3/25(火) 図書館に行こう
*この話では「正規の手段でない方法で図書館を利用する登場人物たち」が描かれます。この小説は彼らのような行動を推奨するものではありません。あらかじめご了承下さい。
「おはよう」
吸血鬼が起きた時、そろそろ日が入ろうかという頃だった。
「夜だろ」
「着替えてくれ。図書館に行こう」
唐突な申し出だった。
狩人はどこかに出掛けて来た帰りのようで、外に出る用意を既に済ませていた。吸血鬼の目ヤニをティッシュで取ってやり、着替えを手伝った。
「なんでそんな甲斐甲斐しいの?」
「早く着替えないと図書館が閉まっちゃうからだよ」
可愛い物言いをする奴だ。吸血鬼は寝惚けた頭で狩人の手を受け入れていた。
「飯はどうした」
「これから。今ご飯は炊いてる。図書館の帰りに、何かおかず買って帰ろうかなって思ってた」
「俺が作るって言ってるのに」
だからと言って吸血鬼に彼の提案に代替するプランは無い。未だこの家には彼が自由に扱える手札たる食料は、十分に無い。
狩人のほうはカバンに本を数冊入れて準備は終えた。玄関を出て戸締まりをして階段を降り、吸血鬼の手を引いて歩く。
吸血鬼のほうは道順を覚えるために辺りを見回しながら歩く。それ故手を引っ張られているのは、前ばかり見ずに済むから都合が良い。
「図書館は、よく行くのか?」
「うん、二週間に一回は。図書館の本の返却期限がそれくらいだから」
「ふーん」
「君は、好きな時に行くといい。本はいっぱいあるし、時間制限はあるけどパソコンも借りられるし。本を借りたいときは僕のカードを使え。君は作れないから」
そう言ってラミネート加工のされたぺらぺらのバーコード付きカードを渡される。
「なんで」
「君がここに生きていることを証明できるものが無い」
「凹むなぁ」
凹んでいても事実は曲げられない。借りられるのは本六冊まで。CDやらDVDの視聴覚資料は三つまで。説明を話半分に聞きながら、吸血鬼は物珍し気に辺りを見回していた。ここのところは体調が悪くて遠くまで出歩く気力は無かったし、それより前は辺りの様子を見物する心の余裕がなかった。どうやら宿敵が暮らしている町が大都会であるらしい。コンクリートに覆われた、吸血鬼の食料が豊富な街だ。
大通りに出てしばらく真っ直ぐ歩き、高速道路の高架の下に入る道を曲がり道なりに行く。ここまで少し速足で三十分ほどが経過しており、二人はそろそろ蛍の光が流れ出す、目当ての図書館にたどり着いた。
「平日は七時まで、土日と祝日は五時まで。月曜日が休館日だ」
「今日は?」
「火曜日。本返しに行ってくるから、好きな本見繕っといて」
低い声でそう言って、狩人は返却カウンターに本を返しに行く。
好きな本、って言われてもね。吸血鬼は読めない文字だらけの館内を見回した。あっちは本の大きさ的に新聞とか雑誌、たぶんこっちは絵が多くて本棚の背が低いから子供向けだろう、あっ漫画があるんだ、なんか一冊続き物じゃないやつ借りよう、へー日本語以外の本もあるんだ、いやあいつに取り入るなら日本語を学習した方がいい、それなら料理の本があるといいんだが、たぶんあっちだろう、いやこっちは全部わからん、ああこんなところに普通の本のふりして聖書が置いてあるコーランの解説書もだ死者の書も置いてある何でも揃ってるなさっさと通り抜けよう、よくわからん単語がたくさん並んでいるからここは多分小説だろう、目当ての料理の本はカウンターの近くにあったか、専門的な本程奥にあるのかなるほどな、ここを楽しむならもう少し文字が読めるようになった方がいいだろう、頑張ろう。吸血鬼は蛍の光が流れる館内を十分ほど、まんまと楽しんでいた。
「あ、いた。この本、僕のおすすめ」
「じゃその本も借りる」
吸血鬼は本を返して来た狩人のほうを見ずに答えた。後で振り返って確認したが、狩人が差し出したのは料理絵本である。表紙に描かれたクッキーを作るらしい。
「そういや、いいのか? お前の借りる分が少なくなる」
「いいんだよ。僕は今までにいっぱい借りたし。それに君の借りた本を読んでみたいし」
プライバシーも何もあったものではない。カウンターの向かいに掲げられた『図書館の自由に関する宣言』はぎょっとしたが、利用者同士の話を盗み聞きしたのも悪いと思ったので黙っていた。
あっちのカウンターで本を借りたり返したりする、と狩人は吸血鬼に説明した。この説明でわかってくれると、狩人は吸血鬼にある程度の理解を期待していた。その通り、吸血鬼は理解していた。彼の倫理の中で生きなければ、己はこれから一年も生きてはいられまい。
狩人がおすすめした児童書数冊と、手軽と謳う料理の本一冊、狩人が借りたがっていた難しそうな本を借り、早々に図書館を去った。行き来の時間のほうが長くついた。
「図書館の公式サイトで、あの図書館に無い本も借りるようにできる。明日あたりに携帯電話を用立ててくるから、その時使い方説明するよ。使ったことある? スマホ」
「俺とて現代っ子だ。あるよ」
舐めてもらっては困る、というように鼻を鳴らす。狩人は微笑ましいものを見る目で吸血鬼を見る。
「今日のご飯何にする?」
「うちの冷凍庫にレンジでチンするチキンステーキがあった」
狩人が気に入って常に五個ほど置いているものだ。これからは俺がいるのだからそんなものは必要なくなる。片付けてしまわなければ次のものは入れられない。
「それでいいか」
「うん。いいと思う」
「明日の朝、いいご飯用意するから」
「ありがとう、期待してる」