10/6(月) 十五夜と魔女のパン屋で反省会
開いているところを滅多に見ないことで有名な魔女のパン屋であったが、その開店日には一つの規則性があった。満月の日には必ず店を開けているという点だったが、今日は満月の前日にも拘らず店が開いていた。
「今日は開いてるんだ?」
吸血鬼がそれを見つけたのは、深夜、一人で出歩いているときのことだった。煌々と光る柔らかな色の明かりに惹かれて、吸血鬼は財布だけ持って、烏に変身し、ふわふわと店の前に降り立った。
そして店主に先の問いかけをした。吸血鬼という化外の者であれど、人の中で生きるものであるので、焼きたてのパンの香りというものにはどうにも惹かれてしまった。ほかほかのパン、買わずにはいられない。
「ええ。今日は中秋の名月よ。月は見て来た?」
「へー。店ん中でも月見が出来るのか?」
「出来るわけないじゃない」
月見をするのは客だけでいいらしい。吸血鬼はパンを幾つか買って、そのうち一つをイートインスペースで齧る。焼き立てのパンは美味いが、冷めても大抵うまい。紙袋に入れた持って帰る方は明日の朝、狩人が全て食うだろう。吸血鬼は自分が食うよりも多めに買っておいてやった。猫のように膝の上を温めている。
「明日も開いてる?」
「そのつもりよ。クレスニクさんは?」
「あいつがこんな夜中に起きてるもんかよ。明日も学校だし。それより条例とかいいの? 商店街の人に迷惑がられたりしない?」
「大丈夫よ、裏のバーもスナックも夜通しやってるわ。そもそもこの街あなたみたいな子をダース単位で置いておいてるのに、迷惑も何もないわ」
「へえ。俺の他にも吸血鬼がいるのか?」
「いないわ。あなただけよ」
「なんでえ」
ちょっとドキッとして損した。
深夜であるので、他に客が来るまでお喋りをすることにしていた。食い終わるか、ほかに客が来たら容赦なく追い出す、それまでは居座ってもいいとの条件付きである。
「あれから、クレスニクさんとは進展した?」
「進展って、何のだよ」
「そりゃあ、やったんでしょ?」
魔女は性交を意味する下品なジェスチャーをしてみせる。こういうことも客がいないから出来るのだ。こんな夜遅くにはたいていのまともな客はもう来切ってしまい、あとは迷い込む者を期待するだけだった。
「まあ。やったけど。何て品が無い」
「魔女ですもの」
「進展ね。残念ながら俺たち恋愛じゃないから。神様とか騙すためだけにやってるだけ。進むも引くもない」
「自分たちを騙すため?」
「そぉう。セックスは駄目だったね、二度とやりたくない」
「どうして?」
「ちょっと……ええと……あの……負けちゃう気がして」
吸血鬼はサービスだという香辛料入りの牛乳を飲んだ。甘い。心臓が強くどくどくと脈打つ。
「これ何入ってる?」
「蜂蜜とショウガと……少なくともニンニクは入ってないわ。それより負けるって? 脇に挟んでなかったんでしょ、羊膜」
「条件は奴も一緒だった。あいつも俺も生まれたままの姿だった。それで、俺はあいつのおちんちんに負けちゃうかもしれなかった。同居してからは飯の殆どを俺が作ってたってのに。屈辱だ……」
「そういう台詞、フィクション以外で初めて聞いたわ」
「あんたも、そういうの読むんだな」
「やっぱ吸血鬼って杭に弱いのね? 下半身の杭にもって意味だけど」
「やかましいわ」
深夜だから品の無い話も弾む。主に弾ませているのは魔女のほうだった。
「……でも、そうだな。結果としちゃ、弱かったんだな。……でも今までの経験じゃ、全然そんなことなかったんだけど。勝てる相手としかやってなかったのかな。なんとかあいつに勝てるように強くなれないかな……なんかそういうの無い? 素敵なチートアイテム」
「そうね。そもそも杭を打ち込まれるのに吸血鬼が勝てる方法を考えろっていう前提が、無理があるのだけれど。強いて言うなら……そうね、自分が強くなるんじゃなくって、相手を先にへばらせる方を考えた方がいいんじゃないかしら」
「でもさ、あいつちょっとでも触ったらひっぱたいてくるんだぜ。セックスしてるってのによ。触られんの嫌いなんだって。ヤってるって言えねえよな。くそったれ」
「それは……あの子の精神に問題があるわね」
魔女のあまりにも直球の物言いに、吸血鬼は噴き出して笑った。
「ま、確かにそうだな」
笑いを堪えてから、ふかふかのパンと共に香辛料入りの牛乳を飲み切る。
「もし奴とまたヤるってなら、それまでに頑張って調教しないとな。ご馳走様でした」
「お粗末さまでした。クドラクさん、またいらしてね」