狩人のその後:続・クルースニクインWVI
・同居人のメモ
フランシス:首に傷もつ吸血鬼。ポストの色は赤。
ルチエ:理人の義兄。フランシスとの同居を持ち掛けた上、いろいろなものを連れ込むくせに、なかなか帰らない厄介な男。ポストの色は緑。
オルペウス:気難し屋らしいが、まだ寝ている。
誰かもう一人:この時点では名前すら決まっていないぞ。どうするんだ。ポストの色は黒。
理人:カタカナで呼ばれがちな新入り。ポストの色は青。
・アーミテージ屋敷のメモ(おおむね。後で変更するかもしれない)
地下:(シェルターではない。一階のガレージから入る)音楽室
一階:玄関、リビングダイニング(ここが中心)、ガレージ、パントリー(物置)、ランドリールーム、メインベッドルーム(オルペウス)と風呂とトイレ
二階:ベッドルーム×2、WC、談話室(ほぼ廊下)、WC、ベッドルーム×3
狩人が資料課のアルバイトを初めて数か月。彼はすっかりこの街での生活に慣れていた。
車の免許を取ったが、免許を取るまで借りていた自転車のほうが何かと小回りが利き都合がいいため、相乗りをする日以外は自転車を借り続けていた。
アーミテージ屋敷(と義兄が呼んでいたので狩人もそう呼ぶことにした)の居候の吸血鬼、オルペウスとも話をした。彼はもともと別の国にいたが、終活のためにルチエが彼を棺桶ごと連れてきたはいいものの、ルチエがやりたいことリストを消化してくれないために、なかなか死ぬことが出来ないらしい。
「リヒトがやってくれるなら、僕はそれでも構わないんだけど。誰とやっても一緒じゃないか?」
「やだ! 一緒じゃない! ルチエは約束を違えるな! ばか!」
そういうわけで狩人はオルペウスとは同居していること以外ではほぼ無関係を通している。
オルペウスは古い習いに定まって土曜日は決まって寝ているが、それ以外の日もだいたい寝て過ごしている。ルチエがいれば必ず起きるが、それ以外に寝惚けて起きた日には大体ろくなことにならない。目に入ったおやつは食い荒らし、料理酒をこっそり飲んでは酔っぱらってうたた寝し、デザートの食べたいところだけを食い散らかし、昼寝をしているものがいれば目をこじ開け、フランシスの尻を通りすがりに叩き、ダイニングでうっかり書きものを広げればすべてが引っ繰り返される。
しかし生来のいたずら好きから目を反らせば、腕の内に収まるほど可愛らしい吸血鬼で済む。髪はべたついて褪せた金色に目は空色、背は小学生程度で非常に軽く、風呂が嫌い。吸血鬼はおおむね風呂嫌いなものらしい。狩人と同居していた吸血鬼もそうだった。
「オルペウスという名前は、どういう経緯で付けられたんですか?」
「特別な意味は無い。名前なんてそうだろう」
何かありそうな反応だった。後に資料室でオルペウスに関する資料を見つけ、かつて聞いた発言が誤魔化しであることがわかった。だいたいこういう面倒ごとが絡んでいそうなことはルチエに聞けば長い話の後に解決するが、何か聞きたいことがあるときに限って彼は家にいない。
風呂嫌いと言えば、フランシスは土曜の夜に決まって風呂に入るようだった。オルペウスが邪魔しないからか、と言われればそうでもないようで、単にスケジュールの都合からだという。吸血鬼の性に逆らって風呂に入り、陽射し対策をして日曜礼拝に行き、昼は起きて夜は寝るのが彼なりの人間らしさを保つ方法らしい。
狩人は帰宅後、日常の大半をこのフランシスと二人で過ごしていた。フランシスとの会話があまりにも素っ気ないので、彼とは食事の他にはほとんど口をきかなくなった。オルペウスが起きているときは注意や叱責のために多少喋るが、フランシスはほとんど世間話というものをしない。反してルチエがいるときはかなりお喋りだ。おそらく自分は嫌われているわけではないが、こちらから話を振らなければ会話はあまり繋がらない。何も話題が無ければ世間話などしないものだ。狩人はそう考えていた。
それゆえルチエが出て行った直後、フランシスと二人の食卓になったときに、なんともない世間話のていで、このような質問をぶつけた。
「義兄のことが好きなんですか」
「気に入る所が無いなら同居なんてしないだろう」
「親愛ですか」
「だからなんだ。あいつはそれしか持ってないだろう」
「いえ……そういえばどうして二人は同居を始めたんですか? 結婚した直後はしてなかったんでしょう? 名前だけで……」
この質問をぶつけたのは思い立ったからだ。ルチエのほうには聞いていない。
「同居じたいを薦めたのはあいつだ。この家をなくしたときに、今住んでるアパートに避難しないかって聞いたんだ」
「そうなんですか」
「建て直しが終わってから誘ったのはこっちだが。いろいろと安く済むから来ないかって言ったら、いいなって言った」
「それで、どのタイミングで結婚したんですか」
「同居が始まるずっと前、私が吸血鬼退治をすることになった時だ。名前だけやるならいいって思ったんだろうな。私はすっかり彼の善意につけあがってしまった」
フランシスの声はだんだんと震えていった。どうやら彼は義兄のことがかなり好きらしい。きっと義兄が同居を始めた愛とは違う愛で。
「あの野郎、……罪な男ですね」
目を伏せて訥々と零すフランシスに、理人はそう返すことしか出来なかった。
さて、狩人の暮らしぶりに話を戻そう。狩人がたまに食後の時間を過ごす二階の談話室の蔵書はおおむね英語であり、彼は背表紙だけは読破していた。中身に対する興味は殆ど生まれなかったため、どうしてもここで暇をつぶさなければならないときには、中段に置かれたやさしい英語で書かれた漫画や、ルチエが帰るたびに増える旅行雑誌を眺めていた。フランシスが燃える前の家にあった本を思い返して集め、それと関係無しに義兄ルチエが持ち寄り、クリストファーが自分の所持する数少ない本や教科書を物置代わりに置いて出来た本棚だ。
……そう、アーミテージ屋敷に暮らす最後の一人はクリストファーという。同居当初に名前の紹介を省かれた彼は、ルチエと同じらしい外回りを担当しているようで、月に一週間程度は屋敷に帰ってきていた。
「ルチエ先輩って弟いたんだ……」
「はい。初めまして。血の繋がりはありませんが」
その後二人と後から来たオルペウスは三人でクリストファーの土産のおいしい白ワインをつまみながら、あいつ余計なことは喋るくせに自分のこと喋らないよな、などのルチエへの愚痴でひとしきり盛り上がった。
「そういえばクリスさんはどうしてこのお屋敷に?」
「えーっと、勤め始めたころは独身寮にいたんだけど、フランシスさんたちの世話になることになったのは、うーん、なりゆきというか……なんでだろ……」
この会話で狩人がクリストファーについて得られた情報はそれだけだ。どうやら極端に流されやすい性格らしいというだけ。狩人は酔い潰れたオルペウスを棺桶に入れ、酔い潰れたクリストファーをベッドに運び、フランシスには「次からはオルペウスだけでいい、人間には片付けをさせろ」と言われた。
最も重要な事項、狩人がこの屋敷に暮らす由縁、冥府に関する情報の収集は遅々として進んでいなかった。資料に残っているもので冥府というワードが出てくるときはたいてい比喩か代名詞であるし、狩人の求める者に繋がることはまずない。生きている人間で冥府を語る人間の言はたいていあてにならない。日本に帰ったついでにアーミテージ屋敷の居候仲間と地獄めぐりをしたり、別の旅行で冥府への入り口であると言い伝えのある有毒ガスに満ちた洞窟に突っ込んで行くなど、調査は迷走していた。
「そもそも君の言う冥府というものも、何らかの比喩ではないのか?」
資料課の狩人の上司、頼りにしている室長にはそう聞かれた。
「寝てる間に見る夢とか、薬物による幻覚とか。あるいは単に場所とか。そういうのならいくらでもあるが……」
ジェット・ドンカスターという、下のピザ屋のオーナーもしている人だ。黒く重たそうな髪に毎日両目とも違う色のカラーコンタクト、やたら沢山耳に刺々しいピアスを付けているうえに着る服にも銀色のトゲが付いているゴシックパンクファッションの、狩人が出会ってきた中では最も怖い外見をしている人だと感じた。
しかしながら妙なファッションを怖れなければ面倒見がいい人であったので、狩人とは早いうちから打ち解けていた。暇を見つけては冥府に関する情報収集を手伝ってくれている。
「比喩でないなら、冥府に行くなら死ぬのが確実だろう。使いたくなったらそこの吊り縄を使うといい」
「なんでそんなものあるんですか」
「使おうとした奴がいるからだろう」
暗めのジョークも飛ばしてくるのがなお怖い。これは未だに慣れていなかった。
「向こうに行かないとしても、死者との交流はいくらか方法があるが。降霊術は試したか?」
「いえ。ジェット、僕が探しているのは霊的なものではなくって、生身で、触れ合える吸血鬼なんです」
「生身ってなぁ、変な言葉使うなあ。死んでるのにさ」
ジェットはけらけら笑った。彼は吸血鬼には二度の死があると考えていた。一度目は人間としての死を迎えたとき、二度目は永遠の命を得た後の死だ。
「吸血鬼が二度以上目の死を迎えたんじゃないのか」
「僕が殺してないので、それはないかと」
「運命だからか?」
「はい」
「いいなあ、運命。おれも欲しい」
そうしてまたゲタゲタ笑う。今日は上機嫌らしい。
「あげませんよ」
「あげられるのか? その吸血鬼は君のものか?」
「はい。独占欲です」
「ワハハ」
ともかく、狩人の今は平穏に進んでいる。