であっても、とても山の猪や鹿相手に性行為を持ち掛ける気は起きなかったらしい、しばらくこれで自らを慰めていたようだ。
「出来るだけな、お前と同じくらいの大きさのを選んだんだ。一人でも寂しくないように。いいだろ」
これの持ち主である吸血鬼は、同居人の詰問をものともせず堂々としていた。せんべい座布団の上で胡坐をかいて頬杖をつき、もう片方の手の人差し指で張型の先端を焦らすようにつついていた。
対して狩人は真面目で堅物、正座をして、あくまで言葉のみで吸血鬼を責め立てていた。こちらのほうが大分不利に見えたが、逆転の筋もまた見える。
「浮気だと思うか? ただおちんちんを模したおもちゃで、自慰をしただけだ。ただの性欲の解消に過ぎない。いないお前は相手をしてくれないから、これで寂しさを埋めてたの。お前がしてるのはただの嫉妬だろ? 面白い奴」
「面白がるな」
「じゃあなんで怒ってんだよ。他に理由があるのか? 清廉潔白を名乗りやがる聖人様がよ。独占欲からくる嫉妬じゃないのか?」
「怒ってない。名乗ってない。聖人でもない。僕がしてるのは確かに嫉妬だ。シャンジュが望むなら、シャンジュの性欲に僕も付いていく。だから……」
「だからァ?」
「君がしたくなったら……僕に言えばいいだろ。僕に。君の言う通り、僕は嫉妬してるんだよ。君の寂しさを埋めてるっていうおもちゃに。君を埋めるのは僕でありたいんだよ。だから。君がこれを必要とすることがないように、……えっちしたくなったら、ちゃんと僕に言って」
狩人の持っていた感情は独占欲だった。己の宿敵を独り占めしたかった。今後自分以外の誰とも性行為をしてほしくなかったし、出来ることなら永遠に二人きりで居たかった。素直に認めることは出来た。
この場に清廉潔白な愛は存在しなかった。彼の運命への執着はどこまでも真っ直ぐで、吸血鬼はそれを愛と受け止めたくなかった。吸血鬼は一人寂しいのが嫌いだったから、自慰が嫌いだった。おもちゃを使うのも気に入らなかった。一人の寂しさは一人では埋められない。この優しいが己にだけ厳しい男、狩人が一緒にいることで、なくなってくれたものもある。だから吸血鬼は鼻で笑った。
「いいぜ。乗ってやる。でも理人くん性欲強いからなぁ、俺耐えられるかなぁ。壊れちゃうかも♡」
「君は!」
狩人が弾けたゴムのように怒鳴る。煽り過ぎたと思って吸血鬼は過剰ににやにや笑うのを止め、次の句を静かに待つ。急にキレるやつだな。こわーい。恐れを表情にしないため、内心おどけて肩をすくめる。
「君はそうやって、誰とでもするのか!」
「……そんなわけないだろ。俺だってやる相手は選ぶさ」
吸血鬼はこの一瞬で、今まで性的な関係になった人間、牛、その他の生物の顔や身体を思い返していた。半分は顔も思い出せなかった。それはまあいい。今はさしたる問題じゃあない。
「俺だって誰とでもやるわけじゃあ、ないんだ。好きになった奴、愛した奴としかしないよ。初めて会った奴でも、その一瞬は本気で愛する。敬意を持つ。だから抱いたし、抱かれたんだ。ま、興味本位だったことはあるがな。その時は酷い目に遭ったもんだ。お前のことじゃないぞ。まあ酷い目には遭ったかもだけどぉ」
「口でなら何とでも言える」
「そうだな。でも自分に嘘を吐くのはつらいんだぜ。愛してるっていうのは特に」
「……僕は?」
「そりゃ、お前だって……」
吸血鬼の蜂蜜色の目が真ん丸に見開いて、狩人を映した。
「お前だって……」
狩人はさっきまでと変わらず、じっと吸血鬼を見詰めていた。
吸血鬼は部屋のほうに目を反らした。普段食事をとる、テレビのある居間だ。昼間なので明かりはついていないが、太陽の反射光が眩しい。
「あ、ああ~……?」
「なんで歌うの。ふざけないで」
狩人は身を乗り出し、吸血鬼の顔を手で挟んで自分と目を合わせさせる。陽の光に照らされた、吸血鬼にあるまじきあたたかい頬だ。
「君は自分の意に沿わないとそうやってふざける傾向にあるな。なあ、僕を愛してるんならそう言ってくれ。愛してないなら苦しんでまで言わないでくれ。つらい嘘なら吐くな。どこへなりと行けばいい」
「好きじゃなきゃ一緒に居ない。多少なり気に入る所があるから一緒に居る。だからセックスだってしたい。おわかり? 手ぇ放して」
吸血鬼は狩人の手をすり抜けて、唇に口付けた。狩人はTシャツの袖で口を拭いた。
「そのうえで僕が欲しいのか」
「まあな。でもお互い様だろ」
吸血鬼は首筋に手を伸ばし、じっとり強く撫でてから抱き着いた。そして耳元で囁く。
「でもお前は愛してないから」
真ん中に置いた張型はしばらく出番が無くなるだろう。しかし捨てるほどじゃない。いつかは出番が来るだろう。吸血鬼は張型を元の袋に入れ、箪笥の奥に仕舞った。




