4/13(日) 魔女のパン屋に行こう
「あ」
二人で夜の散歩中、魔女のパン屋が開いているのを初めて見た。
「入ってみよう」
どちらともなくそう言った。
明日の朝食べるパンはもう買ってあったが、物珍しさには勝てない。スーパーで買った食パンは冷凍すればいい。面白いものや買いたいものが無かったなら、何も買わずに出ていってもいい。
リンリン、とドアに付いた鈴が鳴る。店内には彼らと同じく物珍しさに惹かれてか、偶然この店に立ち寄った数人がいた。その中には喫茶店の赤毛の店員もいた。彼はもう買い物を終えて出て行くところだった。
「お、赤彦さん」
「ごめんだけど、血はやらないよ」
「世間話しようとしただけなのに……」
「悪いけどここ出入り口だから。またお店でね」
そういう店じゃないって言ったのあんたなのに。吸血鬼は不機嫌そうに口を尖らせた。お喋りを擦る口実が出来たと喜ぶべきか。吸血鬼は尖らせた口を元に戻した。
夕食というにはかなり遅い時間だが、奥のイートインスペースにも何人かいて、思い思いのパンを食べて、紙コップで紅茶を飲んでいた。手前のレジの、専用の座布団の上には猫が寝ている。この前ほんの一舐め血を吸った猫だ。野性を奪われたあまりにもか弱い猫は、魔女の店だというのに明るい店内でもぐうすか寝ている。
狩人はパンのほうを見ていた。ハーブやら何やらで不審な効能を謳う以外は、前調査したときと同じく、不審な点は見られない普通のパンだ。それから前と同じならば、たぶん朝になってレンジでチンし直しても美味しいままだ。
吸血鬼は瓶詰が並んだ棚のほうを見ていた。おまじないジャムと称して、味と効能が書いてある。この前のモーニングに出た苺と赤ワインは恋愛成就の効果があったらしいらしい。他にも変わった味がある。桃と栗は良縁祈願。レモンとチョコレートは学業成就。その他にもお洒落なラベルの瓶がいくつも並んでいる。ラベルを見ると、主要な味の他に、ハーブが何種類か使われているのが読める。いかにも効きそうな字面だ。
「これ本当に効き目あるの?」
「信じる者は救われる、よ。吸血鬼さん」
「……足元とか?」
「信じたいことを信じればいいの。ただのワインでも愛の妙薬になるのよ」
レジに座る魔女が話しかけて来た。黒い髪、金縁の大きな眼鏡に、腕輪や耳飾りをじゃらじゃら付けている。
「おまえね? この子の血を吸ったって言う吸血鬼は」
「そうだが」
「これ以上は何もしないでやってね、この子弱いから。本当に死んでしまうわ」
「しないよ。人の物を死ぬまで吸うほど飢えちゃいない。ちょっとかわいいからつい口説いちゃっただけ」
「ちょっとどころじゃないでしょ? ほら、すごくかわいい」
全身ショウガ色の猫はうーんと伸びをして、レジ台の上から転げ落ちそうになっていた。魔女が支えていなければ本当に落ちていたらしい。慣れた手つきで座布団の上に戻された。
「猫バカめ」
「誉め言葉よ。クドラクさん」
金縁の奥の金色の目に射られる。丹田に針が刺すような痛みがある。何かを見られた。吸血鬼はトングをカチカチ鳴らしてパンを威嚇する狩人の手を止めた。この痛みを与えた魔女はにっこり笑っている。何がおかしい。
「あなた、欲しいものがあるんでしょ? 手が届くところにあるのに、どうして素直に取りに行かないの?」
「やかましい。おい理人、ジャムどれか買って帰るぞ。何がいい」
「君が好きな味でいいよ。効果気にしないんだろ」
「お前ッ、俺が人類滅亡とか願ったらどうすんだよ」
「そんなもの置いてないわよ」
隕石との縁結びとか、やりようはあるだろ。吸血鬼は口の中でもごもご言った。
狩人は既にいくつかのパンを盆に置いていた。フランスパンの開きを用いたガーリックトーストが一つ乗っている。吸血鬼は眉間に深い皺を刻んで目を反らした。
「それは戻せ」
「たまには食べたいんだ。お願い」
「……食べ終わったらマジでちゃんと歯磨けよ」
苦手な空間になってきた。もうさっさと帰りたい。吸血鬼は狩人からトングを取り上げ、パンを二つとった。悩んだ末にレモンとチョコレートを選ぶ。他の味はまた店が開いているときに買いに来ればいい。
「ニンニクのやつは別にしておいてくれ」
「ええ。死んじゃうものね」
「死にはしないが大っ嫌い」
ほほえましいものを見る目をされた。むっとして見つめ返すが、目が合わない。
「白魔女め」
「ありがとう。また来てね、クレスニクさん。あなたなら大歓迎よ、おさぼりのクドラクさん」