3/7(土) 狩人、魔女にアドバイスを受ける事
狩人はもういなくなった同居人をあちこち探し回るのを止めた。あれから錬金術師の家には吸血鬼は来ていない。喫茶ソロモンのアルバイトでどういうわけなんだか吸血鬼と親しくしている克海は彼が行方不明になった夜には連絡を取ったらしく、「まだ仲直りしてないんですか!?」と言ってのけた。ミカジロや一応義兄にも連絡を取ったが、連絡が来たり姿を見たりはしていないらしい。何か目撃情報があったら報告するとの約束を取り付けて、近所を豚に変身して臭いを嗅いでいたら警察を呼ばれた。妙な騒ぎになったうえに吸血鬼探しの手掛かりには一切ならなかったので、この方法を使うときは人の手を借りられるときだけにしようと思った。その地域では珍しい動物が一匹で歩いていたら通報されるらしい。世知辛い世の中になった。
吸血鬼がいなくなって数日が経った日の昼。狩人は魔女のパン屋近くの狭い路地の奥の、民家の戸を叩いていた。
「サンザシの枝を貰いに来ました」
魔女は家にいた。狩人を家に招き入れ、中庭に通す。この狭い土地のどこにこんなスペースがあるのかというほど広い庭だ。彼女曰く、空間を上手く使っているのだという。まるで説明になっていない。
「クドラクさんには振られたみたいね?」
「……はい」
「あ、やっぱり? 顔色悪いから」
かまをかけられたらしい。狩人の苦手なコミュニケーションだ。顔をしかめる。
「食事が身体を作る。その事を思えば、いつも食事を作っていた彼がいなくなって、健康を損なったのは当然じゃない?」
「健康のために彼といたわけじゃない、ですから」
「じゃあ何のため? 吸血鬼の種族的特性はご存知でしょ?」
「違います。普通の、人間らしい食事を作ることは僕が押し付けたのであって、彼は……僕は彼をもっと……知るために……」
「そして手籠めにするために?」
ばちん、という音と同時に、心臓を突かれたような痛みが走る。それは魔女の問いが的を射ていたからだと解釈した狩人は、ただ「はい」と頷いた。
「正直だこと」
魔女が切った枝を投げて寄越す。これだけではとても足りない。杭は消耗品で、去年の分はもうない。後せめて五本は欲しい。再びばちん、と魔女の鋏が枝に降りる。
「あの子可愛いものね」
「はい」
「まあ、元気なお返事。本人には伝えた? 自分が彼のこと可愛いって思ってるって」
「……いきなり伝えたら怖がられるでしょう」
「時間はたっぷりあったのに。殺そうとしてる相手を可愛いって思ってるのに、もう彼には貴方以上に怖いものなんてないでしょ」
伝えようが伝えまいが、狂気には変わりがないと言いたいらしい。隠しているか大っぴらにしているかで人の印象は変わる。だからできるだけ隠していた。ばちん、と音が響く。魔女は三本目の枝を狩人に抛る。
「彼、来ましたか。あなたに会いに」
「いいえ。でも未来はわからないわ。あなたに負けたくないからって、試験直前の受験生が神頼みするみたいに、うちの表に駆け込んでくるかもしれないわ」
四本目、五本目。狩人は枝に付いた余分な葉を千切って落とす。
「彼が出て行ったのは、あなたに負けるのがイヤだからじゃないの? あなたと一緒にいたら、今度こそ殺されるって思ってるの」
「いや、そんな……ああ……いや、まさか、そんな……」
納得してしまった。狩人は去年の吸血鬼の様子を思い出していた。去年はこれまでの戦いの中で一番死ぬかと思った。命に届いた。殺せると思った。自分は寸前で思いとどまるほどの理性を残していた。だから知った。そんな彼は排水溝を詰まらせるほど、かなり汚れを溜め込んでいた。彼がまたそうなるにはもう、遅すぎる。
「もうちょっと念入りに洗っておくんだったな……」
「自明じゃないの。駄目よ、共存できない生き物を無理に飼ったら」
飼うなんて言葉は相応しくない、と狩人は否定できない。魔女は嘲笑する。鋏を下ろし、最後の枝を吸血鬼に渡す。
「帰ってこないのも当然ね。現にあなたは彼を殺そうとしてるじゃない」
「本気でやらなければやられるのはこちらですから。余力が無ければ、手加減すらできないので」
「そういうところが嫌われるのよ。自分の雌にしたいなら、下手に出た方がいいわ」
「いやです」
「何が嫌なのかしらね」
枝と手間賃代わりに中庭の掃除をして家に帰る。
「一人なんでしょ? ご飯どうしてるの?」
「彼と暮らすまでは自分で飯の用意をしてましたから。問題にはなりませんよ」
「そうでしょうね。良い週末を」
帰り際の台詞の一切を、魔女が完全に嫌味で言っていることぐらい狩人にもわかった。
家に帰り、サンザシの細い枝をナイフで削り、形を整える。彼が帰ってきたら、まずこれをゴミ箱に放り込むことになるけれど、それでも準備の手を止めることは出来なかった。備えあれば憂いなしとは言うけれど、この備えは彼を追い詰めるためのもので、彼と平穏に暮らすためには邪魔なものだ。
全く、自分の性質が嫌になる。