九月ごろ 腐女子と腹が減った吸血鬼
「エロ小説書いてる?」
「いきなり何を言いだすんですか」
「じゃあ漫画だ」
喫茶店のカウンターの中にはアルバイトの魚継がいて、客席には吸血鬼のほかには誰もいなかった。
吸血鬼は遅めの朝食を取りに来ていた。今日は平日で、家には誰もいなかった。サラダとオムレツを食べ終え、三枚目のトーストをたっぷりのクロテッドクリームと葡萄のジャムでいただくところだった。
「お前オタクなんだろ。書いてないわけないだろ」
「そりゃとんだ偏見ですよ」
「でもお前は何がしか書いてんだろ? そのスマホの中にある文字、小説だろ」
魚継は画面を隠した。アルバイト中に何をしているんだと言われそうであるが、暇な時にはスマホを弄っていてもいいというお許しをこの喫茶店のマスター直々に得ている。客がいないなら小説を書いているのも彼女の自由だ。
「……エロじゃないですけど」
「俺たちのも書いてる?」
「は? 書くわけないじゃないですか」
心底驚いたように魚継は言う。吸血鬼は揶揄うつもりで言ったのではなかった。普通の人間らしい、素朴な疑問だった。皿の上のものを空にするペースを、お喋りのために意図的に落としていた。
「なんで?」
「なんでって。目の前に確かに存在する人間で勝手な妄想繰り広げるとか、失礼でしょ。書いてたとしても本人に言うのはもっと無いです」
「俺は吸血鬼だぞ」
「あのねぇ、いくらシャンジュ様が吸血鬼でも、大事な友人を妄想の材料にはしませんよ。漫画とかゲームとかアニメとかに既に好きなキャラがいっぱい居ますから」
「ふーん。二次元のキャラは番わせていいんだ」
「番わせるってねぇ」
わたわた手を振りろくろを回し、魚継は早口で話し始めた。
「長くなりますけどいいですか。……好きって種類があって、単体でビジュアルとか性格とか好きなキャラとか、この人の物語が好きだとかとは別に、この人たちが平和に暮らしてあわよくば人生を共にしているところが見たいなとか、そういう妄想をしてるんです。あんたらは現実で物語進行中なんだから、妄想を挟む余白が無いでしょ」
「あったらするのか」
「いや、別に。キャラとして見るとはいい線いってるしそこら歩いてる普通の人類よりかずっと面白いと思いますけど、全てが都合のいい生存ifを考えるほどじゃないですね」
「そう。好きなキャラって平和じゃないの?」
「一方は死んでます」
「平和じゃねえな」
クロテッドクリームは美味いが周りの店には置いていない。喫茶ソロモンはここいらでクロテッドクリームを最も安く食える店だ。吸血鬼は口の周りに付いたジャムを拭って舐めた。
「俺たちのエロ小説書いてって言ったら引き受けてくれる?」
「……嫌です」
魚継は苦虫を嚙み潰したような顔をした。この話題が始まってこの方あからさまに嫌そうな顔をしていたが、一層口の中に突っ込まれたような、眉間のしわが視野にも影響していそうな表情をしていた。
「なんで。やっぱさっきの理由?」
「それもありますけど。自分、エロ書かないんで。画面の外でやってもらう分には構わないんですが十八禁は見るのもマジで無理で」
「そっか」
そりゃ仕方ない。ほのかに甘いクリームで満ち満ちた口の中に甘いコーヒーを流し込む。人間らしく腹を満たす間、吸血鬼は終始機嫌良さげだった。
「……シャンジュ様。なんで書いてほしいんですか? 理由だけ」
「引き受けなかったやつには言わないよ」
「……そうですか」