1/5(月) 薔薇を食む吸血鬼、されどクドラクは食わず
「何だその薔薇」
時計はお八つ時を指していた。狩人は吸血鬼が作った買物メモに全面的に従ったわけではないらしい。買物袋には花束が刺さっていた。丁度買い物帰りで冷蔵庫にものを仕舞っている狩人に出くわした寝起きの吸血鬼は、この三〇六号室ではいまだかつて見たことがない生花の花束を物珍しそうに見ていた。
店員が作ったものではないだろう。色は統一されていないし五本ばかりの細長い花束で、花は薔薇ばかりだろうか。いや一輪だけ八重咲の椿がある。
「昨日借りて来た『ポーの一族』を読んだな?」
「はい」
行動の早い奴だ。しかし狩人の宿敵は薔薇から精気を得ない。花束を取り上げて、一本だけ混じった椿を引っこ抜いて振って見せる。
「こいつ椿だぞ。薔薇じゃない」
「マジで?」
「このかわい~やつ。見たことあるだろ」
三軒向こうの家に生えている庭木の椿と似た種類だ。椿によくみられる黄色い蕊は無く、和菓子の練り切りのように、薄い桃色の花びらが整然と並んでいる。
「これ植えるやつ無いの? 花瓶」
「……ペットボトルくらいだな」
「可哀想に」
計画性のないやつに買われてしまったのがこの花の運の尽きだ。家にあったペットボトルは全てゴミ捨てのために凹まされていたため、丈夫そうなものを二つ形を戻して水を入れた。シャンメリーの瓶があれば大きさも丁度良かったかもしれないが、あれは年末に捨ててしまった。
薔薇四本に椿一本。ここに存在する意味が無い。ただ俺に食わせるために買って来ただけだ。贅沢者め、と独り言つ。
「これの品種って何?」
「何て?」
「品種だよ。品種の名前。あるだろ色々」
植物らしい新鮮な白はまだ蕾から花開いたばかりで花が固く、吸血鬼が散らばすフケのように暗い赤は花が開き切ってもう枯れるばかりに見える。縁に灰を被ってくすんだ桃色は貴婦人の袖口のように襞がたっぷりあって、対して向日葵のように明るい黄色は世の人の考える薔薇らしいフォルムをしている。色はもちろん、花びらの形も大きさも違う。姿がこれだけ違うなら、
「レシートに書いてあるんじゃない?」
そうかと雑に返答して財布を漁る。レシートには値段も様々な花の名前は書いていない。薔薇と椿の違いも無い。値段だけだ。あの五輪で料理の本一冊を定価で買える。花という奴はとんだ贅沢者だ。食事にしたって常食には向かない、偶の贅沢品だろう。
「気まぐれにしちゃ高い買い物だったな」
「いいだろ、それくらい」
「いいよ。おれのためだったんだろ。俺のためにいくらでも言い訳するがいい」
挑発せずには居れない性質の生物だった。ペットボトルに一本と三本、薔薇を生け、一輪だけの椿に鼻を埋める。さて、こいつらどこに置いておこうか。とりあえずはちゃぶ台の上に置いておくが、飯のたびに引っ繰り返しそうなので、いずれは別の場所に移動させなければならない。
「それ食べてるの?」
「食べてないよ」
甘い花の蜜が鼻に付く。行儀悪く鼻先を舐め、白い薔薇一本だけ入ったペットボトルに椿を戻す。鼻を突っ込んだせいで花びらが乱れていたので直してやる。心をくすぐるピンク色だ。これが人の肌の色なら今すぐにでも齧り付きたい肌の色だ。
ちゃぶ台に置かれたペットボトル二つ。主役は花のほうであるが。玄関にでも置いておくか。華やかだし、出掛けて、帰る度にこれのことを思い出せる。そしたら毎日水も替えてやれる。買ってきたやつがやれよ。贈られたほうは迷惑するんだから。
「どこ置いておきたいとかある?」
「うーん、玄関とかかな」
可哀想に、これらの花を買ってきた輩は、彼女らを吸血鬼への生贄だとしか考えていなかったらしい。ぞんざいに扱われている。目を細めて吸血鬼は食用ではない花を品定めするように眺める。そうだな、最初に食べるなら白い花からがいい。こいつが一番好みじゃない。後に残すと厄介だ。一本だけ爪弾きにされて別のペットボトルに入れられた白い薔薇を手に取る。あとは玄関の棚に置いておく。まあ、こんなもんだろう。慣れない贈り物はするもんじゃないな。気障ったらしくて鼻に付く。蜜がじゃなくてよ。
吸血鬼は畳に寝っ転がり、鼻を突っ込んで匂いを嗅ぐ。かぐわしくも青々しい、外見通りの匂いがした。
「やっぱり食べるのか」
片付けを終えて戻って来た狩人の期待に満ちたまなざしを受けて、吸血鬼は機嫌良さそうに笑う。
「いや」