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吸血鬼狩人、宿敵と同居する  作者: せいいち
五月・足長おじさんと
18/104

5/3(土・祝) 錬金術師の家に行こう

 錬金術師の家は普段使う方向とは逆に数駅、乗り換えてさらに何駅か行った、大型ショッピングモールがある閑静な住宅街にある。

「これ交通費出る?」

「多めに出してもらった」

 仕事帰りの人の波にもまれながら、吸血鬼は帰りはまた頭に乗せてもらおう、と考えていた。

 白い壁には木が生い茂り、蔦が蔓延っている。あまり見目好い建物とは言えない。このままではそう遠くないうちに全体に張った蔦で建物が崩れるだろう。かわいそうに、このコンクリート製の建物は家主に気を使われていないのだ。

「マジでここ?」

「近所の子どもにお化け屋敷って言われてるらしいよ」

「だろーなぁ」

 研究所になる前はどういう建物だったのか。軋むアルミ製のドアには鍵が掛かっていない。力を入れてドアを引く。ジャリジャリ蝶番を軋ませながら開く。

 玄関は足ふきマットが置いてあるだけで、脱いで上がる決まりではないらしい。狩人が靴を脱がないまま行ったのを見て、吸血鬼も従う。玄関すぐ左、ガラス張りの壁の向こうは埃と荷物でいっぱいだ。

「失礼します。暁が参りました」

 橙色の明かりが付いている奥に向けて狩人が呼びかける。

『入っておいで』

 ざらついていて低く落ち着いた声だったが、機械を通していることに吸血鬼は不快感を覚えた。カウンターテーブルには皿が並び、端に置かれたスピーカーが喋っている。

「いつもこんなんなのか?」

「いや……」

『席についてくれ。食べながら話そう』

 散らかったリビングダイニングに大量の荷物が持ち込まれて、そのまま埃が積もった様子だ。カウンター周りだけは客が来るからと片付けてあるらしい、埃はランウェイのように道を示し、埃の無い道はカウンターまで続いている。他の明かりのつかない薄暗い場所には足を踏み入れ難い雰囲気を醸造している。

 カウンターテーブル上、食欲をそそる赤いランチョンマットの上には皿が何枚かと、皿の分だけあるカトラリー。真ん中の深い皿に野菜がたっぷり乗ったステーキかハンバーグ、ボウルには粉チーズが乗った数種類のレタスとタマネギのサラダ。半球型のカップには赤っぽいスープ。トマトとカレーの匂いがする。トマトスープからは湯気が立っている。籠には丸くてやわらかいパンが入っている。網目にはカメラが仕込まれている。吸血鬼は長い爪で小さなカメラをほじくり出し、指先で擦り潰した。ぱらぱらとプラスチックの粉が床に落ちる。

「まだなんかあるだろ。食うのは探してからにしよう」

「なにそれ」

「カメラだよ。これで見られてる。俺のことちゃんと見えてるのかな?」

『それ以上潰してくれるな。用意するのも手間なんだ』

「ごめんだねー。こっちはそっちの顔も知らないのに。やっぱり面と面、目と目を合わせてお話しした方がいいと思うぜ。これは単に不愉快な虫を潰してるだけ。蚊に血を吸われたことってある? 夜中に飛んでこられて躍起になって殺しにかかることあるだろ? あれ、あんな感じ」

 話しながらカウンターの向こうの棚から三つカメラを見つける。順に擦り潰され、最後の一つは掌でぺしゃんこにされた。掌にわずかに赤い跡が付くが、すぐ消える。

「吸血鬼でも血を吸われることってあるんだ」

「ないよ。そもそも小さい蚊じゃ針刺さんないし。耳元で飛ばれれば不快だろ。お前も探せ」

『理人。その吸血鬼を止めろ』

 狩人は早速カウンターの席に座り、まったく止める様子がない。既に十を超えるカメラが吸血鬼の手により擦り潰されていた。掌がじんわり赤い。

「聞いただろ、その辺にしといたら?」

「嫌ならこっち来て自分の手でお止めになってってその錬金術師さんに言っといて。あと座ってないで窓開けて、窓という窓全部だ。開けられるとこは全部開けろ。この辺メチャ埃っぽいから。換気だ換気」

「わかった」

 狩人は吸血鬼の言に従い、目についた窓を開け、換気扇を付けた。料理に埃を被せるのは彼としても本意ではないし、カメラのことには気付けなかった自分が許せない。ひょっとして前もあったのか。

「これで全部かな~。まったく顔の見えない奴は安心できないね。カメラとかこの上なく悪しき発明だぜ、マジで」

「君は映らないのに?」

「顔も見せずにこっちは見ようって魂胆が許せないの!」

 吸血鬼はぷりぷり怒って、今度はカウンター横のドアをがちゃがちゃ弄りはじめた。

「ご飯食べないの?」

「お前先に食ってろ。俺はこの錬金術師とお喋りしたいから」

『そこは食糧庫だ。開けても何もない』

「無いことはないだろ、食糧庫なんだろ。ジャガイモとかニンジンとか、お前が好きならカレー粉とか。あるはずだろ」

「先に食べてるよ」

「おう、そうしろ。足りなかったら俺の分も食べていいぞ」

 カチャカチャとカトラリーと皿が当たる音がする。

「美味しい?」

「どうだろ。カレーの味がする……あの人が作るの毎回カレー味なんだよな。カレー好きでもないのに、味のごまかしが効くからって」

 食糧庫の扉を諦める前に、腹立ち紛れに扉を凹ませる。次はどこを調べるか。

「前にもここで食べたことあるのか?」

 リビングにまんべんなく敷かれた段ボールの中を漁る。覗いた段ボールの中全てに本と本未満の紙束と埃が隙間なく詰まっている。埃っぽい本特有の、奇妙な臭いが鼻につく。隣に食事をしている人がいるというのに、吸血鬼は埃を撒き上げることを厭わない。

「うん。初めて会った時と、それから何回か。特に規則性があったわけじゃないけど、招かれた時はありがたく頂いてた。殆どは外だったな。ちゃんと顔は合わせてたはずなんだけど……あ」

「あ、何?」

 あまりに響く声だったので、部屋中の埃が揺れた。ゲホゲホ咳き込んで吸血鬼は狩人のほうを向く。狩人も吸血鬼のほうを振り返っていた。狩人の顔は橙色の明かりの下でもわかるほど蒼褪めていた。

「最初にここで食べた時、睡眠薬盛られたんだ」

「なんでそんな今そんな大事なこと思い出すんだよ。まだ眠くないんなら全部食っとけ、俺の分まで。どの料理に盛られてるかわからんがもう遅いんだから。帰りは俺が運んでやる。もうどれだけ食っても同じだ、食っちまえ」

「……お願い」

 狩人はパンをちぎって肉にかかっていたソースに付けて食べた。

「うまいか?」

「わからない。でもカレーの味がする」

「今度美味しいの作ってやるよ。薬を盛られたのは最初の一回だけか? 外で食べた時は盛られなかったのか? その一回で何をされた?」

「一回だけだよ。髪を切られた」

「髪をォ!?」

 今度は吸血鬼が振り返った。聖人には必要なものではなかったか。それを失った相手に何度も殺されかけたのか。ふざけやがって。吸血鬼は行き場のない怒りを段ボールの中の紙束にぶつけた。

「大丈夫、僕は髪を切られて力がなくなるタイプの超人じゃない。それから爪をちょっと。めくられたんじゃなくて切られたんだ。丁度長くなってたところを」

「どこが大丈夫だ。それのどこに安心できる要素がある? 髪も爪も、何に使われたとか……考えないわけ?」

「呪いだとしても僕には返ってきていない。錬金術師が使ったって言ってた。他がどこにあるのかなんてわかんないけど、……面倒くさいことにはなってないと思うよ」

「お前、そんな、俺が言うのもおかしいけどさ、もっと自分のこと大事にしろよ」

 べしゃ、と音を立てて皿の上に狩人の顔が落ちる。寝落ちたのだろう。吸血鬼は様子を見に行った。幸いフォークもナイフも彼の顔に傷一つ付けていない。鼻にソースが入っても安らかな寝顔だ。食器下のランチョンマットを引きずり出して顔を拭ってやる。

 自分の目の前に置かれたプレートは、ソースを残してほぼ完食していた。前も薬を盛られたって言ってたのに、こいつは学習しないのか、あえて無視しているのか。

 さっきまでの会話も錬金術師には聞かれているのだろう。そういえばしばらく彼の声を聞かない、と思って耳を澄ませる。

 足音が聞こえる。靴ではなく靴下、衣擦れのようなわずかな足音だ。どこからする? 同じ地平からはしない――上だ。

 ガコンと音がして天井が開き、人が降って来た。吸血鬼は不意打ちを間一髪で躱すも、次いで投げられた金属の塊が彼の両腕を的確に捉える。

 この食事会もどうせ何かの罠だと思ってたけど、と吸血鬼は独り言ちた。

 ――手錠自体は最初に狩人にかけられた紐のほうがよっぽど効いた。あの時は弱ってたけど。しかしこれにかこつけて、しばらくは大人しくしてやってもいい。

「こんばんは錬金術師さん。随分とアグレッシブだな」

 錬金術師は返事をしない。顔を合わせると無口になるタイプだ。背は吸血鬼より低く、りんごのように赤い髪を荒らしている。降りてくるときに一瞬見えた髪の下の顔は、かなり可愛らしいと吸血鬼は感じた。好みのタイプだ。カクテルパーティー効果かもしれないが。

 刃の無い長刀を振って吸血鬼を追い詰めようというらしい。策が通じないと思ったら力業で来るとは。足の踏み場も怪しい場所で、危ない奴だ。舐めたことをしていると怪我をしかねない。

「吸血鬼を本気で縛っておきたいんだったら銀に祈りの彫刻でもしておくんだったな。こんな硬いだけのものでは俺は縛れんぞ」

 腕を気化させて拘束を解く。食器が落ちたよりも重い音が響く。人間が頑張って吸血鬼を力づくで気絶でもさせようというのか。なんてやつだ、と吸血鬼は驚き呆れた。圧倒的に不利な状況だというのに、対話しようという気すらないとは。吸血鬼はお喋りがしたかった。

 皿を避けて静かにカウンターを飛び越えて、寝ている狩人を挟んで向かい合う。それから相手が何かする前に両手を上げて喋りかける。

「あんた何がしたかったわけ? 目的は俺の血? まともに人間関係築けないの?」

 小さく舌打ちをして、錬金術師は吸血鬼を睨む。ようやく長刀を下ろしてくれた。

「理人から聞いての通り、私は錬金術師だ。現代日本でこんなもの名乗っておいてまともなわけないだろう」

「自覚はあるんだな。何が目的?」

「吸血鬼の身体の一部」

「髪と爪と血? 理人が言ってたけど」

「そうだ」

「それなら顔を合わせて言ったほうが良かったな。あんたの経験上吸血鬼と顔を合わせてお喋りするのは気が引けたかもしれないけど。俺とは、な?」

 吸血鬼はカウンターから出て、馴れ馴れしく錬金術師の肩を抱いた。それから髪を数本引っ張って、錬金術師に差し出した。

 ポケットのついた上着の下には何も着ていないように見える。首が開いた格好だ。髪は年取ってはいるものの艶やかで、彼自身のものらしい、吸血鬼好みの匂いがする。

「残念だけど、今血と爪は渡せない。ヤスリない?」

「ない」

 錬金術師は長い前髪の間から吸血鬼を凝視していた。彼の手からは今のところ敵意を感じないが、振りほどけるほど力は弱くもない。人と吸血鬼の間に図々しくも横たわる種族差。今の状況からどう逃げおおせるか、錬金術師は欠如した判断力で必死に考えていた。

「それじゃあ爪は渡せない。血もだ。何の代償もなしにこの俺の血が貰えたらおかしいだろ?」

「代償は?」

「そりゃもちろん、血と永遠の忠誠だ! 吸血鬼が血を分けるんだぞ」

「なら、もう少し髪を。……それと、次来る時までに爪用のヤスリを買っておく。理人を通していつも使っているものを教えてくれ。それから理人には悪かった、と」

 話を終わらせて去ろうとする錬金術師の肩を掴み直して、吸血鬼は耳元に囁いた。

「ちょっと待った。髪をやったんだから、それなりのものをくれないと」

「……血か?」

「もちろん」

 錬金術師の地球色の目が凝視している。吸血鬼には己に対しての恐れを抱いているように見えた。

「大丈夫、吸っただけじゃ吸血鬼にならない。食事のたびに食い扶持が増えてちゃ大変だろ?」

「それは、よかった。一生を日の当たらない場所で過ごすことになるなど、ごめんだからな」

 さっきまで段ボールが座っていた埃まみれのソファに座り、膝の上に錬金術師を座らせる。丁度いい大きさだ。上着のファスナーを途中まで下げ、肩口を開く。中にはタンクトップを着ていたらしい。肩紐を落として露出させる。

「手を出して」

 吸血鬼は錬金術師と目を合わせ、魔力を籠めて言った。

 邪視にたいした抵抗もしない。対策はしなかったらしい。ぼんやりした顔で素直に手を差し出す。錬金術師が出した右手に指を絡め、もう片方の手首を掴む。ポケットの中にあるもので何をされたものかわからない。錬金術師も人間相手なら腕力で勝てたかもしれないが、残念ながら彼らの間には覆せない種族差がある。

 前歯をとがらせて首筋に突き刺した。標的が呻き声をあげる。

 傷口から血が滲み出て、吸血鬼の喉を潤す。

 丁度いい塩気、疲れた人間の味。少し舌は痺れるが、実に自分好みの味だ。吸血鬼は赤毛の匂いを嗅いで、機嫌よく傷口でない場所に口付けした。

「いつ終わる?」

「さあねえ、当分は終わらないよ」

「早く終わらせてくれ」

 俺好みの味だし、顔形も色も実に好みに合っている。

 傷口を強く吸われるたびに、錬金術師は悲鳴を上げた。指を絡めた右手は爪を立て、左手は何かに縋りつこうとして暴れる。脚は吸血鬼の腰を強く挟み、触れた内腿が時折痙攣している。

 早く終わらせてほしい、とだけ考えている様子だった。

 それに対して吸血鬼は機嫌が良かった。失礼な呼び出し、失礼な応対だと思ったが、思いもよらぬ掘り出し物だった。血が抜けていくときの反応も可愛らしい。声も気に入っていた。落ち着いた声質に映える喘ぎ声だ。

「あんた名前なんて言うの? ファーストネームは?」

 錬金術師は悲鳴に干からびた喉で答える。

「……サモモ。頼む、あとどれくらい……」

「いい名前だね」

 偽名だとしても可愛らしい名前だ。吸血鬼はますますこの獲物を気に入ってしまった。

「なあ、サモモ。あいつ、理人はいつ頃起きる?」

「あの量なら、明日の朝までは起きないだろう、だが生来のクルースニクの抵抗力までは勘定に入れていない、実際どうなるかは……」

「朝までか。それならついでにセックスもしないか?」

 この言葉で錬金術師は初めて反射ではなく、明確に抵抗したように見えた。

「それも代償か?」

「サモモがしたい気分になってたら嬉しいなって」

 錬金術師は少し考えた後、早口でまくし立てた。

「準備が無い。ティッシュは一階に置いてないしコンドームは買い置きが無いし、第一ここは不潔だ」

「なら、次来る時までには、準備しておいてくれる?」

「……そうだな。次があったら、準備をしておく」

 舌で血止めの唾液を塗って、吸血鬼の今日の食事はこれまでとした。

「御馳走様でした。美味かったぜ」

 この返答も何か策あってのことだろう。湿って重くなったスウェットをつまんで持ち上げて、錬金術師は甘い吐息と共に立ち上がった。

「こっちまでは濡れてないよ、安心して」

「……きみは、酷いことをするんだな」

「あんたに才能があったんだ。俺が吸った別の奴はそんなことにはならなかった。きっといい吸血鬼になるぜ」

「そういう傾向があるのか?」

 食いついてきた。ただでさえ貧血気味なうえそろそろ倒れそうなほど吸ったというのに。好奇心は絶えないのか。吸血鬼は誤魔化すように答える。

「いや、ただの勘。俺が吸血鬼にしたのもあんまり数はいないし」

「だが貴重なサンプルだ。ぜひ話を聞きたいところだ」

「あんたさ、それより着替えてきたら? 下半身湿ってるだろ? 話は落ち着いて今度するよ。俺もほら、そろそろ帰らなきゃだし。理人をペラペラの布団で寝かしてやらなきゃ」

「電車はもうない。時計は回り切っている。時間を掛け過ぎたな」

「御忠告どうも」

 夜は明るいのに、あれってずっと走ってるわけじゃないんだな。吸血鬼は電車の通行時間について初めて思いを寄せた。

「俺の足なら歩いて帰れる。あんたも人間なら夜寝ろよ」

「そうか。……気を付けて」

「今日はごちそうさまでした。おやすみ」

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