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吸血鬼狩人、宿敵と同居する  作者: せいいち
三月(その二)・この生活ももうお仕舞い
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3/20(金・祝) 夜、決戦の日

 結局この日まで吸血鬼と狩人は顔を合わせることがなかった。

 夜を待ち、戦闘服――己にとっての正装に着替え、狩人は出掛ける。

 半年以上前、梅雨の時期だったか、吸血鬼に鎧の臭いを嗅がれたことがあった。特に悪戯はしていないみたいだけど。あれから半年、特に管理はしていない。大体仕事でこれが必要になるようなことは珍しいし、必要になった場合はたいていミカジロが家まで車を回してくれる。この装束は現代日本では目立つ。一般的な人間が常識的な範囲で着るものではない。たいていコスプレだと思われる。豚に変身するよりは不審に思われない。

 夜中には人間は殆ど出歩かない。日の光ほど、人の行動を活発にさせるものは無い。それでも夜に動く人間は、夜闇に隠したい後ろめたいことがあるからだ。

 吸血鬼は違う。夜行性の生物だ。日の光は彼らには毒になり、死人のように生者の足を引っ張り続ける。人間と姿かたちは似ていても、まったく相容れない性質を持つ。

 人間はどれほど益があろうと、人間を喰らう者を許してはならない。だから狩人は吸血鬼を殺さなければならない。

 その理屈はわかる、しかし。

 狩人は吸血鬼を可愛いと思い、愛してしまっているのだから、自分にとってその他の人類は極論どうでもよかった。愛によって良心が消し飛んだりはしないから、もし吸血鬼がが人を殺すことがあれば狩人は未遂で済ませるように努力をするし、全力を以て咎めるだろう。吸血鬼の行為によって狩人の愛が消し飛んだりはしない。狩人は吸血鬼を可愛いと思っている。狩人の愛はどこまでも真っ直ぐな狂気だった。狩人にとって、殺し合う相手と恋愛することはなんら矛盾がない。他の相手など、彼が生きている限りは、考えたくもない。

 個々のところほとんど毎日、家に残る吸血鬼の痕跡を見ていた。彼が買ってきた、狩人には持て余す食品の数々。彼の歯ブラシ。彼がいなくなった押し入れの中。一人暮らしには広い部屋。

 ――シャンジュは自分の荷物だって片付けていかなかったし、死を二人が分かつまで一緒に居たいって言ったのはシャンジュのほうだし、僕は彼にホワイトデーのお返しだってしていない。シャンジュ、ホワイトデーって知ってたかな。多分知ってた。花以外のものを贈らなきゃ。何にしようか。指輪とかいいかもしれない。いや、指を切るのがきっと一番いい。彼は指輪をなくすかもしれないし、僕だってそうだ。永遠になくならないものじゃなくちゃいけない。指切りげんまん、死がふたりを分かつまで、ずっと一緒にいるんだから。

 吸血鬼は必ず自分を殺しに来る。狩人は己の運命を信じていた。狩人は全ての人にさるべき運命があり、彼にとっての運命は毎年の春分、宿敵と殺し合うことだと信じていた。夜の冷たい風に揺られてはいたものの、覚醒的な眠気による思考のばらつきで少々判断力を失いかけていた。

 ひょう、と風切り音がした。目前に、夜闇の中から彼が迎えに来た。

「シャンジュ!」

 ワタリガラスは答えない。狩人は鶏の腕でいなす。白い羽が夜に散らばる。

 狩人はもう一度名前を呼ぶ。返答があるのならこの程度くれてやる。しかし吸血鬼は応えない。

 もう容赦は出来ない。黒猪の分かれた蹄が飛んでくる。狩人は白豚に変じ、頭突きを喰らわせる。

 揉み合うように道路に転がり、蹄で殴り合う。蹴飛ばす。

 上になったひとときに、狩人は一つの蹄で殴りつけ距離を取る。人の姿に戻った吸血鬼の顔に付いた蹄鉄型の青あざが引いていく。

「シャンジュ!」

 吸血鬼は地面を滑るように走り蛇の姿で白馬、白牛の脚に絡み付く。

 やっぱり答えてくれないか。蛇を振りほどき地面に打ち付け、人の姿のまま首を踏み割らんと足を延ばす。

 吸血鬼は猪に姿を変えて後ろ足で狩人を撥ね付ける。そう簡単にやられてはくれない。

 朝が来るまでに殺してやる。白い牡牛が唸り声を上げ、猛然と吸血鬼に飛び掛かる。

 狩人の中で、未だ愛と殺意は切り離されていない。死ぬまで殴って死ぬならそれはその時自分も一緒にきっと死ぬ。だからさっさと殺してやらないと。今宵、月の狂気はとうに去っていたから、狩人のこれは本心だった。

 愛しているのも本当。殺したいと思うのも本当。心は矛盾することなく存在するが、取れる行動は生きるか死ぬかのどちらか一つだけ。

 汗が滴る。夜の冷たい風がおずおずと彼の額を拭う。

 一瞬、組み敷いた吸血鬼は牙を見せる。

 蜂蜜色の目に、狩人は意識を取られた。

 好きなんだから一緒に居たい。そう思っていたのを思い出した。

 愛しているなら傷を付けるな。あの夜、彼が言ったことを思い出した。

 まだ間に合うだろうか。もう手遅れって感じだけど。

 引き伸ばされた一瞬で、狩人は右手に握った杭を捨てた。

「僕は、春休みが終わって、週明けには、この家を出る」

 戦闘による特有の獰猛さを出来る限り抑えた口調で、狩人は唾を吐きかけんばかりの至近距離で声を掛ける。

「これからミカジロの実家だった家に住む。君も一緒にどうだ」

 狩人が喋りかける間に、ぐるる、と咽喉の奥で唸って噛みつく。それを躱した一瞬の隙で吸血鬼は蛇に化け、狩人の手のひらの中からすり抜けていく。

 吸血鬼が逃げていく。

 今年もまた、決着はつかなかった。

 感情のままに杭を投げ捨てる。カランコロンとアスファルトに乾いた音が響く。

 朝日が昇る。狩人はもう吸血鬼を追わなかった。

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