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吸血鬼狩人、宿敵と同居する  作者: せいいち
十一月・飯のバリエーションを増やせ
57/104

11/8(土) デート回・次はこちらから誘わなきゃと(しかし段取りは悪い)

「デートをしよう」

「唐突だな、いいけど」

 狩人が寝沈まった後の深夜に目を覚ました吸血鬼は、これから寝る予定だった。しかし狩人からの抗い難いお誘いに、自分の身体にはたいして必要のない睡眠の計画を突如止めることにした。

「どこ行くんだ?」

 外用の着替えをしつつ吸血鬼は尋ねる。一ヶ月前まではデートと言うと動揺していた小坊主がたいしたことを言うようになったモンだ、と年齢は変わらないくせに、やたら大げさに言い立てる。

「……どこに行く?」

「地下鉄乗るから」

「ああそう。じゃあ頭乗るか」

「僕は烏とデートはしない」

 半年ほど前にカラスに変身した吸血鬼を頭を乗せたことを思い出す。重いからやりたくないし、デートだってわかってんのか。同種同士、元の形でやりたい。

「目的地だけ言ってくれ、山か、海か」

「街だよ」

 アパートの一階まで降り、地下鉄の駅まで手を繋いで向かう。

 そうしてニ十分ほど揺られてやってきた街はクリスマス一色である。先週までおそらくハロウィンをやっていたというのに、季節や時間ほど薄情なものはない。献血を求める赤十字の十字架に向けてしかめっ面している吸血鬼の手を引っ張って歩きながら、狩人は今回のデートの目的を説明する。

「先週、バイトに行ったときに、今日からライトアップやるって聞いたから。それで来た」

「ライトアップって夜やってるもんだろ。今昼だぞ」

「それは、うん、そうだ」

「寒空の下、どこで夜まで時間を潰す気だ?」

 この地下街は寒かろうがあまり関係ない。現在昼の十時。昼食にするには早すぎる。

「だいたい段取りが悪すぎるんだよ。前行ってたろ、待ち合わせしたいなら休みじゃなくったって良かったし。これから夜、いや昼まで何するつもりだ? この俺を、昼間に、あても無くずっと歩かせる気か? 俺はそんなものデートとは認めんからな。ずっと機嫌良くは振る舞えんぞ」

「……ごめんなさい」

 彼は己の不機嫌さで他人を左右するタイプの奴だ、いちいち気にしちゃいられない。そうは思っても吸血鬼のぐちぐちした説教に心を折りそうになりながら、当てなく見える歩行を続ける。

「いつまで歩く?」

「ここの、先のエスカレーター上がったら」

 階段を上がり、エスカレーター前の広場は待ち合わせに使われているらしく、立つ人も通る人も多い。上からは騒がしく飾り立てられた大通り、真下にはタクシー待合が見える。そして狩人が見たかったのは電飾だった。タクシー待合の真ん中に立てられた巨大なツリーから何本も繋がっている――たぶん町のほうにまで。

「今光ってねえじゃねえか」

「そりゃあ、今は昼間だから……」

「プランはあるんだろうな?」

「……君が気に入るかは、わからないけど。行きたいところがあったら、君に従う」

「いいや、まったく、無い。今はうちの押し入れに行きたいくらいだ」

 吸血鬼は結ばれた手を持ち上げた。

 狩人は手を下ろして、先導する。

 歩調は出来るだけ相手に合わせる。自然とゆっくりした歩調になる。

「じゃあどうして来てくれたんだ」

「お前が行くって言うから」

「来たくないのに行くって言うな。悪い癖だ」

「やかましいんだよいちいちいちいち」

「頼むから体調の報告をするときくらいは素直になってくれ」

「おっ、……お前なァ~っ、何言ってるかわかってんのか」

「正直に言わずに後で文句を言うより、先に言って回避してくれっていうことを言ってるの」

「だってぇ、お前がデートだっていうんだから」

「そんな可愛げのあること言ったって、君の体調はどうにもならないだろ」

「このやろ~……」

 表通りを曲がり、一本入った通りを行く。狩人が吸血鬼を引っ張って向かったのは、この都会には数多く存在する、しかしアパートの近所にはあまりないカラオケチェーン店である。

「絶対に嫌だ」

 吸血鬼は歌が絶望的に下手だった。そのうえハイカラなカラオケボックスで歌われるような流行りの歌など知らない。窓が塞がれているところを見ると中は多分薄暗いのだろうから寝てしまいそうだ。そうなったら次起きるのはいつになるかわからない。外出とは相性が悪い。

「なら、いい。次行こう」

 えっ、と驚き、手を引っ張る狩人を見る。彼は既に次を見据えていた。

「予約とかしてたんじゃないのか」

「してないよ」

「この休日で……」

「そんな顔されて無理に行こうとは思わない。部屋が空いてないって言われたら別の方法を探す。今と同じように」

 吸血鬼の顔は、自分では気づいていないらしいが酷く蒼褪めている。そんなに嫌だったのか。とにかくどこか休憩できる場所を探すか。とりあえず地下に戻ろう。地上よりは風もないし、寒くはない。

「ごめん。さんざん連れ回しておいて悪いけど、やっぱり帰る?」

「いいや。せっかく来たんだから、昼飯は食って帰る」

 地下道の隅で立ちながら休む。この辺りのを眺めつつ、食べたいものを探す。

「どこ行く予定とかあった?」

「無かった」

「バッカだなぁ」

 鼻を赤くしながら、吸血鬼は地図を眺める。

「俺、歌下手なんだ」

「そうなんだ。知らなかった」

「お前は上手いのか。さぞ自信があるんだろう」

「いや……あんまり。中でご飯とか頼めるし、映画とかも見れるから」

「そんじゃ行ってもよかったかもな」

 ここがいい、と吸血鬼が指すのは喫茶店である。やたら大きなパフェが描かれている。

「これ食おう」

 顔よりも大きな器に盛られたパフェを食べれば人体はどうなるか。狩人は知らなかった。あるファミレスで学友であるテルが似たようなものを頼んだところは見たが、彼はそれを独り占めして一人で食べてしまった。

 テルが頼むところを見て一度は食べてみたいと思ったものだ。いい機会だ。そういうわけだから二人は一食の代わりにでもしなければ食べられそうもないほど巨大なパフェを食べに行くことにした。

 この喫茶店の売りは大衆性らしい。表に食品サンプルのあった巨大パフェと共に、紅茶を頼む。狩人はアイスクリームで冷やしたら最後まで持たないと考え暖かいものを、身体の冷えなど全く気にならない吸血鬼は冷たいものを頼む。

「マジで頼んじゃったな」

 吸血鬼の声色には早速後悔が見える。しかし賽は投げられた。振ってしまったのだからこちらとしては結果を受け入れるしかない。狩人は神妙な顔立ちをしていた。

「これ昼飯?」

「一応、そうだね」

「そうか。……なんでそんな深刻そうな顔してんの?」

 狩人は前にテル・ヒダルマンがファミレスで巨大パフェを頼んだことを話す。写真で見たより大きな食品サンプルの大きさに怯えているのだとも。

 正直なことだと吸血鬼は鼻で笑う。そして宿敵の学友に思いを馳せる。青い髪をしていて、どう考えても食い物の臭いはしなかった。ガソリンのにおいする食品とかどう考えてもおかしいだろ。食欲失せるわ。

「ああ、あいつな。甘いもの好きなんだな」

「そうらしいね」

「らしい、って。つめた~」

「これからどんどん寒くなるよ」

「お前ボケで言ってんのかそうじゃないのかわかんないんだよ」

 お喋りしながら時間を潰して待っていると客足も伸びて来ていた。客の入りも一通り落ち着いたところで、ワゴンに揺られてボウルに盛られたパフェが迫る。遠くから見ても巨大だということがわかる。あれが俺のテーブルに来るのだと吸血鬼はにやりと笑う。可愛いらしいところがあるなと狩人は思う。

 甘やかなベージュからチョコレートの茶色を基調とした色味に、差し色の赤、苺の赤、薄く切られたリンゴの皮の赤が生える。放射線状に刺さった細長いプレッツェル。網目模様の形をした飾りのチョコレート。アイスクリームにかかったチョコレートソース。申し訳程度に乗せられたミント。吸血鬼は喫茶ソロモンのパフェはこんな感じだったなと思い出した。

 それから紅茶が二杯、冷たいほうを吸血鬼に、温かいほうを狩人のほうに。おまけに二人分の取り皿、食器一式。これはありがたい。

「でかいな」

「そうだね」

 山のような装飾の付けられたパフェに尽くす語彙も無く呆れる。パフェ。完璧という名前を付けられた甘味。片寄った世界の全てがある。向かいに座る吸血鬼の顔が見えない。嘘だ。額や跳ねた毛あたりは見える。

「上のチョコ貰っていい?」

「いいよ」

 そう返すが早いか放射線状に刺さったプレッツェルを全て奪い去っていく。狩人はそれを止めない。止める間もなかった。

「一本くらいこっちに寄越して」

「えーっ」

 しぶしぶ吸血鬼は一本だけボウルに刺し直す。

「この季節にアイスはつらいなぁ」

 吸血鬼は狩人の泣き言を聞きながら一玉生成り色のアイスクリームをつまんで取り皿へ。プレッツェルの刺さった跡があるクリームを掬って大きな一口。もう一口、下層の赤色のジャムっぽいものまでスプーンを伸ばし、プレッツェルに塗りたくって食べる。

 狩人も負けじと薄く切られて扇状に開かれた苺をまるごとスプーンの上に乗せる。

「えーっ」

「まだあるだろ」

 残りの二つを、吸血鬼は奪うように口の中と取り皿に入れる。まったくやらしいやつ。りんごと共にチョコレートのアイスクリームを口の中へ入れる。上乗せされたチョコレートソースがつらい。暖かいストレートの紅茶を啜りながら、やっぱりコーヒーにしておけばよかったなと考える。近所にある喫茶ソロモンには紅茶は無かった。と、思う。覚えていない。そんなに行っていないから。

 吸血鬼は構わず果物を重点的に食べていく。長期戦なのにどうして不利に偏りを持たせるのか。一応考えて食べているのに。こういうものは好きなものから食べていった方が得だ。

 巨大パフェ攻略の最先端である匙錐の先が、中間地点と思しきスポンジにたどり着く。いち早くスプーンを付けた吸血鬼がスポンジをスポンジをほじくって食べ尽くし、置かれたポットから二杯目を継ぎ足しその上でさらに追加で紅茶を頼もうか悩む狩人がそれを止める間もなく、口を開く。

「よく考えたら俺そんなに甘いもの得意じゃなかったわ。よろしく」

「ええっ」

 そしてぐい、とボウルを狩人のほうに押しやる。にやにやと笑って、クリームの付いたスプーンを振っている。

 謀られた。底のほうには溶けかかったアイスクリームとコーンフレーク、そしてチョコレートソース。一切れ乗った薄切りリンゴは腕を返しざまに吸血鬼にとられた。ついでにミントと、少々のクリームも。

 食べ物争奪戦となるととことん弱いのがこの狩人だった。一人っ子として生まれ、プリークネスの家では兄に可愛がられ、檻の中で大した飯を食えずとも体型を保ってきた男だった。生来のやさしさがリンゴを得る邪魔をした。生まれついての悪であり、最後の一切れをさっと奪うことに躊躇いのない吸血鬼には敵わないのも道理である。

「食べるけどさ」

 口で一度拒否したとはいえ、それでも食べることを止めることは出来ない。狩人には食事を、ひいては食べ物を残すということに対し強烈な忌避感があった。

「おう、食え」

 吸血鬼は先のような意地悪を言っていても、時折ボウルにスプーンを伸ばしている。余裕の笑みを浮かべつつ、彼は性悪なにやにや笑いを浮かべながら狩人の顔を眺めている。

 狩人の表情は変わらない。甘い液を啜る頻度は上がったが、来たばかりのときより温くなった紅茶を飲むペースは落ちた。

 パフェの山を露天掘りされてできた空気の錐の先が、ボウルの底をつく。狩人は紅茶を一口飲み、苦し紛れに話しを始める。水の表面に油が浮く。

「先月、君にデートに誘われただろ」

「ああうん」

 吸血鬼にとっては偶然得た機会だったが、狩人は気に入ってくれたらしい。あんな映画だったのにお出掛けを気に入ってくれたとは。儲けた儲けた。吸血鬼は空笑いした。

「デートってだけで、普通に出掛けるのと変わりないのに、あんなにドキドキするとは思わなくて。次は僕から誘おうと思ったんだ」

「名前なんて希望だろ。必ずしも内容が伴うわけじゃない」

「名前は大事だ。それでドキドキすることだってあるんだから」

 未だにデートに照れている。吸血鬼は呆れたように嫌味を言う。

「そのために俺の名前付けたの?」

「俺の、って。シャンジュって名前?」

「そう。シャンジュって名前。名無しのままでよかったんじゃあないか……」

 まったく繋がりのない話だったのに、狩人はなんだそんなことかと表情で示した。

「必要だと思ったから。たいした意味は無かっただろ」

 照れ隠しだとしてもその言い訳は気分が悪い。吸血鬼はストローを噛んだ。プラスチック製なので味はしないはずなのに、不味い。ぢゅるぢゅる下品に音を立てて紅茶を吸う。

「いい名前だと思ったんだけどな」

 吸血鬼は宿敵に与えられた名前を気に入っているようだった。

「君が気に入ってくれるならいい。シャンジュ」

「何だ」

「あーん」

 狩人はスプーンに下層のコーンフレークを載せていた。溶けたアイスクリームとチョコレートソースがよく染みた、ふかふかのコーンフレークである。吸血鬼はまじまじとそれを見つめた。スプーンの背から茶色の液体がテーブルに垂れる。

「デートっぽいこと、したいだろ」

「……あーん」

 確かにこれはデートっぽいかもしれない。吸血鬼は甘んじてスプーンを受け入れる。

 他人のものであるスプーンが口の中にいる。コーンフレークと溶けたアイスクリームの生ぬるさ。リンゴの爽やかな香り。鼻に迫るチョコレートソース。最後に来るつんとした金属の臭い。

 艶っぽく唇全体で舐ってから、吸血鬼はスプーンを放す。

「そんならお前も。あーん」

 吸血鬼は狩人にスプーンを差し出す。チョコレートソースと溶けたアイスクリームだけが載っている。狩人は自分で握ったスプーンを口に入れるのと同じくらい慎重に口を開き、閉じる。

 スプーンの先端は狩人の口の中に無い。吸血鬼は手を引いて、自分で食べた。悪戯っぽく笑っている。

「やっぱあげない」

 ふーん。そういうことするんだ。あからさまにむっとして、狩人は頬を湿ったコーンフレークで膨らます。

「拗ねるなよ。ほら、もう一回。あーん」

「これ食べてからね」

「も~」

 制止させておきながらもう一口口に含む。ふるふるとスプーンを持った手を零れない程度に機嫌悪く震わす。

「お前な~、この俺を待たせるとはいい度胸してるぜ」

「ごめん忘れてた」

 狩人は嘘を吐いた。本当は意地悪でやった。途中で恥ずかしくなって目を反らし、指摘されて嘘まで吐いた。こんな背中がむずがゆくなるなら彼の真似なんてするんじゃなかった。背中までばくばく言っている。

 口の中の物を呑み下してから、今度こそきちんと「あーん」を完遂する。口のふちからチョコレートソースが垂れる。品は無いが舌を伸ばして舐め取る。

「色男だぜ」

「からかわないで。後で酷いよ」

「おお怖。何されるんだ?」

 何をするつもりもない。今はただチョコレートソースを掻き込む。そんなに必死こいて食べたいものじゃないということが判明した。わかりたくもなかった。

「ごちそうさまでした。お腹いっぱい」

「さて。次は何する?」

 支払いを終えて店を出て、狩人は次を乞う吸血鬼にたじろいだ。計画は本当に何も立てていない。驚くほど。何も無いのだ。歩きながらお喋りをする。

「ここデパートだろ。駅前だし。新幹線も止まる。ウインドウショッピングしようぜ」

「乗り気だね。帰るとか言ってなかったっけ」

 狩人は大量のチョコレートソースに疲れていた。もうちょっと遅く来るんだった。日が沈む直前に。それはそれで吸血鬼に主導権を握られそうで嫌だ。

「なんだ。もうリタイアか? 俺を楽しませるんじゃなかったか?」

「……いや。元気なら何よりだ」

 エレベーターで階下に降りる。いくつか乗り継いでやって来たデパートのエレベーターホールでフロアガイドを眺めながら、吸血鬼は耳を寄せる。辺りは騒がしい。

「お前趣味とか無いわけ?」

「無趣味……そうだね。無趣味だ……けど、見るのは好きだな」

 吸血鬼が来る前から、狩人の済む三〇六号室にはあまり物が無い。強いて言うなら可愛らしい皿。物欲に取り付かれると買ってしまうから、あまり見ないようにしているらしいが。

 今はどうだ。

 高潔な人間ほど落としがいがあると悪魔は言う。まったくその通りだと吸血鬼は思う。思ったならば、実行しなければならない。

「あの家も借り家だから。引っ越すことを考えると、あまり物は置いておけないし……」

「へえ。自分の家を持ったら何かやりたいとか、あるんだ?」

「それは……」

 どうして何もかも宿敵に言ってしまわなければならんのだ。何やら小難しく悩み始めた狩人の手を引っ張って、吸血鬼は来たばかりのエレベーターに導く。

「一番上から見てこうぜ。ウインドウショッピングなんだから、別に目的無くったっていいだろ」

 これではどっちが誘ったのだかわからないじゃないか。エレベーターの中には彼らの他に十人程がいるが、誰も喋らない。

 途中数回止まり人を下ろしたり載せたりしつつ、エレベーターは最上階に着く。

「そもそもあのアパート出る予定あったの?」

「うん。あの部屋が事故物件じゃなくなるまでの期間。一緒に住んでてもほら、何もなかっただろ?」

「事故物件……」

「前住んでた人が首吊ったんだって。そこで偶然、僕が一人暮らしをすることになったから、伝手で安く済むことになったの」

 巡り合いって運命。吸血鬼はふらふら歩きながら、使う予定の無い画材を眺めている。

「絵、描くの好きなの?」

「いや。俺って写真に写らないから。鏡にも映らないし。専ら書かれる側だよ」

「描かれたことがあるの?」

「まーな。そりゃ、絶世の美少年だし?」

 自分でそれを言うのか。不潔さを除けば、確かに文句のつけようも無く美人だけれども。どういう自信があったらそういうことを言えるんだろう。……いつもの誇張表現かもしれないけど。

「描いてみないか? 俺のこと」

「絵なんて描いたこと無いよ」

「えー。なら克海あたりにでも描かせてさ」

「いや、別に、そこまでしていただく必要はない……君の絵飾っとく趣味はないし……」

「……そう。俺の姿絵をとっておこうって気は一切ないんだ」

「本人が居ればいいかなって。もう背は伸びないんだろ?」

 なんとも言えない表情で吸血鬼は狩人を見た。黙った吸血鬼に狩人が不自然に思って振り返って、それから矢継ぎ早に文句を垂れる。

「遠慮が無い。デリカシーが無い。時間を切り取ろうという気概が無い。支配欲ばっかり有り余って。デパートにならあるかもな。お前に足りない物」

「何か悪いこと言ったかな」

「もう背は伸びないって、ホントのことだったとしても言うことじゃないだろ」

「君は変身が得意だから、好きな姿になれるんだろ」

「見せかけだ。なんで自分のために変身しなきゃならないんだよ」

 疲れるらしい。他に画材を見たい人のために棚の前から退き、別のフロアに移動する。ここで見たいものはもうない。

「趣味。お前の趣味だ。借り家じゃなくて持ち家で、いくらでも広げられたら。何がしたい?」

「うーん……」

「皿好きだろ。かわいいやつ。あれ自分で作ってみようとか思わないの?」

「いや、別に……うちにあるみたいなプラスチックの皿って、家で作るとなったらどういう設備が要るのかな?」

 悪手だった。陶芸趣味じゃなかったか。絵皿が好きなわけでもないみたいだし。何が何でも何か買わせたい。意味のないものを何か。

「じゃあ、ミニチュアとか? 小さくて可愛いやつ。プラモとかさ。あっ、ほら、こんな感じのさぁ」

 おもちゃ売り場に引っ張っていき、箱に入った人形用のミニチュアの皿を手に取って見る。

「どう?」

「恣意がある。誘惑に下心しか感じられない。悪魔としては0点」

「皿の感想聞いてんだわ」

 狩人はあくまで冷たい目で見ている。悪魔に学校があったらこういう先生がいるんだろうな、と思える目である。吸血鬼には気に入らない。

「君は僕が皿が好きだと思ってるの?」

「好きじゃないの? かわいい皿」

「……好きだよ。こういう模様。模様の一つ一つに意味があって、たくさん並んでて」

 皿だけが好きなわけじゃないらしい。それならアプローチを変えるべきだ。

「じゃあ絨毯とか見てく? 面白いぜ、色鮮やかで、お前好みっぽい可愛いの色々あるし」

「……欲目で誘ってるってわかってるのに」

「見るだけならタダだよ」

「そうだね」

 そういうわけだから階を変えてペルシャ絨毯の売り場を見に行く。丁度一つ下の階だ。

 しかし階を降りたはなから狩人は隣の手芸コーナーでミサンガの作り方付きのキットを凝視している。悪魔――いや吸血鬼としてはもうちょっとスペースと金を食うものを趣味にしてもらいたい。

「これ一つ買おう」

 季節がずれて値段が落ちた、ハロウィン風の色合いのミサンガキットを手に取る。一つ買えば説明書はついてくるし、後でもっと使いたくなったら似たような紐を買い足せばいい。

「シャンジュも、何か欲しいものある?」

「無い」

 それでもこれから欲しいものが出来るかもしれない。もう少し手芸コーナーを見て回る。

 手芸コーナーでは冬らしく毛糸の特集がされている。冬と言えば編み物、人々は色鮮やかな毛糸を使ってセーターやらマフラーやらなにやらを編む。編みたい人は季節を問わず編むが、何かの機会が無ければ初心者は入り込めない。冬と言えば編み物、そういうイメージを持たせれば、冬になったからなんか編もうという機運も高まる。そういうものだろうか?

「これ買って」

 吸血鬼もそうして取り込まれたミーハーの一人だった。編針と五玉セットの挽き肉のような斑入りの赤色を、狩人が抱える小さな買い物籠に入れる。

「編み方、わかるの?」

「知らん。今度図書館で編み物の本でも借りるかな」

 幸い時間はいっぱいある。マフラーでも編んでクリスマスプレゼントにこいつに渡してやろう。計画の一切がぞんざいだった。

 一通り見て回ったが、欲しいもの、買いたいものは見当たらない。

「このデカいボタンも買って」

「何に使うの」

「まあまあ」

 手のひらのくぼみよりも大きいプラスチック製の四つ穴ボタンを三つ、籠に放り込む。何に使うわけでもない。今ちょっと気に入ったから買うだけだ。後で使いもせずに捨てるかもしれない。……一つは使うあてがあるかもしれない。でもそれだけだ。

 買い物を終えて改めてペルシャ絨毯の売り場を見に行く。とてもティーンエイジャーの手の届く値段では売っていない。安くて小さいものならそれなりの値段で売っているが、どこに敷いたらいいものかわからない。吸血鬼にはそんなこと関係ない。買って後悔させるだけだ。

「それじゃ絨毯に失礼だろ。買うだけ買って敷く場所が無いなんて」

「……かわいい奴」

「何を言ってる?」

「絨毯にも気を遣うんだな。お前」

「いいだろ、別に。者なら使われてしかるべきってだけ」

 そしてどういうわけかふらっと別の方角へ歩いて行く。これもウインドウショッピングの醍醐味だ。向こうに着物が見えるので着物を見る。日本の伝統衣装らしいが、吸血鬼は未だかつてこれを日常的に着ているという人間にお目にかかったことが無い。あ、いや、大通りとか人通りの多いところとか、電車の中ですれ違ったことはあるかも。

「お前着物着たりしないの?」

「しないね。着たこと無いや」

「成人式だって。来年は袴着るの?」

「そうらしいね。僕日本で義務教育行ったこと無いからなぁ……」

 校区ごとに細かい違いはあるが、この地域の成人式は旧態依然、ニ十歳を祝うものであるらしい。

「成人したらさ、一緒に酒飲もうね」

「おう」

 吸血鬼は酒に詳しくなかった。成人していないのだから詳しい方が問題だったが、非倫理の中で生きている悪魔である吸血鬼には関係が無い。

 買いもしないのに着物を眺め過ぎて店員に話しかけられる前に次を見に行く。

 エレベーターを降り、婦人服売り場を通り過ぎる。女性用に比べて男性用の服の売り場は狭い。

「あれなんでなんだろうね」

「単に種類が多いからだろ。その上着るものに頓着しないんだ。だから狭い」

「そうだね」

 彼ら二人、どちらにも着飾る趣味は無い。それ故すべてが一つの箪笥に収まっている。男性用の服が少ない理由は定かではないが、己のさがゆえ吸血鬼のいい加減な言に納得してしまう。

 ふらふら歩いて建物間の通用路を過ぎる。白髪頭が通路端のベンチに座り、眠っている。

「いやあ、しかし。一日中外歩いてると思い出すな……」

「何を?」

「お前と会った時のこと。覚えてる? 最初に会ったのは街だったな」

 忘れもしない。雪の降る日、狩人がプリークネスの家にいたとき。長いコートを引き摺って、夢遊病者のように歩く彼を見つけた。

「町はずれだ」

「そう。あんまり賑やかじゃなかったな。俺、街って好きだな。こう、騒がしくってさ。やっぱり賑やかでなくちゃ」

 通路の先、吹き抜けの下。蟻のように人が歩いているのが見える。

 狩人は今の状況があまり好きではない。喧騒に紛れて、吸血鬼がどこに行方をくらますのかわからないからだ。今は一緒に暮らしているのだから、少なくともあと四か月は、一緒に居てもらわなくちゃ。歪んだ所有欲だ。彼と一緒に居ると、自分の嫌なところを見せつけられる。

「いてっ」

「ごめん」

 ぎゅっと握った手に眉をしかめる吸血鬼に素直に謝る。吸血鬼は懲りずに続ける。

「こういうところでお前とやれたらいいな」

 耳に口を寄せて、吸血鬼は囁く。

「何もかもぶっ壊しちまってさぁ……」

「させない」

 蠱惑的で、悪魔のような笑顔だ。

「しないから」

 ちゃんと歩いて、と狩人はきっぱりと断りを入れる。今理性が働いていることを示さないと、薄い頬に齧りついて食い破りたい衝動に負けてしまう。

「わかってる。あと四か月の我慢だろ。我慢するぜ。俺は辛抱強いんだ」

 現在昼の三時。日が沈むまでまだまだ時間がある。吸血鬼は狩人の頬に唇で触れる。

 何も隠すことはない、というように蜂蜜色の目を見開いて、再び唇を突き出す。狩人から何かするまでここから動かない、というように両手を強く握りしめて。

「シャンジュ」

「おっと」

 狩人は片手を振り解き、再び歩きはじめる。ここは道の真ん中、誰か来たとき邪魔になる場所だ。

「家でいくらでもしてやるから」

「言うようになったじゃないか。楽しみにしてやる」


 なんやかんやと歩き回り、二時間ほど経った。いよいよ日が沈み、明かりが点く。

 わあっ、と周りで歓声が聞こえる。

「やっぱり来てよかったわ、デート」

 チカチカ光る灯は眩しいが、人が楽しむためのものだ。夜の領分を犯す光を、ティーンエイジャーの吸血鬼は嫌わない。

「見れたし、帰ろう」

 狩人は疲れていた。ライトアップを見に行こうと言いだしたのは自分だったが、白く光るだけなら自分にもできる。疲労でくだらないことも考えていた。

「そうだな。帰るか」

 そして帰りしなに何か食べる物買って帰ろう。今日は楽に済ませよう。すぐに食べられるものを。さっさと風呂入って寝たい気分みたいだし。

「これいつまでやってたっけ?」

「年末まではやってるんじゃないかな」

 今日の晩飯の打ち合わせをする。何が食べたいだとか、何がイヤだとか。あまりにもチョコレートパフェのせいで、外で食べる気分にはなれない。デパ地下を歩き、山盛りの唐揚げを買う。普通のティーンエイジャーにはこれさえ買っておけば間違いが無い。地下鉄の中に美味しそうな唐揚げの臭いを充満させながら帰路につく。

 狩人が米を洗う。炊き立てのご飯を待つ間、吸血鬼がごろんと倒れ込んで言う。

「おい、忘れてないだろうな」

「何が?」

「キスだよ。家に帰ったらしてくれるって、お預けしただろ?」

 ああ、と狩人は誤魔化せなかったことを悟る。手を拭き、炊飯器に洗いたての米を任せる。

 米が炊けるまであと三十分ある。

「ほら」

 手を顔の横に置いて、にやにや笑ってその時を待っている。吸血鬼に覆いかぶさるようにして――できるだけ彼好みの艶っぽい雰囲気になるように――手のひらに指を絡め、じっと蜂蜜色の目を見下ろす。

「目ヤニ付いてる」

「取って」

 四分の一に折り畳んだティッシュ越しに取ってやると、むーっ、と子どもっぽい呻き声を上げる。

「お前のそ~ゆ~とこ、ほんとキライ」

 ゴミ箱に丸めたティッシュを抛り込む背に吸血鬼はねちっこく言う。吐き捨てるようには言わない。彼なりにこの時間を大事にしたいらしい。吸血鬼は足指の先で狩人の尻をつっつく。狩人は振り返る。

「君は、僕に好きなところがあるのか?」

「揚げ足とンなよ、鬱陶しい」

 唾液を呑みこみ、狩人は今度は風情もへったくれもなく顔を近づける。

 鼻を衝く悪臭に、空腹の味がする。眉を顰め、口を開き、涎が頬を濡らすことが無いよう、念入りに唇を合わせる。

 ゆっくりと舌を這うように侵入させる。執拗に舌を絡め、吸血鬼の乱杭歯に舌を引っ掻けるのも構わず、口内を這わす。

「んん……むうっ」

 文句ありげに呻く吸血鬼に、狩人は舌を引っ込めて口を離す。

「どうかした?」

「今日はやけに情熱的だな」

「嫌だったらやめるよ」

「いいや、もっとしろ」

 前歯が当たりそうな勢いで口を付ける。唇を絡ませ、唾液を交換し、舌を口蓋に沿わせ、

 びくびくと腰を震わし、後に引こうとする吸血鬼の股の間に膝を入れる。後ろは床だ。吸血鬼に逃げることは出来ない。死ぬまで追い込んでやる。

 狩人はそういう目をしていたが、死ぬまではやらなかった。ようやく飽きたらしい、狩人は名残惜し気に舌を伸ばし、唾液に糸を引かせつつ口を離す。吸血鬼のカサカサだった口の端に、切れた水糸の端が降りて来る。

「やるようになったじゃねえか」

 吸血鬼はにやりと笑い、続きを期待する。

 狩人はそれ以上をしない。起き上がり絡めた手を解いて、腕の下から吸血鬼を解放する。それからさっきまで深い口付けを交わしていた男に背を向けて、押し入れを漁り明日の着替えと寝間着を出した。

「は? おい、何やってる?」

「先に風呂入る。君もどうだ」

 思えばここでうんと頷いておけばよかった。そうすれば続きが出来たかもしれない。吸血鬼の生物としての性質がそうさせなかった。

「ここまでやって続きをしないのか?」

「しないよ。君の望み通りに接吻はしたんだ」

「接吻て、おい!」

「風呂入ってくる」

 責任取れ、という国会答弁並みの罵倒を背に、狩人は風呂に入りに行った。あと十数分でご飯が炊けるというのに。

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