四月某日
ミカジロの運転する軽トラに少ない荷物を載せ、山道を行く。
数週間前宿敵に宣言した通り、狩人は山間にあるミカジロの実家だった家に住むことになっていた。
期間は無期限。目的は犬神の処理。目的を果たせばあとはどうなってもいい。以前にも訪れたことがあるが、処理には時間がかかると判断し、しばらく置いておいても問題ないだろうということで、彼のために放っておかれたのだった。
ここを処理すれば、狩人はこの家を譲り受けてもいい、という約束になってある。どうせド山中にある利便性も無い住む予定も無い古い家だから、現在の持ち主であるミカジロは好きに譲り渡してしまっても構わないという。豪気なことだと錬金術師は言ったが、狩人は容赦なく好意に甘えることにした。
不便も多いが、それ以上に利点もある。狩人は借り物ではない自分の縄張りが欲しかった。
人から譲り受けたものではあるけれど。それはいい。どこに縄張りを持つにしても、先に住む者にお伺いを立てなければならないものだ。
「ここ一月くらいは様子を見に行ってなかったが、掃除とかは、あー、たぶんしてあると思うから、今すぐ住んでも問題はないぞ」
「なんで疑問形何ですか?」
「あー、その、管理してる人がな。最近は住み始めたんだ。気に入らなければ追い出してくれて構わないが……」
「え、妖怪か何かですか?」
「ああ、うん。そうだな」
妙に歯切れの悪いミカジロの言葉に疑問を覚えつつも、サービスエリアで昼食をとり、途中で運転を替わる。
「なんでそんな口ごもるんですか? 誰かに口止めでも?」
「……はい」
妖怪に近くて、ミカジロが口止めを受け入れる相手か。誰だろう。考えても無駄だ、自分には謀略は向かないと悟った狩人は直球で尋ねる。
「誰に口止めされてるんですか?」
「それを言ってしまったら口止めにならないんだ……」
道は前に数度来たきりで、あまり覚えていない。車に据え置きのカーナビもあまりあてにならない地域だ。印を付けた地図をミカジロに読み上げてもらいながら、狩人は恐る恐る山道を行く。これからここで暮らすなら幾度となく通る山道だ。
「ここで暮らしてる人、家まで何で行き来してるんですか? 下の町まで車でも何十分かかるじゃないですか」
「おれが暮らしているときは車移動だったな。車の免許は持っていないようだったから多分、徒歩じゃないか?」
「徒歩ですか」
「昔は全部徒歩だからな。その手間があるから山奥に住むことになったと聞くぞ」
「へえ……」
「時期によっちゃ猪も出るし熊も出る。危ないがそれをする価値があったのだな。今は見る影も無いが」
ミカジロの家はミカジロが最後の世代で、彼が家を出て行った後にしばらくして戻り、色々なことがあったのち(この件に関してミカジロは狩人にこのように曖昧な説明しかしなかった)この場所に住んでいた人を全て見送ったらしい。この家を己のものにしてからは、定期的にこの家に通う形で管理をしていた。
建物前の空き地に車を停める。山中の半分荒れたような屋敷にはそこかしこに生活感が見られた。庭で動いている洗濯機。
ミカジロの言う通り誰かがここに住んでいるようだった。
構いやしないとばかりに玄関を開ける。荷物は大して持っていない。
黒く艶の無い髪、病的なまでに白い肌。吸血鬼が膝を抱えて、玄関に座っていた。
「お久しぶりです。ええと、二週間ぶり、くらい?」
狩人は玄関で座っていた吸血鬼に驚くが、少し納得している自分もいることに気が付き、背負っていた荷物を下ろした。
「積もる話もあるけど、まずは荷物を運んで来たら? 俺も手伝うからさ。な?」
狩人が持ってきた荷物はそう多くはない。着替え、布団、ニ三年の生活の中でなんやかんや溜め込んだ十数冊の本、身分証、その他。あのアパートで自分のものだった家具は一つもない。これだけ少ない荷物で済んだのは、骨董品のような家具家電をそのまま使う予定でいたからだった。新しい家電を買う予定は今のところ、ない。必要ならば買い足す予定でいた。
あの夜、狩人は吸血鬼に、自分がいずれミカジロの田舎に行くことを伝えていた。その言葉を信じて彼は自分を追ってきたのだろう。待ち伏せされていた、というべきか。
少ない荷物を自分の部屋にする予定でいた部屋に運び終え、吸血鬼の淹れた茶を飲む。異様に渋みがあるお茶だ。いったい何のお茶なのか、疑問に思わず飲んだことに自分でも少し驚いた。あの一年の生活で、宿敵にすっかり気を許してしまっていることに気が付いた。
「……どうしてここに?」
「お前に会いに来た以外に、こんなド田舎に来る理由あるわけないじゃん?」
「それは、そうだけど。僕も一人暮らしは不安だったし、君がいてくれて心強いけどさ」
「理人、言ってただろ。ミカジロがどうこうってさ。ちゃんと聞いてたんだぜ。だからそいつ突っついて理人の行く場所吐かせて、俺の着替えを錬金術師に送らせて。あとは口止めしておしまい。律儀な奴らばっかりで助かったよ。お前はそんなに驚いてなかったみたいで残念だけど」
話に出されたミカジロは目を反らした。狩人は彼を責めることはしない。
自分と暮らしたことに対しての後悔、未練。彼にもそれがあったらしい。愛らしくはにかみながら、吸血鬼はこれまでの暮らしぶりを語る。
「俺の着替えは錬金術師に送ったろ? それがあるから着替えの心配はないし、俺に関しちゃ飯の心配は無いから。あとは屋根さえあればいい。ここで暮らすことに何の不満も無いんだぜ」
「理人、ここの安全を確認出来たから、おれはそろそろ戻らなければ。送ってくれるな」
話をぶった切ってミカジロは言う。狩人は頷いて、再び車を運転することになった。
「どうだろう、まあ一年暮らせていたのだから大丈夫だろうけど、吸血鬼君とはうまく暮らせそうか?」
「はい。もちろん。内緒にしていたのかは、わかりませんけど」
「ごめん」
「どうして謝るんですか?」
「奴の言うことを素直に聞く理由は、別になかったからな」
なら魔法にでも掛けられていたのだろう。吸血鬼にはそういうことができるらしいから、己は魔法に掛けられていたのだ。ミカジロはそう言い訳した。
「ただいま」
狩人が山の奥の家に戻ってきたのは日が暮れた後のことだった。
「お帰り」
去年のどんな日だって、吸血鬼はこんなに機嫌良く迎えたことはなかった。
「ご飯できてるぞ」
何か企んでいるのだろうか。そうは思いたくないが。敵が機嫌良い時というのは決まってこちらに悪いことが起きるものだ。
構いやしない、全て真正面からねじ伏せるまで。そういう心意気でいなければ、吸血鬼など打ち倒せない。狩人は彼の作戦に乗せられてやることにした。
「何作ったの?」
「今日帰って来るって聞いたから。気合入れて作った」
吸血鬼はそう言ってにっこり笑った。吸血鬼の想像力がひねり出した限界であって、客観的に見て豪華なものではない。二人のティーンエイジャーのみが食べるのであって、大宴席ではないのだから。彼ら二人で楽しみ、食べきれる量だ。もし余らせることがあったら明日食べればいい。彼らの生活は、少なくともきっと明日までは、続くのだから。
「俺に付き合わせて悪かったな。本当ならもうちょっと早くこっち来るつもりだったんだろ。車の免許とって、猟銃免許とか色々やって。俺と一緒に暮らすって目的があったから、あんなところで丸一年暮らしてさ……」
「いや……いや、君は僕の人生だから。また一緒に暮らせて嬉しいよ」
「……そう」
幸せそうなにやけ面。演技なのかはわからない。でも演技でもいいや、と思えるような、魅惑的な蜂蜜色の目。これが吸血鬼の魔力だ。今大事なのは彼が僕と一緒に暮らす意思があるという、それだけだから。
狩人はすっかり吸血鬼の虜になっているように見えた。ご飯を食べているときと同じように幸せそうに笑って、吸血鬼に話を聞いた。
「これからどうする?」
「そうだな。……克海の故郷にでも旅行に行こうかな」
「旅行かぁ、いいね」
「海とか行きたいなってさ。結局前の夏はどこにも行かなかったから。……もしかして旅行の話じゃなかった?」
「まあ、うん、これから……ずっと先の、将来の話をするつもりだったんだけど……まあいいや。これからもよろしく、シャンジュ」




