4/7(月) 吸血鬼、故郷に恨みを持つ半魚人と友人になる
「おまえ学校通ってんのかよ!?」
「十八歳だしね。君が居なくても生きてかなきゃならないから」
吸血鬼は丁度普通の食事を終えて、今から寝るところだった。
気まぐれにいつも昼間はどこに行っているのかと尋ねると、出掛けがけの狩人は今日からは学校だと言った。
「弁当とかいる?」
「いや、今日は要らない……作るつもりなの!?」
「必要ならな。……そうだ。この前図書館で弁当の本を借りてきたから、それを試してもいいか?」
時間が無いと飛び出していったので、後半は聞いていたかどうかわからない。
未だに名前も付けてくれないし。吸血鬼は息を拭いて唇をブルブルいわせて己の不機嫌を表明した。誰も聞く相手はいないが、とにかく彼は寝る計画を取りやめて、五百円と共に先日貰ったコーヒーチケットを消費しに行くことにした。
赤毛の店員と話がしたい。店長でもいいが。しかし吸血鬼の願いとは裏腹に、店内には長い髪に赤い目の、不愛想な店員一人だけがレジに座っていた。ほかに客はいない。本当に寂びれている。
「赤毛の店員さんいる? 背が高くて三つ編みの」
「先に空いてる席にどーぞ。ご注文は?」
一番奥の、前回座った日の当たらない席に座る。こちらのことを警戒する目で、コーヒーチケットを受け取る。あの人マジで変な客に憑かれてるんだな、怪しいと思われたな。この店員の女からも化生のにおいがする。魚臭い。ここの店員ってそういう人ばっかり雇ってんのかな。
「これでお願い。あと俺はあの赤毛さんのファンじゃなくて、魔術の話をしに来たの」
「……ああ、噂の吸血鬼!」
ぱあっと赤目の店員の表情が明るくなる。こちらへの疑いが晴れたようで何よりだ。
「話が出来るようで何よりだ。あの赤毛さんって変なファン多いの?」
「はい、厄介な人はこっちでちゃんと把握してるんで大丈夫です」
「新しい変な人だったら大変だもんね」
「あっははは」
案外明るい奴らしい。お喋りする前にコーヒー淹れてこいよ。チケット返せよ。
「吸血鬼さんって、あの狩人さんとは同い年なんですか?」
「同い年なんじゃない? あいつ十八歳って言ってたし。多分生まれた日も同じだから、あれに聞けばわかるかも。俺は覚えてない」
「えっ、年下!?」
「あんたいくつ?」
「二十歳です……えっ、もっとこう……吸血鬼って言ったら四百歳とか行ってるかと……」
「失礼な奴だな」
「ごめんなさいフィクションの見過ぎですね……」
コポコポとサイフォンが動く音がする。
「吸血鬼さんは狩人さんとうまくやってるんですか?」
「まーね。こっちはうまくやるつもりでいるけど」
「一緒に暮らしたいって言い始めたのは狩人さんのほうだと聞いたんですけど……その、仲良くしたがらないんですか?」
「俺は是非仲良くしたいけど、あっちは俺のこと嫌いになりたがってるみたいだから」
「嫌いになりたがっている!?」
それから独り言のようにあっ、やべと言った。俺のコーヒーに何があったんだ。どうしてくれるんだ。
「コーヒー大丈夫?」
「ええ、まあ、はい、大丈夫だとは思います……」
カチャカチャと器具を動かす音がする。コーヒーと共にコーヒーチケットが戻って来る。
「お待たせしました、コーヒーです……」
自信なさげな表情である。お喋りに夢中になり過ぎた。
「先ほどは失礼しました。嫌いになりたがっているということは、今は好きということなのでしょうか」
「知らねーよあいつに直接聞けよ」
ストレートで飲んだコーヒーは異様に苦い。きっと失敗された、と吸血鬼は眉をしかめる。
「まっず」
「すみません。なにぶんアルバイトなもんで……」
「これは処女の生き血が必要だな」
「ええっ……処女はないでしょ……」
「そうだな、あんた成人してるもんな。処女って年でもないか。まあよかろう」
吸血鬼は手を差し出す。彼女からは海の臭いがする。あまり美味しそうなにおいはしないが、最近飲んだ血は狩人と猫だし、狩人は言わずもがな死にかけたし、魔女のパン屋の猫は一舐めしたところをアパートの管理人に奪われた。死ぬほど吸う訳でもなかったのに。彼女は死体に流れる血でないし、背に腹は代えられない。アルバイトは左腕をまくって出し、右手で二の腕を押さえた。
「そんな献血じゃないんだから……」
「私血管めっちゃ浮くんですよ」
「そんな自慢しないで。俺こんな雰囲気無い中で血吸うの初めてなんだけど。てかそこから吸わないし」
それでも腕を掴んで噛みつく。
「ヒト咬傷……感染症……ワァ……! あたしも吸血鬼になっちゃう……!」
アルバイトは心なしか楽しそうにしている。置いておいて血を啜る。女らしく薄口だが、人間らしからぬいやな特徴があった。
――魚だ。しょっぱい魚の味がする。海の魚だ。このアルバイト、魚が化けているな。なんでこんな内陸に人魚がいるんだろう。ヤバいもの飲んじゃったかもな。
舌で傷口を閉じる。そう量はいただけない味だった。これ以上飲んだらどちらも死にかねない。アルバイトは貧血で、吸血鬼は未知の感染症で。
「しょっぱ。美味しくない」
「あんまカッコ良くないっすね。私は吸血鬼になってしまうんでしょうか」
「いんや、血を吸うだけじゃ吸血鬼にはならねえよ。てか何あんた? 人魚? リトルマーメイドなの? 俺が吸血人魚になっちゃったらどうしてくれるわけ?」
「飲みたいって言っといてそういうこと言うんですか?」
「食品の安全性は確かめたいじゃん?」
「人魚じゃないですし、食品でもないです。別に私が人魚だって吸血鬼は元々不老不死みたいなもんなんだから関係ないでしょ。B級映画みたいになっちまえば?」
「ちょっと、何騒いでんの!」
二階から赤毛の店員が降りて来た。いたのか。アルバイトは構わず赤毛の店員に抗議をする。
「聞いてくださいよ赤彦さん! こいつ人の血吸っておいて文句ばっかり!」
「お客さんに血を提供しないの! 何かあった時に責任取れないんだから!」
「ほれみろ」
「でも吸いたいって言ったのはあっちっすよ! バイトの淹れたコーヒーが不味いっからって……!」
「そういうことでもない。あなたもうちの店員に血を要求しないで。克海さん、お客さんの不当な要求には従っちゃいけないよ。レジに戻って」
「……はい」
「この美味しくないコーヒーの落とし前はどう付けてくれるの?」
「私の血を飲んでおいてまだ言うのか!?」
「今お客さん来たらどうすんの!」
めったに客が来ないからこんな怒鳴り合いもできるのだ。赤毛の店員は吸血鬼に何も要求しないということを約束させて、かっとなる割に落ち着きやすい性質のアルバイトをレジの椅子に座らせた。自分は仕事の続きをしに二階に戻った。
客が来る気配はない。吸血鬼はお喋りの続きをしたい。
「カツミ、だったな」
「そうですが?」
「あの赤毛の店員もそうだけど、なんで変身してるんだ? 入店試験にあるのか?」
「そんなもの無い」
「えー、じゃああの店長に人間にしてもらってるのか? なんで?」
不味いコーヒーでもミルクを大量に入れて飲むので、吸血鬼にとってあまり味は関係なかった。血を飲みたかったから文句を付けたのだ。どういうわけか通ってしまっただけだ。あのアルバイトには可哀想なことをした。
「店長は魔法使いだけど、他人に魔法はかけてくれないよ。教えてもらってるだけ。未熟だけど、案外わからないだろ」
「まーな。あの店長とはどうやって知り合ったの? 海の上? 難破した船から落ちてきて?」
「だから人魚じゃねえんだわ。赤彦さんの妹と同級生で、そこから。私がまともな人間――ええと――ちゃんとしたホモサピエンス? になりたいって言ったら、それを叶えてくれるかもしれない人だって、ここのバイトを紹介されたの」
「やっぱ人魚じゃねえか。なんで人間になりたかったの?」
「人魚じゃないっつってんだろ。……将来的には海の中で暮らすことになるし、私はそれが嫌だから、人間になりたかったんだ。陸の上で……自由に生きたかったから。アリエルも言ってたけどさ、海の中ってクソっすよ。クソ田舎だし、海はきったねえし、変な因習はクソ程あるし、好きな本は読めないし、電波クソ悪いし、プライバシーは無いし」
「アリエルはそんなこと言ってねえよ」
「それより明るい話しましょうよ。吸血鬼になったらやっぱりパンデミックとか起こせたりしちゃうんですか? 村一つくらいなら滅ぼせたりします?」
彼女には滅ぼしたい故郷があるのだろう。そういう声色をしている。そういう破壊衝動、いや復讐心か? それはいい薪にはなるが、燃え尽きたらどう転化したものか。
「まあ、出来るな。でもあんたが成ったところで俺より優れた吸血鬼にはならないだろうな」
「いよっ、偉大なるクドラク様。今度うちの故郷にご招待しますよ」
「招待できる立場なのか? 俺が足を運ぶに足ると?」
「いやあ、クソ田舎なんで、現代社会においても情報が一日遅れで届くことくらいしか利点無いですね。あとは海鮮食べ放題くらいっす」
「海鮮ってそっちの一族のことじゃ~ん」
「そうで~す」
この俺を利用しようとは、手段を選ばないタイプだ。血を与えればいい吸血鬼になるだろうか。自由が欲しいというのがネックだが、それはまた探ればいい。彼女の望む自由とは何か。それ次第ではいい下僕になるだろう。
「お前の故郷に行く件に関しちゃ、またの機会にな。考えておいてやる」
「何卒、よろしくお願いします」
話を変えよう。今日はこれ以上こいつについて探りたくない。そうだ、今日の夕飯はは肉にしよう。鶏肉とか牛肉とか。魚はしばらくいい。考えるだけで腹がまずい。嫌いじゃないが突然腹に詰め込まれれば気分が悪い。
「じゃあ、あれだ、赤彦は何だ?」
「さあ? 本人に聞けばいいじゃないすか」
赤彦さーんご指名です! と、階段上に声をかける。なんてフットワークの軽い奴なんだ。
「うちそういう店じゃないから!」
と上から返ってきた。
「そりゃそうだ」
吸血鬼は次に客が来たら帰ろう、と思っていたが、いつまでも来る気配がない。ミルクたっぷりのコーヒーを飲み干してから、帰ることにした。
狩人のほうは昼前になって帰って来た。吸血鬼はまだ起きていて、昼食と夕食の用意をしていた。
「おう、お帰り。学校どうだった?」
「今日は始業式だったから。あんまり面白いことは無かったよ」
「えー、あるだろ。クラス替えとか、変な先生とか」
「君が想像しているようなことは起きてないよ。クラス替えもないし」
「え……、そんなに少子化進んでたんだ?」
「フリースクールなんだ」
「ふーん」
「だからニンニクチップス持って行っても大丈夫だったし」
普通の学校ならばニンニクチップスを持って行ったら総スカンだっただろう、と狩人は思っている。
フリースクール。吸血鬼には聞き慣れない単語だった。吸血鬼は学校に行ったことが無い。学校に種類があるのかすらよく知らない。全て伝聞型だ。
「なにそれ」
「学校は学校なんだけど、普通の学校と比べて自由度が高いところ」
「学校の自由度?」
吸血鬼の中で、学校と言えば制服だ。だからこそ普段着で学校に行くのだと言った彼に驚きもしたのだ。へえ。そういう自由もあるのか。
「今まで受けて来た教育とか、知識量とか頭の良さで行ける学校が決まる――んだけど、今通ってるところはあまりそういう制限が無いんだ。僕は学校あまり行けなかったから」
「フーン」
狩人も学校に行ったことが無いらしい。意外な共通点だ。文字が読めるからてっきり学校に行ったものかと。
「俺も行けるかな?」
「どうだろう。お金の問題もあるし、……そもそも君何しに学校に行くの?」
「いや、聞いてみただけ」
まさか下僕に出来そうな人間を探しに行きたいとは言えない。勉強は――今使ってる日本語の語彙は増やしておきたいとは思うけど。
「俺が知らない場所に興味が無いと思ったか? 面白そうなものは俺だって好きだ。それに場所を知っておいたら、お前が忘れ物したときとか、届けに行けるだろ?」
弁当は気分の乗った日からでいい、と言われた。具体的にいつ必要になるか教えてもらわないと困ると吸血鬼はカレンダーを指した。あそこに書いておけばわかるから、いつそういう気分になってもいいと。
「確かにありがたいけど……忙しくならない?」
「好きだからやるの。あとはお前の都合だけ。弁当箱買ってこないとな」
狩人はつつけば面白い反応をするし、尽くせば尽くした以上の見返りがある。吸血鬼は彼のためにする料理が結構楽しくなってきていた。
晩御飯後に買い物に行こう、と約束をして、吸血鬼は押し入れの戸を閉じた。昼寝だ。
狩人は洗濯物を取り込んだり風呂を洗ったり、学校の計画表を確認するなどして過ごした。それも終わったらスポンサーに月末の定期報告をする。報告は主に支出の内訳、変事あればそれに関してである。変事は無い。
返事はすぐに来た。毎回こうだ。錬金術師は暇なのか、こちらの様子をを見ているのか、と思う。不気味だ。
[お疲れ様♡ いつもありがとね。ところで吸血鬼に関して、本当に何か変わったことは無いの?]
ありません、と書いて送る。本当はある。吸血鬼が自分の名前を使って図書館に行くようになったとか、弁当を作ってくれるようになりそうだとか。そんなくだらないことを聞く人じゃない。知りたい答えがあるなら直接聞けばいいのに。
後の返事は無視して、どれだけうるさく来ようと見なかった。あの人の感想文など、あとでまとめて見ればいい。会ったらまた口うるさく言われそうだ。耐えるよりほかにない。
それから学校の先生に、吸血鬼を学校に連れて行っていいか、メッセージを送る。既読も付かない。こっちの先生は忙しいらしい。
押し入れの中でアラームが鳴る。ごそごそ物音がして、吸血鬼が起きてくる。
「おはよう」
「やっぱこれ吸血鬼っぽくないんじゃない?」
「棺桶、買う? それか僕のハンドメイドとか……」
「嫌。こっちの方が快適。あれ寝返り打てないんだぜ」
「君寝返り打つの? 吸血鬼っぽさの追求は?」
「……今更だろ。しなくていいわ」
食事をとってから、約束通り買い物に行く。弁当箱を選んでいる最中、先生からメッセージの返信がきた。長引きそうなので、返事は帰ってからにする。
「お前が食うんだからお前がサイズ決めてくんないとさ、何見てんだよ」
「先生から返事来た。君も学校来ていいって」
「マジ? 聞いたの?」
「聞くなら早い方がいいかなって。あと弁当箱」
「それ最初に見たやつじゃん。やっぱそれ?」